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第7回 ユニークフェイスB
顔にちょっとした傷があるだけでも周囲の目が気になってしまうのが、人情というものでしょう。
生まれつき顔にアザのある石井さんは、10代の頃から自分と同じように顔に問題のある人の情報を探していたといいます。
「僕が高校・大学の頃には、顔にアザがある自分自身の人生を考えるための本が1冊もなかった。だから自分で書こうと思った。33歳の頃に発表したんです。
日本初の本でした。ユニークフェイス問題を取り上げたこと、顔にアザのある当事者が書いたこと、それが商業出版物だったこと、すべてが日本初だった。
同時に市民団体ユニークフェイスを立ち上げたんです。
僕が読者だったら集まりたいと思ったから。
最初は少人数のお茶飲み会になるかと思ったら、毎日のように手紙やファクスが届いて、あざだけでなく、重傷のやけどの人とか、僕も知らないような不思議な病気の人もいて、ユニークフェイスは顔に問題のある人全般を受け入れる形で始めたんです。
会員数はピーク時で200−300人。
同じような団体はイギリスのロンドンにもあって、『チェンジングフェイス』というんですが、年間の予算は1億円以上。
収支決算書も見たんですが、8割方の8000万円が一般市民からの寄付。寄付をする習慣がない日本では、イギリスのありかたをいますぐ目指しても無理なんです」
そこでゼミ生から質問の手が挙がりました。
「ユニークフェイスの方はどのくらいいるんですか?」
「推定ですが、イギリスの人口が6000万人で40万人のユニークフェイスの当事者の方がいるということなので、人口がその2倍の日本では80万程度いると思われます」
「イギリスでは、なぜ寄付金が集まるんですか?」
「キリスト教の団体が長い歴史の中で寄付することをずっとやってきたからね。
教会の力はあなどれない。ビジネスもするし、政治運動もするしね。
日本では、社会貢献をする金を入れる習慣がない。
イギリスでは、寄付には税金をかけないという制度がある。
だから税金を払うくらいなら、寄付をしようと」
すると、ゼミ生からこんな反応がありました。
「日本では国立の新国立劇場で『芸術に対する寄付金への課税を辞めましょう』と配られるチケットケースに書かれているんですよ。おかしいですねぇ」
このように、福祉だけでなく、文化への寄付にも課税する日本のダメぶりを自分の趣味の演劇から思い当たる学生が出てきたことは、石井さんの話を他人事にしない(=当事者に向き合う当事者として語る)構えを自覚する良いきっかけになるように思いました。
質問が続きます。
「イギリスの団体が年間1億円も寄付を集められるようになったのはいつ頃ですか?」
「1億円という数字は3,4年前のデータです。
10周年パーティがあって、ロンドンに行ったんですよ。
代表者は全身やけどの男で、美しい妻がいて、別荘まで持っていてね。
うらやましいじゃん! なんで日本でできないんだって思った」
「なんで日本ではできないんですか?」
「日本は海外のNPOの法律のマネをしているけど、寄付に税金をかけないという根本的なところは輸入していないんだ。
日本では、国民が行政や国に頼る傾向が強い。
市民が自前で、組織をつくってソーシャルサービスを提供するということが、どういうことかわからない。
何かというと『保険適用でやってほしい』という人が多い。
『ユニークフェイスの活動も無料でやってほしい』とよく言われましたね。
活動資金のために年会費を徴収することさえも理解されない。
で、僕の人件費も出ない。
専従スタッフに給与を出すべきだ、という議論をしようとすると、ボランティア団体なのにヘンだ、金儲け主義だ、という反応が出てくる。
日本社会はソーシャルビジネスがしにくい環境にあると思う」
確かに、現状では日本で福祉活動に携わると、貧乏になってしまいます。
活動をすれば、広報費や事務所の維持費など、お金が出ていくのに、ただの無賃労働でコストがないかのように「ボランティア」と言われてしまい、このままだと福祉は金が余った人たちの道楽としてしか存在しないことになりかねないのです。
(つづく)
石井さんの講義には、事前に「ユニークフェイスとは」というレジュメが配られました。そのダイジェスト版をお知らせします(以下、レジュメより抜粋)。
☆
私たちはそれぞれ違った顔を持っています。
その中でも、先天的な病気、後天的な病気・火傷・事故などで、顔や身体が「ユニーク」な方たちがいます。
現在日本には、このような当事者が推定数十万人いると考えられています。
そのような方々は、ひとたび社会に出ると他者からの好奇の視線にさらされ、生きづらさを感じております。
NPO法人ユニークフェイスは、そんな人たちの特徴を「ユニークフェイス(固有の顔)」と表現
し、様々な支援を行っています。
●当事者として参加されている方の病名(2002年10月現在)
単純性血管腫・太田母斑・口唇口蓋裂・レックリングハウゼン病・ケロイド・顔面神経麻痺・白斑・脱毛症・斜視・小耳症・交通事故の傷痕・水疱瘡の痕・海綿状血管腫・限局性リンパ管腫・上顎洞腫腫瘍・種痘の痕・顔面骨折後後遺症・顔面裂傷後・前頭(鼻)異形成・脂肪腫・バセドウ病・第一第二鰓弓症候群・軟骨低形成症・先天性色素欠乏症・手術後の傷痕・苺状血管腫など。
(※ユニークフェイスでは「醜形恐怖」は対象としていません)
●目的と目標
外見上の違いに関わらず、誰もが楽しく生きられる社会環境を目指します。
行政、企業、医療、教育、社会福祉などの公共団体との連携、メイクアップ、カウンセリングなど様々な分野の専門職とのネットワークをつくり、当事者に情報やサービスを提供する、ユニークフェイス情報センターの設立・運営を目標としています。
●ユニークフェイス(wikipediaから)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B9
●カモフラージュメイクとは(wikipediaから)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AF
●石井政之さんの本
http://astore.amazon.co.jp/ishiimasayuki-22/249-5803769-8820343?%5Fencoding=UTF8&node=0
☆
「ユニークフェイス」という造語を流行させ、こう名付けた市民団体を2002年1月にNPO法人化した石井さんは、「優秀な事務局長に恵まれる」ものの、団体内部で「路線対立」してしまいます。
「多くの当事者がNPO法人ユニークフェイスから離脱。当事者中心主義(石井)と経済優先主義との対立、組織をつくろうという動き(石井)と堅苦しいことを嫌うボランティア意識との対立だった」
自分の顔に「問題」を感じ、また実際に就職活動の際でも否応なく「問題」とされる人々にとっては、人前に出るだけでも勇気を必要とするのだそうです。
その勇気を持ち寄った人たちの間ですら、内紛が起こってしまう。
石井さんのやるせない思いが伝わってくるようです。
石井さんは「ユニークフェイス」の活動を最小限度に抑え、新たなライフステージに備える生活へと気持ちを切り替えていくことになりました。
「2006年、将来のキャリアプランを考えるようになり、50歳までには東京を脱出して、地方に移住することを決める。地方の都市生活を拠点に、自由に事業をし、執筆活動をするのが夢になる。好きなように生きている、無理なく生きている、起業家を紹介する単行本企画を構想中」
そんな石井さんの講義は、団体みんなで撮影したドキュメント映画のダイジェストを上映するところから始まりました。
「僕の顔にある赤いところは単純性血管腫といいます。赤い色は血管のカタマリで、血液の色が浮き出ているんですね、顔の半分が。
だから僕はボクシングができない。殴られれば、すぐに血だるまになってしまうから。
全部よければいいんですけど、そういわけにもいかないでしょう。すぐに救急車を呼ばないと、出血大量で血が止まらなくなる人もいるんです。
血管腫には個人差があって、脳に血管腫があると知恵遅れになる人もいます。
1000人のうち3人が顔や体のどこかに血管腫があるといわれ、ありふれた先天異常だと言われています。治るかどうかはわかりません。
以前読んだ論文によると、レーザー光線でほとんど色が無くなる人が1,2割。薄くなる程度が6,7割。まったく効果がない人もいるんです。
治療費は美容外科で自由診療だと100万円以上。保険適用だと2,3万円から。見積もりをとれって当事者に言っているんですけど、なかなかとらないんですね」
東大の自主ゼミの第1回は、「『私』を生きる、という困難を超えるために」と題して、顔にアザのあるジャーナリストとして有名な石井政之さんをゲスト講師に招きました。
ゼミ生には毎回ゲスト講師の略歴をレジュメとしてメールしてあります。
では、石井さんの略歴を彼自身の自筆年譜から紹介しましょう。
1965年、名古屋出身。豊橋技術科学大学卒業。
1999年、顔にアザや傷のある人を支援する市民団体「ユニークフェイス」を設立。
2003年、日本ジャーナリスト専門学校非常勤講師に。「現代文化論」(教養)担当。
2006年、合同会社ユニークフェイス研究所を設立。
アザを持つ人たちの現状を伝えるドキュメンタリー映画「ユニークフェイス・ライフ」の上映会をミニシアターや公共機関を中心に各地で開催。多数のメディアに取り上げられ、映画と講演で全国を奔走。
著書に『顔面バカ一代』(講談社文庫)、『肉体不平等』(平凡社新書)他多数。
生まれつき、顔に「単純性血液腫」があった石井さんは、保育園時代に既に「集団生活に馴染めない」と自覚していました。
子供から「その顔どうしたのか?」と聞かれ、本人としては困惑するばかり。
「当時は、病名について説明する知識ゼロ、説明方法を知らなかったため。名古屋大学病院で、ドライアイス治療を開始。痛いだけで治療効果はなし。当時は幼児にはその治療方法しかなかった。母は完治しないと知って、小学校入学前に治療は中止に」
今でも「小学校時代については記憶はほとんどない」そうです。
ところが、中学に入ってからは状況が一変。
「イジメから身を守るために1年生の1学期のテストをがんばる。1年生全体で7位(5位だったかも)をとり、周囲の態度が一変。成績の良い者を子供は尊敬し、いじめの対象にしないことを知る。
不良の同級生とすこしだけ交流。集団で他校(朝鮮人が多かった)とケンカをしたところ、すぐに私の顔から身元がばれて、教師に呼び出されて説教される。顔にアザのある人間には匿名性がないことを思い知らされる」
そこで石井さんは「顔や人格などとは関係なく、実力本位の生き方をしたい」と思い、エンジニアになろうと、工業高校電気科を受験、合格します。
高校に入った彼は「虚弱体質の克服といじめから身を守るため」柔道部に入部し、2年生になると極真空手に入門。
また、母親に「顔のアザの治療したい」と申し出た彼は、名古屋大学病院の診断を受け、完治しないことを宣告されると同時に、カモフラージュメイクについて知ることになります。
カモフラージュメイクについて学ぶために化粧品会社に出向くと、そこにはアザのある女性が働いていました。
これに感動した彼は「この会社に入社したい」と思い,すぐに人事課に手紙を書いたそうですが、「大学卒業」が必要条件という返事で受験勉強を開始。
推薦入学選抜で大学に合格した彼に、「顔のアザを完全に隠す化粧品開発研究」という夢が生まれました。
大学では「大嫌いな子供に慣れるため」ボランティアサークルに入ってダウン症、自閉症の子供を2年間担当し、「かなり子供に慣れたと思う」。
4年生になってピースボートに乗った彼は、ベトナムクルーズに参加。
枯れ葉剤被害をみて、報道写真家になることを決めます。
「夢は顔にアザのある人を世界規模で取材するジャーナリストに変更された」
自分が自分であるというだけで抱えなければならない重さを、石井さんは物心ついた頃から引き受けてきたのだろうと思います。
その後、社会に出て企業広告の記事を執筆していた27歳の頃、石井さんは「不安神経症(?)のように」なります。
「理由は、(1)誰にでもできる仕事をすることに嫌気がさした。(2)顔面問題取材を先送りすることへの焦燥感」
その後、「何もかも忘れて新しいテーマを探すためにレバノン取材に向かう」ものの、彼は顔にアザのある女の子の家庭と出会ってしまいます。
「やはり顔面問題を取材するしかない!」
そんな使命感に駆られて帰国した彼は、「人間にとって顔とは何か」(講談社)が刊行されているのを知ります。
ユニークフェイス問題について世界の最先端事情をまとめた翻訳書でした。
アメリカが研究の本場であると知った彼は、1996年にニューヨーク市立大学ブルックリン校に入学します。
「ニューヨーク市内の図書館で、顔面と心理についての英語論文の収集と読破に励む。ロンドン(英国)、トロント(カナダ)に渡って顔面問題を取材。欧米ではユニークフェイス問題が研究テーマとして認知され、セルフヘルプグループが社会に根付いていることを知ってしまう」
そして1999年3月、処女作「顔面漂流記」を出版し、本格的にジャーナリストとして顔面問題に取り組み始めると共に、市民団体「ユニークフェイス」を立ち上げ、毎月の定例会(ピアカウンセリング)を実施していくようになるのです。
1997年(32歳)、別冊宝島(宝島社)に企画を提出して断られた書籍『日本一醜い親への手紙』(メディアワークス)3部作を、宝島社から集団退社した人たちが作った別会社で編集し、2001年までに総計30万部を記録(※角川文庫版を含む)。
1998年(33歳)、若者ルポ『家を捨てよ、街へ出よう』(同)、発表。
この年の春、出版プロダクション「有限会社Create Media」設立。
HP開設(※作ったのは後年ブログペットで注目される工藤友資。うちの社員だった)。
作家の村上龍に対談を持ちかけられる(『最前線』ラインブックスに収録)。
1999年(34歳)、『完全家出マニュアル』(同)を発表し、収録した造語「プチ家出」が大流行。
春、会社の金策に行き詰り、スタッフを全員解雇して会社事務所を引き払い、千葉県市原市に移住。雑誌仕事を整理して書籍の執筆・編集に専念し始める。
2000年(35歳)、宮台真司、田口ランディ、石川結貴との対談集『家族新生』(ワニブックス)、発表。
2001年(36歳)、恋愛ルポ『「出会い系」時代の恋愛社会学』(ベスト新書)、発表。
自殺ルポ『生きちゃってるし、死なないし』(晶文社)、発表。
2002年(37歳)、法務省の雑誌『更生保護』の依頼で自傷行為の依存症について執筆。
北原みのり、丸山あかね、藤本由香里、小林エリカと同時代の男女事情について対談した『恋愛以前』(原書房)、発表。
2003年(38歳)、『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙/生きていく人として』(宝島社)、発表。
2004年(39歳)、『ゲストハウスに住もう!/TOKYO非定住生活』(晶文社)、発表。
『大人の知らない子どもたち』(学事出版)、発表。
ライブハウスの社長から「インディーズ・ミュージシャンばかり集めて番組を作れないか」とスポンサードを約束され、テレビ埼玉と千葉テレビのTV番組『音楽詩人』のプロデューサに就任。
2005年(40歳)、『あなたの診察、録音しました』(ライブドアパブリッシング)を編集。
『大人が子どもを壊すとき/「良い子」しか愛せない大人と、正論を怖がる子ども』(学事出版)、発表。
映像制作会社の友人の依頼で、テレビのコマーシャル音楽を制作。
2006年(41歳)、日本のネット心中についてアメリカ人ジャーナリスト、ディビッド・サムエルスに取材協力。
3度目のネット心中を画策する高校生の男子を宮城県まで取材しに行く。
また、サムエルスの妻の執筆する『New York Times』に日本のネット喫茶事情についてコメント。
『「死ぬ自由」という名の救い/ネット心中と精神科医』(河出書房新社)、発表。
『下流上等/キレない子が病む格差教育』(学事出版)、発表。
2007年(42歳)、『親より稼ぐネオニート/「脱・雇用」時代の若者たち』(扶桑社新書)発表。
春から東大(駒場)で自主ゼミの講師を始める。
アメリカのベストセラー作家ジュシュア・W・シェンクの日本文化の取材に協力。
一方、リタリン依存症で死んでしまいかねない精神科の患者たちと、ずさんな医療に居直る精神科の実態に迫ったドキュメント番組を企画・出演(※8月未明に日テレ「NNNドキュメント」でオンエア予定)。
秋に、『日本一醜い親への手紙』の英訳版が全米で発売される予定。
こうして自分の人生年表を作ってみると、さまざまなメディアのコンテンツを企画し、自分の関心のある事象を商品にするのが僕のやってきた仕事ということになります。
常にその時の自分に関心のあることを追いかけているうちに、家族の問題から家出、自殺、精神病、教育、建築、稼ぐ力などと追いかける分野が拡大していったことがわかります。
人の人生はなかなか面白い。
きっとあなたもそう感じていることでしょう。
なので、僕の手がける自主ゼミでは毎回、ゲスト講師を招き、ゼミ生たちに講師の人生年譜を先にメールで届け、自分との接点を模索してもらおうと思ったのです。