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ゼミ生からの質問が続きます。
「やる気のない人をニートと呼んでる風潮があるけど、ネオニートとカテゴライズされるのを矢代さん自身はどう思ってますか?」
矢代さんは既に会社を設立しているので、「ネオニート」ではありません。
「ネオニート」は、あくまでもニート同然の暮らしから自営業を意識し、不労所得から自覚された営業収入に移行するまでの一定期間の呼称なのです。
そもそも、「ニート」の定義自体には、「やる気」を問う条件はありません。
本来、雇用されておらず、就職のための訓練をする学校にも通っていない状態のことを「ニート」と呼んでいるのであって、その状態から就職(雇用)を目指さなくても、自営業として自立してしまえば、「やる気」を問われる必要すらなくなるんですね。
「では、実際にアフィリエイトなどに要する実働時間は?」
矢代さんが答えます。
「アフィリエイトで儲けるためのサイトを構築する日数は、1サイトで1か月程度です。
『冬ソナ』のサイトを作った時は、関連のDVDや書籍を全部見てサイトを作ってたんで、1日がかりでした。
それを1週間に一度くらいメンテナンスして、更新情報を足していくので、だいたい1か月くらいになるんです」
「せどりからアフィリエイトなどへ収入手段が変わってきていますが、会社を興した後で、また新たなビジネスに関心が移ったら、どうするんですか?」
「今は一人じゃなく、スタッフを雇っているので、新規事業は一緒にやってるスタッフと話をして決めます」
自営業あるいは法人での営業では、多角経営を志向するのは自然の流れです。
たとえば、雑誌記者を長く続けていけば、ライティング(執筆)以外に、編集のノウハウも身に付きますから、編集業務を請け負うこともできますし、出版には他にもデザインや写真撮影など他の職務もありますから、それを自前でできるだけのスキルを身につけていけば、ライターから出発して編集者、カメラマン、デザイナーなどと職域を増やし、同時に自分が職業能力を売り込める分野が増えることになります。
矢代さんの場合も、せどり、アフィリエイト、それらのノウハウの情報販売(データの有料ダウンロード)、そして現在ではライター仕事の仲介サイトを運営してマージン収入を試みたり、講演や書籍の執筆など、営業分野を開拓してきたわけです。
しかし、自営業を試みたことのない人にとっては、不安に映る人もいるでしょう。
世間を知らない学生からは、当然のようにこんな質問が出ました。
「バイト代わりにアフィリエイトなどをやったり、事業を大きくするという動機は、最初の頃は遊び代などの短期的な視野で働いてきたと思うんですけど、10年先の長期的な視点に立つと、そのつど新規事業を考える必要に迫られますよね。そんな新規事業を次々に生み出せるか、少し不安を覚えるんですけど」
「長期的に見たらまったくわかりませんし、アフィリエイトが1年後に無くなってもおかしくない流れなので、そうなったらまったく別のことをしなきゃいけないと思ってます。
ネットは半年で激変するので、あまり細かな動向を読まないようにしてます。
大局的な流れは考えますが、そうじゃない取り越し苦労は足かせになるだけで、考えてもしょうがないと思っちゃいますから」
「そんな不確定な中で、雇っている人の生活を守る社会的な責任があると思うんですけど、どう考えていますか?」
「10年は続かないビジネスかもしれないとは、スタッフに言ってます。
安定はわからない、リスクを背負って働くことに納得したうえで働いてくれと言ってます」
学生と矢代さんの問答を聞きながら、僕自身はいらだっていました。
というのも、質問した学生には、自分がこれから入っていくだろう大企業や官庁に問うべきことを矢代さんにぶつけているような気がしたからです。
僕は質問者にこう言いました。
「君がこれから入る会社だって、10年後はわからないんだぜ。
君が就職したい企業は、それをちゃんと君に言ってる? 言ってないだろう。
うちはこんなに歴史がある会社ですよと言うことはあっても、誰も10年後のことなんてわからない。
矢代くんはそれを素直に言ってるだけマシだよ。
会社に入れば、君は自分の運命を会社に預けるようなものなんだよ。
地方に左遷されようが、減給されようが、リストラ対象になろうが、君が拒む権利はほとんどないし、会社と談判できるだけの力を君が持てる保証すらないわけだからさ」
逆に、自営業から出発し、会社の経営者になれば、苦境に陥った時に自分の責任で自由に解決法を生み出し、突破していけます。
誰かに自分の身の振りの決定権を預けなくていいわけです。
こういうリスクヘッジの方法に鍛えられている自営業に対して社会的責任を問うあたりは、自分の頭の上のハエも追えないのに他人に口を出すという恥ずかしい行為であることを、この学生は学んでこなかったのでしょう。
しかも、年収が4000万円近い矢代さんに対して、「10年後」の責任を問う前に、年間3千万円を3年以上キープすれば約1億円の蓄財になり、サラリーマンの生涯賃金である3億円の3分の1を達成してしまう点に気づくべきでしょう。
少なくとも、質問した学生が定年退職をするより短い期間で、矢代さんは労働そのものから解放される可能性が高く、一度の作業で自動的に入金が続くインセンティヴ収入の爆発力を正視する必要がありそうです。
もっとも、就職する(=雇用される)しか収入手段を得られないと思っている学生ならば、むしろ自分自身が就職先の会社にとって手放したくないほどの有益な人材になることを目指すか、官僚になっても中年になる頃に簡単に天下りできるような時代状況になっていくかどうかを調べたほうが身のためでしょう。
もちろん、こんなことを言ったところで、東大生ですらピンとこないだろうことは先刻承知です。
「大学新卒者の3割は最初の就職先を20代で離職する」なんて統計数字を言っても、自分が失職者になるなんてどうしても信じられず、想定外のことにしたいのだろうと思うのです。
おそらく、東大生という自分の身分が、国民の税金を投入された国策の大学として、どこの大学の学生よりも社会的責任を負わされている立場であることにも鈍感なのかもしれません。
しかし、自分よりいろんな面で弱者である存在が社会には多いのだ、ということに気付かないことは、とても罪深いことです。
矢代さんにぶしつけな質問をした学生は、ニート不安から這い上がってきたという事実の重みに関心を寄せることもないまま、また同時に自分自身の職業能力についての自身の有無を語らないまま、いきなり相手に「社会的責任」なんて言葉を出すくらいに、自分の問題としてとらえていませんでした。
世の中に出てもいないのに、「社会的責任」なんて青臭い言葉を持ち出してしまうのも仕方ないのでしょう。
しかし、世の中には中卒で大工見習いになり、20歳の頃には「この足場をちゃんと作らないと建物の構造が乱れて、住む人が困るからちゃんと仕事をしよう」と思いながら鉄骨を組み立てている人間だっていることを知る必要があるように思います。
それが社会的責任の実感であることを知るには、時間がかかるでしょう。
今はまだ頭でっかちな教育環境しか知らないからです。
でも、就職にあぶれて社会的弱者に陥り、そこから自分の力で稼ぐ力を身につけて這い上がってきた人間が目の前に来た時に、「この人は自分の知らない苦労を負ってきたのかもしれない」と想像できないようでは、人を思いやるという気持ちの点であまりに劣っているとのそしりを免れません。
働き方とは、生き方そのものです。
学生だからそれを知らなくていいという理屈は、世間では通りません。
家庭でも学校も教わらない世の中の仕組みを知ることを、僕のゼミでは大事にしたいと思うのです。
(つづく)
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