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「コトバノアトリエ」は、2006年9月には水道橋駅前に事務所を移し、10月には生放送、オンデマンド、携帯電話で聞けるネットラジオ番組「オールニートニッポン」を制作し、放送を開始しました。
www.allneetnippon.jp/
これは、映画『不登校の真実』の監督で小説家の巨椋修さんや、全国のひきこもり支援の取り組みを取材しているフリーライターの永冨奈津恵さんなどがパーソナリティとなってひきこもりやニートの問題を広く呼びかけるもの。
いじめや自殺などの深刻な話題を扱ったり、リスナーを集めての公開放送も行い、視聴者は月間2〜3万人に膨らみました。
「社会問題は深刻さの優先順位が高くなればなるほど早く解決されます。
問題の緊急性を訴えることで、より優秀な人材が集まり、解決が早くなるので、プロモーションとしてメディアを設けたんです。
今のところ赤字ですが、今後は広告収入を見込んでいます」
2007年2月には、ETIC.主催の30歳以下のビジネスプラン・コンペ「STYLE 4th」のファイナリスト(最終選考候補者)になり、優秀賞を受賞。20万円の援助を受けられました。
3月にはやはりコンペで勝ち抜き、「SEEDCap Japan」(社会起業家育成支援プログラム)の助成団体に選ばれ、200万円を援助されました。
これはアメリカのヘッジファンド運用会社の運用益から生じる成功報酬の10%を助成金の原資とし、日本のソーシャル・ベンチャーを支援するプログラム。
3年間で350万円の助成が検討される対象になったため、専従スタッフを雇い、続々と社会的事業を展開していけるめどが立ちました。
活動を続けていく中で、山本さんにとっては想定外の収入も生まれました。
「オールニートニッポン」でパーソナリティの雨宮さんの話を収録した本(※『雨宮処凛のオールニートニッポン』祥伝社新書)が出版され、印税収入につながったのです。
「それでも収入はカツカツです。
2000万円ほど入ってきても、純利益は500万を切りますから。
スタッフには給与を払ってますが、二人で一人分くらい。
これで生活していくのは大変なので、講演やコンサルティングなどの副業もしてます」
しかし、山本さんらスタッフが支援を続けてきたおかげで、ニートは少しずつ自分の力でお金を得られるようになっています。
「神保町小説アカデミー」の生徒で45歳のニートは、『フリーターズ・フリー』という雑誌でライター・デビューし、2008年1月には『45歳、ニートで障害者』という本が発売されて晴れて作家デビューできる予定とか。
また、「トキワ荘」に入居した25歳の女性は、こう言います。
「疲れて寝てしまいたい夜も、仲間が努力していれば刺激される。
出版社に作品を持ち込むと、胸をえぐられるほどダメ出しされることもある。
そんな時、悩みを相談出来る相手がいるのは心強い」
(朝日新聞2007年5月8日付より)
「オールニートニッポン」でも、現役ニートが初体験ながらパーソナリティとディレクターを務めているから職業技術を覚えられますし、番組を聞いて名古屋から公開イベントに足を運んだのを機に上京した元ひきこもりの男性も現れました。
彼は言います。
「当事者が集まれる場所を作ってくれた。そういうチャンスがなかったから嬉しい」
山本さんが解説します。
「番組はニートたちがボランティア・スタッフとして制作してますが、これは無料の専門学校。
将来的に放送関係で食えるようになるといいな。
親に金がないせいで高等教育が受けられないのは嫌だったんです。
高等教育の無償化は世界的に進んでいますが、それを保留してるのは日本とルワンダとマダガスカルだけですから。
機材の使い方を覚えていけば、ポッドキャスティング配信の仕事を受注でき、90万円の売り上げになります。
実際に、『僕の団体を通じてスタッフに仕事が回ればニート支援になるので』という営業をしてるんです。
自力で卒業していくのがベストですが、今後はオールニートニッポンをうちの団体から独立させ、スタッフが自分たちで回せるようにしたいです」
興味があれば、やってみる。
すると、その体験から開かれてくる道があり、次の夢が見えてきます。
山本さん自身も、そんな具合に試行錯誤を重ねながら活動を続けてきました。
山本さんは、なぜそこまで頑張れるのでしょうか?
「わかんない(笑)。
僕だってお金も欲しいし、地位も名誉も欲しいし、自分自身を成長させたいし、社会の役に立ちたいし、女の子にもモテたいし。
そういう小さいモチベーションが束になって一本の綱になってる気がします。
『私はこういう問題を解決します』っていう強烈なミッションを持ってる人もいますが、僕にそうしたものがあるとしたら作品を作ること。
両親もクリエイターですから。
でも、僕は自分を突き詰めた結果、からっぽなんですよ。
だから支援する側に回ろうとしてるのかな」
(以上、『プライドワーク』から一部抜粋)
このように、自分らしい仕事を自分で作り、人の役に立とうとする若者たちは増えています。
会社に雇われなくても収入を得られるビジネスモデルを自分で作った方が、自分自身を誇れる働き方ができるからです。
そのような「ソーシャル・ベンチャー」については、拙著『プライドワーク/自分をつくる働き方』(春秋社)にくわしく書いてあります。
また、東大での自主ゼミでも毎回ソーシャル・ベンチャーの担い手をゲスト講師に招いて、さまざまなビジネスモデルがあることを、東大生はもちろん、女子高生からおじさんたちまでが学んでいます。
来期(2008年春以後)もソーシャルベンチャーの担い手をゲスト講師に招いた自主ゼミを続ける予定でいますから、ぜひ下記リンクを参考に今期から一度でも参加してみてください。
今期は2008年1月末まで開講しています。
●東大自主ゼミ(※東大生以外でも参加できます)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2040296
※18歳以上の方のみ、興味があればお誘いしますので、今一生の公式サイトからメールを送ってください。
●Create Media Online(今一生の公式サイト)
http://www.createmedia.co.jp
●東大自主ゼミについて読売新聞が取材した記事
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070626ur01.htm
●ソーシャル・ベンチャー 〜もっといい世の中を作ろう!(リンク集)
http://gogo-socialventure.blogspot.com/
●『プライドワーク』をamazonで買う
http://astore.amazon.co.jp/con-isshow-book-22
●『プライドワーク』書評
http://dricomeye.net/07_book/book.html
●今の働き方で満足ですか?『プライドワーク』出版記念イベント
http://www.delta-g.org/news/2007/11/post-31.html
●『プライドワーク』インタビュー
http://www.freestyle-life.net/free-100-page-29.htm
●『プライドワーク』についてのZ会ブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/archive/245
山本さんは、翌2006年3月に東京・神田に事務所を移転。
6月にはさっそく「ニート・不登校・ひきこもりNEXT VISION FORUM」を開催しました。
若手の研究者や作家などの支援者8人に集まってもらい、ネットワークを作ろうと試みたのです。
そして、作家志願のニート・ひきこもりにプロの講師が文章技術の向上や就労などを支援する「神保町小説アカデミー」を開校。
19歳以上の大人も受け入れることにしました。
支援対象の年齢を上げたのは、「ビジネスにするにはそうするしかなかったから」です。
「仕事を得るための投資ならお金を払ってくれると思ったんです。
プロ志向の人は専門学校やライター教室に行くわけですから」
ネット上に彼が書いたテキストには、こうあります。
「これまでの若者支援は、『あそこの業界は若者不足だからそこらの余っている若者を連れてこよう』といった労働市場のニーズに合わせたもの。
私たちが生み出したいのは、若者それぞれが自分の就きたい仕事に就けるよう支援する仕組み」
それは、厚生労働省がニート対策として行った政策とは、まるで違う視点のものでした。
「ジョブカフェとかサポートセンターに行くと、挨拶の仕方とか名刺の渡し方、履歴書の書き方など最大公約数的な支援をしてくれます。
でも、それでは支援される側の個別のニーズを満たせないし、当事者のやりたいことをコントロールできるものでもない。
だから自分の気持ちを表現したい人たちの支援から始めたんです」
新聞・テレビなどにリリースを流すと、取材が一斉に集まりました。
編集家の竹熊健太郎さんや作家の雨宮処凛(かりん)さんなど現役の業界人を講師に招くと、2万8千円の月謝で15人の生徒が集まり、月謝の合計は42万円。
また、ジョンソン・エンド・ジョソンからは20万円、NECからは社会起業塾生としての支度金として35万円+ノートPC1台が助成されたほか、講師の方が謝金の一部を寄付してくれました。
それでも不足する部分は、山本さん自身が個人的な持ち出しをしながら事業を軌道に乗せようと奮闘したのだそうです。
「作りたいのは、目標を持ったらまわりが応援してくれるチャンスのある社会。
それは視覚化しなくちゃ。
僕がNECからお金をもらった時も、世の中にはチャンスに金を出してくれるところがあるなんて思いもしなかったですから」
8月には、漫画家志望のフリーターに住居支援する「トキワ荘プロジェクト」を開始しました。
トキワ荘といえば、手恷。虫や藤子不二雄などの有名漫画家たちが若い頃にみんなで住みながら漫画家修行をしていたところとして伝説化しているアパート。
山本さんには、自宅の空き部屋だった6畳一間を女優志望者に3万円の格安家賃で貸した経験がありました。
すると、鳴かず飛ばずだった彼女は、週3回のアルバイトで済むようになって演技訓練に時間を割くことができ、芝居に出演したり、テレビドラマの仕事をもらえるようになったのです。
生活コストを下げられれば、その分だけやりたいことに情熱を傾けられる時間を作れます。
家賃を安くするだけでも、それを支払うお金を作るアルバイトの時間を減らし、マンガ制作に専念できるというわけです。
そこで、都内に祖母が持っていた2階建ての一戸建てを山本さんが丸ごと借り上げて部屋別に貸す形で「第一トキワ荘」を作ったんですね。
公共料金とインターネット利用料込みで家賃は1室4万5千円。
これは、東京都内で一人暮らしをするための家賃としては格安といえます。
そこで、「本気で漫画家を目指している」高卒から26歳くらいまでの男女が原則として1年間だけ入居できるようにしました。
「1日8時間、月に20日間バイトしても手取り12万程度。
家賃を払えば生活するのがやっと。画材や漫画も満足に買えない。
漫画なんか描けないですよ。
そこでゲストハウス(※月単位で借りられる格安賃貸物件。6畳個室で家賃は6〜8万円程度)より2〜3万安い家賃にしました。
入りやすくして、救われる人を増やしたいから。
全国に夢を持った若者はいますが、才能と技術があるのに、東京生まれなら夢を叶えるチャンスがいっぱいあって、地方出身なら少ないのはおかしいですから」
つまり、ゲストハウスのように、今は使われなくなっている住居を丸ごと安く借り受けて、部屋別に安い家賃で入居してもらえるように大家さんと交渉し、そうした物件数を増やしていけば、入居者の家賃収入が「コトバノアトリエ」に事業収入として入金されるため、その収益からニート&フリーターへの支援活動にかかる経費を捻出できるというわけなのです。
2007年12月現在、「トキワ荘」は6軒にも増え、既に31人の漫画家志願の若者が住んでおり、住人のみを対象に『新耳袋』などの怪異蒐集家で有名な編集者・木原浩勝さんを招いての講義を実施したり、1年以内にデビューした入居者にはその時点から月に5千円の家賃から減額される仕組みを作るなどして、プロとしての独立を応援しています。
「3年後には200人くらい支援したい。
目標をもってフリーターを選んでいる人を支援できる環境を作れば、ニートからフリーターになる足掛かりになるから。
他の人たちがノウハウを継承していけば、『ミュージシャン版トキワ荘』とか、演劇や音楽などいろんなアーチスト支援の形ができる。
10年後には数万人くらい支援されるといい」
最初は少ない人数を支援するあり方でも、そこからちゃんとデビューする人が増えていけば、その成功モデルをほかの分野にも応用できます。
そこで、山本さんは、自分の出来るところからコツコツと持続可能なビジネスモデルを生み出そうとしているわけですね。
物件が増え、家賃収入が増えた今日では、「トキワ荘プロジェクト」に専従するスタッフを雇うことができるようになり、スタッフの生活を保障しながら、活動を続けていけるようになったのです。
(つづく)
「ニート・ひきこもりの就業問題の解決に挑む」をミッション(公益的使命感)に「コトバノアトリエ」というNPOを運営している山本繁さんは、1978年生まれ。
www.kotolier.org/
ソーシャル・ベンチャーの育成などの事業を手掛けるNPO法人「ETIC.」の発行するメールマガジン「プロを目指す学生達」のインタビュアに山本さんが答えたプロフィールから引用すると、こんな高校生活だったようです。
www.etic.or.jp
「部活にも入ってないし、好きな女の子もいない。やりたいことがわからなかった。
じゃあ勉強でもするか。
やりたいことがないなら、やれることをやるしかない。
二年生の秋、大学受験をすることに決めた。
偏差値30。受かりっこない。
それなら受験科目が少ないところを受けよう。
その条件の中で志望校を慶應義塾大学環境情報学部(SFC)一本に絞った。
現状を変えようと一日12時間以上、必死に勉強」
そして1997年4月、希望通りに入学できた彼は、やがて一人暮らしを思い立ち、物件を探していく中で不動産投資信託に興味を持ちました。
「母が借金の抵当になっている物件を安く買った。
銀行に預けるよりも個人投資した方が儲かる。
なぜ誰もこの仕組みに手を付けないんだ。
2、3年先にはこの仕組みはもっと広まるだろう。
どうにかこの仕組みを応用出来ないか。
ネット上で不動産投資商品の情報提供を始めた。
興味を持ったことだし、とりあえずやってみよう」
すると、不動産会社の社長が「面白いことしているねえ、会社を作ってあげるよ」と声をかけてきたんだそうです。
「俺なんかに会社なんて出来るのか。考えていても始まらない。
株式会社を設立し、代表取締役になった。
しかし、思うようにうまくいかない。
約一年が経った。
会社を運営するため、月500時間以上も働き、金のことばかり考えるようになってた。
俺はHP作りがしたくて会社を起てたんじゃない。金儲けがしたいわけでもない」
結果、会社はたたむことに…。
心の洗濯に、山本さんは好きだった寺山修司の記念館のある青森まで自転車で旅をしました。
寺山といえば、『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』などの舞台作品で知られる前衛演劇の旗手であり、『書を捨てよ、街へ出よう』や『田園に死す』などを撮った天才的な映画監督です。
そこで、山本さんは役者になることにしました。
「演劇を始めることにした。
演劇を通して、あの人みたいになりたいと思える大師匠に出会った。
あるとき師匠に呼ばれた。
『中高生の演技指導をしてみないか』。
師匠の誘いは断れない。
コーチを始めてすぐに衝撃を受けた。
演技に対して真剣に取り組み、他人と向き合っていこうという姿勢を見た。
大人だったらプロとか有名になることをどこかで考えながら取り組むが、中高生は純粋に表現することに向き合っていた。
心の内で感じていることを上手に表現出来ていない、収拾のつかない悲鳴。
コーチはこの悲鳴をまわりの人が聴きやすい歌に変える。
これを仕事にできたらいい」
ところが、彼は突然、役を降ろされてしまったのです。
「毎日朝10時から夜10時まで稽古。
3時間程度の睡眠時間で演劇中心の生活を送っていた。
だから、『おまえは必要ない』と言われたのも同然。
どこかへ消えてしまいたい」
山本さんは、父島へ向かいました。
「俺は将来、何がしたいんだろう。
今までで一番楽しかったこと、やりがいを感じたことを仕事にしたい。
真っ先に思い出したのは演技コーチ。
『好きなことがあるなら10年かけてでも仕事にしろ。そのほうが幸せだぞ』という父の言葉を思い出した。
この言葉通り、夢を追って9年間カメラマン助手を務めた父の言葉だ。
食べていけるかどうかわからない。
でも、やろう!」
2002年3月。
大学を卒業した翌日、彼はNPO「コトバノアトリエ」を設立したんですね。
「演劇では人に提供出来るレベルで仕事をするには時間がかかる。
コーチを捜すのもなかなか難しい。
けど、物書きのそれを探すとなると案外難しいことでもなかった。
大学時代に所属していた物書き創作ゼミには、文章を書くことに長けている友人たちがいた」
そこで在校生スタッフやOBから仲間4人を募り、8月から湘南地区の中高生を対象にした小説教室を市民会館で開講したわけです。
山本さん自身は既に就職しており、週末だけのボランティアでした。
でも、世代を超えた交流と青少年育成の実績が認められ、2004年には「かながわボランタリー活動」の奨励賞対象団体に選ばれて80万円が支援されたほか、SFC独自の奨学金の一つ「小林正忠教育奨励奨学金」の受給対象に選ばれて100万円が支援されました。
やがてエッセイ、雑誌制作、漫画ノべライズも指導し始め、2005年6月からは中学校に赴いて1年半ほど講師として出向したそうです。
市民会館の小説教室に通う生徒には、何本もリストカット(手首切り)の傷痕がある子や、いじめや不登校に悩む子、対人恐怖症の子が多かったといいます。
「心に傷を抱えた子たちは、学校に行けずに引きこもってしまう。
復帰出来なければ、この超学歴社会では当然ニート。
徐々にニート・ひきこもりという社会問題に対してどう取り組んでいこうかと考えるようになっていった。
辛いけれど頑張っている人たちへの支援は誰からも手を付けられていない。
じゃあ、俺がやらなければ。
当事者は社会への不信感が強く、なかなか社会に出て行けない。
危機感を感じた。
彼らが希望を持てる社会に変えたかった。
やりたいことを仕事に出来るような社会を作ろう」
その年の9月、山本さんは会社を辞め、その後も同じ会社で月に10日間働かせてもらいながら事業を始める準備を始めました。
4年間のボランティアの経験から、援助金による運営ではなく、自ら事業を興して活動資金を調達する「ソーシャル・ベンチャー」へ活動のあり方を変えたのです。
同じ頃、「コトバノアトリエ」はNEC社会起業塾(※ETIC.とNECが共同で企画・運営するソーシャル・ベンチャー支援事業体)の特別メンバーに選ばれ、1年後には正式メンバーに昇格しました。
(つづく)
ここ数年で、「ソーシャルベンチャー」(社会起業家)という言葉がマスメディアに少しずつ現れるようになりました。
つい最近(2007年12月現在)では、『クーリエ・ジャポン』という世界中のニュースを日本語で読める月刊誌で元サッカー選手の中田英寿さんが、「持続可能なソーシャルビジネスが、これからの世界のスタンダードになると思う」「思っているだけじゃ意味がない。まずやってみることが大切だよ」と、旅の後からソーシャルベンチャーを始めることを示唆しました。
では、「ソーシャルベンチャー」「ソーシャルビジネス」とは、どういうものなんでしょうか?
これは、社会的に良いことをしながら行政や自治体、国家だけでは解決できない問題を市民の力で解決するためにビジネスの手法を使おうっていう活動のこと。
「ふつうの企業だって、『メセナ』をやってるじゃないか。どこが違うの?」
そう思う人もいるかもしれません。
「メセナ」っていうのは、社会貢献の一環として文化や芸術に企業が経済的に支援することだけど、これは事実上、企業にとってより大きな利益につながる投資。
つまり、企業(会社)が儲かっていて、浮いた金が無ければ、そんな投資はしないし、経済状況が煮詰まってくれば、当然のようにメセナ活動から企業は撤退せざるを得ないし、そこで社会問題を解決するための資金援は止まってしまうわけです。
そこで、ソーシャルベンチャーは、毎日の労働そのものから社会問題の解決を行う活動を続けられる資金を得られる収益構造を作り、問題解決の活動を持続可能なものに変えていこうというわけなのです。
メセナを行う企業が「利益優先型」であるのに対して、ソーシャルベンチャーは「問題解決優先型」であり、前者が余った金しか支援に回さない一方で、後者は常に解決のためのコスト(出費)を稼ぎ出すために働けるような仕組みを作ろうとするんですね。
そもそもソーシャルベンチャーの担い手は、以前なら市民活動団体やNPO法人のように完全な非営利活動としてやっていたんです。
しかし、それらの活動は財団法人や企業などからのスポンサード(資金援助)を受けないと続けられず、かといって営利活動を始めると「金儲けのために良いことしてんのか?」と世間から不審がられてしまうので、なんとも困っていたんですね。
ところが、20年前くらいからイギリスを起点に世界中で「ビジネスの手法で社会的問題を解決しよう」という動きが出てきて、日本でもここ10年ほどでソーシャルベンチャーの担い手が続出しているというわけなんです。
というのも、21世紀の現在では、国家や自治体などの税金や企業からのスポンサードを当てにしているだけでは、「今ここにある問題」はあまりにも増えてしまい、それらの多くはマイノリティ(少数派)の問題として行政にとっては解決予算の対象になりにくいのです。
だからこそ、ソーシャルベンチャーの役割は日に日に増大していると言えるのです。
貧困、病気、農地の人手不足、環境問題など、社会問題が続々と生まれているのに対して、それらの問題を解決するだけのお金が既に国家や自治体の単位では賄えず、そのために貧困のままの暮らしに耐え続けなければならなかったり、農地を手放して農業を続けられなくなる人が増え続けてしまうような悲劇がいろんな場所で起こっています。
そこで、行政の力よりも自助努力でそれらの問題に取り組もうとしているのが、ソーシャルベンチャーなんですね。
国家には「最大公約数の最大幸福」というテーゼ(命題)があって、一番困っている人数の多い課題から優先的に取り組まざるを得ないし、大企業も毎年正社員にベースアップ(基本給の増大)を約束しているから、それを支払うためにも拡大再生産を余儀なくされて利益優先型の経営から降りることが難しいのです。
つまり、国家も大企業も、少数派の問題を解決する予算をひねり出すことが事実上できないから、本当に多くの問題が解決されないまま放置され、苦しみ続ける人たちがいつまでも取り残されるというわけ。
そんな時代に登場してきたのが、ソーシャルベンチャーというヒーローなんです。
発展途上国の児童買春を止めたい女性、地方の農家の人手不足に一役買っている女性、ふつうのネット売買でNGOに募金できる仕組みを作った男性など、ソーシャルベンチャーの担い手は20−30代の若者たちの間から続出しています。
自分自身の働きが、見過ごせない社会問題を解決することに貢献できることは喜びであり、ふつうに会社に就職してもそうした喜びや働く意味が得られない若者にとっては、社会問題こそが働く意欲をそそるものであり、同時に社会問題は「未開拓のニーズ」として解決することで収益を上げられるビジネスのできる分野であることが発見されたともいえるのです。
さて、ソーシャルベンチャーの法人格はNPOや会社などさまざまで、個人でもやっている人だっています(つまり、お店を持ったり、作家をやるのと同じ自営業)。
法人格をNPOにすると、人件費はコストとしてみなされて、それ以上の収益は活動資金に回さなければならないけど、会社法人ならそういう縛りはないため、会社として登記して活動している団体もあるのです。
しかし、いずれも、自分が見過ごせないと思った問題を、なんとかビジネスモデル(収益構造)を作って解決していける方法を模索している点では同じ。
そうしたソーシャルベンチャーの活動の詳細は、拙著『プライドワーク/自分をつくる働き方』(春秋社)や、『チェンジメーカー/社会起業家が世の中を変える』(渡邉奈々・著/日経BP社)などの本が既にいっぱい出ているので、「社会起業」という単語でググッて探し、いろいろ読んでみてください。
そうした本を読んで、一人でもソーシャルベンチャーをめざす若者が出てくると嬉しいですし、そうなれば世の中をもっと良くしていけると思うので、このゼミでもソーシャルベンチャーの担い手をゲスト講師として積極的に迎えることにしました。
そして、最初にお招きしたのが、拙著でも活動の詳細を紹介したニート支援のソーシャルベンチャー「コトバノアトリエ」の代表理事・山本繁さんです。
(つづく)
※なお、実際のゼミでは「web2.0」についてもゲスト講師を招いて講義がありましたが、都合により割愛します。