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1997年(32歳)、別冊宝島(宝島社)に企画を提出して断られた書籍『日本一醜い親への手紙』(メディアワークス)3部作を、宝島社から集団退社した人たちが作った別会社で編集し、2001年までに総計30万部を記録(※角川文庫版を含む)。
1998年(33歳)、若者ルポ『家を捨てよ、街へ出よう』(同)、発表。
この年の春、出版プロダクション「有限会社Create Media」設立。
HP開設(※作ったのは後年ブログペットで注目される工藤友資。うちの社員だった)。
作家の村上龍に対談を持ちかけられる(『最前線』ラインブックスに収録)。
1999年(34歳)、『完全家出マニュアル』(同)を発表し、収録した造語「プチ家出」が大流行。
春、会社の金策に行き詰り、スタッフを全員解雇して会社事務所を引き払い、千葉県市原市に移住。雑誌仕事を整理して書籍の執筆・編集に専念し始める。
2000年(35歳)、宮台真司、田口ランディ、石川結貴との対談集『家族新生』(ワニブックス)、発表。
2001年(36歳)、恋愛ルポ『「出会い系」時代の恋愛社会学』(ベスト新書)、発表。
自殺ルポ『生きちゃってるし、死なないし』(晶文社)、発表。
2002年(37歳)、法務省の雑誌『更生保護』の依頼で自傷行為の依存症について執筆。
北原みのり、丸山あかね、藤本由香里、小林エリカと同時代の男女事情について対談した『恋愛以前』(原書房)、発表。
2003年(38歳)、『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙/生きていく人として』(宝島社)、発表。
2004年(39歳)、『ゲストハウスに住もう!/TOKYO非定住生活』(晶文社)、発表。
『大人の知らない子どもたち』(学事出版)、発表。
ライブハウスの社長から「インディーズ・ミュージシャンばかり集めて番組を作れないか」とスポンサードを約束され、テレビ埼玉と千葉テレビのTV番組『音楽詩人』のプロデューサに就任。
2005年(40歳)、『あなたの診察、録音しました』(ライブドアパブリッシング)を編集。
『大人が子どもを壊すとき/「良い子」しか愛せない大人と、正論を怖がる子ども』(学事出版)、発表。
映像制作会社の友人の依頼で、テレビのコマーシャル音楽を制作。
2006年(41歳)、日本のネット心中についてアメリカ人ジャーナリスト、ディビッド・サムエルスに取材協力。
3度目のネット心中を画策する高校生の男子を宮城県まで取材しに行く。
また、サムエルスの妻の執筆する『New York Times』に日本のネット喫茶事情についてコメント。
『「死ぬ自由」という名の救い/ネット心中と精神科医』(河出書房新社)、発表。
『下流上等/キレない子が病む格差教育』(学事出版)、発表。
2007年(42歳)、『親より稼ぐネオニート/「脱・雇用」時代の若者たち』(扶桑社新書)発表。
春から東大(駒場)で自主ゼミの講師を始める。
アメリカのベストセラー作家ジュシュア・W・シェンクの日本文化の取材に協力。
一方、リタリン依存症で死んでしまいかねない精神科の患者たちと、ずさんな医療に居直る精神科の実態に迫ったドキュメント番組を企画・出演(※8月未明に日テレ「NNNドキュメント」でオンエア予定)。
秋に、『日本一醜い親への手紙』の英訳版が全米で発売される予定。
こうして自分の人生年表を作ってみると、さまざまなメディアのコンテンツを企画し、自分の関心のある事象を商品にするのが僕のやってきた仕事ということになります。
常にその時の自分に関心のあることを追いかけているうちに、家族の問題から家出、自殺、精神病、教育、建築、稼ぐ力などと追いかける分野が拡大していったことがわかります。
人の人生はなかなか面白い。
きっとあなたもそう感じていることでしょう。
なので、僕の手がける自主ゼミでは毎回、ゲスト講師を招き、ゼミ生たちに講師の人生年譜を先にメールで届け、自分との接点を模索してもらおうと思ったのです。