やすみのひ 寝るか食べるか 飲んでるか
こんにちは、いとーです。
上記のは単に五・七・五で何か言ってみたかっただけです。
「こんなひと」ではありません!(断言!!)
(五・七・五でなぜ真っ先にこれが浮かぶ?…とかいう疑問は持ってはいけません)
休みの日は東京に出ることが多いですかね〜。
関東に友人が多いので、一人づつ会って話をして帰ってきます。
(大勢でわいわいどんちゃん飲むのも好きですよ?
……はっ!まるで毎回飲んでるかのようなニュアンスに!)
先日は、友人と久しぶりに映画を観てきました。
家出した魚の子の話です。
映画を観ていて思い出したのですが、
みなさんは、
好きな映画を何度も繰り返し観たいと思いますか?
人によってさまざまだと思いますが、
私は、一度みて素晴らしいと思った映画は、何度も観ないことにしています。
以前、一度好きな作品をとことん観てみようと思いたち、
ビデオに撮って、エンドレスで観つづけたことがありました。
(変人)
好きな作品、いい作品なことに変わりはないのですが、
なんだか味気ない思いをしたのを覚えています。
単に飽きてしまった、といえばそれまでですが、
「…ちっちゃくなったなあ。」という感覚がありました。
私は 「そういえば最近あの映画観てないなあ。久しぶりに観たい!」
「一度しか観たことないけどあれはいい映画だったなぁ」
と思うことが多いのですが、
最近観ていないもの・一度しか観ていないものに関する情報の多くは、
「記憶」に頼っています。
そして、
その「記憶」による映像は、実際に観たそれではなく、
自分の想像力によって時間を経るごとに大きく育ったものです。
自分の田舎には映画館というものがなく、
近くの公民館の一室に茣蓙をしき、体育座り(三角座り)をして
小さなスクリーンに映し出されるものをみんなで観る、という形式でした。
それも年に1回くらい。
(これが映画館だと思い込んで育ちました 笑)
なので、上映期間中に何度も映画館に足を運ぶ、
気に入ったものはビデオやDVDで好きなときに観る
というわけにはいかず、
自分の記憶から掘り出して何度も繰り返し思い出す
しかなかったわけです。
そもそも記憶は都合のいいもので
いいところだけいいように解釈し、いいように加工してしまっておく
ことも可能ですよね?
それを何度も繰り返し思い出すうちに
記憶の中でどんどん脚色され、実際に観たものとは別のものになっている
ということも起こり得ます。
同じ作品が、人それぞれの想像力で人それぞれのものとなっていく。
どんどん大きなものに育っていく。
エンドレスで観つづけた結果「ちっちゃくなったなあ」と感じたのは、
自分の想像力で一度大きく育ったものが
実際の映像と刷りあわされることでそこに統一されてしまい、
その作品に関する想像力そのものが急にしぼんでしまった
からなのだと思います。
映画に限らず、どんなものでも
受け手の想像力次第で、小さくも大きくもなるんだということを感じ、
作り手だけで「完成」されることはないんだなぁと思ったのです。
もしかしたら、
作り手が完成させるのは 「種」 にすぎないのかもしれません。
私たちは教材を完成させているわけではなく、
それを使う相手が育てる「種」を精一杯つくっているのかも。
その「種」が育つか枯れてしまうかを、
私たちが決めることは出来ませんが、
それが私たちのやっていること・やっていくことなのかもなぁと
休日の映画館で思いました。
あとの解釈はみなさんの素晴らし〜い想像力にお任せします!!
そして実際のそれよりも大きなものに育ててもらえたら儲けもん(笑)
……「休みの日になにをしているか」というテーマから
ずいぶん脱線したような気がするのはたぶん気のせいです!!
まあ、私の番の日はこんな感じだと思ってください…(涙)
明日は活き活きとした明るい話題
に戻ってくれることと思います♪
頼むぜ姐さん!!