http://www.zkaiblog.com/so03/index1_0.rdf
ブログ検索
最新記事
プロフィール

1965年生。早稲田大学第一文学部を3か月で勇退。広告業界を経て25歳でフリーライターに。企画・編集した『日本一醜い親への手紙』はベストセラー。『完全家出マニュアル』で造語した「プチ家出」が流行語に。2007年春から東京大学(駒場キャンパス)で自主ゼミの講師を始める。著書に『親より稼ぐネオニート』(扶桑社新書)、『ゲストハウスに住もう!』(晶文社)など多数。
http://www.createmedia.co.jp

プロフィール

最新コメント
dfg
第24回 メディア・リテラシーC (2008年09月01日)
adsda
第5回 ユニークフェイス@ (2008年08月06日)
最新トラックバック
お父さんの育児 (2008年06月22日)

第41回 コミュニティ・ビジネスC[2008年03月28日(金) ]

 さて、旅館・吉田屋は、「東京からJRで一番遠い温泉街」と言われています。

 Yahoo!路線情報で調べてみると、こんな感じです。

東京→浜松町→羽田空港第1ビル→東京国際空港(羽田空港)→出雲空港→JR出雲市駅前(バス乗り場)→出雲市→温泉津

 往路だけで4時間14分、交通運賃は片道33,170円もかかります。

 飛行機・高速バス・電車を乗り継いでやっとたどりつく「東京から一番遠い温泉街」にある旅館なのに、自腹で東京から学びに来る若手の中央官僚や外国人客も増え、2007年は前年度比2.4倍の売り上げになったそうです。

 食糧自給率39%の日本で、吉田屋は65%。

 前述した通り、生産農家と直接売買するなど吉田屋ならではの工夫と知恵によって、この数字が実現されており、その魅力に人が全国から集まってくるのでしょう。

 田舎に若い力を注ぎ、経済的に自立する知恵をみんなで絞り出せば、世界は変わります。

 そんな辺境の土地から山根さんは、この東大自主ゼミにお越しくださいました。
 山根さんは疲れるどころか、呼ばれて振り向くといつも笑顔です。
 ファミレスもコンビニも無いこの町にまだまだ大きな可能性を感じて、いつもワクワクしてるからでしょう。

 一度、吉田屋を訪れてみてください。



●吉田屋
http://www.lets.gr.jp/yoshidaya/

●山根多恵さんのブログ
http://blog.goo.ne.jp/lets_yoshidaya/

●日経BPネット対談:人のために働く「社会起業」を考える1
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/socialentre/080109_1st/

●日経BPネット対談:人のために働く「社会起業」を考える2
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/socialentre/080111_2nd/

●ソーシャルベンチャー 〜もっといい世の中を作ろう!
http://gogo-socialventure.blogspot.com/

●講談社MOURA「社会問題を、ビジネスの手法を用いて解決!」
http://mopix.moura.jp/?p=328

●読売新聞 地域 島根「ここから羽ばたく島根のひよこたち」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shimane/kikaku/037/2.htm

●浜村建設PRESENTS だんだん倶楽部
http://www.dandanclub.jp/cgi-bin/shopping/tmcom3cart1-dandanclub.cgi?mode=disp&sydata1=2007090611480012480

第40回 コミュニティ・ビジネスB[2008年03月21日(金) ]

「島根は、過疎や高齢化、伝統ある仕事の後継者不足など日本が抱えるあらゆる課題の先進地。ここで問題を解決した成功例は、全国そして世界のモデルになるはず」

 山根さんは、コミュニティ・ビジネスを手掛ける醍醐味をそう説明しました。

 どんな田舎でも、そこにある問題を一つ一つ解決していければ、その方法を共有できるほかの地方にも応用することができます。

 そのためには問題解決に取り組む方法ばかりでなく、そこに携わり続ける人材の確保も必要であり、それはより若い世代に役目を引き継ぐことを意味します。

 山根さんも、2007年秋の段階から若女将の座を後進の現役女子大生・三原綾子(22歳)に譲りました。

 週刊誌『読売ウィークリー』で彼女を取材したフリーライターの遠藤一さんは、こう書いています。

「三原は若女将を引き継ぎ、スタッフ総出で遊休農地を利用して収穫の比較的簡単なブルーベリーを栽培し、高齢者や障害者が働ける環境を作ったり、世界遺産に登録された石見銀山近辺の竹の伐採を行うなど、若い力を地域再生に活かしている。
 そんな三原も、島根県立大学に進学し、2007年夏には東京で就職活動をしていた。数社も内定したが、地元に残ることを決めた。
『東京で学ぶより、地元で挑戦したい。地域の人は私を支えてくれると思う』
 吉田屋には、全国から多くのインターン希望者が続々と集まっている。彼らを「修行」させながら将来の地域のリーダーに育てるのも吉田屋の役割だ。
『みんな居場所を探しています。なら自分で作れといいたい。私も代わりなんていくらでもいると大組織の中で言われたくないから、ここで活動しているのかも』
 三原は『農家での宿泊体験』という新しい観光旅行のプランも進めており、集荷のついでに生産農家に提案している。そんな彼女に生産者の顔も自然にほころぶ」
(『読売ウィークリー』2008.2.3号新就職先「ソーシャルベンチャー」って何?)

 僕自身も2007年12月に吉田屋を若者雑誌の取材で訪れました。

 和風の客室で夕食を待ってると、配膳と同時にお品書きが渡されました。

 そこには「美千代さんのいんげん」といった具合に、食材提供者の農家の名前と似顔絵イラストがありました。

 吉田屋の若いスタッフたちが地元の農家さんと一緒に地域活性をしていきたいという思いが伝わると同時に、顔の見える食材としての安全さも同時に伝える素敵な試みだと感じました。

 朝食には発展途上国からフェアトレードで買い付けたコーヒーが出されました。

 フェアトレードと呼ばれる貿易活動は、世界の南北間にある経済格差問題の解決を目指し、1960年代にヨーロッパで始まった世界的な活動です。

 吉田屋の仲間である東京の株式会社プレス・オルターナティブの「第3世界ショップ」では1986年からこの活動を始め、現在はフェアトレードをベースに、コミュニティ・トレードを推進しています。

 コミュニティ・トレードとは、地域の問題解決に役立つビジネスと、そこから生まれる商品やサービスの交流、流通のかたちを意味します。

 たとえば、アジアや南米にはいくら農作物を生産しても安い賃金で貧困を余儀なくされている農民がいます。そこで、生産農家と直接契約して、国際市場価格よりも高い値段で農作物を買い取ることで現地の農民の暮らしを向上させると同時に、生産者の顔の見える安全な食材を確保するという試みを意味します。

 お金のある国の民がこのようにトレード(商品の売買)をすれば、現地での雇用や経済的自立を促進し、貧困という問題を解決することに貢献できます。

 ただエスニックな食材を得る楽しみだけではなく、いつも飲むコーヒー1杯をフェアトレード商品に変えるだけで世界の貧困の解決にお手伝いできるのですから、これは消費者による貧困救済運動ということができますし、そういう経済活動の仕組みを作ることが、コミュニティ・ビジネスがソーシャルベンチャー(社会的企業活動)であるゆえんなんですね。

第39回 コミュニティ・ビジネスA[2008年03月14日(金) ]

 「若女将塾」と称して「田舎の旅館を拠点に地域の問題を解決しよう」と呼びかけると、春には女将志望の女性が東京の仕事を辞め、修業のためにやってきました。

 大学生や社会人も続々と訪れ、山根さんが女将に就任した後から1年間で全国から約100人のインターン(※就業体験のためにスタッフになる無給のお手伝い)が集まってきたのです。

 こうして週休4日を始める頃には、「もったいない運送」の試みが始まりました。

 きっかけは、隣県の知り合いから「夏ミカンの収穫をする人手が足りず、出荷できずに腐りそうだ」との連絡を受けたこと。

 そこで山根さんは旅館スタッフと現地に出向いて収穫を手伝い、ミカンを旅館の風呂に浮かべてみたところ、旅客たちから大好評を得たんですね。

 これを機に、形の悪さや大きさ、傷の多さで「規格外」と判断されて買い取られずに捨てられている農作物を生産農家から直接買って再利用することも始めたんです。

 煮たり、揚げたり、出汁(だし)を取ったり、小さく切って使えば、規格外でも味は変わりません。

 「規格外の野菜を売るのは恥だ」と渋る農家と1か月ほど粘り強く交渉し、「値段をつけてほしい」と頼んでみました。

 しかし、そんな経験がなかった農家は、自分で額面をなかなか決められなかったのです。

 山根さんは規格内の野菜の一割高で買い取るところから始め、旅館の食材として使ったり、社会教育施設の給食用に販売を始めました。

 やがて買い取り額は月20〜30万円に上り、農家の新たな収入源に育て上げることに成功。

 今後はそうした規格外の野菜を加工する工場も設ける予定だそうです。

 この成功によって、「もったいない運送」は農作物以外にも波及しました。

「引っ越しの時には、家具や家電など不要品が出ることが多いでしょ。
その人にとっては不要なものでも、他の人には必要なものがもっとあるはず。
そこでブログで不用品の募集を始めたんです」

 車の提供や運び手はボランティア、ガソリン代はもらい手に負担にしてもらう形で、今では県内だけでなく、山口、福岡など10箇所の拠点で再利用候補品の回収が行われ、毎週トラック1台分が県内外に運ばれているほか、「もったいない運送」は新語としてYahoo! Japan辞書に登録されました。

 また、人手不足の農家の持つ休耕地に農作業に出向く援農隊「NOLO耕作隊」を結成・組織し、農業を営む農家25件を訪ね、農作業体験&農業事情を記事にする取材を行うと、農林水産省の「農村コミュニティ再生・活性化事業」に採択されました。

 さらに、世界遺産に登録されて観光の目玉になっている地元の石見銀山遺跡の付近で生い茂る竹に困っている人のために、伐採から運搬、加工、流通までの過程の流れ作りを作ろうと、一口10万円の「竹やぶSOS基金」を設立。

 こうした活動を地元の方に知ってもらおうと、廃材にされたレンガと伐採した竹の炭で火をおこし、規格外の野菜で作ったピザを実演販売するイベントも開きました。

 普通の発想なら邪魔者扱いされるものばかり集めても、素敵な野外ピザ・パーティはできるわけです。

 それは、山根さんがコミュニティ・ビジネスに賭ける思いをどこか象徴しているようですね。

第38回 コミュニティ・ビジネス@[2008年03月07日(金) ]

 島根県大田市に、1300年の歴史を誇る温泉街・温泉津(ゆのつ)があります。

 2007年11月、その通りに面した明治創業の老舗旅館「吉田屋」を訪れると、20代の若者たちが笑顔で出迎えてくれました。

 65歳以上のおじいちゃん、おばあちゃんが2人に1人もいる高齢化率42%のこの町では、一見とまどってしまうほどのパワーみなぎる面々です。

 玄関に入るとすぐ目の前にある机には、にんじんや大根、株やきゅうりなど、収穫されたばかりの野菜が値札を貼られて並んでいました。

 これも旅館には珍しい光景でしょう。

 彼らを率いる山根多恵さん(26歳)は、2006年1月に24歳の若さでここの若女将(おかみ)に就任しました。

 旅館経営などまったく未経験のド素人でした。

「どうせゼロからのスタート。失うモノは何もない。
常識にとらわれず、やりたい事ができる場所を作ろう。
『旅館の女将はもてなしの心こそ命』みたいな昔風の価値観に縛られたりするのは納得がいかない」

 地元紙にそう書いた彼女は、館内に無線LANを引き、インターネット予約を受け付けるホームページを開設し、ブログやメールマガジン、ミニコミなどで毎日の仕事の面白さを伝えました。

 朝6時に起き、朝食を作り、8時にはすべての客室に配膳し、10時にチェックアウトを見送ってからは客室の掃除。

 午後3時には新たな客を迎え、品数の多い夕食を作り、片づけを済ませてお風呂に入り、さまざまな事務・連絡を済ませると、寝るのは夜12時過ぎ。
 分刻みの慌ただしい生活です。

 そんな慌ただしい中でまめに情報発信を続けると、ユニークな旅館再生のあり方に関心を持ったマスコミから取材が殺到。

 こうして宣伝費0円で集客する一方、手数料が客単価に響く旅行代理店との契約を断り、温泉旅館なのに泉源の栓を閉め、自前のみかん風呂にして徹底的に温泉の維持費などのコストを下げたのです(その代り、近所の元湯の温泉に入れる無料券を客に配ることに)。

 すると、就任から半年で1年分の売り上げ目標を達成してしまったのです。

 そこで仲間から「売り上げ倍増より地域のために時間を使いたい」という声が出ました。

 同年7月、吉田屋は金・土・日しか営業しない週休4日にふみきり、その4日間を地域の課題を見つけて解決の道筋を探る「地域貢献日」にすることを決めたのでした。

 温泉津で女将を始める前から、山根さんには自分たちが豊かに生きていける可能性をハンデの多い辺境の町で模索し、実際にできることを世界に発信していきたいという思いがあったといいます。

 山口県下松市のサラリーマン家庭で生まれ育った彼女は、地元の山口大在学中にカナダに留学。
 しかし、1年後に帰国すると、同級生たちの様変わりにガク然としました。

 「生き生きと将来の夢を語っていたのに『親の言う通りに地元に残る』なんて、淡々と話していた。自分もああなるのかなって……」と、読売新聞の取材に答えています。

 その頃、市民バンク代表・片岡勝さんの授業をきっかけにベンチャービジネス論に興味を持った彼女は、山口や大阪で起業支援の活動に参加し、温泉津のある大田市で始まった厚生労働省の雇用促進事業に加わると、地元の商工会から老舗旅館が後継者不在の悩みを抱えていると伝え聞いたのです。

 経済産業省でも、地域資源を活かしながら地域課題の解決をビジネスの手法で取り組み、地域の人材やノウハウ、施設、資金を活用することで、地域における新たな創業や雇用の創出、働きがい、生きがいを生み出し、地域コミュニティの活性化に寄与する「コミュニティ・ビジネス」の促進・普及が目指されていました。

 そんなコミュニティ・ビジネスを教えてくれた恩師から、山根さんは誘われたのです。

「温泉津で旅館の女将をやらないか」

 そして、後継者のなかった吉田屋を訪れ、先代の指導の下で約1か月修行し、世襲という慣例を塗り替えたのでした。