南東欧のバルカン半島に位置するセルビア南部にあり、コソボの議会は今年2月に「コソボ独立宣言案」を採択してセルビアからの独立を一方的に宣言した。セルビアは人口が約940万人だが、コソボは人口約200万人のうちアルバニア系住民が約90%を占めるとされる。言語と宗教はアルバニア系住民のアルバニア語、イスラム教に対し、セルビア人はセルビア語とセルビア正教であり異なる。
関連サイトによると、中世セルビア王国の中心地だったが、14世紀末にオスマン帝国に占領されてからアルバニア系が住民が多く住むようになった。第二次世界大戦後は旧ユーゴスラビアを構成する自治州の1つとなったが、1980年代以降に独立の機運が高まった。1990年代後半からアルバニア系住民がコソボ自治州の分離独立を求め、アルバニア系住民とセルビア系住民との民族紛争が激化。武装組織「コソボ解放軍」と旧ユーゴスラビア軍との戦闘が本格化し、多くの死傷者を出した。
1999年3月から
北大西洋条約機構(NATO)が「コソボの人道的な危機的状況」などを理由に掲げて、空爆などで軍事介入。旧ユーゴスラビアは99年6月に米国とロシア、欧州連合(EU)による和平案を受諾し、その後旧ユーゴスラビア軍はコソボからの撤退を始めた。コソボは国際連合の暫定統治下に置かれた。
2002年3月にコソボ自治政府が発足し、自治権を回復。03年2月に「ユーゴスラビア」の国名が消滅して国家連合の「セルビア・モンテネグロ」となった後、06年6月にモンテネグロが独立を宣言してセルビアとなった。
前フィンランド大統領のマルティ・アハティサーリ国連事務総長特使が07年2月2日、コソボの独立を事実上認める仲介案をセルビアとコソボの双方に提示。アハティサーリ仲介案はコソボを「民主的、世俗的で多民族の社会」と位置付け、独自の旗や記章の制定、早期の憲法採択、国際機関への加盟などを盛り込み、事実上の独立を容認した。その上で事実上独立するコソボが国際的な責任を引き継ぎ、地域の平和と安定に努めるとして、隣国との国境を保証するとともに、紛争解決の手段としての暴力行使を慎むように求めている。
セルビアとコソボは仲介案についての協議に入ったが、セルビア議会が仲介案の拒否を決議するなどセルビアの反対に遭って決裂。アハティサーリ氏は国連の安全保障理事会にコソボ独立を勧告する報告書を提出したものの、ロシアの反対を受けて結論は出なかった。
コソボの議会は今年2月17日、仲介案に基づいてコソボ自治政府が提出した「コソボ独立宣言案」を採択し、セルビアからの独立を一方的に宣言。日本のほか米国や欧州連合(EU)などが独立を承認した一方で、セルビアを後押しするロシアなどは反対している。セルビアは独立を阻止すべく徹底抗戦の構えを崩さず、コソボのセルビア系住民とアルバニア系住民の対立が激化している。独立宣言に反対する群衆が暴徒化し、コソボの独立を支持する米国とクロアチアの大使館に乱入し、放火する事件なども起きている。コソボ議会は少数のセルビア系住民にも配慮して「コソボは多民族社会」とうたい、公用語をアルバニア語とセルビア語と定めた憲法を4月9日に採択した。
一方、セルビアはEUへの加盟を検討していたが、連立政権はコソボ独立を支持しているEUへの対応をめぐって対立して崩壊。ボリス・タディッチ大統領は3月13日、セルビア議会を解散して5月11日に選挙を実施することを発表した。
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