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1965年生。早稲田大学第一文学部を3か月で勇退。広告業界を経て25歳でフリーライターに。企画・編集した『日本一醜い親への手紙』はベストセラー。『完全家出マニュアル』で造語した「プチ家出」が流行語に。2007年春から東京大学(駒場キャンパス)で自主ゼミの講師を始める。著書に『親より稼ぐネオニート』(扶桑社新書)、『ゲストハウスに住もう!』(晶文社)など多数。
http://www.createmedia.co.jp

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お父さんの育児 (2008年06月22日)

第26回 ソ−シャルベンチャーA[2007年12月14日(金) ]

 「ニート・ひきこもりの就業問題の解決に挑む」をミッション(公益的使命感)に「コトバノアトリエ」というNPOを運営している山本繁さんは、1978年生まれ。
www.kotolier.org/

 ソーシャル・ベンチャーの育成などの事業を手掛けるNPO法人「ETIC.」の発行するメールマガジン「プロを目指す学生達」のインタビュアに山本さんが答えたプロフィールから引用すると、こんな高校生活だったようです。
www.etic.or.jp

「部活にも入ってないし、好きな女の子もいない。やりたいことがわからなかった。
 じゃあ勉強でもするか。
 やりたいことがないなら、やれることをやるしかない。
 二年生の秋、大学受験をすることに決めた。
 偏差値30。受かりっこない。
 それなら受験科目が少ないところを受けよう。
 その条件の中で志望校を慶應義塾大学環境情報学部(SFC)一本に絞った。
 現状を変えようと一日12時間以上、必死に勉強」

 そして1997年4月、希望通りに入学できた彼は、やがて一人暮らしを思い立ち、物件を探していく中で不動産投資信託に興味を持ちました。

「母が借金の抵当になっている物件を安く買った。
 銀行に預けるよりも個人投資した方が儲かる。
 なぜ誰もこの仕組みに手を付けないんだ。
 2、3年先にはこの仕組みはもっと広まるだろう。
 どうにかこの仕組みを応用出来ないか。
 ネット上で不動産投資商品の情報提供を始めた。
 興味を持ったことだし、とりあえずやってみよう」

 すると、不動産会社の社長が「面白いことしているねえ、会社を作ってあげるよ」と声をかけてきたんだそうです。

「俺なんかに会社なんて出来るのか。考えていても始まらない。
 株式会社を設立し、代表取締役になった。
 しかし、思うようにうまくいかない。
 約一年が経った。
 会社を運営するため、月500時間以上も働き、金のことばかり考えるようになってた。
 俺はHP作りがしたくて会社を起てたんじゃない。金儲けがしたいわけでもない」

 結果、会社はたたむことに…。

 心の洗濯に、山本さんは好きだった寺山修司の記念館のある青森まで自転車で旅をしました。

 寺山といえば、『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』などの舞台作品で知られる前衛演劇の旗手であり、『書を捨てよ、街へ出よう』や『田園に死す』などを撮った天才的な映画監督です。

 そこで、山本さんは役者になることにしました。

「演劇を始めることにした。
 演劇を通して、あの人みたいになりたいと思える大師匠に出会った。
 あるとき師匠に呼ばれた。
 『中高生の演技指導をしてみないか』。
 師匠の誘いは断れない。
 コーチを始めてすぐに衝撃を受けた。
 演技に対して真剣に取り組み、他人と向き合っていこうという姿勢を見た。
 大人だったらプロとか有名になることをどこかで考えながら取り組むが、中高生は純粋に表現することに向き合っていた。
 心の内で感じていることを上手に表現出来ていない、収拾のつかない悲鳴。
 コーチはこの悲鳴をまわりの人が聴きやすい歌に変える。
 これを仕事にできたらいい」

 ところが、彼は突然、役を降ろされてしまったのです。

「毎日朝10時から夜10時まで稽古。
 3時間程度の睡眠時間で演劇中心の生活を送っていた。
 だから、『おまえは必要ない』と言われたのも同然。
 どこかへ消えてしまいたい」

 山本さんは、父島へ向かいました。

「俺は将来、何がしたいんだろう。
 今までで一番楽しかったこと、やりがいを感じたことを仕事にしたい。
 真っ先に思い出したのは演技コーチ。
 『好きなことがあるなら10年かけてでも仕事にしろ。そのほうが幸せだぞ』という父の言葉を思い出した。
 この言葉通り、夢を追って9年間カメラマン助手を務めた父の言葉だ。
 食べていけるかどうかわからない。
 でも、やろう!」

 2002年3月。
 大学を卒業した翌日、彼はNPO「コトバノアトリエ」を設立したんですね。

「演劇では人に提供出来るレベルで仕事をするには時間がかかる。
 コーチを捜すのもなかなか難しい。
 けど、物書きのそれを探すとなると案外難しいことでもなかった。
 大学時代に所属していた物書き創作ゼミには、文章を書くことに長けている友人たちがいた」

 そこで在校生スタッフやOBから仲間4人を募り、8月から湘南地区の中高生を対象にした小説教室を市民会館で開講したわけです。

 山本さん自身は既に就職しており、週末だけのボランティアでした。
 でも、世代を超えた交流と青少年育成の実績が認められ、2004年には「かながわボランタリー活動」の奨励賞対象団体に選ばれて80万円が支援されたほか、SFC独自の奨学金の一つ「小林正忠教育奨励奨学金」の受給対象に選ばれて100万円が支援されました。

 やがてエッセイ、雑誌制作、漫画ノべライズも指導し始め、2005年6月からは中学校に赴いて1年半ほど講師として出向したそうです。

 市民会館の小説教室に通う生徒には、何本もリストカット(手首切り)の傷痕がある子や、いじめや不登校に悩む子、対人恐怖症の子が多かったといいます。

「心に傷を抱えた子たちは、学校に行けずに引きこもってしまう。
 復帰出来なければ、この超学歴社会では当然ニート。
 徐々にニート・ひきこもりという社会問題に対してどう取り組んでいこうかと考えるようになっていった。
 辛いけれど頑張っている人たちへの支援は誰からも手を付けられていない。
 じゃあ、俺がやらなければ。
 当事者は社会への不信感が強く、なかなか社会に出て行けない。
 危機感を感じた。
 彼らが希望を持てる社会に変えたかった。
 やりたいことを仕事に出来るような社会を作ろう」

 その年の9月、山本さんは会社を辞め、その後も同じ会社で月に10日間働かせてもらいながら事業を始める準備を始めました。

 4年間のボランティアの経験から、援助金による運営ではなく、自ら事業を興して活動資金を調達する「ソーシャル・ベンチャー」へ活動のあり方を変えたのです。

 同じ頃、「コトバノアトリエ」はNEC社会起業塾(※ETIC.とNECが共同で企画・運営するソーシャル・ベンチャー支援事業体)の特別メンバーに選ばれ、1年後には正式メンバーに昇格しました。

(つづく)