社会をよみとくキーワード

共同通信社記者の大塚圭一郎氏執筆、Z会の人気メルマガ「社会をよみとくキーワード」(毎週月曜日配信)より、
キーワードの説明部分を、配信翌日の火曜日に本ブログにて公開していきます。
メルマガでは、筆者の見解・考察も御覧いただけます(右側の「リンク集」より登録できます)。

     
スーパーカブ
[2008年10月21日(火) ]

 大手自動車メーカーで、オートバイなどの二輪車世界最大手のホンダが1958年8月に発売した二輪車で、今年8月に発売50周年を迎えた。日本では郵便配達や新聞配達、会社員の営業、そば店の出前など商用二輪車として定着しており、国民生活を支える「足」となっている。カブシリーズはこれまでに延べ世界160カ国以上で販売され、今年4月に累計生産台数が6000万台を達成した「超ロングセラー商品」となっている。

 創業者の故本田宗一郎氏は、ホンダの前身となる本田技術研究所を1946年に静岡県浜松市に設け、自転車に取り付けられる補助エンジンの製造と販売を手掛けていた。ホンダは48年9月に設立され、大きな夢を託して命名した初の本格的二輪車「ドリームD型」を49年に造り上げた。ドリームD型は排気量98ccのエンジンを搭載し、最高速度は時速50キロ。ホンダが二輪車の事業を本格化させる原点となった。

 「スーパーカブ」の初代モデル「スーパーカブC100」が発売されたのは58年8月。故本田宗一郎氏が「おそば屋の出前のお兄ちゃんが、片手で乗れる車にする」との思いを込めて開発し、クラッチ操作を省いた自動遠心クラッチによる運転のしやすさ、低燃費と耐久性など優れた実用性を発揮した。操縦安定性や未舗装道路での走行、足つきを考慮して量産していなかった17インチのタイヤを採用。排気量49ccのエンジンを積み、最高速度は時速70キロで、発売時の車両価格は5万5000円だった。

 ホンダによると、59年に米国カリフォルニア州の大都市ロサンゼルスに販売会社を設立し、米国でも「スーパーカブC100」の販売を開始。アジアでは61年に台湾でノックダウン生産を始め、ベルギーに設立した工場で欧州向けに製造を始めるなど、海外展開を加速させた。また、モデルの改良や追加投入も進めた。66年に登場した「スーパーカブC50」は方向指示器やテールランプを視認性向上のため大型化し、外観は現在販売されているモデルと大きく違わないほどの仕上がりだ。
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「オフタイム」過去最高の1日3863アクセスを達成!
[2008年10月20日(月) ]

 Z会ブログのサイト「社会をよみとくキーワード」の10月20日のアクセス数が3863件に達し、1日のアクセス数として過去最高を記録した。これは「Yahoo!ニュース」が、大阪府の橋下徹知事が「口ばっかりで、人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」と発言したことを紹介した10月19日の記事の参考記事として「社会をよみとくキーワード」の「新聞発行部数」(メールマガジン2008年2月25日、サイト2月26日参照)を取り上げ、読者からのアクセスが急増したのが要因。

 このため、10月19日のアクセス数が2799件に上って1日の過去最高アクセス数になったのに続き、20日はさらに上回るアクセスが続いて過去最高記録を更新した。サイト「社会をよみとくキーワード」は10月15日に累計アクセス数が3万アクセスを達成したばかりだったが、20日で早くも累計で3万7000アクセスを上回った。早ければ10月中に累計4万アクセスに到達する可能性があり、従来のペースに戻った場合でも今年11月には突破する見通しになった。
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Posted at 23:59 | この記事のURL

「オフタイム」15日に3万アクセス突破へ
[2008年10月14日(火) ]

 Z会ブログのサイト「社会をよみとくキーワード」の累計アクセス数が、10月15日に3万アクセスを達成する見通しになった(10月15日に3万アクセスを突破した:15日に追記)。昨年3月の開設から約1年7カ月での記録更新となる。

 サイト「社会をよみとくキーワード」は今年6月に累計2万アクセスを突破しており、約4カ月間でさらに1万アクセスが積み上がったことになる。昨年12月の累計1万アクセスは約9カ月間、続く累計2万アクセスまでの1万アクセスは約3カ月早い約6カ月間でそれぞれ達成しており、今回はさらに約2カ月早いペースで1万アクセス増えたことになる。

 アクセス数が一段と好調に推移した要因は、「雑誌の休刊」(メールマガジン「社会をよみとくキーワード」2008年9月22日号、Z会ブログ社会をよみとくキーワード」08年9月23日参照)や「高級化粧品」(メールマガジン「社会をよみとくキーワード」2008年8月4日号、Z会ブログ社会をよみとくキーワード」08年8月5日参照)といったテーマが特に読者の高い関心を呼んだため。今年5月から毎月最終週に掲載している「キーワードの、その後」も、以前取り上げたキーワードに関連したテーマを紹介し、その後の動向も検証するというコンセプトが読者に受け入れられ、新たな名物企画として定着してきた。

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Posted at 01:58 | この記事のURL

麻生太郎内閣
[2008年10月07日(火) ]

 福田康夫首相が9月1日に退陣表明したのを受けて、公明党と連立政権を組む自由民主党は福田氏の後継を選ぶ総裁選を実施した。総裁選には自民党の麻生太郎幹事長、石破茂・元防衛相、与謝野馨・経済財政担当相、小池百合子・元環境相、石原伸晃・元国土交通相の5人が立候補した。自民党の所属国会議員と各都道府県連代表による投票の結果、麻生氏が投票総数527票(うち無効2票)の3分の2に当たる351票を獲得し、自民党は9月22日の両院議員総会で麻生氏を第23代総裁に選んだ。麻生氏は4度目の総裁選で、自民党総裁の座を射止めた。

 福田改造内閣(「社会をよみとくキーワード」08年8月11日号、Z会ブログ社会をよみとくキーワード」の08年8月12日参照)は9月24日午前の臨時閣議で総辞職し、福田氏の首相在任期間は365日間だった。麻生氏は9月24日、衆議院本会議の首相指名選挙で59人目となる第92代首相に選出された。参議院は決選投票を経て民主党の小沢一郎代表が指名され、両院協議会が開かれたものの調整が付かず、憲法の規定による衆議院の議決優先で麻生氏が首相に指名された。麻生氏は組閣に取り組み、24日夜からの皇居での首相親任式と閣僚認証式を経て麻生太郎内閣が発足した。

 麻生内閣は、財務相と金融担当相を兼務とし、中川昭一・元経済産業相を起用した。旧大蔵省(現財務省)は、検査官が金融機関から過剰な接待を受けていた事件を契機に金融監督庁が1998年に分離され、2000年に金融庁に改組された。これまで財務相と金融相の兼務はなかったが、財政と金融行政の分離に意味がないとする麻生氏の考えで兼務となった。自民党総裁選で麻生陣営の選挙対策本部長を務めた鳩山邦夫・元法務相を総務相、麻生派の森英介・元厚生労働副大臣を法務相として初入閣させた。内閣のスポークスマンである官房長官には河村建夫・元文部科学相が就任。

 故小渕恵三元首相の次女の小渕優子衆院議員は、少子化担当相として初入閣した。34歳の初入閣は、消費者行政担当相に再任された野田聖子氏が37歳で郵政相として初入閣した記録を抜き、戦後最年少の閣僚となった。また、塩谷立・官房副長官は文部科学相、日本歯科医師連盟(日歯連)から自民党の政治資金団体を経由した迂回献金問題を取りざたされた佐藤勉氏は国家公安委員長、浜田靖一・元防衛庁(現防衛省)副長官は防衛相としてそれぞれ初入閣。中曽根康弘元首相の長男の中曽根弘文・元文部(現文部科学)相は外務相、甘利明・元経済産業相は行政改革担当相、タカ派として知られる中山成彬・元文科相は国土交通相にそれぞれ就任。ともに自民党総裁選で麻生氏と争った石破氏は農林水産相に就き、与謝野経財相は再任された。ほかに舛添要一厚生労働相、二階俊博経済産業相、公明党の斉藤鉄夫環境相も再任された。

 麻生氏は、1940年9月20日生まれの68歳。いずれも故人で、明治維新の立役者の1人である大久保利通を高祖父、内大臣などを歴任した政治家の牧野伸顕を曾祖父、吉田茂元首相は祖父に持つ名門の家系だ。麻生氏の妻の千賀子さんは故鈴木善幸元首相の3女で、三笠宮寛仁親王妃の信子さまは実妹、麻生グループを率いる弟の麻生泰・麻生ラファージュセメント社長の妻は故武見太郎・元日本医師会会長の娘など、皇室や有力者に連なっている。
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北京五輪
[2008年09月30日(火) ]

 中国の首都・北京市で第29回夏季オリンピック(五輪)北京大会が8月8日から24日まで開催され、柔道や体操、水泳、陸上、野球など28競技、計302種目で熱戦が繰り広げられた。五輪史上最多となる204カ国・地域が参加した。アジアで夏季五輪が開催されたのは、韓国で1988年に開かれたソウル夏季五輪以来20年ぶり。

 開会式と開幕式などが開かれたメーン会場の「国家体育場」は9万1000人を収容し、その形状から「鳥の巣」の愛称を持つ。また、水泳競技の会場となった「国家水泳センター」は「ウォーターキューブ」の愛称を持ち、3つのプールを設けており、1万7000人を収容できる。それらの充実した競技施設は、経済成長を続けてきた中国の発展ぶりを見せつけた。

 中国政府にとって自国での五輪開催は、経済発展を遂げた中国の様子を世界にアピールする好機となった。しかし、五輪開幕前に世界を巡った聖火リレーでは、中国チベット自治区での暴動を鎮圧した中国政府に対する抗議行動が起き、4月7日のフランス・パリでは妨害の激しさから途中で打ち切りになった。また、開会式を控えた8月4日に新疆ウイグル自治区で「五輪妨害テロ」とみられる警察官襲撃事件が発生し、報道によると16人が亡くなった。中国政府の弾圧に対する不満や、人権問題など中国の抱えるさまざまな課題が露呈した。

 前回の夏季五輪である2004年のアテネ五輪を取り上げた「社会をよみとくキーワード」(2004年9月20日号)の「キーワードの解説」で、このようにご説明していた。

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 五輪発祥の地であるギリシャの首都アテネで第28回夏季オリンピック(五輪)アテネ大会が8月13日から29日まで開かれ、28競技、301種目の熱戦で日本は37個とこれまでで最多のメダルを獲得した。1984年の米ロサンゼルス大会の32個を記録更新し、一時は低迷していた日本の復活を印象付けた。

 37個のうち金メダルが16個を占め、64年の東京大会と並んで最も多かった。銀メダルは9個、銅メダルは12個だった。選手の数で初めて男子を上回った日本の女性選手が9個の金メダルを手にし、男子の7個を上回った。銀、銅メダルも4個ずつと「なでしこジャパン」の健闘が目立った。

 それぞれの選手で見ると、柔道では野村忠宏選手は日本選手で初めて個人種目3連覇を達成し、谷亮子選手は日本の女子選手で初の2連覇となり、4大会連続のメダル獲得となった。シンクロナイズドスイミングの立花美哉、武田美保の両選手は、通算獲得メダル5個の日本女子最多記録を作った。また、マラソン女子を野口みずき選手が制し、前回2000年のオーストラリアのシドニー大会に続いて2大会連続の金メダルとなった。

 五輪は「平和の祭典」と言われており、アテネでの開催は第1回以来108年ぶり。戦後の混乱が続いているイラクも含めて史上最多の202カ国・地域から選手、役員ら約1万6000人が参加。金メダル争いでは、米国が35個を手中に収めて3大会連続の首位。次いで中国が32個と、大幅に伸ばした。3位はロシア、4位はオーストラリアで、日本の16個は5位。日本は96年の米アトランタ大会の21位、シドニー大会の15位から急上昇し、「ベスト5」入りは76年のカナダ・モントリオール大会以来。

 一方、ネガティブな五輪最多記録もあった。閉幕した8月29日時点でドーピング(薬物使用)の違反件数は24件と、これまで最多だったロサンゼルス大会の12件の2倍に達する。日本勢のドーピング違反はなかった。陸上男子ハンマー投げでは、優勝したハンガリーのアドリアン・アヌシュ選手が金メダルをはく奪され、室伏広治選手が繰り上がり優勝した。違反が急に増えたのは、検査を実施したのが史上最多の3000件に上ったことや、薬物の検出精度が向上したことなどが理由とみられている。

 次回2008年は経済の急成長が続いている中国の首都、北京で開かれる。アジアで開催されるのは20年ぶりとなる。

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雑誌の休刊
[2008年09月23日(火) ]

 インターネットの普及や若者の活字離れ、広告の落ち込みといった出版不況、さらに王子製紙や日本製紙といった製紙大手が印刷用紙を相次いで値上げしたのを背景に、大手出版社の月刊誌などの休刊が相次いでいる。新聞が祝日などに発行されない「休刊日」とは定義が異なり、雑誌の休刊はそのまま復刊されることなく、事実上廃刊になることが大部分となる。かつては各出版社やその部門の“看板雑誌”だった媒体の休刊も多く、出版社の経営環境が深刻さを増していることをうかがわせる。

 朝日新聞社は、オピニオン月刊誌「論座」を9月1日発売の2008年10月号をもって休刊した。1989年に創刊された「月刊Asahi」を引き継ぐ形で1995年に「Ronza」として創刊され、97年に漢字の「論座」に変更した。発行部数(日本雑誌協会による2007年8月末までの1年間の平均発行部数、以下同じ)は2万433部と低迷し、赤字が続いていたという。ともに週刊誌の「週刊朝日」や「AERA」などを発行する朝日新聞社の出版部門は、今年4月に設立された朝日新聞社全額出資子会社の朝日新聞出版に移されたが、「論座」の発行は朝日新聞社に残っていた。

 また、講談社は1966年12月に創刊された総合月刊誌「月刊現代」を、12月1日発売の2009年1月号をもって休刊して42年の歴史を閉じる。政治や経済、スポーツ、教育など幅広い分野の硬派のノンフィクション記事や、社会ではほとんど知られていない業界話や裏話などを取り上げるコラム「早耳・空耳・地獄耳」などを掲載しており、筆者も署名入りで記事を書いたことがある。発行部数は8万5833部だが、講談社社員によると「長年赤字が続いていた」という。

 講談社はほかにも不採算雑誌の整理を進めており、昭和時代の人気総合誌「キング」の誌名を復活させて2006年9月に創刊した月刊男性誌「KING(キング)」(発行部数8万8333部)と、01年創刊した月刊女性誌「Style」(発行部数10万416部)をともに9月発売号で休刊した。さらに月刊クロスワードパズル誌「クロスワードin」(発行部数7万2833部)を11月14日の発売号、月刊漫画誌「月刊マガジンZ」(発行部数2万7375部)を09年1月26日発売号でそれぞれ休刊する。
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環境対応車
[2008年09月09日(火) ]

 二酸化炭素(CO2)の排出量や排ガスを削減でき、ガソリンなどの化石燃料の使用量を抑えられる次世代型自動車。地球温暖化防止の取り組みを加速させるために必要性が高まっており、トヨタ自動車やホンダ、日産自動車などの日本の大手自動車メーカーも開発を進めている。ガソリンを燃料に使う従来車に比べてランニングコストを抑えられるのも利点で、原油高(「社会をよみとくキーワード」9月1日号、翌2日のブログ参照)に伴うガソリン価格高騰を受けて注目度が高まってきた。

 エンジンと電気モーターを併用することで低燃費を実現したハイブリッド車は既に販売されており、トヨタはハイブリッド専用車「プリウス」をはじめとする車種、ホンダは乗用車「シビック」のハイブリッド車を販売している。トヨタは来年、「プリウス」を全面改良するとともに、高級車ブランド「レクサス」で新型ハイブリッド専用車を投入。電源につないで近距離では電気で走行し、遠出の際はハイブリッド走行する「プラグイン・ハイブリッド車」も来年末までに売り出す。

 ホンダも、来年初めに新型のハイブリッド専用車「インサイト」を日本と欧米で売り出す。インサイトは5ドアハッチバックの小型車で、「シビック」のハイブリッド車などと比べて「大幅なコストダウンを図り、よりお求めやすい価格にし、全世界で年間約20万台の販売を見込んでいる」(福井威夫社長)という。さらにスポーツタイプのハイブリッド車や、人気小型乗用車「フィット」のハイブリッド車も投入することで、2010年ごろにホンダの自動車販売台数の10%程度がハイブリッド車になると見込む。日産も10年度にハイブリッド車を日本と米国で発売し、排気量の多い高級セダン「フーガ」または「スカイライン」への搭載が有力視されている。

 また、リチウムイオン電池を搭載し、家庭や駐車場などの電源にコードをつないで充電する電気自動車も来年から順次登場する。三菱自動車が来年夏に発売する「i MiEV(アイ ミーブ)」は、1回の充電で走れる距離は160キロで、最高時速は130キロ。水島製作所(岡山県倉敷市)で当初は年2000台生産し、早期に年1万台へ引き上げる。車両価格は、国の補助金を差し引いても300万円弱になる見通しで、これは「アイ ミーブ」が車体を使っている軽乗用車「i(アイ)」の2倍以上になる。

 富士重工業も軽乗用車「スバル ステラ」をベースにした電気自動車を法人向けに来年発売し、1回の充電で80キロ走れ、最高時速が100キロ。日産も2010年度に小型の電気自動車を日本と米国で売り出し、日産は1回の充電で160キロ程度の走行と、最高時速140キロ以上を目指す。トヨタも2010年代の早い時期に電気自動車を売り出し、1回の充電で走れる距離を最低で40キロに抑えることで価格を抑える方針だ。
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原油高
[2008年09月02日(火) ]

 中東などの産油国から輸入している原油価格が高騰しており、ガソリンなどの石油製品のほか、パンや冷凍食品、菓子などの食料品、ティッシュペーパーやトイレットペーパーの家庭紙といった幅広い品目の相次ぐ値上げにつながっている。米ニューヨークの原油先物市場で指標となる米国産標準油種(WTI)の価格が今年1月に初めて1バレル(約159リットル)=100ドルを超え、六月には140ドルを突破。産油国の供給へ不安が出たとして、7月11日に147・27ドルとなり最高値を更新した。2003年ごろは30ドル程度で推移していたが、04年からは上昇基調が鮮明になってきた。

 財務省の貿易統計によると、今年6月の原油・粗油価格(速報値)は1キロリットル当たり8万538円と、為替レート変動による影響もあるものの前年同月(5万1246円)より55・8%も上昇した。2006年度は4万6659円、07年度は5万6329円と年々上がっており、08年度はさらに高騰する可能性が高そうだ。

 1973年度の原油価格は1キロリットル当たり8329円。この73年には、第4次中東戦争を契機に第一次石油危機が発生している。第二次石油危機時の80年度は4万7508円まで跳ね上がった。その後、原油価格はいったん下落して95年度は1万1057円だった。最近は第二次石油危機時の価格を上回り、「第三次石油危機」と呼ぶ向きもある。

 原油高の背景には、10億人を上回る巨大な人口を抱える中国やインドといった新興国の経済成長が続いて需要が伸びている上、米国などのヘッジファンドの投機資金が原油相場に流れたのも拍車を掛けた。米ニューヨーク市場や東京証券取引所など主要証券取引所の平均株価は、米国のサブプライム住宅ローン問題や景気の先行き不透明感もあって不安定に推移している。
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すかいらーく
[2008年08月26日(火) ]

外食大手企業で、洋食のファミリーレストラン「ガスト」や「すかいらーく」、中華レストランの「バーミヤン」、和食レストランの「夢庵」や「藍屋」、イタリアンレストラン「グラッチェガーデンズ」、都市型のファストフード「Sガスト」など多くの店舗を経営している。グループ会社に小僧寿し本部、ジョナサンなどがある。本社は東京都武蔵野市。グループの店舗数は国内に4025店あり、うち東京都をはじめとする関東地方が2287店を占める。海外はタイ、台湾、米ハワイ州に計280店ある(店舗数はいずれも今年7月末時点)。

 すかいらーくのサイトなどによると、「ことぶき食品」として1962年4月に設立され、74年11月に「すかいらーく」に社名変更した。「すかいらーく」の1号店となる国立店(東京都府中市)を1970年7月に開業。セントラルキッチンを活用して店舗運営を効率化し、マイカーの普及や第二次ベビーブームを追い風に幹線道路沿いなどに店舗網を広げた。78年9月に100号店となる杉並宮前店(東京都杉並区)、81年12月に300号店となる川崎大師店(川崎市川崎区)をオープンした。また、傘下のジョナサンを練馬高松店(東京都練馬区)を80年4月に初出店し、「藍屋」の1号店の与野バイパス店(さいたま市中央区)を83年11月、「バーミヤン」の1号店の鶴川店(東京都町田市)を86年4月に開業するなど、グループで和食や中華料理といったファミリーレストランを広げて規模を拡大させた。

 バブル崩壊後は業績が低迷したため、新業態「ガスト」を開発して「すかいらーく」の多くを93年から順次転換。「ガスト」は従業員が従来より少なくても運営できるように工夫することで、低価格のメニューを用意し、自分で飲み物を取りに行くセルフサービスの「ドリンクバー」も導入した。その後、都市型でメニューをハンバーグなどの定食中心にした「Sガスト」の展開も始めた。2005年9月に小僧寿し本部の大株主となって資本・業務提携を結び、翌06年5月に株式公開買い付け(TOB)により小僧寿し本部を連結子会社化した。

 すかいらーくは東京証券取引所に上場していたが、06年に野村プリンシパル・ファイナンス、英国CVCキャピタルパートナーズの投資会社2社の出資を受け、株式取得額が2565億円と日本で最大となるMBOを実施。株式を非公開化し、創業者の1人の横川竟(きわむ)社長が主導して大掛かりな事業改革を進めることになった。経営再建した上で、09年の株式再上場を目指していた。

 しかし、07年12月期連結決算の純損益は130億円の赤字(前期は111億円の赤字)と2年連続の純損失となった。売上高は前期比1・2%増の4017億円。少子化に加え、ガソリン価格高騰に伴って自動車での来店客減少、物価高を受けた節約志向も響き、業績の落ち込みが続いている。

 「社会をよみとくキーワード」の2007年3月12日号、ブログに翌13日掲載の「MBO」の「キーワードの解説」では、このようにご説明していた。
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「オフタイム」美しき貴婦人を見つめ、昔日に思いをはせる
[2008年08月19日(火) ]

 このタイトルをご覧になった方は、果たしてどんな「貴婦人」を思い浮かべているのだろうか。まずは文字通り高貴な女性、それも「昔日に思いをはせる」と書いてあるので、やや年配の方を想像されたかもしれない。

 また、これまでの「オフタイム」は鉄道関連の話題を積極的に取り上げたので、鉄道ファンや蒸気機関車(SL)の愛好家の方は「SLのC57のことだろう」と考えられたかもしれない。スマートで美しい車体のC57は「貴婦人」の愛称を持ち、JR磐越西線を経由して新潟駅と会津若松駅(福島県会津若松市)を結ぶ「SLばんえつ物語号」や、JR山口線の新山口駅―津和野駅(島根県津和野町)を走る「SLやまぐち号」などで活躍している。私もC57には興味津々だが、SLについてはあらためての機会にご紹介したい。

 今回取り上げる「貴婦人」は、日野自動車が1964年から67年にかけて生産、販売していた名車「コンテッサ1300」のことだ。コンテッサとはイタリア語で「伯爵夫人」の意味のため、「貴婦人」と呼ぶ向きがあるのだ。

 私は自動車担当になって間もない今年7月下旬、東京都日野市にある日野自動車の本社へ社長インタビューのため訪れた。その際、社員の方に「ここにはコンテッサなどの古い車は展示していないのですか?」と尋ねた。すると「ここにはありませんが、少し離れた八王子みなみ野にありますよ」と教えられたのが、東京都八王子市の新興住宅街にある「日野オートプラザ」だった。そこで開館日の土曜日に、妻子を連れて訪れてみた。

 日野オートプラザは、日野の自動車やトラック、搭載されたエンジンなどを展示している。見どころが満載で、建物も立派で快適な空間ながら入場無料なのだから「自動車好きにオススメの穴場」と言えよう。展示物の「目玉」は、何と言っても日野がかつて生産、販売していた乗用車の数々だろう。

 ルノー(フランス)と契約を結んで「ルノー4CV」をノックダウン生産した「日野ルノー」、そして「日野ルノー」の技術を活用して1961年から65年まで生産したエンジンの排気量が893tの4ドアセダン「コンテッサ900」もあった。私は両車種とも好きだが、かつて「日野ルノー」に乗っていた父は「日野ルノーは良い車だったが、コンテッサ900はあか抜けないデザインだった」と話していた。

 そんなイメージを打ち破り、模倣した欧州車も顔負けの美しき「貴婦人」の名前こそ排気量1251tのエンジンを積んだ「コンテッサ1300」だ。イタリア人デザイナーの故ジョバンニ・ミケロッティ氏の手によるこの名車は、前面に4灯のヘッドライトと方向指示器をを絶妙な位置に配し、エンジンのある後部もスポーティーで魅力的に仕上げている。1964年の製造開始当初はセダンだけがクーペが生産、販売されたが、翌65年に追加された「コンテッサ1300クーペ」が評価を一段と高めた。しかし、トヨタ自動車と提携した影響もあって67年に生産終了してしまった。
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