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翌1999年秋、光畑さんは雑誌を一緒に出していた友人と一緒に地元のつくばでもイベントをやろうと思い立ち、「いいお産の日INつくば」として会場の一角に「お産・おっぱいエリア」を作りました。
エリアの中では赤ちゃんの体重測定や相談会などを開きたいと考え、助産師と、長女を出産したときにお世話になった助産師に恐る恐る電話でオファーすると、二人とも快諾してくれました。
また、体育館を借りて、東京の「いいお産の日」で見てきた出産のお芝居をしたり、授乳服を着た母親たちが赤ちゃんに授乳しているところを観客に見てもらいました。
それぞれに「出産ショー」「授乳ショー」というタイトルをつけ、助産師さんの解説付きで行ったところ、雨の日だったのに会場は満員の来場者でにぎわったのです。
この成功を機に、その後、お産とおっぱいの一連のイベントはモーハウスとして独立して企画・運営していくようになりました。
そして、モーハウスの活動を始めてから5年目の2002年の11月27日、光畑さんはこの活動団体を「モネット」という法人名で有限会社として登記したのです。
「私にとっての授乳服作りは、それまで私が関わっているいくつかのうちの一つでしかありませんでした。
仕事も授乳服の製作一筋ではなく、雑誌の製作も建築への関わりも続けていました。
今は子どもが小さいからお産やおっぱいの面白さにはまっているけれど、いつまで続くかわからない。
いつかは服作りをやめて、好きな本作りや美術系の仕事を始めるんじゃないか。
そんなふうに思っていたんです。
それがだんだんと変わってきたのは、確実に授乳服を使う人が増えてきて、たくさんのお礼のメッセージが届き、少しずつ私の気持ちが動かされてきたからです」
自宅をベースにして、時々来てくれるアルバイトの女性だけでやってきた仕事でも、法人化直前の頃には一年に2万枚くらいは販売し、毎年毎年、売上は倍以上に伸びていきました。
もう「飽きたからやーめた」と言える時期ではなく、愛用者に対する責任があると思い、「やめない決心」として法人化にふみきったのだそうです。
「私にとっての授乳服は、お金を得る手段だけではありません。
『子どもと共に自由でいられる』という新しいライフスタイルを提案するためにイベントを開いていましたし、それを続けてこられたのは授乳服の販売による収益があったから。
ですから、このメッセージをより多くの方に届けるには特定非営利団体(NPO)にするという選択肢もありました。
そこでいろいろな方にも相談した結果、『モーハウスで働く人には働き方によっては自立できる給料を出せるようにしたい』と思ったのです。
経済的な自立ができることは精神的な自由につながるからです」
ボランティアで手伝いに来てくれていたスタッフ二人にも、「会社にしようと思うんだけど、スタッフにならない?」と聞いてみました。
あえて「責任のないボランティア」を選んだ女性たちだったのですが、二人ともこの話に乗ってくれたそうです。
「当初から『授乳服の販売でいただくお金は同じ立場の人に払いたい』と思ってましたから、縫製も発送の仕事もできるだけ子どもがいる女性にお願いしてました。
仕事ができる能力があって、状況さえ許せばできるのに仕事が得られない人がいる。
他方で仕事を頼みたい人がいる。
そこをうまく結び付けたいと、コーディネーター根性を出してしまったんです。
子どもがいる縫製スタッフがこの仕事をやりたいと思うのは、自分のペースで仕事ができるから。
他の在宅仕事と同じように夜中まで仕事をしないと終わらないようなノルマを課したら、モーハウスで働く意味がありません。
私が仕事をする基準は楽しく快適にできるっていうことですから」
2005年3月、光畑さんは地元の大学で講演したのを機に、新卒予定の大学生を社員に採用しました。
それが杉山貴子さん(27歳)。
モーハウスにとって初めて正社員であり、初めての独身スタッフでした。
(つづく)