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1965年生。早稲田大学第一文学部を3か月で勇退。広告業界を経て25歳でフリーライターに。企画・編集した『日本一醜い親への手紙』はベストセラー。『完全家出マニュアル』で造語した「プチ家出」が流行語に。2007年春から東京大学(駒場キャンパス)で自主ゼミの講師を始める。著書に『親より稼ぐネオニート』(扶桑社新書)、『ゲストハウスに住もう!』(晶文社)など多数。
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お父さんの育児 (2008年06月22日)

第3回 まず、自分自身を語るA[2007年06月29日(金) ]

 僕の20代は、「自分らしい仕事」の中身をどうやって作るかの試行錯誤の10年間でした。
 世の中がどうなっているのかを肌でつかむために、いろんな場所に出入りし、多くの人に会い、自分に何ができるのかを試していたように思います。



1986年(21歳)、フリーター生活が始まる。

 小劇団を手伝ったり、松竹シナリオ研究所に通って8ミリを作ったが、パッとせず。
 東京・中野区の成人式を企画・運営し、出演者ブッキングで出会ったシンガーソングライターの山本コータロー氏(※当時は松山千春のプロデューサ)に「歌手にならないか」と声をかけられるが、冗談かと思い、せっかくのチャンスを逃す。
 その後、家庭教師、塾教師、夜間清掃、作文添削、郵便区分などのバイトを転々。楽器や録音機材を買いそろえるために、3つほどバイトをかけ持ち、正社員よりも収入がいいのに、6畳風呂なしのアパートに寝るだけに帰る生活が続く。

1988年(23歳)、恋人の住む部屋の隣の物件を借り、半同棲。

 バンドを結成し、フリーターから「何者か」になりたくなり、「そのためには自分の関心事に近いところに毎日通わなきゃ」と思い、中堅の広告代理店で営業補助のバイトをしていた。
 制作部の人と仲良くなり、コピーライティングの仕事を任され、作品が貯まる。

1989年(24歳)、渋谷の広告制作会社にコピーライターとして勤務。

1990年(25歳)、勤務先の会社が倒産。

 『アド年鑑』に自作のコピー作品が紹介されたものの、雑誌記者に転向。
 雑誌編集部に売り込み、初年度で年収600万円を達成。
 売り込み次第でいくらでも金を生み出せる自営業の面白さを実感。

1991年(26歳)、恋人と別れ、バンドも解散。

 中野区野方のマンションで本格的にフリーライターとして稼ぎ出すも、何の魂も入っていない文章を書き飛ばす日々の中で虚無感が蓄積し、テレクラ依存症をこじらせ、数年で借金が300万を超える。
 『CADET』『challenge』『日刊ゲンダイ』などで執筆するも、誰でもできる仕事を続けることにすっかり疲れ果て、自分らしい企画を立てても通らず、翌年、都落ち。

1993年、月刊誌『DENiM』(小学館)に投稿し、ライター新人賞を受賞し、再上京。

 以後、「今一生」の筆名を名乗る。『完全自殺マニュアル』発売直後に著者の鶴見済と出会い、自分の仕事の方向を「人を活かすコンテンツ」だと自覚する。
 自助グループや依存症の取材を始め、AC(アダルトチルドレン)という言葉を知り、自覚する。

1995年(30歳)、都内のクラブなどでオルタナティヴ・カルチャー・イヴェント「Create Media」を毎月主催。

 これは、雑誌や書籍の企画書を書いて出版社に提出してもなかなか通らないので、その企画書通りの内容をライブイベントとしてやってみようという試みだった。
 園子温、DJパトリック、河瀬直美、ゴッホ今泉、井上三太、サエキけんぞう、九条今日子等(※敬称略)を招き、運営コストで年間で100万近い借金を負うものの、マスメディアが報じない現実を当事者に語らせるという手法に取材が集まり始める。

(つづく)