社会をよみとくキーワード

共同通信社記者の大塚圭一郎氏執筆、Z会の人気メルマガ「社会をよみとくキーワード」(毎週月曜日配信)より、
キーワードの説明部分を、配信翌日の火曜日に本ブログにて公開していきます。
メルマガでは、筆者の見解・考察も御覧いただけます(右側の「リンク集」より登録できます)。

     
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骨太の方針
[2006年08月29日(火) ]

小泉純一郎政権が発足した2001年から毎年取りまとめている経済財政運営の基本方針。正式名称は「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」。小泉首相が議長となり、主要閣僚と日本銀行の福井俊彦総裁が議員、4人の経済人と大学教授が民間議員を務める「経済財政諮問会議」がまとめた上で、閣議決定する。
 

小泉政権は「骨太の方針」を翌年度の予算編成に反映させるとともに、中期的な経済財政運営の方針「改革と展望」とも連動させて構造改革路線を推進してきた。その中には小泉政権が力を入れてきた郵政民営化や、金融機関の不良債権処理、三位一体改革などが盛り込まれてきた。6回目となる今年の「骨太の方針2006」は、小泉政権にとって最後の方針となり、例年の6月より遅い7月7日に閣議決定。財政健全化のほか、成長力・競争力強化による経済成長、安全・安心で柔軟かつ多様な社会の実現を主要政策と位置付けた。
 
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Posted at 17:48 | この記事のURL

ゼロ金利政策
[2006年08月22日(火) ]

銀行間の市場で、翌日物金利を0%に誘導する金融政策。景気を好転させるのに、効果的な手法とされる。日銀は1999年2月、物価下落と景気悪化が連鎖的に起きる「デフレスパイラル」(6月5日号参照)の深刻化が懸念される中でゼロ金利政策を導入。その後、景気が回復に向かっているとの判断から2000年8月にいったんゼロ金利を解除して翌日物金利を0・25%程度に引き上げたが、情報技術(IT)バブルの崩壊などで経済情勢が再び悪化。このため01年3月に、金融機関の手元資金量を目安として「量的緩和政策」の実施し、ゼロ金利に戻すことを余儀なくされた。


日銀は金融政策の運営について、景気や物価動向をみながら毎月1―2回開く金融政策決定会合で決める。金融政策決定会合は福井俊彦総裁と2人の副総裁、審議委員6人の計9人による多数決で決定している。今年3月には量的緩和政策を解除し、翌日物金利を「おおむね0%」としていた。
 
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Posted at 17:47 | この記事のURL

イビチャ・オシム氏
[2006年08月15日(火) ]

サッカーJリーグ1部(J1)の「ジェフユナイテッド市原・千葉」前監督で、サッカー日本代表の新監督。65歳で、190センチを超える長身。知将として知られ、「頭を使い、走るサッカー」を持ち味とする。2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に向けて日本代表の再構築を担う。
 

1941年5月6日、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ生まれ。60年にサラエボのクラブ「ゼレズニチャル・サラエボ」でプロ選手生活を始め、64年の東京オリンピック(五輪)にユーゴスラビア代表として出場。その後、フランスのクラブを渡り歩いて活躍した。
 

ゼレズニチャル・サラエボのコーチを経て、86年に旧ユーゴスラビア代表監督となり、90年のW杯イタリア大会では8強となる快挙を成し遂げる。しかし、92年にボスニア・ヘルツェゴビナの離脱に対して旧ユーゴスラビア軍がサラエボを侵攻すると、抗議の意味を込めて代表監督を辞任。ギリシャ、オーストリアのクラブで指揮を執った後、2003年にJ1の「ジェフユナイテッド市原」(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の監督に就任。ジェフは戦力的に十分ではなかったが、03年に年間通算成績3位とクラブで過去最高の成績を残し、05年の「ヤマザキナビスコカップ」で優勝をもたらした。
 
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Posted at 17:45 | この記事のURL

ジネディーヌ・ジダン
[2006年08月08日(火) ]

サッカー史上有数の実力を持つとされるフランス国籍の選手。34歳。両足を巧みに使ってボールをさばいたり、得意技の「マルセイユ・ルーレット」で相手選手の間を擦り抜けたりのプレーで、観客を魅了。フランス国民にとっての英雄であるとともに、「移民社会のスター」とも受け止められてきた。ワールドカップ(W杯)ドイツ大会(7月21日号参照)でフランス代表の主将を務め、イタリアと対戦した決勝が現役からの引退試合となった。愛称は「ジズー」。
 

1972年6月23日、アルジェリア移民の二世としてフランス・マルセイユに生まれ育った。貧しい中でサッカーの実力を磨き、88年にフランスのクラブチーム「ASカンヌ」に入団。その後「FCボルドー」、イタリアの「ユベントス」へ移籍し、フランス代表として出場した98年のW杯フランス大会では決勝で2得点を挙げて優勝に貢献。2001年にスペインの「レアル・マドリード」へ移籍し、その際の移籍金は約81億円(推定金額)と史上最高額を記録した。2004年にいったんフランス代表から引退するが、翌05年に復帰。今年5月のレアル・マドリードでの最終試合を経て、W杯ドイツ大会に全精力を費やしていた。
 

7月9日のW杯決勝トーナメントで、イタリア代表のマルコ・マテラッツィ選手(32歳)から暴言を吐かれたのに激高し、マテラッツィ選手の胸部に頭突き。ジダン選手はこの暴力行為のため退場処分を受け、結局フランスはイタリアに敗れて優勝を逃した。


ジダン選手はフランスのテレビに7月12日出演し、暴力行為に及んだ理由を「マテラッティ選手がとても耐え難い言葉を口にし、2度、3度と繰り返した。それは母と姉にかかわる極めて個人的な内容だ」と明かした。頭突きについては「許されない行為」と謝罪する一方で、「自分の行為を後悔するわけにはいかない。後悔すれば(マテラッツィ選手が)ああいう言葉を口にするのは正しかったということを意味してしまうからだ」と訴えた。その上で「本当に責められるべき人間を罰する必要があるということだ」と述べ、国際サッカー連盟に対してマテラッツィ選手への処分を求めた。
 
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Posted at 17:50 | この記事のURL

サッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会
[2006年08月01日(火) ]

4年に1度のサッカーの祭典であるワールドカップ(W杯)が、ドイツで6月9日に開幕した。世界32カ国の代表チームが出場し、1次リーグでは8つのグループに分かれて対戦。イタリア対フランスの欧州同士となった決勝トーナメントは首都のベルリンで7月9日(現地時間)にあり、イタリアが1982年以来24年ぶりとなる4度目の優勝を飾った。大会最優秀選手には、W杯をもって引退することを表明していたフランス代表の主将、ジネディーヌ・ジダン選手(34歳)が選ばれた。
 

1998年のW杯フランス大会で優勝したフランスは、前半7分にジダン選手がPKを決めて先制したが、対するイタリアは前半19分にマルコ・マテラッツィ選手がコーナーキックから同点ゴールを決めた。1対1からのPK戦でイタリアが5―3で制し、世界一の座を勝ち取った。フランス代表は、ジダン選手が延長後半5分にマテラッツィ選手からの暴言に憤って頭突きを見舞い、一発退場になったのが響いた(この問題は8月7日号のキーワードで取り上げる予定です)。
 
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Posted at 17:42 | この記事のURL