赤字経営が続いており、いったん廃止が検討された茨城県ひたちなか市を走る茨城交通(水戸市)の湊線を引き継ぎ、ひたちなか市と茨城交通が出資して4月1日にスタートする第三セクターの鉄道会社。茨城交通は1944年に合併で誕生しており、60年以上続いた「茨城交通湊線」の名称は3月31日に幕を下ろす。茨城交通は路線バスや高速バス、不動産などの事業に集中して収益力改善を目指す。
湊線はJR常磐線と接続する勝田駅―阿字ケ浦間の14・3キロを結ぶ非電化路線で、4月からは「ひたちなか海浜鉄道湊線」となる。ひたちなか市によると、市民や利用者から社名を公募したところ150通の応募があり、ひたちなか市を走る鉄道であり、阿字ケ浦駅の近くにある国営ひたち海浜公園や海水浴場を思い起こさせるとして「ひたちなか海浜鉄道」が選ばれた。湊線の名前や駅名、運賃は変わらない。
また、ひたちなか市が新会社の社長を年俸700万円程度で公募したところ、58人の応募があり、富山県で路面電車を運行する第三セクターの「万葉線」(富山県高岡市)の総務課次長だった吉田千秋氏(43歳)に決まった。吉田氏は、地方鉄道の再生についての経験やノウハウがあり、観光やまちづくりなどの関連団体と連携して鉄道を含めたまちの活性化に幅広く取り組んだ実績が評価された。
ほかに経営不振のために廃止が検討され、第三セクターとして存続した地方私鉄には、京福電気鉄道の福井県内の路線を引き継いだ「えちぜん鉄道」(福井市)、ともに旧近畿日本鉄道養老線の運営を引き継いだ「養老鉄道」(岐阜県大垣市)、旧伊賀線の運行を引き継いだ「伊賀鉄道」(三重県伊賀市)などがある。
△ひたちなか海浜鉄道の旧型ディーゼルカー(茨城県ひたちなか市の勝田駅で筆者撮影)
関連する資料やサイトによると、前身の湊鉄道が1913年に勝田―那珂湊間を開業させ、24年に那珂湊から磯崎まで延伸したのを経て、28年に磯崎―阿字ケ浦間の全線が開通している。湊鉄道は第二次世界大戦中の44年、茨城鉄道などと合併して「茨城交通」となった。かつては日本国有鉄道(現JR東日本)常磐線の水戸駅まで乗り入れ、阿字ケ浦駅の近くには海水浴場もあるため夏場には国鉄(現JR東日本)上野駅から常磐線経由で急行列車「あじがうら」が阿字ケ浦駅まで乗り入れていた。阿字ケ浦駅や那珂湊駅などの長いプラットホームはその名残だ。
湊線の年間利用者数はピークの60年代半ばに約350万人に達していたが、近年はマイカーの普及などに押されて減少し、2006年度はピークの5分の1の約70万人まで落ち込んだ。茨城交通は2005年12月にひたちなか市に対し、08年3月の廃止を前提とする協議を申し入れた。これに対し、ひたちなか市や茨城県が支援の姿勢を打ち出したため茨城交通は廃止届の提出を見合わせ、茨城交通のほかひたちなか市も出資する第三セクターに引き継ぐことで昨年9月に合意した。
湊線は、かつて旧国鉄の路線で活躍した旧型ディーゼルカー「キハ20」車両や、キハ20に類似した車両が活躍している。「キハ20」が現役で活躍している路線は極めて珍しいだけに、鉄道ファンらの人気を集めている。将来的には、線路と道路の両方を走れるデュアル・モード・ビークル(DMV)を湊線に導入し、阿字ケ浦駅から車道を走って国営ひたち海浜公園まで運行することも検討している。
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