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杉山さんは、大学を卒業する2005年3月からモーハウスで仕事を始めました。
もっとも、ほとんど大学には顔を見せず、時間を見つけてはバイトばかりしていたといいます。
彼女は、その頃を思い出して、こう言いました。
「一つのところに固定でいるのが苦手で、あっち行ったりこっち行ったりするのが好きで、いろんなところで知り合いがほしかったので、派遣で登録していました。
一日3箇所回ったり、かなり無謀な稼ぎ方をしていたことも。
バイトは本当にあらゆることをしてきたっていう自信はあります。
やりたい仕事の面接に行って落ちたことないんです。
ふらっと鮨屋に入って、『今日から働かせてもらえませんか?』って言っても即採用。
実家にお金入れてるわけじゃなかったから、遊ぶお金にも不自由しない生活でしたが、お金がほしいわけじゃなかったんです。
働くのが楽しかったから。
何よりも年齢、職業もいろいろな友達ができて、すごくいい社会勉強になったし、いろいろな環境の中で『働く』ということが、とっても楽しかった」
家や学校ではない場所にいるさまざまな人間。
その数だけあるさまざまな人生。
幼稚園の頃から習い事や塾で放課後が全部埋まっていた杉山さんにとって、バイト先の職場は、学校的な価値観(進学→就職→結婚という直線的で画一的なレール)とは異なる人生にたくさん触れられる場所だったのでしょう。
「でも、興味のある授業だけはしっかり出ていました。
好きなものにはわりと没頭できるタイプなんですよ。
それはジェンダー論とボランティア論。
どちらも私に疑問を残してくれる授業で、とくにボランティア論では、無償でさまざまな社会活動をしている人たちの心理に興味がわきました。
働いた分だけお金がもらえて、社会のことなど何も気にせず楽しく生活をしている自分が急に恥ずかしく思えて、『無償で社会貢献している人や活動にこそお金は使われるべき!』と強く感じました」
卒業が近づき、就職を真剣に考え始めると、「これといった取り柄はないし、このまま行くと本当にうんざりするような毎日だな…と一種の鬱状態」に陥り、就職活動らしいことは一切しませんでした。
悶々としていると、ゼミの先生がA4一枚の紙をくれたそうです。
それが、モーハウスの会社概要でした。
「社員がいないってところにものすごく興味があった。
まっさらなところに飛び込むような気がして。
子ども連れで働いてる育児中のお母さんたちだけのところに(ただ一人独身の)自分が飛び込むことで何かが起こるんじゃないかなーって。
そこに自分が働く意味を見出せるかなと思ったんです。
私の知らない世界、私が見たくなかった世界、想像できない世界が会社になってて、『なんだこれ?』って驚いたし、すごい楽しそうと思っちゃって、そういうとこなら就職してみたいなと」
杉山さんにとって、平然と授乳服の胸に赤ちゃんを抱いた女性たちどうしが打ち合わせをしたり、そのそばで小さな子どもたちがのこのこ歩き回る様子は、まるでカンガルーしかいない動物園に放り込まれたぐらいのショックだったのかもしれません。
「女性であることをすごく損だと思ってきた私にとって、モーハウスとの出会いは先生が与えてくれたチャンスでした」
なぜ女性であることを「すごく損だ」と思ったの?
「私の母親は普通の専業主婦で家にいることが多く、父親は仕事でまったく家にいないことが多かったんです。
当たり前のように毎日家事をする母親と、それを手伝おうともしない父親。
母親がカリスマ主婦とかで主婦であることに楽しみを見出しているようであれば違ったのかもしれないけど、そんなはずもなく、楽しんでる様子はなくて、つまらなさそうだった。
だから、女らしい人生に良いイメージが全然なかったんですよ。
今でも母はときどき懐かしむように学生時代の一人暮らしの話をしたがる。
可哀そうになって変な同情もしましたが、私は結婚して、子育てして、あっという間に年老いてしまうのは絶対に嫌だった。
結婚しても子どもを生んでも外に出ていたい、働いていたいと自然に思うようになってて…。
それが難しいことだと悟ってからは、結婚にはまったく興味がなくなった。
当時付き合っていた人から『結婚』が匂うだけで拒否反応」
女の子なんだからこうしなさい、とかが嫌だった?
「それが大嫌いだった。
仕事を一生懸命やりたいと思ってるのに、彼氏とつき合っていく中で『女なんだから…』とかポッと言われるだけで『もうやだ!』って。
『じゃあ、私は何なの?』って。
『女だから』って言われるのが泣けるくらい悔しかったんですね。
モーハウスに入って、授乳服を使って母乳育児をしながら仕事してる女性の姿に驚きました。
むしろ感動した。
何よりも楽しそうだった」
(つづく)