2007.08.31 00:12

 矢代さんは、自身の就職活動の頃の話から話し始めました。

「ひと夏、就職活動が全滅して、翌年から『ヤバイ、やることないな』と思ってたんですが、バイトのひとつもしなくちゃいけないのに、また来る夏の採用枠もちょこちょこあるし、長期バイトを入れることができなかったんです。
 それで、コンサ-トスタッフやティッシュ配りなどの短期バイトをやりつつ、ネットで稼ぐことを考えたんですね。
 ネット検索で『ネット』『稼ぐ』『簡単』という単語を入力して検索していったら、ポイントサイト(※メールを読んでクリックしたらポイントを稼げる)があって、やってみたんですけど、全然稼げなかった。
 『でも、まだ何かないかな』ともっと探してみたら、そのリンク集の一つに『せどり』というのがあって、とりあえず始めてみることにしたんです」

 この「とりあえず始めてみる」ということをやるかやらないかで、その先の人生は大きく変わってきます。

 それは、経験だけが具体的なノウハウを知る契機になるからです。

「せどりというのは、言わば古本などの転売です。ブックオフの105円コーナーやCDの250円コーナー、DVDの750円コーナーあたりの値段に下げられた中古品を買ってamazonの中古もの(used)として転売すると、利ザヤが出るとわかったんですね。
 やってみると、最初は、大学の参考書が不要になったので、捨ててもいいと思ったものを売っただけなんですが、1万円ほど稼げたんですね。
 なので、頻繁にブックオフに行くようになって、本腰を入れるになると、(ブックオフで)100冊買って、amazonで転売するとだいたい1万円くらいの利益になることがわかったんですね。 そこで、ブックオフでの仕入れを進めて、300冊,500冊と自分の部屋が本で埋め尽くされていったんです。
 かなり家族に怪しまれたんですが(笑)、ネット上では既に月に20万以上になっているせどり経験者は普通にいたので、どうすればいいのかと思って、1000冊を目標にして仕入れて売るようになったら、20万くらいになったんですね。
 仕入れを続けていくと、意外に安く出回っているプレミアもののあって、1000円で買って2万円で売れたものもありました。1回の仕入れでリュックに1個、自転車のかごに1個、さらに後ろに積んで1個を店から運搬するので、肉体労働っすよ(笑)」

 中古品をブックオフで仕入れては自宅に持ち帰り、それをamazonにアップして、買い手がついたら郵送するという作業を繰り返しているうちに、矢代さんはだんだん「もっと売れるコツ」をつかんでいきました。

「ブックオフに行くとわかるんですけど、『失楽園』などの大変よく売れた商品はアマゾンでも数多く出回っているので、売りにくいんですね。つまり、流通数が少ないモノが転売向きとしてはいいってことなんです。
 しかも、そうした収入アップのノウハウを『情報販売』と称して有料メール・マガジンにして売っている人もネット上にいたんです。
 そこで、『じゃあ、自分もメール・マガジンを出してみよう』と思って、情報を販売するメール・マガジンを発行したんですね。
 せどりの方法や、高額本が多いジャンルとか、オークションで買ってアマゾンで売る方法とか、プレミア商品の見つけ方などを無料メール・マガジンにしておいて、そこに書いた内容よりもっと具体的で役に立つ内容は、データをダウンロードさせる形で情報販売するようにしたんです」

 ネット上にはさまざまな情報販売が行われており、たとえば、風俗嬢を経験した女性が「女の子を10分間で気持ち良くさせる方法」を情報販売し、売り上げランキング6位に食い込む売り上げを達成していたりします。

 このように自分が作成した文章などを売る商用のデータを「情報商材」と言い、1回のダウンロードに数万円の値段がついていることも珍しくありません。
 つまり、1人でもダウンロードしてくれれば、数万円が得られるわけですから、お小遣い稼ぎに適していることは言うまでもありません。

 自分の経験に価値を感じれば、それをネット上から手軽に売ることができる時代になっているんですね。

 これは、言わば、本やCDの印税収入と同じ「インセンティヴ収入」です。
 一度、情報商材のサイトを作ってしまえば、あとはその商材自体が勝手に稼いでくれるのです。

 アルバイトであれば、時給800円であれば、800円を得るのに新たに1時間働かなければなりませんが、インセンティヴ収入であれば、一度のホームページ作成作業であとは自動的に続々と入金がなされるわけです。

 商材があれば、いくつでもネットで売れます。
 商材の数が増えれば、その分、収入も増えるわけです。

 それは、自作のCDを何枚もリリースするミュージシャンが、CDの売れた分だけ印税が入ってくるのと同じ収益構造です。

 そうしたインセンティヴ収入の手段が、ネット・ビジネスでは豊富にあり、今日では十代でも親より稼ぐ人が一部で現われてきています。

 そこで矢代さんも、そういう時代に乗って、文系なのに自らホームページを作る技術を学ぼうとしたのです。

(つづく)
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.08.24 00:31

 大人になると、生活を維持していくために収入を得る手段を持つことが必要になります。

 その収入手段には、主に4つあります。
 一つ目は、会社に就職し、雇用されること。
 二つ目は、自分で起業し、自営業になること。
 三つ目は、自分で会社を興し、人を雇って働かせて稼ぐこと。
 四つ目は、親や配偶者などから扶養されること。

 しかし、この4つのうち、最初の「雇用」しか、これまでの教育では教えられてきませんでした。

 いや、むしろ収入手段を得ること=「会社に入ること」という刷り込みに毒されたまま10代を過ごし、高校や大学を出る頃には、「みんなと同じように会社に入らないとダメ人間」という強迫観念にとらわれている人は少なくありません。

 現実には、若年層の失業率は年々高まり、また最初に働いた会社を辞めてしまう20代の若者も、大学新卒者ですら3人に1人もいるという今日において、会社に入ることしか収入手段として考えていないのだとしたら、会社を辞めてしまった後、フリーターとして自分探しを始める若者の人生設計は厳しいものになります。
 
 経団連に属する大企業(とその傘下の中小企業)の9割は「フリーターを正社員にしたくない」と答えていますし、実際にフリーター生活を続けた果てにネットカフェ難民やニートになる人も増えています。

 そんな時代に、ひときわ元気良く稼いでいる若者たちがいます。
 その一つのあり方が「ネオニート」という若者たちです。

 彼らは、ニートそのものの暮らしぶりでありながら自営業を起こし、同年代のサラリーマンや自分の親の年収さえ越えてしまった現代の成功者たちです。

 その収入手段は、ネット・ビジネスによる不労所得、ゲストハウスの経営(家賃収入)などいろいろありますが、詳細は拙著『親より稼ぐネオニート ~「脱・雇用」時代の若者たち』(扶桑社新書)をご一読ください。

http://www.amazon.co.jp/dp/4594052452?tag=neoneet-eva01-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4594052452&adid=0QTCDCDZF3BV1XGNN8EJ&

 東大でも2割の学生がニートになる不安を感じている(※全国平均では3割)ことから、僕のゼミでも「ネオニート」として人生を建て直し、月収300万円になってしまった20代前半の若者をゲスト講師として迎えることにしました。

 『アフィリエイトSEO対策テクニック 』(翔泳社)の著者・矢代竜也さんです。

http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4798113204/249-5803769-8820343?SubscriptionId=06RZ6MHVB0DJF8YXD202

 1981年生まれの矢代さんは、公立の中学・高校を経て、千葉大学に入学します。

 毎回、ゲスト講師の方々に書いていただいている「自分史年表」から、矢代さんの大学生活を見てみましょう(※以下、カッコ内は自分史からの引用)。

 2000年春(18歳)、国立千葉大学法経学部経済学科に入学。

「授業を受けるも、ほとんど興味が湧かないので、ほとんど出ず、もっぱら麻雀か部活に。部活はクラシックギター部と放送研究会(映像制作)、アニ研に所属。(アニ研は半年ほどで自然退部)。
 放送研究会の先輩の自主制作映画を見て、クリエーターに憧れをもつようになる。
このころから、『職業に就くなら、何か作り出す仕事がしてみたい』と漠然と思うようになる」

 大学の授業以外にも、街には自分を刺激するイベントや人との出会いがいっぱいあります。
多くの学生はそうした学外の経験から自分の進路を決めているようです。

 2002年春(20歳)。

「友人が『東海道五十三次をやった』という話を聞き、自分もやってみることを決意。
 東京日本橋から京都まで歩く・・・・・決意をするも、名古屋で挫折。
 14日間で東京~名古屋450km近くを歩く。
 すべて野宿で過ごし、このとき、『自分一人だったら、どんな状況でも生きてはいけるな』と感じる」

 たった一人だけの力でもやれることがあるという実感は、矢代さんの心に自分の人生を自分で決めて歩いていく自信を育てたようです。

 2004年(22歳)

「大学4年になる直前に、一年間の休学を決意する。就職活動をどうしてもする気になれず、一年間何かを決めてやってみよう、と思い、決意。
 ずっと実家暮らしだったが、休学を期に一人暮らしを始める。
 1年間何かをやりたい、ということで、その頃好きだったゆずの影響もあり、音楽をやってみたくなり、千葉県柏市に住む。
 一人暮らしをしながら、色々なバイトをしながら、生活する」

 バイト生活を経験した人は、時給単価が低いことで労働時間を増やすしかない不自由さをつらく感じることがあるでしょう。
 そこで、あきらめず、どうしたらいいのかと、矢代さんは考え始めたようです。

「途中から、大学卒業が目前になり、就職活動開始。
 何か作りたいと思い、就職活動は、テレビ制作会社、音楽制作会社、大手音楽会社、CM制作会社などに絞る。
 最終面接まで進むものもあるも、全滅。
 就職活動をしている時も、『自分がやりたいと思ってない会社にはいかない!』という妙なこだわりがあり、他社はほとんど受けなかった。
 今年ダメでも来年また受けよう、という気持ちもかなり大きかった」

 あくまでも自分のやりたいことにこだわったために、100社に入社を断られる結果になったそうです。

 しかし、100社にエントリーシート(応募書類)を送りつけるあたり、矢代さんがどれほどクリエイティヴな業界で働きたかったのかの気持ちが伝わってきます。

「このとき、夏の就職活動が終わり、時間が空いた時にネットサーフィンをしていて、『せどり』というものの存在に気づく。
 もともとブックオフに通っていたので、自分に合っているお小遣い稼ぎとしてやり始める」

 「せどり」とは、中古グッズを安く買い、高く売れる場所で売り抜けて利ザヤを稼ぐ転売商売のことです。

 前述の『親より稼ぐネオニート』にも、その詳細が載っていますが、どこで安く買い、どこで高く売るかを見つければ、必ず利益が出るわけですから、これは新商品を開発するより、一番手軽な商売と言えるでしょう。

 矢代さんは、それをネットで行うことで、稼ぎ出せることに最初に目を付けたのです。

「同時に、HP作成、アフィリエイトにも興味を持ち、HPを勉強し始める。
 このHPを学んでいく内に、インターネットビジネスという存在が大変面白く感じ始め、可能性を感じ始める。
 当初はメールマガジンが全盛の時代で、間もなくブログ全盛の時代、SNS全盛の時代へと移行していく。
 当然のように、ブログ、メルマガなどすべてを実践してみる」

 そして、月収300万円を達成し、それを元手に有限会社を作り、現在では人を雇う立場になった「社長」の矢代さんに、レクチャーを始めてもらうことにしました。

(つづく)
 
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.08.17 22:03

第10回 ユニークフェイス⑥



 ユニークフェイスについて話を重ねていくと、「いざユニークフェイスの人に会ったら」という場面を想定した質問が当然のように出てきます。

「話を聞きながら、どのくらい気を遣えばいいのか、どれくらい深く突っ込んでいいのか、難しいなと思ってたんですね。
 当事者が家から出ないような感じでは、そもそも何もしたくないんですか?
 顔に問題がなければ、解決だと思っているんですかね?」

「ユニークフェイス当事者のほとんどが、一通り病院の治療を受けたけど、治らないんです。
 今後、この顔で生きていくしかない、と気づいた人。
 だから治療に希望をもっている当事者はほとんど参加してこない。
 NPO法人ユニークフェイスの会員は、30代から40代が多い。
 年齢が高めなんですね。
 うちの団体に来る当事者は、『同じ症状の人間とゆっくり本音でしゃべりたい』人なんですね。
 そんな経験がそれまでに1回もないから、ユニークフェイスに期待して参加してくれる。
 『ユニークフェイス当事者にどう接したらいいのか?』とよく質問されます。
 どうしたらいいのか、ひとりひとりが考えて欲しい。
 解決方法は、その当事者と、声をかける人との関係によって違う。
 ひとつのマニュアルのような答えはないよ。
 自殺したいという人にどんな言葉をかければいいのか? こう答えたら大丈夫、という魔法の決め台詞はないのと同じ」

 初回のテーマに「ユニークフェイス」を選んだのは、ふだん出会うことがなく、「彼岸の人」と思いがちのマイノリティ(少数派)の存在や彼らの抱える問題を他人事にしてしまうことが、当事者たちを孤独に追いやっている現実をそのままにしてしまっていることに気付いてほしかったからです。

 現代では、誰もがマイノリティになりえます。
 それは、「うつ病患者」かもしれないし、「ニート」かもしれない。

 そうしたマイノリティとして社会から疎外され、自分自身も社会に出ていくことが怖くなってしまった時に、初めてこの国の市民活動や福祉体制の貧しさに直面し、自分自身が当事者であることに思い当っても、マイノリティとして生きる先達に関心を及ばなければ、孤独を延々と抱えることになるでしょう。

 ユニークフェイスは、自分のせいでもないのに、社会から疎外される憂き目に遭う人々が少なからずいます。
 しかも、自助努力で社会に参加し、生きていくための収入を得る手段は乏しいのです。
 石井さんが活動自体をビジネスとして再構築しようとしているのも、その切実さを自分の体験から知っているからだ、といえるでしょう。

 かといって、彼らと同じ体験の持ち主ではないからといって、彼らと関わるうえでなにか特別な構えが必要かといえば、それも違う気がするのです。

 そこで僕はゼミのまとめで、こんな話をしました。

「僕はマイノリティとの正しい付き合い方なんてものはないと思っていて、自分の言動に対する当事者のリアクションから学ぶしかないと思っているのね。
 10年ほど前、僕は毎月イベントを都内でやっていて、その中で『クイズ障害商売』という非常にふとどきと思われるタイトルのイベントをやったことがある。
 ドッグレッグスっていう障害者プロレスの若者や、身障者芸人のホーキング青山にイベントに出演してもらおうと思ったのね。
 結局、青山くんは来れなかったんだけど、乙武くんと同じ体をしているんだけど、青山くんはお笑い芸人なのでエロ話もお笑いにするわけ。
 打ち合わせで『1日何回オナニーしてますか?』と聞いたら、『毎日1万回!』なんて、できるはずもないのに言うわけ。
 これは、身障者というスペックよりも、お笑い芸人という個人の尊厳で付き合いたいっていう意志表明だなって思ったんだよ。
 一方、ドッグレッグスの浪貝くんに『最近女の子のほうはどうよ?』と聞くと、『店以外で?』と素で答えるわけ。
 つまり、ふだん周囲に付き合える女の子がいないのが彼らにとって当然のことなので、女の子=風俗店で考えるっていうのが、そこでわかる。そういうちょっとしたことから、僕は彼を面白いと感じたし、彼の人となりに興味を持てたんですよ。
 『A』というオウム真理教の広報副部長の荒木くんを追ったドキュメント映画を試写会で初めて見た時ね、荒木くんが童貞だと告白するシーンがあって、『カルト宗教の信徒』というマイノリティな部分以上に、『荒木も昨今の弱っちぃ若者の一人なんだな』と受け入れられるような文脈が生まれたりするんだ(※『A』ではそのシーンが削除されて編集されている)。
 だから、僕はマイノリティに対してよく言われる『好意ある無関心』(『顔面漂流記』石井政之から)という言葉がよくわかるんだよ。
 ユニークフェイスの人も、ジロジロ見られたら嫌だろうけど、『就職は大丈夫?』という普通の質問を投げかける分には、嫌がらないと思うんだよね。
 人によっては結果的に怒られるかもしれないけど、そこで相手が嫌な顔をしたりするのを見て学ぶこと自体が『付き合う』ってことじゃないかな。
 逆に、優等生的に『マイノリティにはこう気を遣うのが正解』みたいな一般的なマニュアルを持つこと自体が、ややもすると偏見を助長することになりかねない気がするよ。
 そういう教科書的な気の回し方って、マイノリティの当事者自身にとっては『ああ、この人は自分を遠ざけている』と感じさせてしまうんじゃないかな。
 僕やみんながそうであるように、マイノリティの人だって殴られれば痛いよね。切れば血の出る体なんだよ。
 マイノリティならではの特異性を知ることは必要だろうけど、それ以上に、普遍性のある共通点を忘れてしまうことのほうが怖いと思うんだ」

●NPO法人ユニークフェイス
http://www.uniqueface.org/

●石井政之さんの公式サイト(ユニークフェイス研究所)
http://uniqueface.biz/
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.08.10 09:58

第9回 ユニークフェイス⑤



「顔に問題ない人でも、ユニークフェイスのお茶会に行っていいんですか?」

「その判断は微妙。
 ユニークフェイスでは、当事者だけが集まるピアカウンセリングをやっている。
 そこでは非当事者は参加できない。
 もし、一般の人が参加すると当事者が『知らない人と会いたくない』と言って来なくなるんだ。
 ユニークフェイス当事者でピアカウンセリングに参加したいという人は、一般の人に自分の悩みを語る必要を感じていない。
 このあたり、ピアカウンセリングという手法をよく勉強してもらうしかない。
 一般参加型のお茶会を企画しようとしたことはあるけれど、当事者のほとんどは反対しました。好奇心の視線を避けたいんだよね」

「僕にはどう接したらいいかわからなくなってしまった友達がいるんですね。
 ニートになってて。
 精神的にダメージを負ってきた人間にどうつきあえばいいのか?
 家の人が出そうとしないんです」

「その人がこの場にいないから一般論しかいえないんですけど、無視しないってことでしょうね。
 ユニークフェイスの人にも、ひきこもりやニートになってしまう人がいっぱいいますが、周りの人が『どうしたらいいかわかんない』といって引いてしまう。
 落ち込んでいる人間を見ると、引くんですよ。
 それが普通の人の反応でしょう。
 友人ならば、いつもどおり遊びにいってほしいと思うよね」

「当事者は孤独だろうと思うんですが、団体に接触を持たない人も少なくないんですか?」

「うん。とにかくみんな自分のプライバシーが誰にも知られたくないという思いが非常に強い。
 顔にあざがあってそれに悩んで自殺未遂したことがあったなんてことを、当事者もその親も隠したがる。
 『あなたの苦しみを若い人に伝えてほしい』と毎度のように僕はユニークフェイスの当事者に言っているんですよ。
 すると、『でも私はもう関係ないんです』と言う人いますよ。珍しくありません。
 『うちの子の問題は解決した。もう終わったこと』と言う親もいます。
 当事者だからといって助け合いの精神があるわけではない。
 これってユニークフェイスに限らない、日本社会の問題でしょう。
 団体に入るということは、自分の体験を話してシェアするってこと。
 みな悩みぬいて参加するのが普通です。
 1999年にユニークフェイスを設立してすぐに入ったメンバーは、ためらいなく入るタイプばかり。
 『面白そう』、『石井さんがかっこいいから』とか(笑)。
 1年目に入った人たちはすごく元気ですよ」

「石井さんご自身は、ユニークフェイスの活動を通じて何を求めているんですか?」

「僕と同じように活動的な当事者を、僕が生きている間に育てたいですね。
 僕は当事者の社会起業家、ジャーナリスト、専門家が登場することを心から願っている。
 日本の顔面問題は極めて複雑。
 海外と比べて顕著な違いは、当事者がカミングアウトしないこと。
 カミングアウトしたら、プライバシーのない生活がはじまる。それは恐怖。
 日本では、カミングアウトした人を守るような仕組みもない。
 自分で自分の顔の尊厳を守らないといけないわけです。
 このカミングアウトの少なさを象徴するのが、美容整形被害だと思う。
 美容整形の被害者の会は日本にはないんですよね。
 有志の弁護団はある。美容整形の被害者は多い。でも当事者の会がない。
 ユニークフェイス問題も同じ。
 ユニークフェイス設立前から、病気別の患者会があったけれど、そのマスコミ露出はゼロに等しかった。
 当事者が社会的発言をすること自体、ひじょうに珍しかった。
 この国ではユニークフェイス当事者は、見えない。
 研究分野でも同様です。
 欧米では1940年代から顔のあざのある人の精神病理の英語の論文が出ているのに、日本では世界的に通用する研究論文がない。
 ユニークフェイスは年間で2,3本、大学の研究者への研究協力をしてきました。
 この会場にいる学生のみんなにいいたい。
 ユニークフェイスの問題を研究すると、ライバルがいないから、絶対ビッグになれますよ。
 すぐにアジアでナンバー1になれる。
 10年くらいやればOK。
 いまどきこれくらい成長が見込める分野はないんじゃないかな」

「私もアトピーがあるんですが、不潔にするとフケが出ている時があって、『ゴミがついているよ』などと気を遣われると本人はへこむわけですが、逆にそういう人に対してどう気を使っていいかわからなくて。
 たぶん親があまり気にしてなかったんですね。
 『君はニコッとしたときに人から殴られたことない人だよね』と社会学の先生に言われたことがあるんですけど、自分がポジティブなことをした時にネガティヴなリアクションを受けたことがないんですね。
 だから、人前でしゃべれると思うんです。
 ユニークフェイスの人が安心して自己主張できるといい。
 すると病院と提携することになっちゃうんでしょうか?
 小さいうちからなんとかすれば、もっと自己主張できる人が増えてくるのかな?」

「日本では、普通の人のなかに、自己主張するという文化が育っていない。
 インターネットの普及と、自己責任の必要が説かれるようになって、だいぶ変化するようになったとは思うけど、静かで目立たないことはよいことだ、目立つといじめられる、という文化は強い。
 それから日本の患者さんは、医者に頼りすぎていると思う。
 日本の医者は治療で忙しくて、退院した後まで面倒をみる余裕はないです。求めすぎじゃないかな。
 患者会のリーダーと話していると、医師の協力がないとダメだ、という人がいますけど、患者会には医師と対等に交渉する人が育っていないのが現実。
 交渉力がないまま医師と連携しても、病院の業務の下請けになるだけだと思う。
 ボランティアとして労働報酬ゼロで働いても続かないですよ。
 医者に身も心も依存する日本人の体質は変わると思います。
 それが時代の流れでしょうね。
 だから、日本中の患者会の情報交換の場として、『患者学会」を設立しようと思っている。若い人たちを応援していきたいし、ユニークフェイスの活動で学んだノウハウと失敗を伝えていきたい」

患者学会
http://patients.umin.jp/

(つづく)
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.08.03 09:51

第8回 ユニークフェイス④



石井
「NPOでお金を持っているのは障害者団体に多いんです。
 親が自分の預金を取り崩して、自分が死んだ後でもNPOに子どもを託す共済的なお金の出し方になってる。
 日本ではまだソーシャルビジネス(※ビジネスの手法で社会問題を解決する市民運動)ですごく成功した例が少ないので、銀行はNPO法人を不良債権と見なしている。
 融資をとれるようなNPOはほとんどないはずです。
 『チェンジングフェイス』なんか、寄付金で資産運用してるぐらいなのに。
 この日本国内外の格差についてはもっと知られて欲しいと思う。
 とくにこれからNPO法人をつくろうとしている若い人には」


「顔にひどいアザがあると、昔は見世物小屋に雇用を求めていった人たちもいたよね。
 でも、人権問題を言い出す人や放送自粛するような人が出てくると、仕事自体が得られなくなってしまう。
 ふつうの仕事をしようにも、面接段階で断られてしまうんだから」

石井
「小人プロレスも人権問題で失職していったね。
 小人の当事者が、厳しいトレーニングをしてつくりあげたエンターテインメントを、一般の人たちが否定したわけです。
 小人は哀れみの対象であって、職業選択の自由がある人間とみなされていないのかな。
 2年前までユニークフェイスはカモフラージュメイク事業を始めようとしていたり、映画をつくろうもしていたんだけど、一時的な支援金じゃダメ。ビジネスをしないと。
 アメリカの支援団体に『アバウトフェイス』っていうのがあるんだけど、そこのスポンサーが有名なロックバンドのKISSのボーカリスト、ポール・スタンレーなんです。
 どうも彼自身が生まれつき顔に問題があるらしくて(注:生まれつき片方の耳が無く、整形手術で再生した)、名前も出して協力しているそうなんですね。
 日本でも、たとえば顔面麻痺の経験のあるビートたけしが支援するというソーシャルビジネスがあってもいい。
 でも、まだ今は当事者どうしによるピアカウンセリングをする程度の小さな活動になっています。
 どういうサービスをしたらお金を払いたいと思うのか、僕は当事者に聞き取りをしています。 仕事がないってことなんですね。
 メイクアップをした、病院に行った、でも、『その顔では就職できない』という現実がある。
 アメリカやイギリスでは障害者を差別するのを禁止する法律があって、国際的にすべての国にそういう法律を作ろうという動きがあります。
 『チェンジングフェイス』が英国の厚生労働省みたいなところに働きかけて、顔にあざややけどのある人間に対する就職差別のある会社を罰する法律を勝ち取ったと聞いています。
 日本でも千葉県では障害者を差別するのを禁止する条例ができて、議論がじわじわと広まっている感はあります」

 ゼミ生たちもどんどん質問を投げかけます。

「アーチスト志向の人たちっていないんですか?
 一人でできるアーチストのような仕事で自営していくという道はあるのでは?」

「あまりいないですね。
 僕のように文章を書いている人っていない。
 実際に当事者で文章を書く仕事で食ってるのは僕くらいだと思う。
 当事者は『普通の仕事、普通の収入、普通の友達が欲しい』って言いますね」

「私はアトピーなんですが、友人に砂漠みたいなボロボロ顔の重度のアトピーの人がいて、やはり就職の時に困ったんですね。
 父親が電気技師だったので、同じように資格を取って、現場に入るようになってそこから普通の生活をして、今は結婚したんですが、そういうことも知られない事実なんですね。
 心理学の点からのフォローって必要なんですが、世の中に出てから『社交性を持ちなさい』と言われても困りますよね」

「この講座には優秀な学生がたくさんきていると思う。
 だから考えて欲しいことがあります。
 ユニークフェイスをテーマに研究したり、留学してほしいですね。
 イギリスはいいよ。世界最先端のユニークフェイス研究ができる。
 欧米は研究の歴史が長いから留学するには最高の環境がある。
 当事者グループも力強い。
 顔面問題で一生がんばろうという研究者や専門家が10人くらい必要。
 もっとユニークフェイスの研究に挑戦してほしい。
 全面的に応援します」

「石井さんご自身は、化粧品開発に携わったり、ジャーナリストだったり、顔に関わる仕事をしてますが、顔の問題とは関係ない仕事にはつきたくなかったんでしょうか?」

「ユニークフェイス問題は、日本では誰も本気でやってなかったから挑戦してみたかったんですね。
 誰かがやってたら、やってませんよ。
 もっとうまくできる人がいればいいけど、まだ現れていない。
 ニートやフェミニストなどをテーマにした他のNPO法人や市民団体をみててうらやましいのは、たくさんの団体があることです。
 インチキも多いけど、それだけ活動の層が厚いのはいいこと。
 ユニークフェイス代表として講演に呼ばれて全国を歩いています。
 そこで当事者がいたり、当事者のお母さんが話しかけてくれたりして、当事者にとってユニークフェイスの石井政之という存在は刺激にはなっていると思う。
 新しいことをするのは面白かった。
 『そんなことできるわけない』、『石井には人をまとめる力がない』という声もさんざんあった。
 そういう批判者は傍観者。批判は聞き飽きた。
 どんな困難があったとしても、必要なこと、自分にしかできないことだ、という確信があるなら、やったほうがいいんだ。
 映画も作れたし、本もたくさん書けた。
 こういう顔でも幸せに暮らせることを知らない人もまだまだ多い。
 僕の映像をテレビを見て驚く人は多い。
 やはり絶望的な状況にいるのだろう、という先入観は強い。
 僕のように元気で働いている人がいることを伝えるだけでも意味がある」

(つづく)
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.07.27 09:47

第7回 ユニークフェイス③

 顔にちょっとした傷があるだけでも周囲の目が気になってしまうのが、人情というものでしょう。
 生まれつき顔にアザのある石井さんは、10代の頃から自分と同じように顔に問題のある人の情報を探していたといいます。

「僕が高校・大学の頃には、顔にアザがある自分自身の人生を考えるための本が1冊もなかった。だから自分で書こうと思った。33歳の頃に発表したんです。
 日本初の本でした。ユニークフェイス問題を取り上げたこと、顔にアザのある当事者が書いたこと、それが商業出版物だったこと、すべてが日本初だった。
 同時に市民団体ユニークフェイスを立ち上げたんです。
 僕が読者だったら集まりたいと思ったから。
 最初は少人数のお茶飲み会になるかと思ったら、毎日のように手紙やファクスが届いて、あざだけでなく、重傷のやけどの人とか、僕も知らないような不思議な病気の人もいて、ユニークフェイスは顔に問題のある人全般を受け入れる形で始めたんです。
 会員数はピーク時で200-300人。
 同じような団体はイギリスのロンドンにもあって、『チェンジングフェイス』というんですが、年間の予算は1億円以上。
 収支決算書も見たんですが、8割方の8000万円が一般市民からの寄付。寄付をする習慣がない日本では、イギリスのありかたをいますぐ目指しても無理なんです」

 そこでゼミ生から質問の手が挙がりました。

「ユニークフェイスの方はどのくらいいるんですか?」

「推定ですが、イギリスの人口が6000万人で40万人のユニークフェイスの当事者の方がいるということなので、人口がその2倍の日本では80万程度いると思われます」

「イギリスでは、なぜ寄付金が集まるんですか?」

「キリスト教の団体が長い歴史の中で寄付することをずっとやってきたからね。
 教会の力はあなどれない。ビジネスもするし、政治運動もするしね。
 日本では、社会貢献をする金を入れる習慣がない。
 イギリスでは、寄付には税金をかけないという制度がある。
 だから税金を払うくらいなら、寄付をしようと」

 すると、ゼミ生からこんな反応がありました。

「日本では国立の新国立劇場で『芸術に対する寄付金への課税を辞めましょう』と配られるチケットケースに書かれているんですよ。おかしいですねぇ」

 このように、福祉だけでなく、文化への寄付にも課税する日本のダメぶりを自分の趣味の演劇から思い当たる学生が出てきたことは、石井さんの話を他人事にしない(=当事者に向き合う当事者として語る)構えを自覚する良いきっかけになるように思いました。

質問が続きます。

「イギリスの団体が年間1億円も寄付を集められるようになったのはいつ頃ですか?」

「1億円という数字は3,4年前のデータです。
 10周年パーティがあって、ロンドンに行ったんですよ。
 代表者は全身やけどの男で、美しい妻がいて、別荘まで持っていてね。
 うらやましいじゃん! なんで日本でできないんだって思った」

「なんで日本ではできないんですか?」

「日本は海外のNPOの法律のマネをしているけど、寄付に税金をかけないという根本的なところは輸入していないんだ。
 日本では、国民が行政や国に頼る傾向が強い。
 市民が自前で、組織をつくってソーシャルサービスを提供するということが、どういうことかわからない。
 何かというと『保険適用でやってほしい』という人が多い。
 『ユニークフェイスの活動も無料でやってほしい』とよく言われましたね。
 活動資金のために年会費を徴収することさえも理解されない。
 で、僕の人件費も出ない。
 専従スタッフに給与を出すべきだ、という議論をしようとすると、ボランティア団体なのにヘンだ、金儲け主義だ、という反応が出てくる。
 日本社会はソーシャルビジネスがしにくい環境にあると思う」

 確かに、現状では日本で福祉活動に携わると、貧乏になってしまいます。
 活動をすれば、広報費や事務所の維持費など、お金が出ていくのに、ただの無賃労働でコストがないかのように「ボランティア」と言われてしまい、このままだと福祉は金が余った人たちの道楽としてしか存在しないことになりかねないのです。
(つづく)
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.07.20 01:30

 石井さんの講義には、事前に「ユニークフェイスとは」というレジュメが配られました。そのダイジェスト版をお知らせします(以下、レジュメより抜粋)。



 私たちはそれぞれ違った顔を持っています。
 その中でも、先天的な病気、後天的な病気・火傷・事故などで、顔や身体が「ユニーク」な方たちがいます。

 現在日本には、このような当事者が推定数十万人いると考えられています。

 そのような方々は、ひとたび社会に出ると他者からの好奇の視線にさらされ、生きづらさを感じております。

 NPO法人ユニークフェイスは、そんな人たちの特徴を「ユニークフェイス(固有の顔)」と表現
し、様々な支援を行っています。

●当事者として参加されている方の病名(2002年10月現在)

 単純性血管腫・太田母斑・口唇口蓋裂・レックリングハウゼン病・ケロイド・顔面神経麻痺・白斑・脱毛症・斜視・小耳症・交通事故の傷痕・水疱瘡の痕・海綿状血管腫・限局性リンパ管腫・上顎洞腫腫瘍・種痘の痕・顔面骨折後後遺症・顔面裂傷後・前頭(鼻)異形成・脂肪腫・バセドウ病・第一第二鰓弓症候群・軟骨低形成症・先天性色素欠乏症・手術後の傷痕・苺状血管腫など。
(※ユニークフェイスでは「醜形恐怖」は対象としていません)

●目的と目標

 外見上の違いに関わらず、誰もが楽しく生きられる社会環境を目指します。

 行政、企業、医療、教育、社会福祉などの公共団体との連携、メイクアップ、カウンセリングなど様々な分野の専門職とのネットワークをつくり、当事者に情報やサービスを提供する、ユニークフェイス情報センターの設立・運営を目標としています。

●ユニークフェイス(wikipediaから)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B9

●カモフラージュメイクとは(wikipediaから)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AF

●石井政之さんの本
http://astore.amazon.co.jp/ishiimasayuki-22/249-5803769-8820343?%5Fencoding=UTF8&node=0



 「ユニークフェイス」という造語を流行させ、こう名付けた市民団体を2002年1月にNPO法人化した石井さんは、「優秀な事務局長に恵まれる」ものの、団体内部で「路線対立」してしまいます。

「多くの当事者がNPO法人ユニークフェイスから離脱。当事者中心主義(石井)と経済優先主義との対立、組織をつくろうという動き(石井)と堅苦しいことを嫌うボランティア意識との対立だった」

 自分の顔に「問題」を感じ、また実際に就職活動の際でも否応なく「問題」とされる人々にとっては、人前に出るだけでも勇気を必要とするのだそうです。

 その勇気を持ち寄った人たちの間ですら、内紛が起こってしまう。
 石井さんのやるせない思いが伝わってくるようです。

 石井さんは「ユニークフェイス」の活動を最小限度に抑え、新たなライフステージに備える生活へと気持ちを切り替えていくことになりました。

「2006年、将来のキャリアプランを考えるようになり、50歳までには東京を脱出して、地方に移住することを決める。地方の都市生活を拠点に、自由に事業をし、執筆活動をするのが夢になる。好きなように生きている、無理なく生きている、起業家を紹介する単行本企画を構想中」

 そんな石井さんの講義は、団体みんなで撮影したドキュメント映画のダイジェストを上映するところから始まりました。

「僕の顔にある赤いところは単純性血管腫といいます。赤い色は血管のカタマリで、血液の色が浮き出ているんですね、顔の半分が。
 だから僕はボクシングができない。殴られれば、すぐに血だるまになってしまうから。
 全部よければいいんですけど、そういわけにもいかないでしょう。すぐに救急車を呼ばないと、出血大量で血が止まらなくなる人もいるんです。
 血管腫には個人差があって、脳に血管腫があると知恵遅れになる人もいます。
 1000人のうち3人が顔や体のどこかに血管腫があるといわれ、ありふれた先天異常だと言われています。治るかどうかはわかりません。
 以前読んだ論文によると、レーザー光線でほとんど色が無くなる人が1,2割。薄くなる程度が6,7割。まったく効果がない人もいるんです。
 治療費は美容外科で自由診療だと100万円以上。保険適用だと2,3万円から。見積もりをとれって当事者に言っているんですけど、なかなかとらないんですね」
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.07.13 01:26

 東大の自主ゼミの第1回は、「『私』を生きる、という困難を超えるために」と題して、顔にアザのあるジャーナリストとして有名な石井政之さんをゲスト講師に招きました。

 ゼミ生には毎回ゲスト講師の略歴をレジュメとしてメールしてあります。
 では、石井さんの略歴を彼自身の自筆年譜から紹介しましょう。

1965年、名古屋出身。豊橋技術科学大学卒業。
1999年、顔にアザや傷のある人を支援する市民団体「ユニークフェイス」を設立。
2003年、日本ジャーナリスト専門学校非常勤講師に。「現代文化論」(教養)担当。
2006年、合同会社ユニークフェイス研究所を設立。
 アザを持つ人たちの現状を伝えるドキュメンタリー映画「ユニークフェイス・ライフ」の上映会をミニシアターや公共機関を中心に各地で開催。多数のメディアに取り上げられ、映画と講演で全国を奔走。
 著書に『顔面バカ一代』(講談社文庫)、『肉体不平等』(平凡社新書)他多数。


 生まれつき、顔に「単純性血液腫」があった石井さんは、保育園時代に既に「集団生活に馴染めない」と自覚していました。
 子供から「その顔どうしたのか?」と聞かれ、本人としては困惑するばかり。

「当時は、病名について説明する知識ゼロ、説明方法を知らなかったため。名古屋大学病院で、ドライアイス治療を開始。痛いだけで治療効果はなし。当時は幼児にはその治療方法しかなかった。母は完治しないと知って、小学校入学前に治療は中止に」

 今でも「小学校時代については記憶はほとんどない」そうです。
 ところが、中学に入ってからは状況が一変。

「イジメから身を守るために1年生の1学期のテストをがんばる。1年生全体で7位(5位だったかも)をとり、周囲の態度が一変。成績の良い者を子供は尊敬し、いじめの対象にしないことを知る。

 不良の同級生とすこしだけ交流。集団で他校(朝鮮人が多かった)とケンカをしたところ、すぐに私の顔から身元がばれて、教師に呼び出されて説教される。顔にアザのある人間には匿名性がないことを思い知らされる」

 そこで石井さんは「顔や人格などとは関係なく、実力本位の生き方をしたい」と思い、エンジニアになろうと、工業高校電気科を受験、合格します。

 高校に入った彼は「虚弱体質の克服といじめから身を守るため」柔道部に入部し、2年生になると極真空手に入門。

 また、母親に「顔のアザの治療したい」と申し出た彼は、名古屋大学病院の診断を受け、完治しないことを宣告されると同時に、カモフラージュメイクについて知ることになります。

 カモフラージュメイクについて学ぶために化粧品会社に出向くと、そこにはアザのある女性が働いていました。

 これに感動した彼は「この会社に入社したい」と思い,すぐに人事課に手紙を書いたそうですが、「大学卒業」が必要条件という返事で受験勉強を開始。

 推薦入学選抜で大学に合格した彼に、「顔のアザを完全に隠す化粧品開発研究」という夢が生まれました。

 大学では「大嫌いな子供に慣れるため」ボランティアサークルに入ってダウン症、自閉症の子供を2年間担当し、「かなり子供に慣れたと思う」。

 4年生になってピースボートに乗った彼は、ベトナムクルーズに参加。
 枯れ葉剤被害をみて、報道写真家になることを決めます。

「夢は顔にアザのある人を世界規模で取材するジャーナリストに変更された」

 自分が自分であるというだけで抱えなければならない重さを、石井さんは物心ついた頃から引き受けてきたのだろうと思います。

 その後、社会に出て企業広告の記事を執筆していた27歳の頃、石井さんは「不安神経症(?)のように」なります。

「理由は、(1)誰にでもできる仕事をすることに嫌気がさした。(2)顔面問題取材を先送りすることへの焦燥感」

 その後、「何もかも忘れて新しいテーマを探すためにレバノン取材に向かう」ものの、彼は顔にアザのある女の子の家庭と出会ってしまいます。

「やはり顔面問題を取材するしかない!」

 そんな使命感に駆られて帰国した彼は、「人間にとって顔とは何か」(講談社)が刊行されているのを知ります。
 ユニークフェイス問題について世界の最先端事情をまとめた翻訳書でした。

 アメリカが研究の本場であると知った彼は、1996年にニューヨーク市立大学ブルックリン校に入学します。

「ニューヨーク市内の図書館で、顔面と心理についての英語論文の収集と読破に励む。ロンドン(英国)、トロント(カナダ)に渡って顔面問題を取材。欧米ではユニークフェイス問題が研究テーマとして認知され、セルフヘルプグループが社会に根付いていることを知ってしまう」

 そして1999年3月、処女作「顔面漂流記」を出版し、本格的にジャーナリストとして顔面問題に取り組み始めると共に、市民団体「ユニークフェイス」を立ち上げ、毎月の定例会(ピアカウンセリング)を実施していくようになるのです。
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.07.06 10:27

1997年(32歳)、別冊宝島(宝島社)に企画を提出して断られた書籍『日本一醜い親への手紙』(メディアワークス)3部作を、宝島社から集団退社した人たちが作った別会社で編集し、2001年までに総計30万部を記録(※角川文庫版を含む)。

1998年(33歳)、若者ルポ『家を捨てよ、街へ出よう』(同)、発表。
 この年の春、出版プロダクション「有限会社Create Media」設立。
 HP開設(※作ったのは後年ブログペットで注目される工藤友資。うちの社員だった)。
 作家の村上龍に対談を持ちかけられる(『最前線』ラインブックスに収録)。

1999年(34歳)、『完全家出マニュアル』(同)を発表し、収録した造語「プチ家出」が大流行。
 春、会社の金策に行き詰り、スタッフを全員解雇して会社事務所を引き払い、千葉県市原市に移住。雑誌仕事を整理して書籍の執筆・編集に専念し始める。

2000年(35歳)、宮台真司、田口ランディ、石川結貴との対談集『家族新生』(ワニブックス)、発表。

2001年(36歳)、恋愛ルポ『「出会い系」時代の恋愛社会学』(ベスト新書)、発表。
 自殺ルポ『生きちゃってるし、死なないし』(晶文社)、発表。

2002年(37歳)、法務省の雑誌『更生保護』の依頼で自傷行為の依存症について執筆。
 北原みのり、丸山あかね、藤本由香里、小林エリカと同時代の男女事情について対談した『恋愛以前』(原書房)、発表。

2003年(38歳)、『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙/生きていく人として』(宝島社)、発表。

2004年(39歳)、『ゲストハウスに住もう!/TOKYO非定住生活』(晶文社)、発表。
 『大人の知らない子どもたち』(学事出版)、発表。
 ライブハウスの社長から「インディーズ・ミュージシャンばかり集めて番組を作れないか」とスポンサードを約束され、テレビ埼玉と千葉テレビのTV番組『音楽詩人』のプロデューサに就任。

2005年(40歳)、『あなたの診察、録音しました』(ライブドアパブリッシング)を編集。
 『大人が子どもを壊すとき/「良い子」しか愛せない大人と、正論を怖がる子ども』(学事出版)、発表。
 映像制作会社の友人の依頼で、テレビのコマーシャル音楽を制作。

2006年(41歳)、日本のネット心中についてアメリカ人ジャーナリスト、ディビッド・サムエルスに取材協力。
 3度目のネット心中を画策する高校生の男子を宮城県まで取材しに行く。
 また、サムエルスの妻の執筆する『New York Times』に日本のネット喫茶事情についてコメント。
 『「死ぬ自由」という名の救い/ネット心中と精神科医』(河出書房新社)、発表。
 『下流上等/キレない子が病む格差教育』(学事出版)、発表。

2007年(42歳)、『親より稼ぐネオニート/「脱・雇用」時代の若者たち』(扶桑社新書)発表。
 春から東大(駒場)で自主ゼミの講師を始める。
 アメリカのベストセラー作家ジュシュア・W・シェンクの日本文化の取材に協力。
 一方、リタリン依存症で死んでしまいかねない精神科の患者たちと、ずさんな医療に居直る精神科の実態に迫ったドキュメント番組を企画・出演(※8月未明に日テレ「NNNドキュメント」でオンエア予定)。
 秋に、『日本一醜い親への手紙』の英訳版が全米で発売される予定。



 こうして自分の人生年表を作ってみると、さまざまなメディアのコンテンツを企画し、自分の関心のある事象を商品にするのが僕のやってきた仕事ということになります。

 常にその時の自分に関心のあることを追いかけているうちに、家族の問題から家出、自殺、精神病、教育、建築、稼ぐ力などと追いかける分野が拡大していったことがわかります。

 人の人生はなかなか面白い。
 きっとあなたもそう感じていることでしょう。

 なので、僕の手がける自主ゼミでは毎回、ゲスト講師を招き、ゼミ生たちに講師の人生年譜を先にメールで届け、自分との接点を模索してもらおうと思ったのです。
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

2007.06.29 14:55

 僕の20代は、「自分らしい仕事」の中身をどうやって作るかの試行錯誤の10年間でした。
 世の中がどうなっているのかを肌でつかむために、いろんな場所に出入りし、多くの人に会い、自分に何ができるのかを試していたように思います。



1986年(21歳)、フリーター生活が始まる。

 小劇団を手伝ったり、松竹シナリオ研究所に通って8ミリを作ったが、パッとせず。
 東京・中野区の成人式を企画・運営し、出演者ブッキングで出会ったシンガーソングライターの山本コータロー氏(※当時は松山千春のプロデューサ)に「歌手にならないか」と声をかけられるが、冗談かと思い、せっかくのチャンスを逃す。
 その後、家庭教師、塾教師、夜間清掃、作文添削、郵便区分などのバイトを転々。楽器や録音機材を買いそろえるために、3つほどバイトをかけ持ち、正社員よりも収入がいいのに、6畳風呂なしのアパートに寝るだけに帰る生活が続く。

1988年(23歳)、恋人の住む部屋の隣の物件を借り、半同棲。

 バンドを結成し、フリーターから「何者か」になりたくなり、「そのためには自分の関心事に近いところに毎日通わなきゃ」と思い、中堅の広告代理店で営業補助のバイトをしていた。
 制作部の人と仲良くなり、コピーライティングの仕事を任され、作品が貯まる。

1989年(24歳)、渋谷の広告制作会社にコピーライターとして勤務。

1990年(25歳)、勤務先の会社が倒産。

 『アド年鑑』に自作のコピー作品が紹介されたものの、雑誌記者に転向。
 雑誌編集部に売り込み、初年度で年収600万円を達成。
 売り込み次第でいくらでも金を生み出せる自営業の面白さを実感。

1991年(26歳)、恋人と別れ、バンドも解散。

 中野区野方のマンションで本格的にフリーライターとして稼ぎ出すも、何の魂も入っていない文章を書き飛ばす日々の中で虚無感が蓄積し、テレクラ依存症をこじらせ、数年で借金が300万を超える。
 『CADET』『challenge』『日刊ゲンダイ』などで執筆するも、誰でもできる仕事を続けることにすっかり疲れ果て、自分らしい企画を立てても通らず、翌年、都落ち。

1993年、月刊誌『DENiM』(小学館)に投稿し、ライター新人賞を受賞し、再上京。

 以後、「今一生」の筆名を名乗る。『完全自殺マニュアル』発売直後に著者の鶴見済と出会い、自分の仕事の方向を「人を活かすコンテンツ」だと自覚する。
 自助グループや依存症の取材を始め、AC(アダルトチルドレン)という言葉を知り、自覚する。

1995年(30歳)、都内のクラブなどでオルタナティヴ・カルチャー・イヴェント「Create Media」を毎月主催。

 これは、雑誌や書籍の企画書を書いて出版社に提出してもなかなか通らないので、その企画書通りの内容をライブイベントとしてやってみようという試みだった。
 園子温、DJパトリック、河瀬直美、ゴッホ今泉、井上三太、サエキけんぞう、九条今日子等(※敬称略)を招き、運営コストで年間で100万近い借金を負うものの、マスメディアが報じない現実を当事者に語らせるという手法に取材が集まり始める。

(つづく)
Tags :
東大・京大
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
今一生
現在開講中の東大自主ゼミ「オルタナティヴ・スタディーズ ~『私』を知るための当事者学」をダイジェスト版でお送りします。 毎週金曜日更新!

カレンダー

<<   2017年04月   >>
            01
02 03 04 05 06 07 08
09 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

新着記事

カテゴリー

月別アーカイブ