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それでも、父親であることを楽しむ方法がわからないパパも少なくないということ?
「子どもとファッションで楽しみたいとか、遊び趣味で楽しみたい、一緒にキャンプ行って楽しみたいとか、みんな普通に思いだしたんです。
そうしてやりたい。
でも、一方で、企業社会の中での評価主義の中で非常に熾烈な競争をしていかければいけない。
ちょうどその責任が重くなってくる、30歳前後ってそういう時期なんですね。
そのはざまですごく苦しんでるお父さんたちがたくさんいるんです。
子どもが生まれて早くうちに帰りたいんだけど、長時間労働が当たり前。
やりたいと思ってるお父さんの背中を押してあげる場を作ってあげたい、そういう情報を提供していきたい。
それが、ファザーリング・ジャパンなんです」
つまり、お父さんたちが自分自身や子どもと向かい合うことを楽しめるための啓蒙活動が、「ファザーリング・ジャパン」の活動なんですね。
「『お父さんの家族サービス』っていう言葉があるじゃないですか。
この言葉がすごく嫌で、この言葉を撲滅して、はじめて日本の父親は主体的に子育てを楽しめるんだろうなって思ったんですね。
じゃあこの言葉のアンチテーゼとして『父親を楽しむ』っていう言葉があると。
主体的にパパになること=笑えるってことだし。
確かに子育ては義務って部分もあるんだけど、義務である前に楽しい権利であり、自分が子どもと一緒に育つチャンスであると気づいてほしいんです。
子どもは色んなことを教えてくれますよ。
みなさんもたぶん自分の親御さんたちにいろんなこと教えてきたと思うんだけど、子どもを育ててるといろんなことに気づきます。
子どもの体とか心の健康のこともあるし、子どもを取り巻く社会のことについてもすごく敏感になってゆく。
それがある種のシチズンシップ(市民性)に繋がっていく。
でも仕事ばかりして子育てにコミットしないお父さんがここに気づいてない」
安藤さんは、いつ頃から自分が「子どもと一緒に笑ってるパパ」になりたいって思ったんですか?
「僕も20代の頃は、子どもはまだ全然好きじゃなかったんですよ。
仕事がやっぱりおもしろくって、全然そういうのは眼中になかった。
でも30歳で本屋さんになった時、平日ベビーカーを押したお母さんとか来るじゃないですか。
で、子どもとかあやしてるうちに、『なんか子どもっていいなー』とか思い出して、ちょうど35歳の時に往来堂っていう自分の店を持てるようになったのね。
『よし、じゃあここで子どもでも』と思って、当時同棲してたパ−トナーも、ちょうど仕事が一段落した時だったので、『まあ、じゃあ、そろそろかな』ということで。種族保存の本能も男は33、4くらいで来ますから、1回目の種族保存の本能。まあ自然な流れで、できましたと。
35歳の時に、パパになったんだけれども、その時にね、『父親ってなんだ、何をしたらいいのかな?』って考えたんですね。子どもが生まれる前、妻が妊娠してから一週間くらいずっと。
僕の場合はそこで、『自分のOSを入れ替えなきゃダメだな』って思ったんですね。
つまり今までの価値観や考え方では無理」
安藤さんのお父さんは、どんなパパだったんですか?
「僕の父親は昭和3年生まれで、高度成長期でバリバリの父親。
まったく家にいないし、いても全く関与しない父親だった。
そこで僕は僕なりに、自分らしく父親であればいいんだなーって。
『じゃあ自分らしくあるためにはどうすればいいか?』って考えた時に、僕はやっぱり主体的にコミットとしていけば、必ず自分の世界が広がって、必ず自分これからの父親として一人の男として市民として一人の人間として、もっと面白いことが待ってるに違いないと思ったんですね。
そのためには自分が主体的にパパとしてコミットできる環境をまず作んなきゃなと思った。
でも、通勤時間が1時間半だったら、保育園に子どもを迎えには行けないじゃないですか。
僕、保育園にすごくいきたかったんですよ。
キンダーガーデンにはなんかあるに違いない、何かトレジャーランドなんじゃないかなーって予感があったんですよ。
その時、僕がやったOS入れ替えは、自宅と保育園と職場を自転車15分圏内って決めちゃったこと。
3点を自転車で15分で回れる距離にと思った。
家は引っ越せるんだけど、気に入ってるエリアだったんで引っ越したくない。
保育園も決まるじゃないですか。
じゃあ職場作っちゃえばいいんだと思って。
当時ちょうど書店を出すっていうタイミングだったんで、オーナーを騙して『ここがいいですよ!』と(笑)」
(つづく)