2008.01.18 04:21

 杉山さんは、大学を卒業する2005年3月からモーハウスで仕事を始めました。

 もっとも、ほとんど大学には顔を見せず、時間を見つけてはバイトばかりしていたといいます。

 彼女は、その頃を思い出して、こう言いました。

「一つのところに固定でいるのが苦手で、あっち行ったりこっち行ったりするのが好きで、いろんなところで知り合いがほしかったので、派遣で登録していました。
 一日3箇所回ったり、かなり無謀な稼ぎ方をしていたことも。
 バイトは本当にあらゆることをしてきたっていう自信はあります。
 やりたい仕事の面接に行って落ちたことないんです。
 ふらっと鮨屋に入って、『今日から働かせてもらえませんか?』って言っても即採用。
 実家にお金入れてるわけじゃなかったから、遊ぶお金にも不自由しない生活でしたが、お金がほしいわけじゃなかったんです。
 働くのが楽しかったから。
 何よりも年齢、職業もいろいろな友達ができて、すごくいい社会勉強になったし、いろいろな環境の中で『働く』ということが、とっても楽しかった」

 家や学校ではない場所にいるさまざまな人間。
 その数だけあるさまざまな人生。

 幼稚園の頃から習い事や塾で放課後が全部埋まっていた杉山さんにとって、バイト先の職場は、学校的な価値観(進学→就職→結婚という直線的で画一的なレール)とは異なる人生にたくさん触れられる場所だったのでしょう。

「でも、興味のある授業だけはしっかり出ていました。
 好きなものにはわりと没頭できるタイプなんですよ。
 それはジェンダー論とボランティア論。
 どちらも私に疑問を残してくれる授業で、とくにボランティア論では、無償でさまざまな社会活動をしている人たちの心理に興味がわきました。
 働いた分だけお金がもらえて、社会のことなど何も気にせず楽しく生活をしている自分が急に恥ずかしく思えて、『無償で社会貢献している人や活動にこそお金は使われるべき!』と強く感じました」

 卒業が近づき、就職を真剣に考え始めると、「これといった取り柄はないし、このまま行くと本当にうんざりするような毎日だな…と一種の鬱状態」に陥り、就職活動らしいことは一切しませんでした。

 悶々としていると、ゼミの先生がA4一枚の紙をくれたそうです。
 それが、モーハウスの会社概要でした。

「社員がいないってところにものすごく興味があった。
 まっさらなところに飛び込むような気がして。
 子ども連れで働いてる育児中のお母さんたちだけのところに(ただ一人独身の)自分が飛び込むことで何かが起こるんじゃないかなーって。
 そこに自分が働く意味を見出せるかなと思ったんです。
 私の知らない世界、私が見たくなかった世界、想像できない世界が会社になってて、『なんだこれ?』って驚いたし、すごい楽しそうと思っちゃって、そういうとこなら就職してみたいなと」

 杉山さんにとって、平然と授乳服の胸に赤ちゃんを抱いた女性たちどうしが打ち合わせをしたり、そのそばで小さな子どもたちがのこのこ歩き回る様子は、まるでカンガルーしかいない動物園に放り込まれたぐらいのショックだったのかもしれません。

「女性であることをすごく損だと思ってきた私にとって、モーハウスとの出会いは先生が与えてくれたチャンスでした」

 なぜ女性であることを「すごく損だ」と思ったの?

「私の母親は普通の専業主婦で家にいることが多く、父親は仕事でまったく家にいないことが多かったんです。
 当たり前のように毎日家事をする母親と、それを手伝おうともしない父親。
 母親がカリスマ主婦とかで主婦であることに楽しみを見出しているようであれば違ったのかもしれないけど、そんなはずもなく、楽しんでる様子はなくて、つまらなさそうだった。
 だから、女らしい人生に良いイメージが全然なかったんですよ。
 今でも母はときどき懐かしむように学生時代の一人暮らしの話をしたがる。
 可哀そうになって変な同情もしましたが、私は結婚して、子育てして、あっという間に年老いてしまうのは絶対に嫌だった。
 結婚しても子どもを生んでも外に出ていたい、働いていたいと自然に思うようになってて…。
 それが難しいことだと悟ってからは、結婚にはまったく興味がなくなった。
 当時付き合っていた人から『結婚』が匂うだけで拒否反応」

 女の子なんだからこうしなさい、とかが嫌だった?

「それが大嫌いだった。
 仕事を一生懸命やりたいと思ってるのに、彼氏とつき合っていく中で『女なんだから…』とかポッと言われるだけで『もうやだ!』って。
 『じゃあ、私は何なの?』って。
 『女だから』って言われるのが泣けるくらい悔しかったんですね。
 モーハウスに入って、授乳服を使って母乳育児をしながら仕事してる女性の姿に驚きました。
 むしろ感動した。
 何よりも楽しそうだった」

(つづく)
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2008.01.11 04:18

 翌1999年秋、光畑さんは雑誌を一緒に出していた友人と一緒に地元のつくばでもイベントをやろうと思い立ち、「いいお産の日INつくば」として会場の一角に「お産・おっぱいエリア」を作りました。

 エリアの中では赤ちゃんの体重測定や相談会などを開きたいと考え、助産師と、長女を出産したときにお世話になった助産師に恐る恐る電話でオファーすると、二人とも快諾してくれました。

 また、体育館を借りて、東京の「いいお産の日」で見てきた出産のお芝居をしたり、授乳服を着た母親たちが赤ちゃんに授乳しているところを観客に見てもらいました。

 それぞれに「出産ショー」「授乳ショー」というタイトルをつけ、助産師さんの解説付きで行ったところ、雨の日だったのに会場は満員の来場者でにぎわったのです。

 この成功を機に、その後、お産とおっぱいの一連のイベントはモーハウスとして独立して企画・運営していくようになりました。

 そして、モーハウスの活動を始めてから5年目の2002年の11月27日、光畑さんはこの活動団体を「モネット」という法人名で有限会社として登記したのです。

「私にとっての授乳服作りは、それまで私が関わっているいくつかのうちの一つでしかありませんでした。
 仕事も授乳服の製作一筋ではなく、雑誌の製作も建築への関わりも続けていました。
今は子どもが小さいからお産やおっぱいの面白さにはまっているけれど、いつまで続くかわからない。
 いつかは服作りをやめて、好きな本作りや美術系の仕事を始めるんじゃないか。
 そんなふうに思っていたんです。
 それがだんだんと変わってきたのは、確実に授乳服を使う人が増えてきて、たくさんのお礼のメッセージが届き、少しずつ私の気持ちが動かされてきたからです」

 自宅をベースにして、時々来てくれるアルバイトの女性だけでやってきた仕事でも、法人化直前の頃には一年に2万枚くらいは販売し、毎年毎年、売上は倍以上に伸びていきました。

 もう「飽きたからやーめた」と言える時期ではなく、愛用者に対する責任があると思い、「やめない決心」として法人化にふみきったのだそうです。

「私にとっての授乳服は、お金を得る手段だけではありません。
 『子どもと共に自由でいられる』という新しいライフスタイルを提案するためにイベントを開いていましたし、それを続けてこられたのは授乳服の販売による収益があったから。
 ですから、このメッセージをより多くの方に届けるには特定非営利団体(NPO)にするという選択肢もありました。
 そこでいろいろな方にも相談した結果、『モーハウスで働く人には働き方によっては自立できる給料を出せるようにしたい』と思ったのです。
 経済的な自立ができることは精神的な自由につながるからです」

 ボランティアで手伝いに来てくれていたスタッフ二人にも、「会社にしようと思うんだけど、スタッフにならない?」と聞いてみました。

 あえて「責任のないボランティア」を選んだ女性たちだったのですが、二人ともこの話に乗ってくれたそうです。

「当初から『授乳服の販売でいただくお金は同じ立場の人に払いたい』と思ってましたから、縫製も発送の仕事もできるだけ子どもがいる女性にお願いしてました。
 仕事ができる能力があって、状況さえ許せばできるのに仕事が得られない人がいる。
他方で仕事を頼みたい人がいる。
 そこをうまく結び付けたいと、コーディネーター根性を出してしまったんです。
 子どもがいる縫製スタッフがこの仕事をやりたいと思うのは、自分のペースで仕事ができるから。
 他の在宅仕事と同じように夜中まで仕事をしないと終わらないようなノルマを課したら、モーハウスで働く意味がありません。
 私が仕事をする基準は楽しく快適にできるっていうことですから」

 2005年3月、光畑さんは地元の大学で講演したのを機に、新卒予定の大学生を社員に採用しました。

 それが杉山貴子さん(27歳)。

 モーハウスにとって初めて正社員であり、初めての独身スタッフでした。

(つづく)
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2008.01.04 04:14

 「ソーシャルベンチャー」という言葉が日本でまったく話題に上っていなかった頃から、世の中にある問題を解決するためにビジネスの手法を使おうという動きは芽吹いていました。

 その一つが、授乳服(※赤ちゃんにおっぱいをあげるための服)の製造・販売を手掛けながら、母親というライフステージから女性の自由で新しい生き方を試みようと呼びかけている「モーハウス」という団体です。

http://www.mo-house.net/

 茨城県のつくば市に事務所があるこの団体の発足は、代表者・光畑由佳さん(43歳)自身のこんな経験から始まりました。

 1997年、生後1ヶ月の次女と一緒に電車に乗っていたところ、空いてきた車内で次女がぐずり始めたのです。

 いつまでも赤ちゃんは泣きやまず、声は大きくなるばかり。
 乗客たちの視線が集まります。
 次女はおなかがすいているのです。
 ミルクは持参していませんでした。

(降りる駅まであと少し。もう少しがまんすれば、授乳できる…)

 でも、そのとき、彼女は苦い経験を思い出しました。

 長女がまだ授乳期の頃、丸一日搾乳しなかったために母乳が出なくなってしまったことがあったのです。

 心配が募った光畑さんはパニックになり、途中下車も思いつかず、仕方なくブラウスの前ボタンをはずし、授乳をすることにしました。

 駅に着き、赤ちゃんのいる女性の友人に会ってこの体験を話すと、「信じられない」と言われた。光畑さんは母乳育児にこんな不便さがあるのかと痛感したが、同時に「そんなのおかしい」とも思ったのです。

「本来自然なものであるはずの母乳による授乳が自分の行動を束縛するなんて変。
 どこでも授乳する自由はあっていいと思うけど、気遣いはやっぱり必要。
 だったら解決する方法はないかな」

 そこで光畑さんは、以前取り寄せた海外の授乳服の通信販売カタログを思い出し、取り寄せて、試しにそれを着て外出してみたのです。

「羽根が生えたような気持ち、想像もしなかったような解放感が心の中に湧き出てきました。
 『これでどこにでも行ける! 私の自由は保証された!』という感じ。
 解放感があったということは、それまで束縛感があったはずなのに、それまで全然そんなふうに感じたことはありませんでした。
 でも、こうして解放感を感じて初めて『今まで自分は我慢してたんだ』と気づかされたんです。
 世の中のお母さんたちがそれに気がつかず、ずっと我慢したままなら、この解放感を教えたい。
 そんな気持ちでいっぱいになりました」

 それ以来、光畑さんは「授乳服の伝道者」になりました。

 そして、ママさんどうしの間でいろいろと情報収集をする中で、だんだん「やはり自分で作ろう」という気持ちは大きくなっていったのです。

 しかし、光畑さんには、プロとして服を作った経験はありませんでした。

 それでも、「自分で縫えなくても、できる人をつないでいけば、生産できるはず」と考え、縫える人やデザインのできる人を探したのです。

 すると、たまたま自宅のお向かいの奥さんがドレメを出て縫製のできる方だったので、「売れたら払うから」と製作をお願いできました。

 また、小学校時代からの友人にアパレルメーカーのデザイナーがいて、デザインを頼むこともできました。

 資本金は「財布に入っているお札数枚」。

 でも、光畑さんの故郷・倉敷は繊維産業が盛んなところで、「安いけれど素敵な生地」を探しては数メートル単位で買えたんですね。

 こうして光畑さんとその仲間は特価品の生地を買い、作っては売るというペースで仕事を始めました。

 授乳服といっても、「マタニティでも授乳中でも体型がきれいに見える」と「授乳用のためだけに穴が空いているのではなく、ふだん着としても違和感なく着られる」という2点を重視したデザインにしました。

 やがて光畑さんは自宅をママさんたちに開放し、より多くのママさんたちとの交流のチャンスにすることにしました。

 こうした「オープンハウス」の試みは、出会いのチャンスを増やしただけではなく、乳幼児との付き合いに悩む母親たちの肩の荷を下ろす効果もありました。

「お母さんが心地よく過ごせると、赤ちゃんも心地よいんですよ。
 力を抜いて、自分が楽をすることが悪いとは思わずにいてほしい。
 そのいい加減の力の抜き方の例がオープンハウスにはあふれていました。
 毎日の育児のプレッシャーでいっぱいいっぱいの人も、『ああ、育児ってこんなのでいいんだ』と安心してくれました。
 多数派のおおざっぱなお母さんたちを見たり、話を聞いたりすることで自然に悟ってくれるんです」

 こうしたオープンハウスの手応えを得て、光畑さんの気持ちはより多くの母親に向けて発信できるイベントの開催に傾いていったようです。

(つづく)
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2007.12.28 02:51

 「コトバノアトリエ」は、2006年9月には水道橋駅前に事務所を移し、10月には生放送、オンデマンド、携帯電話で聞けるネットラジオ番組「オールニートニッポン」を制作し、放送を開始しました。
www.allneetnippon.jp/

 これは、映画『不登校の真実』の監督で小説家の巨椋修さんや、全国のひきこもり支援の取り組みを取材しているフリーライターの永冨奈津恵さんなどがパーソナリティとなってひきこもりやニートの問題を広く呼びかけるもの。

 いじめや自殺などの深刻な話題を扱ったり、リスナーを集めての公開放送も行い、視聴者は月間2~3万人に膨らみました。

「社会問題は深刻さの優先順位が高くなればなるほど早く解決されます。
 問題の緊急性を訴えることで、より優秀な人材が集まり、解決が早くなるので、プロモーションとしてメディアを設けたんです。
 今のところ赤字ですが、今後は広告収入を見込んでいます」

 2007年2月には、ETIC.主催の30歳以下のビジネスプラン・コンペ「STYLE 4th」のファイナリスト(最終選考候補者)になり、優秀賞を受賞。20万円の援助を受けられました。

 3月にはやはりコンペで勝ち抜き、「SEEDCap Japan」(社会起業家育成支援プログラム)の助成団体に選ばれ、200万円を援助されました。

 これはアメリカのヘッジファンド運用会社の運用益から生じる成功報酬の10%を助成金の原資とし、日本のソーシャル・ベンチャーを支援するプログラム。

 3年間で350万円の助成が検討される対象になったため、専従スタッフを雇い、続々と社会的事業を展開していけるめどが立ちました。

 活動を続けていく中で、山本さんにとっては想定外の収入も生まれました。

「オールニートニッポン」でパーソナリティの雨宮さんの話を収録した本(※『雨宮処凛のオールニートニッポン』祥伝社新書)が出版され、印税収入につながったのです。

「それでも収入はカツカツです。
 2000万円ほど入ってきても、純利益は500万を切りますから。
 スタッフには給与を払ってますが、二人で一人分くらい。
 これで生活していくのは大変なので、講演やコンサルティングなどの副業もしてます」

 しかし、山本さんらスタッフが支援を続けてきたおかげで、ニートは少しずつ自分の力でお金を得られるようになっています。

 「神保町小説アカデミー」の生徒で45歳のニートは、『フリーターズ・フリー』という雑誌でライター・デビューし、2008年1月には『45歳、ニートで障害者』という本が発売されて晴れて作家デビューできる予定とか。

 また、「トキワ荘」に入居した25歳の女性は、こう言います。

「疲れて寝てしまいたい夜も、仲間が努力していれば刺激される。
 出版社に作品を持ち込むと、胸をえぐられるほどダメ出しされることもある。
 そんな時、悩みを相談出来る相手がいるのは心強い」
(朝日新聞2007年5月8日付より)

 「オールニートニッポン」でも、現役ニートが初体験ながらパーソナリティとディレクターを務めているから職業技術を覚えられますし、番組を聞いて名古屋から公開イベントに足を運んだのを機に上京した元ひきこもりの男性も現れました。

 彼は言います。

「当事者が集まれる場所を作ってくれた。そういうチャンスがなかったから嬉しい」

 山本さんが解説します。

「番組はニートたちがボランティア・スタッフとして制作してますが、これは無料の専門学校。
 将来的に放送関係で食えるようになるといいな。
 親に金がないせいで高等教育が受けられないのは嫌だったんです。
 高等教育の無償化は世界的に進んでいますが、それを保留してるのは日本とルワンダとマダガスカルだけですから。
 機材の使い方を覚えていけば、ポッドキャスティング配信の仕事を受注でき、90万円の売り上げになります。
 実際に、『僕の団体を通じてスタッフに仕事が回ればニート支援になるので』という営業をしてるんです。
 自力で卒業していくのがベストですが、今後はオールニートニッポンをうちの団体から独立させ、スタッフが自分たちで回せるようにしたいです」

 興味があれば、やってみる。
 すると、その体験から開かれてくる道があり、次の夢が見えてきます。
 山本さん自身も、そんな具合に試行錯誤を重ねながら活動を続けてきました。

 山本さんは、なぜそこまで頑張れるのでしょうか?

「わかんない(笑)。
 僕だってお金も欲しいし、地位も名誉も欲しいし、自分自身を成長させたいし、社会の役に立ちたいし、女の子にもモテたいし。
 そういう小さいモチベーションが束になって一本の綱になってる気がします。
 『私はこういう問題を解決します』っていう強烈なミッションを持ってる人もいますが、僕にそうしたものがあるとしたら作品を作ること。
 両親もクリエイターですから。
 でも、僕は自分を突き詰めた結果、からっぽなんですよ。
 だから支援する側に回ろうとしてるのかな」
(以上、『プライドワーク』から一部抜粋)

 このように、自分らしい仕事を自分で作り、人の役に立とうとする若者たちは増えています。

 会社に雇われなくても収入を得られるビジネスモデルを自分で作った方が、自分自身を誇れる働き方ができるからです。

 そのような「ソーシャル・ベンチャー」については、拙著『プライドワーク/自分をつくる働き方』(春秋社)にくわしく書いてあります。

 また、東大での自主ゼミでも毎回ソーシャル・ベンチャーの担い手をゲスト講師に招いて、さまざまなビジネスモデルがあることを、東大生はもちろん、女子高生からおじさんたちまでが学んでいます。

 来期(2008年春以後)もソーシャルベンチャーの担い手をゲスト講師に招いた自主ゼミを続ける予定でいますから、ぜひ下記リンクを参考に今期から一度でも参加してみてください。

 今期は2008年1月末まで開講しています。



●東大自主ゼミ(※東大生以外でも参加できます)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2040296
※18歳以上の方のみ、興味があればお誘いしますので、今一生の公式サイトからメールを送ってください。

●Create Media Online(今一生の公式サイト)
http://www.createmedia.co.jp

●東大自主ゼミについて読売新聞が取材した記事
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070626ur01.htm

●ソーシャル・ベンチャー ~もっといい世の中を作ろう!(リンク集)
http://gogo-socialventure.blogspot.com/

●『プライドワーク』をamazonで買う
http://astore.amazon.co.jp/con-isshow-book-22

●『プライドワーク』書評
http://dricomeye.net/07_book/book.html

●今の働き方で満足ですか?『プライドワーク』出版記念イベント
http://www.delta-g.org/news/2007/11/post-31.html

●『プライドワーク』インタビュー
http://www.freestyle-life.net/free-100-page-29.htm

●『プライドワーク』についてのZ会ブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/archive/245

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2007.12.21 02:47

 山本さんは、翌2006年3月に東京・神田に事務所を移転。
 6月にはさっそく「ニート・不登校・ひきこもりNEXT VISION FORUM」を開催しました。

 若手の研究者や作家などの支援者8人に集まってもらい、ネットワークを作ろうと試みたのです。

 そして、作家志願のニート・ひきこもりにプロの講師が文章技術の向上や就労などを支援する「神保町小説アカデミー」を開校。

 19歳以上の大人も受け入れることにしました。

 支援対象の年齢を上げたのは、「ビジネスにするにはそうするしかなかったから」です。

「仕事を得るための投資ならお金を払ってくれると思ったんです。
 プロ志向の人は専門学校やライター教室に行くわけですから」

 ネット上に彼が書いたテキストには、こうあります。

「これまでの若者支援は、『あそこの業界は若者不足だからそこらの余っている若者を連れてこよう』といった労働市場のニーズに合わせたもの。
 私たちが生み出したいのは、若者それぞれが自分の就きたい仕事に就けるよう支援する仕組み」

 それは、厚生労働省がニート対策として行った政策とは、まるで違う視点のものでした。

「ジョブカフェとかサポートセンターに行くと、挨拶の仕方とか名刺の渡し方、履歴書の書き方など最大公約数的な支援をしてくれます。
 でも、それでは支援される側の個別のニーズを満たせないし、当事者のやりたいことをコントロールできるものでもない。
 だから自分の気持ちを表現したい人たちの支援から始めたんです」

 新聞・テレビなどにリリースを流すと、取材が一斉に集まりました。

 編集家の竹熊健太郎さんや作家の雨宮処凛(かりん)さんなど現役の業界人を講師に招くと、2万8千円の月謝で15人の生徒が集まり、月謝の合計は42万円。

 また、ジョンソン・エンド・ジョソンからは20万円、NECからは社会起業塾生としての支度金として35万円+ノートPC1台が助成されたほか、講師の方が謝金の一部を寄付してくれました。

 それでも不足する部分は、山本さん自身が個人的な持ち出しをしながら事業を軌道に乗せようと奮闘したのだそうです。

「作りたいのは、目標を持ったらまわりが応援してくれるチャンスのある社会。
 それは視覚化しなくちゃ。
 僕がNECからお金をもらった時も、世の中にはチャンスに金を出してくれるところがあるなんて思いもしなかったですから」

 8月には、漫画家志望のフリーターに住居支援する「トキワ荘プロジェクト」を開始しました。

 トキワ荘といえば、手塚治虫や藤子不二雄などの有名漫画家たちが若い頃にみんなで住みながら漫画家修行をしていたところとして伝説化しているアパート。

 山本さんには、自宅の空き部屋だった6畳一間を女優志望者に3万円の格安家賃で貸した経験がありました。

 すると、鳴かず飛ばずだった彼女は、週3回のアルバイトで済むようになって演技訓練に時間を割くことができ、芝居に出演したり、テレビドラマの仕事をもらえるようになったのです。

 生活コストを下げられれば、その分だけやりたいことに情熱を傾けられる時間を作れます。

 家賃を安くするだけでも、それを支払うお金を作るアルバイトの時間を減らし、マンガ制作に専念できるというわけです。

 そこで、都内に祖母が持っていた2階建ての一戸建てを山本さんが丸ごと借り上げて部屋別に貸す形で「第一トキワ荘」を作ったんですね。

 公共料金とインターネット利用料込みで家賃は1室4万5千円。
 これは、東京都内で一人暮らしをするための家賃としては格安といえます。

 そこで、「本気で漫画家を目指している」高卒から26歳くらいまでの男女が原則として1年間だけ入居できるようにしました。

「1日8時間、月に20日間バイトしても手取り12万程度。
 家賃を払えば生活するのがやっと。画材や漫画も満足に買えない。
 漫画なんか描けないですよ。
 そこでゲストハウス(※月単位で借りられる格安賃貸物件。6畳個室で家賃は6~8万円程度)より2~3万安い家賃にしました。
 入りやすくして、救われる人を増やしたいから。
 全国に夢を持った若者はいますが、才能と技術があるのに、東京生まれなら夢を叶えるチャンスがいっぱいあって、地方出身なら少ないのはおかしいですから」

 つまり、ゲストハウスのように、今は使われなくなっている住居を丸ごと安く借り受けて、部屋別に安い家賃で入居してもらえるように大家さんと交渉し、そうした物件数を増やしていけば、入居者の家賃収入が「コトバノアトリエ」に事業収入として入金されるため、その収益からニート&フリーターへの支援活動にかかる経費を捻出できるというわけなのです。

 2007年12月現在、「トキワ荘」は6軒にも増え、既に31人の漫画家志願の若者が住んでおり、住人のみを対象に『新耳袋』などの怪異蒐集家で有名な編集者・木原浩勝さんを招いての講義を実施したり、1年以内にデビューした入居者にはその時点から月に5千円の家賃から減額される仕組みを作るなどして、プロとしての独立を応援しています。

「3年後には200人くらい支援したい。
 目標をもってフリーターを選んでいる人を支援できる環境を作れば、ニートからフリーターになる足掛かりになるから。
 他の人たちがノウハウを継承していけば、『ミュージシャン版トキワ荘』とか、演劇や音楽などいろんなアーチスト支援の形ができる。
 10年後には数万人くらい支援されるといい」

 最初は少ない人数を支援するあり方でも、そこからちゃんとデビューする人が増えていけば、その成功モデルをほかの分野にも応用できます。

 そこで、山本さんは、自分の出来るところからコツコツと持続可能なビジネスモデルを生み出そうとしているわけですね。

 物件が増え、家賃収入が増えた今日では、「トキワ荘プロジェクト」に専従するスタッフを雇うことができるようになり、スタッフの生活を保障しながら、活動を続けていけるようになったのです。

(つづく)

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2007.12.14 02:40

 「ニート・ひきこもりの就業問題の解決に挑む」をミッション(公益的使命感)に「コトバノアトリエ」というNPOを運営している山本繁さんは、1978年生まれ。
www.kotolier.org/

 ソーシャル・ベンチャーの育成などの事業を手掛けるNPO法人「ETIC.」の発行するメールマガジン「プロを目指す学生達」のインタビュアに山本さんが答えたプロフィールから引用すると、こんな高校生活だったようです。
www.etic.or.jp

「部活にも入ってないし、好きな女の子もいない。やりたいことがわからなかった。
 じゃあ勉強でもするか。
 やりたいことがないなら、やれることをやるしかない。
 二年生の秋、大学受験をすることに決めた。
 偏差値30。受かりっこない。
 それなら受験科目が少ないところを受けよう。
 その条件の中で志望校を慶應義塾大学環境情報学部(SFC)一本に絞った。
 現状を変えようと一日12時間以上、必死に勉強」

 そして1997年4月、希望通りに入学できた彼は、やがて一人暮らしを思い立ち、物件を探していく中で不動産投資信託に興味を持ちました。

「母が借金の抵当になっている物件を安く買った。
 銀行に預けるよりも個人投資した方が儲かる。
 なぜ誰もこの仕組みに手を付けないんだ。
 2、3年先にはこの仕組みはもっと広まるだろう。
 どうにかこの仕組みを応用出来ないか。
 ネット上で不動産投資商品の情報提供を始めた。
 興味を持ったことだし、とりあえずやってみよう」

 すると、不動産会社の社長が「面白いことしているねえ、会社を作ってあげるよ」と声をかけてきたんだそうです。

「俺なんかに会社なんて出来るのか。考えていても始まらない。
 株式会社を設立し、代表取締役になった。
 しかし、思うようにうまくいかない。
 約一年が経った。
 会社を運営するため、月500時間以上も働き、金のことばかり考えるようになってた。
 俺はHP作りがしたくて会社を起てたんじゃない。金儲けがしたいわけでもない」

 結果、会社はたたむことに…。

 心の洗濯に、山本さんは好きだった寺山修司の記念館のある青森まで自転車で旅をしました。

 寺山といえば、『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』などの舞台作品で知られる前衛演劇の旗手であり、『書を捨てよ、街へ出よう』や『田園に死す』などを撮った天才的な映画監督です。

 そこで、山本さんは役者になることにしました。

「演劇を始めることにした。
 演劇を通して、あの人みたいになりたいと思える大師匠に出会った。
 あるとき師匠に呼ばれた。
 『中高生の演技指導をしてみないか』。
 師匠の誘いは断れない。
 コーチを始めてすぐに衝撃を受けた。
 演技に対して真剣に取り組み、他人と向き合っていこうという姿勢を見た。
 大人だったらプロとか有名になることをどこかで考えながら取り組むが、中高生は純粋に表現することに向き合っていた。
 心の内で感じていることを上手に表現出来ていない、収拾のつかない悲鳴。
 コーチはこの悲鳴をまわりの人が聴きやすい歌に変える。
 これを仕事にできたらいい」

 ところが、彼は突然、役を降ろされてしまったのです。

「毎日朝10時から夜10時まで稽古。
 3時間程度の睡眠時間で演劇中心の生活を送っていた。
 だから、『おまえは必要ない』と言われたのも同然。
 どこかへ消えてしまいたい」

 山本さんは、父島へ向かいました。

「俺は将来、何がしたいんだろう。
 今までで一番楽しかったこと、やりがいを感じたことを仕事にしたい。
 真っ先に思い出したのは演技コーチ。
 『好きなことがあるなら10年かけてでも仕事にしろ。そのほうが幸せだぞ』という父の言葉を思い出した。
 この言葉通り、夢を追って9年間カメラマン助手を務めた父の言葉だ。
 食べていけるかどうかわからない。
 でも、やろう!」

 2002年3月。
 大学を卒業した翌日、彼はNPO「コトバノアトリエ」を設立したんですね。

「演劇では人に提供出来るレベルで仕事をするには時間がかかる。
 コーチを捜すのもなかなか難しい。
 けど、物書きのそれを探すとなると案外難しいことでもなかった。
 大学時代に所属していた物書き創作ゼミには、文章を書くことに長けている友人たちがいた」

 そこで在校生スタッフやOBから仲間4人を募り、8月から湘南地区の中高生を対象にした小説教室を市民会館で開講したわけです。

 山本さん自身は既に就職しており、週末だけのボランティアでした。
 でも、世代を超えた交流と青少年育成の実績が認められ、2004年には「かながわボランタリー活動」の奨励賞対象団体に選ばれて80万円が支援されたほか、SFC独自の奨学金の一つ「小林正忠教育奨励奨学金」の受給対象に選ばれて100万円が支援されました。

 やがてエッセイ、雑誌制作、漫画ノべライズも指導し始め、2005年6月からは中学校に赴いて1年半ほど講師として出向したそうです。

 市民会館の小説教室に通う生徒には、何本もリストカット(手首切り)の傷痕がある子や、いじめや不登校に悩む子、対人恐怖症の子が多かったといいます。

「心に傷を抱えた子たちは、学校に行けずに引きこもってしまう。
 復帰出来なければ、この超学歴社会では当然ニート。
 徐々にニート・ひきこもりという社会問題に対してどう取り組んでいこうかと考えるようになっていった。
 辛いけれど頑張っている人たちへの支援は誰からも手を付けられていない。
 じゃあ、俺がやらなければ。
 当事者は社会への不信感が強く、なかなか社会に出て行けない。
 危機感を感じた。
 彼らが希望を持てる社会に変えたかった。
 やりたいことを仕事に出来るような社会を作ろう」

 その年の9月、山本さんは会社を辞め、その後も同じ会社で月に10日間働かせてもらいながら事業を始める準備を始めました。

 4年間のボランティアの経験から、援助金による運営ではなく、自ら事業を興して活動資金を調達する「ソーシャル・ベンチャー」へ活動のあり方を変えたのです。

 同じ頃、「コトバノアトリエ」はNEC社会起業塾(※ETIC.とNECが共同で企画・運営するソーシャル・ベンチャー支援事業体)の特別メンバーに選ばれ、1年後には正式メンバーに昇格しました。

(つづく)

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2007.12.07 10:20

 ここ数年で、「ソーシャルベンチャー」(社会起業家)という言葉がマスメディアに少しずつ現れるようになりました。

 つい最近(2007年12月現在)では、『クーリエ・ジャポン』という世界中のニュースを日本語で読める月刊誌で元サッカー選手の中田英寿さんが、「持続可能なソーシャルビジネスが、これからの世界のスタンダードになると思う」「思っているだけじゃ意味がない。まずやってみることが大切だよ」と、旅の後からソーシャルベンチャーを始めることを示唆しました。

 では、「ソーシャルベンチャー」「ソーシャルビジネス」とは、どういうものなんでしょうか?

 これは、社会的に良いことをしながら行政や自治体、国家だけでは解決できない問題を市民の力で解決するためにビジネスの手法を使おうっていう活動のこと。

「ふつうの企業だって、『メセナ』をやってるじゃないか。どこが違うの?」

 そう思う人もいるかもしれません。

 「メセナ」っていうのは、社会貢献の一環として文化や芸術に企業が経済的に支援することだけど、これは事実上、企業にとってより大きな利益につながる投資。

 つまり、企業(会社)が儲かっていて、浮いた金が無ければ、そんな投資はしないし、経済状況が煮詰まってくれば、当然のようにメセナ活動から企業は撤退せざるを得ないし、そこで社会問題を解決するための資金援は止まってしまうわけです。

 そこで、ソーシャルベンチャーは、毎日の労働そのものから社会問題の解決を行う活動を続けられる資金を得られる収益構造を作り、問題解決の活動を持続可能なものに変えていこうというわけなのです。

 メセナを行う企業が「利益優先型」であるのに対して、ソーシャルベンチャーは「問題解決優先型」であり、前者が余った金しか支援に回さない一方で、後者は常に解決のためのコスト(出費)を稼ぎ出すために働けるような仕組みを作ろうとするんですね。

 そもそもソーシャルベンチャーの担い手は、以前なら市民活動団体やNPO法人のように完全な非営利活動としてやっていたんです。

 しかし、それらの活動は財団法人や企業などからのスポンサード(資金援助)を受けないと続けられず、かといって営利活動を始めると「金儲けのために良いことしてんのか?」と世間から不審がられてしまうので、なんとも困っていたんですね。

 ところが、20年前くらいからイギリスを起点に世界中で「ビジネスの手法で社会的問題を解決しよう」という動きが出てきて、日本でもここ10年ほどでソーシャルベンチャーの担い手が続出しているというわけなんです。

 というのも、21世紀の現在では、国家や自治体などの税金や企業からのスポンサードを当てにしているだけでは、「今ここにある問題」はあまりにも増えてしまい、それらの多くはマイノリティ(少数派)の問題として行政にとっては解決予算の対象になりにくいのです。

 だからこそ、ソーシャルベンチャーの役割は日に日に増大していると言えるのです。

 貧困、病気、農地の人手不足、環境問題など、社会問題が続々と生まれているのに対して、それらの問題を解決するだけのお金が既に国家や自治体の単位では賄えず、そのために貧困のままの暮らしに耐え続けなければならなかったり、農地を手放して農業を続けられなくなる人が増え続けてしまうような悲劇がいろんな場所で起こっています。

 そこで、行政の力よりも自助努力でそれらの問題に取り組もうとしているのが、ソーシャルベンチャーなんですね。

 国家には「最大公約数の最大幸福」というテーゼ(命題)があって、一番困っている人数の多い課題から優先的に取り組まざるを得ないし、大企業も毎年正社員にベースアップ(基本給の増大)を約束しているから、それを支払うためにも拡大再生産を余儀なくされて利益優先型の経営から降りることが難しいのです。

 つまり、国家も大企業も、少数派の問題を解決する予算をひねり出すことが事実上できないから、本当に多くの問題が解決されないまま放置され、苦しみ続ける人たちがいつまでも取り残されるというわけ。

 そんな時代に登場してきたのが、ソーシャルベンチャーというヒーローなんです。

 発展途上国の児童買春を止めたい女性、地方の農家の人手不足に一役買っている女性、ふつうのネット売買でNGOに募金できる仕組みを作った男性など、ソーシャルベンチャーの担い手は20-30代の若者たちの間から続出しています。

 自分自身の働きが、見過ごせない社会問題を解決することに貢献できることは喜びであり、ふつうに会社に就職してもそうした喜びや働く意味が得られない若者にとっては、社会問題こそが働く意欲をそそるものであり、同時に社会問題は「未開拓のニーズ」として解決することで収益を上げられるビジネスのできる分野であることが発見されたともいえるのです。

 さて、ソーシャルベンチャーの法人格はNPOや会社などさまざまで、個人でもやっている人だっています(つまり、お店を持ったり、作家をやるのと同じ自営業)。

 法人格をNPOにすると、人件費はコストとしてみなされて、それ以上の収益は活動資金に回さなければならないけど、会社法人ならそういう縛りはないため、会社として登記して活動している団体もあるのです。

 しかし、いずれも、自分が見過ごせないと思った問題を、なんとかビジネスモデル(収益構造)を作って解決していける方法を模索している点では同じ。

 そうしたソーシャルベンチャーの活動の詳細は、拙著『プライドワーク/自分をつくる働き方』(春秋社)や、『チェンジメーカー/社会起業家が世の中を変える』(渡邉奈々・著/日経BP社)などの本が既にいっぱい出ているので、「社会起業」という単語でググッて探し、いろいろ読んでみてください。

 そうした本を読んで、一人でもソーシャルベンチャーをめざす若者が出てくると嬉しいですし、そうなれば世の中をもっと良くしていけると思うので、このゼミでもソーシャルベンチャーの担い手をゲスト講師として積極的に迎えることにしました。

 そして、最初にお招きしたのが、拙著でも活動の詳細を紹介したニート支援のソーシャルベンチャー「コトバノアトリエ」の代表理事・山本繁さんです。

(つづく)


※なお、実際のゼミでは「web2.0」についてもゲスト講師を招いて講義がありましたが、都合により割愛します。
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2007.11.30 10:25

 わたなべ氏の証言が続きます。

「あるとき編集部から、『夏だからお化けを撮ってきてよ』と言われました。
 撮りましたよ。
 仲の良い病院に電話して、そこは古いビルなので、三脚を止めて30秒シャッターを切りました。
 そして、レンズの前にライターの火を置くと、良いお化けが撮れるんです。
 そこで、一番よく撮れているものと、一番だめなのと、中間と3枚を編集部に渡すと、真ん中が使われます。
 もっとも、べつの記事で美輪明宏さんあたりが『お化けはいるんです』というコメントをしてくれて、それを記事中に使うのであれば、なるだけ上手く撮れているものを使います。
 編集者が誰かに責任をなすりつけたい時はそう。
 でも、編集部の責任が問われそうなものには、あいまいなものを使うんです。
 ある雑誌の写真整理棚には、有名人別のファイルがあります。
 たとえば、安達祐実の欄に笑顔・泣き顔・怒った顔などで仕分けされているボックスがあります。
 なにかその時の話題のネタがあった時に、それに見合った表情の写真がいつでも掲載できるようにしてあるんですね。
 だから、ふつうにインタビュー取材で撮影に行く時でも、『(笑顔だけでなく)他の絵も撮って来い』と言われます。
 そうやって、くしゃみしそうな顔が『不機嫌な顔』としてストックしてあるので、安達祐実を叩きたい時はそういう表情の写真を使うわけです」

 ここで、ゼミ生に質問を投げかけてみることにしました。

今「優秀な高学歴の大学出身者が集まる、日本で1位、2位を争う大きな出版社の編集部の仕事でも、今わたなべくんが証言してくれたようなことが平気でまかり通っているんだけど、なぜそうなると思いますか?」

学生「そうしないと、売れないから」

わたなべ「過去にはそうやって売れたというのは、確かにあるかもしれない」

学生「読者が期待しているから?」

わたなべ「じゃあ、本物を使えばいいじゃないの」

学生「コストを下げるため」

わたなべ「それはあるかもしれない」

学生「楽だから」

わたなべ「そこに来ている編集者は社内で稼ぎ頭のトップ社員ですよ。
 会社全体の売上を確実に支えている集団でもある。
 わざわざ楽しようというわけではないんだ」

学生「時間がないから」

わたなべ「そうです」

 わたなべ氏が解説します。

「雑誌の制作にはとかく時間がないんです。
 週刊誌の取材なら、1日あればいいほう。
 その中で〆切に間に合わせるには、最初に結論を決めてないと作れないんです」

 もちろん、その時間の無さゆえの仕事の安直さに居直ってしまえば、マスメディアには妄想ばかりがはびこり、編集者の知らない新しい現実や希望が世の中に生まれていることが伝わらないまま、社会に嫌な空気が蔓延することにもつながりません。

 そういうマクロ的な視点で社会的に意義のある仕事がしたいと考える(圧倒的に少数派の)ライターやフリーの映像ディレクターは、孤軍奮闘や貧乏を恐れずに自分の時間やお金を費やして取材したものを企画として編集者に提供し、「こういう記事をあなたの雑誌で書かせてくれませんか」と売り込むわけです。

 そして、なんとか良心的な記事や番組が少しでも広く社会に伝わるように日々頑張っているわけですが、そういう実態の詳細は大学のメディア・リテラシーの講義でも教わらないはずです。

 テレビ局や新聞社から定年退職して「天下り」のように大学の先生に収まったおじさんたちには、「問題」として見えてこない現実だからです。

 もっとも、わたなべ氏は、「そこには世代論がある」と指摘します。

「僕らより前の世代の人は、たとえば『そろそろ安達祐実を叩くか』と思って調べてみたら、リサーチに動いたライターたちから『あの人はけっこういい人ですよ』という声がいっぱい上がってきた場合には、『じゃあ、そういう路線で書くか。先週売れたから、今週はそんなに売れる必要はないし』と考えてくれる編集もいました。
 また、まったくの素人でも面白い逸材がいれば、『こいつ面白いから有名にしちゃおうぜ!』と意気込んで、新しいスターを生み出すことに面白がれた時代もあったようなんだ。
 けど、そうした仕事ぶりや予算の高さを見て『マスコミは美味しい仕事だ』と思う僕らの世代が仕事をする90年代の頃には、既に『昨年のデータはこうだった。だから、今回もこの記事はこうしよう』というルーティン仕事になっていたり、既にある写真データを使い回せばそれなりに記事が作れてしまうから、あとは都合のいいコメントをしてくれる人を探すのだけが仕事になったのかもしれないね。
 それが時間も金もかけずに仕事が成り立つことを踏襲できる世代になってしまったってことなんだろう」

 もちろん、そういうルーティン仕事をするマスコミの対応を観るにつけ、真意が伝わらないまま自分のコメントがいいように使われて名前だけが有名になっていくのを嫌う知識人も少しずつ現われてきていて、そういう人はパッとテレビや雑誌に出ていたと思ったら、とんとコメントしなくなるってことがあります。

 でも、大学の先生や精神科医のような人たちは世間知らずの代表のような商売ですから、たとえば、「酒鬼薔薇聖斗」事件(1997)から10年経っても変わらないコメントをしてくれるんですね。

 10年前とほとんど同じ内容がそのまま記事や番組になっていても、まったく恥ずかしさを感じてないのですから、これは「出たがりな人」としか言いようがありません。

 最後にわたなべ氏は、こんな宿題をこれから社会に出ていくゼミ生に与えました。

「99%違うけど、1%ある悪い部分も『真実」として記事にする雑誌でも、編集者の社員は入社すると、それを率先してやってしまうんです。
 たかだか1万5千程度のギャラのために、平気でそれをやってしまうフリーライターもいる。
 ネタを垂れこんだ友達に迷惑がかかっても、書いてしまう。
 優秀な大学を出て、なぜそうなってしまうんだろうね?」
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2007.11.23 11:00

 雑誌編集者が妄想的仮説で企画を考え、その編集方針に合致する現実のみを取材するライターがいるおかげで、世の中に妄想を重ね塗りするような記事ばかり流通してしまうという傾向は、新聞記事やテレビ・ラジオの番組を制作する場面でもたいして変わりません。

 それゆえに、編集者は自分の妄想を裏付けてくれるようなコメントをしてくれる「偉い人」をコメンテーターとして、記事や番組にインサート(挿入)します。

 たとえば、少年事件で猟奇的なものがおきれば、現役の精神科医や「犯罪心理にくわしい」大学教授などの学者にコメントを語らせれば、それを観る者に「偉い人が言っているんだから、なんとなくそういうもんかな」と思わせることができます。

 こういうコメントにほいほい出てくる学者や「識者」をマスコミ界隈では「御用学者」と呼んで重宝しますが、言わば、妄想でしかない発想に学者の権威で肉付けしてくれるわけですから、大変便利な存在として扱われているわけです。

 しかし、これは、妄想という根拠のないメッセージを公に報道してしまう編集者自身の不安を解消するための演出にすぎません。

 なので、自分が1時間も長々と丁寧に説明したコメントが、編集者にとって都合のいいところだけを切り取られて15秒の映像や3行の文章として視聴者や読者に届けられるという仕組みを理解した「識者」は、わざわざコメントを言う仕事に付き合うバカバカしさに呆れて新たなコメントを拒否することもあります。

 もっとも、大学教授には大学の外の世界を知らない世間知らずな人がいっぱいいますから、マスコミ側から見れば、コメントをしてくれる人材に事欠きませんし、世の中の多くの人が大学教授を「偉い人」と信じてくれている限りは、妄想を支える権威として「~にくわしい」という枕詞で何度もメディアに登場するわけです。

 ここには、事実の現場を取材するライターの取材に金や時間を投資するよりも、メディアの内容を左右する編集権を持つ編集者が恣意的に「売れる妄想」「売りやすいメッセージ」を優先的に考え、知っておくべき事実を延々と放置してしまうという問題が取り残される構図があります。

 こうした取材の現場について、もっと具体的な体験談を知ってもらうために、ゼミにはゲスト講師としてゴシップ雑誌での仕事経験のある友人のわたなべけんいち氏に登場してもらいました。

 彼の現在の肩書は、映像制作プロダクション「株式会社ナベックス」の社長であり、童話作家ですが、26歳から雑誌カメラマンや記者の仕事を始め、30歳(1995年)で地下鉄サリン事件の被害者宅へ撮影に行かされたのを機に、ゴシップ雑誌のカメラマン&ライターを廃業しました。

 その時に話題になっている事件や人物ならば読者の関心が高いので、どんな記事でもいいから、話題に便乗して記事を作ろうとする現場には、ついていけないものを感じることが僕にもあります。

 そんな現場について、彼はこう証言しました。

「僕が某ゴシップ雑誌で取材していたのは10年前ですが、たとえば突然、編集部から『安達祐実を叩こう』という話が振られます。
 160字が1320円でデータ原稿を書いていたので、10枚書いて1万円といったところですよ。
ボツになったらギャラが出るけど、ボツにならないように動くわけで、当然『作ってくる』しかありません。
 なので、気の利いた記者は原稿の中にうまくそれを示唆します。
 『~と関係者が言った』『~と消息筋は言った』という表現で語尾を曖昧にし、『これにはウソが混じっているよ』『無理やりこじつけたよ』とほのめかすわけです。
 もっとも、『~とマネジャーが言った』『~とテレビ関係者は語る』という語尾であれば、ちょっと信憑性が増します。
 それでも、コメントした人名が特定できるわけではありませんから、信憑性もその程度でしょう。
 しかし、これが記事を書いた人の名前が出ている署名記事だと、信憑性はぐっと上がります。
 取材・文●●と名前が大きく掲載されているのが、署名記事です。
 しかも、他に本を何冊も出しているなどその雑誌の仕事がなくても食っていける人、あるいはその仕事をなくして貧乏になっても困らないと感じている人だと、まず、ほとんどウソはないと思っていいです。
 ただ、独自理論に走る場合が多いです(笑)。
 もっとも、見方はそれぞれに正しいともいえるので、すぐさまコンセンサスがとれる見方とは限らない意見を書いているというのが正しい言い方でしょうか。
 人間は日々成長します。
 昨日の自分のまま明日の自分があるということではないので、見方も意見も日々変わって当たり前なので、それはよしとしましょう。
 むしろ、注目すべきは、一度編集部内で『安達祐実を叩こう』という編集方針が決まってしまえば、その論調に都合よくコメントしてくれる人に証言させて、論調に説得力を持たせるということがあるという点です。
 芸能ネタであれば、『芸能レポーターの●●さんはこう語る』みたいに、安達祐実が憎くなくても都合のいいコメントをいつも出してくれる人に声をかけて、コメントをいただくわけです。
芸能界では、同じ相手に対して悪口を言う人と良い評判を言う人が同じ場合がままあります。
 『なんでこんな絶好の場所で不倫の写真がばっちりピントが合って撮れるの?』と首をひねってしまうような写真が雑誌にはよくありますから、せめてそこにある語尾に注目してほしいです。
 うちの父親は学のない男でしたが、僕が『お父さん、テレビでこんなことを言ってたよ』と言うと、『おまえ、それを見たのか?』と答えるのが口癖でした。
 今なら、なるほどと思いますね。
 こんなやつ(今一生)や、こんなやつ(自分)が書いてるんですから(笑)」

(つづく)
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2007.11.16 19:34

 雑誌編集者がデスクワークの中で妄想した切り口に見合う取材対象者をライターに探させて記事を作っていくあり方には、そもそも問題がある、と前述しました。

 何が「問題」なのでしょうか?

 たとえば、「中高生の間でリストカットが流行っている」ということでライターに取材をさせるように指示する編集者は、実際にリストカッターを探させ、インタビューすることを急がせます。

 しかし、その時点では当事者であるリストカッターの声を十分に拾っているわけではなく、当事者と向き合う人にとってもどんな適切な付き合い方が望ましいのかについても、はっきり把握しているわけではありません。

 それでも、編集者側では「手首を切ることは『問題』だ。だから、辞めさせる方法を結論に持っていけるような取材をしてほしい」という取材方針を先に決めてしまい、この方針に見合う取材だけをすれば記事の執筆に十分だという判断をしがちなのです。

 ところが、現実は編集者の妄想どおりではありません。

 現実のリストカッターには、「手首を切らなかったら苦しすぎる。そこで我慢だけをしていると、衝動的に飛び降り自殺してしまうような不安がある」と言い出す人も珍しくないのです。

 そういう人にとっては、手首を切る行為は衝動的な自殺を回避する「生きていくための必要な行為」と認知されているわけです。

 こうなると、「いかに辞めさせるか」という結論を一目散に目指すことには無理が生じてきますし、どんどん現実から遠いことを記事にしてしまいかねません。

 自傷癖や家出などを繰り返す若者たちを10年以上取材してきましたが、あるとき大手新聞社の記者に「うちの紙面では『手首を切っていい』とか、『家出してもいい』とは書けませんよ」と言われたことがあります。

 つまり、自分を傷つけることや家出するという行為は「反社会的」なものだから、それを事実上容認するような記事は掲載できないという媒体(メディア)側の都合が何を「問題」としてとらえるのかについての基準を決めているわけです。

 これは、取材する前から「問題」があらかじめ決められているようなものです。

 このように、妄想でもいいから結論(=実際は仮説)を決めて取材するほうが、取材を担当する側の時間やコストを省くことができ、仕事が早く簡単に進むという現実がある以上、当事者の声よりも、取材する自分の都合を優先してもいいと思う人が少なくないのが、残念ながら新聞やテレビ、雑誌に今なお見られる傾向なのです。

 しかし、新聞社やテレビ局などに属さず、彼らの下請けとして記事や番組を制作しているフリーライターやフリーのディレクターの中には、「そういう取材の仕方こそ『問題』なのだ」と感じ、自分が貧乏になっても、時間やお金を十分にかけて真相を追おうとする人たちもわずかながらいます。

 もっとも、取材相手と実際に会い、当事者の切実な声を聞いている最前線のライターやディレクターと、編集部の机に座って妄想猛々しく次の企画をひねり出している編集者では、現実に対する認識の深さが違うのは当たり前です。

 なので、一部の良心的なフリーライターは、妄想から出発した安い記事が氾濫するのを防ぐためにも、現実を十分に知らない編集者に「こういう現実があるんですよ」と企画書を提出し、これまでに報道されていない現実の新局面を広く知らしめるチャンスを一緒に作ろうと呼びかけるわけです。

 たとえば、自殺予防策には、「早めに精神科にかかろう!」というメッセージが世の中に蔓延しています。

 しかし、こうしたメッセージも、抗うつ剤の新薬を売りたい薬剤メーカーがさんざん広告費を投入して作り上げた空気かもしれません。

 そこで、「そのメッセージに正当な根拠があるのか?」と問うのが、まさにメディア・リテラシーの基本です。

 だから、良心的なライターであれば、現実に精神科に通院している「自殺を考えてしまう人々」を取材し、精神科への通院前と通院後では明らかに自殺したい気持ちが減ったり、やわらいでいるのかを調べる必要性を痛感するはずです。

 さて、なるだけ多くの通院患者に会ってみようと取材を始めてみると、処方薬の副作用で体のだるさが取れなくなったり、クスリなしには生きられない依存症になってしまって無気力を持て余して仕事ができなくなった患者が少なくないなど、精神科に通院することの弊害も指摘せざるを得ないことがわかってきます。

 もっと取材を続ければ、30年前ではカウンセリングなどの精神療法がメインだったのに、今日ではすっかり薬物療法に偏重しており、オーバードーズ(=処方量以上の過剰摂取)で心臓や肺の機能が低下し、突然に死んでしまうケースが後を絶たないこともわかってきます。

 そこまでわかってくると、「とにかく早めに精神科へ行こう!」というメッセージは必ずしも良い結果を招くとは限らず、むしろ当事者の人生を混迷させる危険すらはらんでいることを伝えないわけにはいかなくなります。

 もっとも、ここまで時間をかけてより深い取材を目指す人は、限りなく少数派です。

 なので、新しい現実を知ってしまっても、それをテレビ局や新聞社などの編集者・プロデューサなどにはなかなか理解されないことも多々あります。

 そこで、僕自身は、マスメディアにすぐに取り上げてもらえないことは専用ブログで公表し、少なくとも取材対象になる当事者が損をしないような配慮をします。

 実際、精神科で薬物依存症になってしまう人向けには、次のようなブログを解説し、精神科に通わなくても心の安定を取り戻すチャンスが豊かにあることを伝えています。

●クスリをやめたいあなたのために
http://no-drug.seesaa.net/

(つづく)
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現在開講中の東大自主ゼミ「オルタナティヴ・スタディーズ ~『私』を知るための当事者学」をダイジェスト版でお送りします。 毎週金曜日更新!

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