このタイトルをご覧になった方は、果たしてどんな「貴婦人」を思い浮かべているのだろうか。まずは文字通り高貴な女性、それも「昔日に思いをはせる」と書いてあるので、やや年配の方を想像されたかもしれない。
また、これまでの「オフタイム」は鉄道関連の話題を積極的に取り上げたので、鉄道ファンや蒸気機関車(SL)の愛好家の方は「SLのC57のことだろう」と考えられたかもしれない。スマートで美しい車体のC57は「貴婦人」の愛称を持ち、JR磐越西線を経由して新潟駅と会津若松駅(福島県会津若松市)を結ぶ「SLばんえつ物語号」や、JR山口線の新山口駅―津和野駅(島根県津和野町)を走る「SLやまぐち号」などで活躍している。私もC57には興味津々だが、SLについてはあらためての機会にご紹介したい。
今回取り上げる「貴婦人」は、日野自動車が1964年から67年にかけて生産、販売していた名車「コンテッサ1300」のことだ。コンテッサとはイタリア語で「伯爵夫人」の意味のため、「貴婦人」と呼ぶ向きがあるのだ。
私は自動車担当になって間もない今年7月下旬、東京都日野市にある日野自動車の本社へ社長インタビューのため訪れた。その際、社員の方に「ここにはコンテッサなどの古い車は展示していないのですか?」と尋ねた。すると「ここにはありませんが、少し離れた八王子みなみ野にありますよ」と教えられたのが、東京都八王子市の新興住宅街にある「日野オートプラザ」だった。そこで開館日の土曜日に、妻子を連れて訪れてみた。
日野オートプラザは、日野の自動車やトラック、搭載されたエンジンなどを展示している。見どころが満載で、建物も立派で快適な空間ながら入場無料なのだから「自動車好きにオススメの穴場」と言えよう。展示物の「目玉」は、何と言っても日野がかつて生産、販売していた乗用車の数々だろう。
ルノー(フランス)と契約を結んで「ルノー4CV」をノックダウン生産した「日野ルノー」、そして「日野ルノー」の技術を活用して1961年から65年まで生産したエンジンの排気量が893tの4ドアセダン「コンテッサ900」もあった。私は両車種とも好きだが、かつて「日野ルノー」に乗っていた父は「日野ルノーは良い車だったが、コンテッサ900はあか抜けないデザインだった」と話していた。
そんなイメージを打ち破り、模倣した欧州車も顔負けの美しき「貴婦人」の名前こそ排気量1251tのエンジンを積んだ「コンテッサ1300」だ。イタリア人デザイナーの故ジョバンニ・ミケロッティ氏の手によるこの名車は、前面に4灯のヘッドライトと方向指示器をを絶妙な位置に配し、エンジンのある後部もスポーティーで魅力的に仕上げている。1964年の製造開始当初はセダンだけがクーペが生産、販売されたが、翌65年に追加された「コンテッサ1300クーペ」が評価を一段と高めた。しかし、トヨタ自動車と提携した影響もあって67年に生産終了してしまった。
△日野自動車の「コンテッサ900スプリント」(左)と筆者。右は「日野ルノー」(東京都八王子市の日野オートプラザで)
私はかつて白い車体の「コンテッサ1300クーペ」が停車しているのを見かけ、その流麗なスタイルに魅了された。そして「なんでカメラを持ってこなかったんだ!」という後悔の念を抱きつつ。故に「青い鳥が逃げた」(日産自動車の「ブルーバード」の比喩ならばぴったりなのだが…)という思い出が刻まれたのだが、同じく白い「コンテッサ1300クーペ」と“再開”を果たし、ファインダーに収めることもできた。
さらに驚かされたのは、1963年に発表されたミケロッティ氏デザインの“幻のクーペ”である「コンテッサ900スプリント」まで鎮座していたことだ。スポーティーさと高貴さを併せ持つ外観は、見る者をひきつける魔力を持っているようにも映る。発売されれば高評価を得られたのは請け合いだが、諸般の事情から量産化が見送られた。展示されているグリーン色をした1台は、日野が乗用車でも輝かしい歴史を築いていたことを物語る“生き証人”と言えよう。
私はそれらの貴重かつ魅力的な乗用車の数々を見つめて至福の一時を過ごしていたが、長男は1966年式の日野製のボンネットバスに乗り降りして大はしゃぎだった。このボンネットバスは2002年の東京モーターショーにも展示され、私も長い行列に並んで乗ったところ、やはり子どもたちが車内で大喜びの様子だったのを思い出す。子どもの正直なリアクションは、ボンネットバスの愛きょうのある外観が人を魅了するとともに、乗ることの楽しさが宿っていることを示していよう。
高度成長期の日本人は敗戦から立ち直り、欧米の先端技術に追いつこうと必死だったのではないか。そのような情熱に動かされ、ハンドルを握りたくなる美しいデザインと優れた性能の乗用車や、「夢」まで運んでくれそうなボンネットバスを生み出してきたのではないか。日野に限らず、トヨタ自動車のスポーツカー「2000GT」、マツダのロータリーエンジンを積んだ「コスモスポーツ」、今年で発売50周年を迎えた軽乗用車の先駆者とも言える富士重工業の「スバル360」など、特に1950―60年代に誕生した名車は枚挙にいとまがない。
これに対し、最近の日本車はどうだろうか。新車の開発費は300億円とも、それ以上とも言われており「失敗すると大きな損失を被るので、冒険をしにくい」(自動車大手幹部)とされる。しかし、最近は性能もスタイルも「合格点」を取ろうとするあまり、従来の枠組みを突き破ろうとする意欲にやや欠けているのではないだろうか。
先日、
東京外国語大学の先輩である日本自動車工業会の青木哲会長(ホンダ会長)に「どうして若者のクルマ離れが進んでいるのでしょうか」と尋ねてみた。青木会長は「昔はクルマが大好きな若者が多かったが、今は若者の価値観が多様化したこともあるのではないでしょうか」と語り、自動車の人気復活に努めるとの決意を示しておられた。そのためにも、自動車業界を担う大手メーカーには一部車種ではあえて冒険を犯し、往年の名車のように若者を魅了するデザインと、走る楽しみを感じさせる「夢のあるクルマ」を送り出してほしいのだが。
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