![]()
![]() |
![]()
![]() |
![]()
![]() |
![]()
![]()
|
さて、旅館・吉田屋は、「東京からJRで一番遠い温泉街」と言われています。
Yahoo!路線情報で調べてみると、こんな感じです。
東京→浜松町→羽田空港第1ビル→東京国際空港(羽田空港)→出雲空港→JR出雲市駅前(バス乗り場)→出雲市→温泉津
往路だけで4時間14分、交通運賃は片道33,170円もかかります。
飛行機・高速バス・電車を乗り継いでやっとたどりつく「東京から一番遠い温泉街」にある旅館なのに、自腹で東京から学びに来る若手の中央官僚や外国人客も増え、2007年は前年度比2.4倍の売り上げになったそうです。
食糧自給率39%の日本で、吉田屋は65%。
前述した通り、生産農家と直接売買するなど吉田屋ならではの工夫と知恵によって、この数字が実現されており、その魅力に人が全国から集まってくるのでしょう。
田舎に若い力を注ぎ、経済的に自立する知恵をみんなで絞り出せば、世界は変わります。
そんな辺境の土地から山根さんは、この東大自主ゼミにお越しくださいました。
山根さんは疲れるどころか、呼ばれて振り向くといつも笑顔です。
ファミレスもコンビニも無いこの町にまだまだ大きな可能性を感じて、いつもワクワクしてるからでしょう。
一度、吉田屋を訪れてみてください。
●吉田屋
http://www.lets.gr.jp/yoshidaya/
●山根多恵さんのブログ
http://blog.goo.ne.jp/lets_yoshidaya/
●日経BPネット対談:人のために働く「社会起業」を考える1
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/socialentre/080109_1st/
●日経BPネット対談:人のために働く「社会起業」を考える2
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/socialentre/080111_2nd/
●ソーシャルベンチャー 〜もっといい世の中を作ろう!
http://gogo-socialventure.blogspot.com/
●講談社MOURA「社会問題を、ビジネスの手法を用いて解決!」
http://mopix.moura.jp/?p=328
●読売新聞 地域 島根「ここから羽ばたく島根のひよこたち」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shimane/kikaku/037/2.htm
●浜村建設PRESENTS だんだん倶楽部
http://www.dandanclub.jp/cgi-bin/shopping/tmcom3cart1-dandanclub.cgi?mode=disp&sydata1=2007090611480012480
「島根は、過疎や高齢化、伝統ある仕事の後継者不足など日本が抱えるあらゆる課題の先進地。ここで問題を解決した成功例は、全国そして世界のモデルになるはず」
山根さんは、コミュニティ・ビジネスを手掛ける醍醐味をそう説明しました。
どんな田舎でも、そこにある問題を一つ一つ解決していければ、その方法を共有できるほかの地方にも応用することができます。
そのためには問題解決に取り組む方法ばかりでなく、そこに携わり続ける人材の確保も必要であり、それはより若い世代に役目を引き継ぐことを意味します。
山根さんも、2007年秋の段階から若女将の座を後進の現役女子大生・三原綾子(22歳)に譲りました。
週刊誌『読売ウィークリー』で彼女を取材したフリーライターの遠藤一さんは、こう書いています。
「三原は若女将を引き継ぎ、スタッフ総出で遊休農地を利用して収穫の比較的簡単なブルーベリーを栽培し、高齢者や障害者が働ける環境を作ったり、世界遺産に登録された石見銀山近辺の竹の伐採を行うなど、若い力を地域再生に活かしている。
そんな三原も、島根県立大学に進学し、2007年夏には東京で就職活動をしていた。数社も内定したが、地元に残ることを決めた。
『東京で学ぶより、地元で挑戦したい。地域の人は私を支えてくれると思う』
吉田屋には、全国から多くのインターン希望者が続々と集まっている。彼らを「修行」させながら将来の地域のリーダーに育てるのも吉田屋の役割だ。
『みんな居場所を探しています。なら自分で作れといいたい。私も代わりなんていくらでもいると大組織の中で言われたくないから、ここで活動しているのかも』
三原は『農家での宿泊体験』という新しい観光旅行のプランも進めており、集荷のついでに生産農家に提案している。そんな彼女に生産者の顔も自然にほころぶ」
(『読売ウィークリー』2008.2.3号新就職先「ソーシャルベンチャー」って何?)
僕自身も2007年12月に吉田屋を若者雑誌の取材で訪れました。
和風の客室で夕食を待ってると、配膳と同時にお品書きが渡されました。
そこには「美千代さんのいんげん」といった具合に、食材提供者の農家の名前と似顔絵イラストがありました。
吉田屋の若いスタッフたちが地元の農家さんと一緒に地域活性をしていきたいという思いが伝わると同時に、顔の見える食材としての安全さも同時に伝える素敵な試みだと感じました。
朝食には発展途上国からフェアトレードで買い付けたコーヒーが出されました。
フェアトレードと呼ばれる貿易活動は、世界の南北間にある経済格差問題の解決を目指し、1960年代にヨーロッパで始まった世界的な活動です。
吉田屋の仲間である東京の株式会社プレス・オルターナティブの「第3世界ショップ」では1986年からこの活動を始め、現在はフェアトレードをベースに、コミュニティ・トレードを推進しています。
コミュニティ・トレードとは、地域の問題解決に役立つビジネスと、そこから生まれる商品やサービスの交流、流通のかたちを意味します。
たとえば、アジアや南米にはいくら農作物を生産しても安い賃金で貧困を余儀なくされている農民がいます。そこで、生産農家と直接契約して、国際市場価格よりも高い値段で農作物を買い取ることで現地の農民の暮らしを向上させると同時に、生産者の顔の見える安全な食材を確保するという試みを意味します。
お金のある国の民がこのようにトレード(商品の売買)をすれば、現地での雇用や経済的自立を促進し、貧困という問題を解決することに貢献できます。
ただエスニックな食材を得る楽しみだけではなく、いつも飲むコーヒー1杯をフェアトレード商品に変えるだけで世界の貧困の解決にお手伝いできるのですから、これは消費者による貧困救済運動ということができますし、そういう経済活動の仕組みを作ることが、コミュニティ・ビジネスがソーシャルベンチャー(社会的企業活動)であるゆえんなんですね。
「若女将塾」と称して「田舎の旅館を拠点に地域の問題を解決しよう」と呼びかけると、春には女将志望の女性が東京の仕事を辞め、修業のためにやってきました。
大学生や社会人も続々と訪れ、山根さんが女将に就任した後から1年間で全国から約100人のインターン(※就業体験のためにスタッフになる無給のお手伝い)が集まってきたのです。
こうして週休4日を始める頃には、「もったいない運送」の試みが始まりました。
きっかけは、隣県の知り合いから「夏ミカンの収穫をする人手が足りず、出荷できずに腐りそうだ」との連絡を受けたこと。
そこで山根さんは旅館スタッフと現地に出向いて収穫を手伝い、ミカンを旅館の風呂に浮かべてみたところ、旅客たちから大好評を得たんですね。
これを機に、形の悪さや大きさ、傷の多さで「規格外」と判断されて買い取られずに捨てられている農作物を生産農家から直接買って再利用することも始めたんです。
煮たり、揚げたり、出汁(だし)を取ったり、小さく切って使えば、規格外でも味は変わりません。
「規格外の野菜を売るのは恥だ」と渋る農家と1か月ほど粘り強く交渉し、「値段をつけてほしい」と頼んでみました。
しかし、そんな経験がなかった農家は、自分で額面をなかなか決められなかったのです。
山根さんは規格内の野菜の一割高で買い取るところから始め、旅館の食材として使ったり、社会教育施設の給食用に販売を始めました。
やがて買い取り額は月20〜30万円に上り、農家の新たな収入源に育て上げることに成功。
今後はそうした規格外の野菜を加工する工場も設ける予定だそうです。
この成功によって、「もったいない運送」は農作物以外にも波及しました。
「引っ越しの時には、家具や家電など不要品が出ることが多いでしょ。
その人にとっては不要なものでも、他の人には必要なものがもっとあるはず。
そこでブログで不用品の募集を始めたんです」
車の提供や運び手はボランティア、ガソリン代はもらい手に負担にしてもらう形で、今では県内だけでなく、山口、福岡など10箇所の拠点で再利用候補品の回収が行われ、毎週トラック1台分が県内外に運ばれているほか、「もったいない運送」は新語としてYahoo! Japan辞書に登録されました。
また、人手不足の農家の持つ休耕地に農作業に出向く援農隊「NOLO耕作隊」を結成・組織し、農業を営む農家25件を訪ね、農作業体験&農業事情を記事にする取材を行うと、農林水産省の「農村コミュニティ再生・活性化事業」に採択されました。
さらに、世界遺産に登録されて観光の目玉になっている地元の石見銀山遺跡の付近で生い茂る竹に困っている人のために、伐採から運搬、加工、流通までの過程の流れ作りを作ろうと、一口10万円の「竹やぶSOS基金」を設立。
こうした活動を地元の方に知ってもらおうと、廃材にされたレンガと伐採した竹の炭で火をおこし、規格外の野菜で作ったピザを実演販売するイベントも開きました。
普通の発想なら邪魔者扱いされるものばかり集めても、素敵な野外ピザ・パーティはできるわけです。
それは、山根さんがコミュニティ・ビジネスに賭ける思いをどこか象徴しているようですね。
島根県大田市に、1300年の歴史を誇る温泉街・温泉津(ゆのつ)があります。
2007年11月、その通りに面した明治創業の老舗旅館「吉田屋」を訪れると、20代の若者たちが笑顔で出迎えてくれました。
65歳以上のおじいちゃん、おばあちゃんが2人に1人もいる高齢化率42%のこの町では、一見とまどってしまうほどのパワーみなぎる面々です。
玄関に入るとすぐ目の前にある机には、にんじんや大根、株やきゅうりなど、収穫されたばかりの野菜が値札を貼られて並んでいました。
これも旅館には珍しい光景でしょう。
彼らを率いる山根多恵さん(26歳)は、2006年1月に24歳の若さでここの若女将(おかみ)に就任しました。
旅館経営などまったく未経験のド素人でした。
「どうせゼロからのスタート。失うモノは何もない。
常識にとらわれず、やりたい事ができる場所を作ろう。
『旅館の女将はもてなしの心こそ命』みたいな昔風の価値観に縛られたりするのは納得がいかない」
地元紙にそう書いた彼女は、館内に無線LANを引き、インターネット予約を受け付けるホームページを開設し、ブログやメールマガジン、ミニコミなどで毎日の仕事の面白さを伝えました。
朝6時に起き、朝食を作り、8時にはすべての客室に配膳し、10時にチェックアウトを見送ってからは客室の掃除。
午後3時には新たな客を迎え、品数の多い夕食を作り、片づけを済ませてお風呂に入り、さまざまな事務・連絡を済ませると、寝るのは夜12時過ぎ。
分刻みの慌ただしい生活です。
そんな慌ただしい中でまめに情報発信を続けると、ユニークな旅館再生のあり方に関心を持ったマスコミから取材が殺到。
こうして宣伝費0円で集客する一方、手数料が客単価に響く旅行代理店との契約を断り、温泉旅館なのに泉源の栓を閉め、自前のみかん風呂にして徹底的に温泉の維持費などのコストを下げたのです(その代り、近所の元湯の温泉に入れる無料券を客に配ることに)。
すると、就任から半年で1年分の売り上げ目標を達成してしまったのです。
そこで仲間から「売り上げ倍増より地域のために時間を使いたい」という声が出ました。
同年7月、吉田屋は金・土・日しか営業しない週休4日にふみきり、その4日間を地域の課題を見つけて解決の道筋を探る「地域貢献日」にすることを決めたのでした。
温泉津で女将を始める前から、山根さんには自分たちが豊かに生きていける可能性をハンデの多い辺境の町で模索し、実際にできることを世界に発信していきたいという思いがあったといいます。
山口県下松市のサラリーマン家庭で生まれ育った彼女は、地元の山口大在学中にカナダに留学。
しかし、1年後に帰国すると、同級生たちの様変わりにガク然としました。
「生き生きと将来の夢を語っていたのに『親の言う通りに地元に残る』なんて、淡々と話していた。自分もああなるのかなって……」と、読売新聞の取材に答えています。
その頃、市民バンク代表・片岡勝さんの授業をきっかけにベンチャービジネス論に興味を持った彼女は、山口や大阪で起業支援の活動に参加し、温泉津のある大田市で始まった厚生労働省の雇用促進事業に加わると、地元の商工会から老舗旅館が後継者不在の悩みを抱えていると伝え聞いたのです。
経済産業省でも、地域資源を活かしながら地域課題の解決をビジネスの手法で取り組み、地域の人材やノウハウ、施設、資金を活用することで、地域における新たな創業や雇用の創出、働きがい、生きがいを生み出し、地域コミュニティの活性化に寄与する「コミュニティ・ビジネス」の促進・普及が目指されていました。
そんなコミュニティ・ビジネスを教えてくれた恩師から、山根さんは誘われたのです。
「温泉津で旅館の女将をやらないか」
そして、後継者のなかった吉田屋を訪れ、先代の指導の下で約1か月修行し、世襲という慣例を塗り替えたのでした。
「このパパ検、今奥さんが妊娠中という『プレパパ』(※これからパパになる人)たちにものすごい食いつきがいいんですよ。
日本は毎年110万人の新生児が生まれてるんだよ。
第二子、第三子をのぞいても40万から50万が毎年生まれてるんだ。
すごい数だよね。
それが僕らのマーケット。
しかも、楽天ブックスで働いていた頃、いまちょうど子どもが生まれるナナロク世代(1976年に生まれたファミコンゲーム世代)の男性社員たちは、僕みたいなライフスタイルでいきたいってみんな言ってましたよ。
そんな時代にワークライフ・バランスに注目してない企業は力を失っていくわけで、これはパパを楽しむという啓蒙活動にとってはチャンス!」
私生活を大事にしたい人が増えていけば、自然と自分の趣味を大事にし、それを自分の子どもと分かち合えば、もっと楽しいと気づくパパたちも増えるでしょうからね。
「自分の趣味は子どもとのコミュニケーションツールになりうるから、父親業って案外シンプルなものなんです。
自分が楽しいと思っていたり、よく知っていることはコミュニケーションの武器になるんです。
車が好きだったら、子どもと一緒に車雑誌見て楽しめばいいわけなんだから。
昔、自分の父親にしてもらった楽しかったことを思い出せばわかると思いますが、肩車をして、話しかけてあげれば、子どもは喜ぶし、自分だって楽しくなる。
そこに気付いてもらいたいんです。
子どもと一緒に過ごす時間を増やして私生活を充実させると、忘れていた自分らしい人生に気がつくことが多いんですから」
現在、ファザーリング・ジャパンは、父親業を楽しむためのセミナーを開催したり、ワークライフ・バランスに関心の高い企業のコンサルティングなどを行っています。
「パパ力検定」のお申し込みは下記サイトまで。
http://www.kentei-uketsuke.com/papaken.html
なお、「ファザーリング・ジャパン」についての情報は、下記リンクにもあります。
●安藤さんのブログ
http://ando-papa.seesaa.net/
●講談社mouraでのインタビュー
http://mopix.moura.jp/?p=346
●父親の子育てを考える 〜第1回ファザーリング・ジャパンセミナーレポート
http://www.wmstyle.jp/archives/2007/05/25_114538.php
●父親の育児休業 〜第2回ファザーリング・ジャパンセミナーレポート
http://www.page1.ne.jp/ktblog/2007/06/post.html
●記者発表のようす
http://yuchanroom.blog68.fc2.com/blog-entry-139.html
●ファザーリング・フェスタのようす
http://xihuan.exblog.jp/6465856
●素敵なパパfile
http://mamas.stylful.jp/contents/face2/071113/index.html
●安藤哲也さんインタビュー
https://blog.benesse.ne.jp/bizmom/blog/interview/post.html
※この原稿を執筆中、安藤さん一家に3人目のお子さんが誕生しました。
おめでとうございます!
実際、どんなことをしたら、安藤さんは「父親業」が面白くなったんですか?
「3歳くらいまではなんといっても質より量でね、一緒にいる時間をできるかぎり長くして、スキンシップで 愛情をかけてあげる。
その時期は自分の人生を考えずに、“今はそういう時期なんだ”と思ってね。
娘のオムツは4400枚も換えました。その量は娘との絆の太さに比例してるって自信が持てる。
お互いのことを理解する時間をこれだけもったんだから、彼女は思春期に何が起きても、僕を悲しませることはしないだろうと思います。
娘はかわいいもんでね、僕がいないとき、僕のマクラを抱いて寝てるんだって。『パパの匂いがして、安心する』って。
そんな娘の靴を洗ってるとね、『出産時は3000グラムだったのが、もう足のサイズ21センチかよ。ヒー!』って一人バルコニーでむせび泣いたり……。
でも、そうやって育児に積極的に関わっていくと、子どもも奥さんも喜んでくれる。
楽しいし、気持ちがいいですよね。
そんな快感が3〜4回続くと価値観が変わってくるんです。
『父親業も面白いじゃないか』と。
育児は辛いこともあるし、子どもは悪魔になるときもあるし(笑)、それは大変なんですよ。
大変なんだけど、『それも含めて総合的に楽しいよ』って言っていかないと。
実際、楽しくてやりがいのある仕事なんです。
もっとも、NPOを立ち上げるときに最終的な引き金になったのは、奈良で起きた長男放火殺人事件でした。
仕事ばかりして子どもに関心を持たない父親の身には、わが子に殺されるような事件がいつ起きてもおかしくないんじゃないかって……」
「父親業」に関心を払わずに親子関係がまずくなっていけば、親が老いて弱くなり、子どもに介護される頃には大変なことが起きそうですね。
「団塊の世代の人たち(60歳前後)が、あと15年くらいで要介護の人たちになる。
今30歳の自分が介護保険を払いながら面倒見るって形になるよね。
その時に45歳の時って中間管理職とかだから、なかなか介護休暇もとれないってことになると困る。
誰も先達たちの面倒を見れなくなる。
本当は家族が見ればいいんだけれども、そうもいかないって中で、ワークライフバランス、子育てだけじゃなくて、実は介護の問題も含んでるっていう部分が大きい。
だからその時に子育てをしてた人のほうが介護もしやすいじゃないか。
子どものオムツも代えられない人が、自分の親だからってオムツも代えられない。
先日朝日新聞でも発表されてたけれども、介護中にストレスがたまって虐待しちゃう人の70%は息子、および旦那さんなんです」
「ファザーリング・ジャパン」は、具体的にどのような活動をしているのですか?
「全国で、ファザーリングやワーク・ライフ・バランスについてのセミナーを開催したり、そういったことに関心を持った企業のコンサルティングなどを行っています。
啓蒙活動ですね。
ほかにも、水面下で、いろいろなプロジェクトを推進中です。
社会に意識改革を起こしたいと思っていますから、10年、20年の長い活動が必要になるでしょうね」
3月16日には、『パパ力検定』(略して「パパ検」)という全国一斉試験が開催されるみたいですね。
「ええ。これは育児に関する知識を試す検定試験ですね。
ファザーリング・ジャパンのホームページ(http://www.fathering.jp/index.html) で、練習問題にトライできるので、やってみてください。
この検定はNPOの事業としてやっていて、インフラのコストがかかるために銀行からお金を借り入れてるんです。
会場は東京は法政大学、大阪は大阪商業大学など。
5000人を集めようとしてます。
問題は、結構難しいですよ。
3分の1正解すれば、優秀だと思います。
でも、高い点なんて取れなくたっていいんです。
本質的に父親業をやるために知識が必要なんじゃない。
『この知識があったほうが子育てが楽しめますよ!』っていうものなの。
『子育てのこと、あまり知らなかったな』ということに気づいてほしいんですよ。
子育てにコミットしていくきっかけになってほしいんですよね。
『子育てパパ力検定 公式テキスト&問題集』(共著。小学館)という本を出しているので、参考にしてほしいのですが、『ウルトラの父は何歳?』なんて問題もあるんですよ。
ちなみに正解は16万歳。
これって大人が社会で生きていく上では不必要な知識かもしれないけど、息子に『知ってるか?』って聞くと、『知らない。パパ、知ってるの?』『あったりまえだろ』『すげー、パパ!』ってなるでしょ?
それだけでもビールが旨いわけ」
(つづく)
それでも、父親であることを楽しむ方法がわからないパパも少なくないということ?
「子どもとファッションで楽しみたいとか、遊び趣味で楽しみたい、一緒にキャンプ行って楽しみたいとか、みんな普通に思いだしたんです。
そうしてやりたい。
でも、一方で、企業社会の中での評価主義の中で非常に熾烈な競争をしていかければいけない。
ちょうどその責任が重くなってくる、30歳前後ってそういう時期なんですね。
そのはざまですごく苦しんでるお父さんたちがたくさんいるんです。
子どもが生まれて早くうちに帰りたいんだけど、長時間労働が当たり前。
やりたいと思ってるお父さんの背中を押してあげる場を作ってあげたい、そういう情報を提供していきたい。
それが、ファザーリング・ジャパンなんです」
つまり、お父さんたちが自分自身や子どもと向かい合うことを楽しめるための啓蒙活動が、「ファザーリング・ジャパン」の活動なんですね。
「『お父さんの家族サービス』っていう言葉があるじゃないですか。
この言葉がすごく嫌で、この言葉を撲滅して、はじめて日本の父親は主体的に子育てを楽しめるんだろうなって思ったんですね。
じゃあこの言葉のアンチテーゼとして『父親を楽しむ』っていう言葉があると。
主体的にパパになること=笑えるってことだし。
確かに子育ては義務って部分もあるんだけど、義務である前に楽しい権利であり、自分が子どもと一緒に育つチャンスであると気づいてほしいんです。
子どもは色んなことを教えてくれますよ。
みなさんもたぶん自分の親御さんたちにいろんなこと教えてきたと思うんだけど、子どもを育ててるといろんなことに気づきます。
子どもの体とか心の健康のこともあるし、子どもを取り巻く社会のことについてもすごく敏感になってゆく。
それがある種のシチズンシップ(市民性)に繋がっていく。
でも仕事ばかりして子育てにコミットしないお父さんがここに気づいてない」
安藤さんは、いつ頃から自分が「子どもと一緒に笑ってるパパ」になりたいって思ったんですか?
「僕も20代の頃は、子どもはまだ全然好きじゃなかったんですよ。
仕事がやっぱりおもしろくって、全然そういうのは眼中になかった。
でも30歳で本屋さんになった時、平日ベビーカーを押したお母さんとか来るじゃないですか。
で、子どもとかあやしてるうちに、『なんか子どもっていいなー』とか思い出して、ちょうど35歳の時に往来堂っていう自分の店を持てるようになったのね。
『よし、じゃあここで子どもでも』と思って、当時同棲してたパ−トナーも、ちょうど仕事が一段落した時だったので、『まあ、じゃあ、そろそろかな』ということで。種族保存の本能も男は33、4くらいで来ますから、1回目の種族保存の本能。まあ自然な流れで、できましたと。
35歳の時に、パパになったんだけれども、その時にね、『父親ってなんだ、何をしたらいいのかな?』って考えたんですね。子どもが生まれる前、妻が妊娠してから一週間くらいずっと。
僕の場合はそこで、『自分のOSを入れ替えなきゃダメだな』って思ったんですね。
つまり今までの価値観や考え方では無理」
安藤さんのお父さんは、どんなパパだったんですか?
「僕の父親は昭和3年生まれで、高度成長期でバリバリの父親。
まったく家にいないし、いても全く関与しない父親だった。
そこで僕は僕なりに、自分らしく父親であればいいんだなーって。
『じゃあ自分らしくあるためにはどうすればいいか?』って考えた時に、僕はやっぱり主体的にコミットとしていけば、必ず自分の世界が広がって、必ず自分これからの父親として一人の男として市民として一人の人間として、もっと面白いことが待ってるに違いないと思ったんですね。
そのためには自分が主体的にパパとしてコミットできる環境をまず作んなきゃなと思った。
でも、通勤時間が1時間半だったら、保育園に子どもを迎えには行けないじゃないですか。
僕、保育園にすごくいきたかったんですよ。
キンダーガーデンにはなんかあるに違いない、何かトレジャーランドなんじゃないかなーって予感があったんですよ。
その時、僕がやったOS入れ替えは、自宅と保育園と職場を自転車15分圏内って決めちゃったこと。
3点を自転車で15分で回れる距離にと思った。
家は引っ越せるんだけど、気に入ってるエリアだったんで引っ越したくない。
保育園も決まるじゃないですか。
じゃあ職場作っちゃえばいいんだと思って。
当時ちょうど書店を出すっていうタイミングだったんで、オーナーを騙して『ここがいいですよ!』と(笑)」
(つづく)
安藤哲也さんは、10歳の娘と7歳の息子のパパです(2008年1月末現在)。
安藤さんは、1962年に東京・池袋で生まれ、大学を卒業した後は出版社を渡り歩き、書店営業・音楽雑 誌・楽譜等の販売・宣伝などの仕事に従事していました。
1994年には大塚・田村書店の3代目店長になり、1996年には千駄木の往来堂書店をプロデュースし、初代店長になりました。
2000年にはオンライン書店bk1へ移籍し、その後、糸井重里事務所を経て、2003年にはNTTドコモの電子書籍事業へ参画。
2004年には楽天ブックスの店長に就任しましたが、2007年10月に退社しました。
こうして書くと、あたかも仕事ばかりが安藤さんの人生のように見えてきますね。
しかし、他の多くのパパと同様に、実際には「哲也」さんという名前を持った個人の趣味に生きる時間があったり、「2人の子の父親」という時間があったり、愛するパートナーと一緒に過ごす「夫の時間」があるわけです。
他にも、安藤さんのご両親の前では「子ども」「息子」になる時間があるでしょうし、わが子の先生の前では「PTA」になったり、趣味の仲間からは「○○友達」として生きる時間があったりするわけです。
このように、会社の履歴では語り尽くせない私生活の時間をもっと大事にし、仕事時間とのバランスを考えることで、もっと豊かな暮らしがあることに気づこうという動きが最近、大人の世界では叫ばれ始めています。
「ワークライフ・バランス」と呼ばれる仕事と私生活の両立を大事にする生き方を採用すると、個人として仕事の能率も良くなるだけでなく、そのように私生活を大事にすることで仕事の能率を上げられる有能な人材を確保することは企業にとってもメリットがあります。
日本のサービス残業時間は先進国19ヵ国の中で一番長く、生産性(作業効率)が一番低く、仕事にばかり時間を取られている人の生産性は決してよくないというデータもあり、「ワークライフ・バランス」に配慮しない会社は優秀な人材を確保できなくなるかもしれない時代に突入しているんです。
しかし、日本ではまだまだこの言葉も一部にしか流通しておらず、世の中の多くのパパも、仕事以外の時間を楽しむことの豊かさや、「父親業」の面白さや奥深さについて気付いているとは言えず、会社に命じられる仕事を中心に生きるというモデル以外の人生の豊かさになかなか踏み出せずにいます。
そこで安藤さんは、娘と息子の通う小学校のPTA会長を務めるほか、2003年からはパパ’s絵本プロジェクトのメンバーとして、全国の書店・図書館・保育園・自治体等でパパの出張絵本おはなし会を始めました。
「パパ」を楽しむ試みの始まりです。
しかし、安藤さんによると、当初は反応が薄かったようです。
「全国の図書館とか自治体に呼ばれて、毎週週末にボランティアで絵本を読んでるんだけど、最初の頃は山梨県の市立図書館とかに行っても、子どもたちとママしかいなかったんです。
ところが、3年くらい前からお父さんがポツポツと入り始めたんです。
急にお父さんが増え始めたの。
その頃、『日経キッズプラス』とか、『プレジデントファミリー』とか、お父さん向けの子育てメディアがすごく創刊されていったと。
海外ではたとえば、デビット・ベッカムとかブラッドピッドとかジョニー・デップとかが子どもとの2ショット写真を公開し始めた頃だったの。それにともなって、『なんか、パパっていうのもいいな』みたいなふうに…」
時代の風が吹いてきたようです。
そこで安藤さんは、2006年11月には父親の子育て支援・自立支援事業を展開するNPO法人「ファザーリング・ジャパン」を立ち上げ、その後、代表になり、2007年10月からは子育て応援とうきょう会議(東京都)の実行委員にもなったんですね。
「ファザーリング」(fathering)という耳慣れない言葉が出てきました。
安藤さんに聞いてみましょう。
「『ファザーリング』とは、お父さんであることを楽しもうよ、という意味です。
理想的なパパ像としては、“子どもの手本となるような良き父親”ではなく、“子どもと一緒になって笑ってるパパ”ってところですね。
毎日、通勤電車にボーッとしながら揺られて、住宅ローンを返すためだけに働いて いるようなパパたちに、熱い心や人間らしい生き方、少しでも楽しいと思えるような毎日を思い出してほしい。
パパたちに、『この24時間で、一番楽しかったことは?』って尋ねると、『朝、子どもに“パパ”って起こされたとき』、と答える人が結構いるんですよ。
なんだ、答えあるじゃないか、と」
(つづく)
2006年の頃から百貨店でも授乳服の取扱いが少しずつ始まり、翌2007年に地元・つくばの西武でも始まると、モーハウスでは当然のように子連れ出勤を始めました。
「モーハウスには社員、子連れスタッフ、ボランティアスタッフ、そしてパートスタッフがいます。
ふだんはそんな区別をせず、45人全員を『スタッフ』と呼んでます。
ほとんどが0歳〜5歳の子の母親で、半数近くは職場で子どもと一緒に仕事をしてます。
朝出社してきて夕方まで働き、場合によっては残業する社員たちは今のところみんな独身。
それからママスタッフとして子連れで短時間働く人。
それから『モーハウスに興味はあるけど、仕事ではなく趣味で関わりたい』というボランティアスタッフ。
そして、最もたくさんいるのがパートスタッフです。
彼女たちなくしてモーハウスの仕事は成り立ちません。
ほとんどは幼稚園、小学校や学童保育、保育所などに子どもを預けて朝10時から昼3時頃まで働いてますが、子どもの参観日や運動会、病気の際は気兼ねなく休めますし、場合によっては子どもを連れてくることもできます」
こうしたママさんたちが、赤ちゃんや幼児の子どもを胸に抱いたまま電話を受けたり、ネットからの注文に応えたり、商品の発送準備をしたり、カタログを送ったりしているわけです。
「小さな会社ですし、『一人一人の力も小さくてもいいよ』という主義でやってきています。
できるだけ無駄な労力は使いたくないので、目標ありきではなく、流れに沿っての目標設定が必要。
あまりに力が入ってないのは、その時の流れに合わせた活動をしているからかも。
授乳ショーもファッション・ショーも流れに任せた結果、実現できたんじゃないかな。
自分に無理を強いながら仕事一筋で働くか、仕事をあきらめて育児をするかの二者択一じゃない、その間の働き方を提案したいのです。
なので、『人を仕事に当てはめるのではなく、その人に合わせた仕事を作りたい』とよく言ってます。
ピンチをプラスに変えよう。
それが私の方針。
最初のモーハウスサークルができたきっかけも、そんな方針からでした。
月1回自宅を開放したり、町内の集会所などを借りては集まり、専門知識が必要な時にはモーハウスの助産婦が支援します。
商品の委託を受けたサークル主催者には、販売を通じて活動資金を作れるようにしたいです」
今日でも、モーハウスサークルは、服を試着できたり、授乳中のママたちがお互いに悩みを話し合える場として増殖中です。
(北海道から沖縄まで全国52ヶ所。2007年7月現在)
2006年10月、モネット有限会社は経済産業省から「IT経営百選」の最優秀企業に選ばれました。
子育て中の母親のストレスを軽減し、女性として充実した生活をしてもらうことを目指して、ユーザーである母親から直接ニーズをくみ取った製品を開発するとともに、メーリングリストによって子連れで働く母親どうしが仕事のスケジュール調整を行う「モーハウス型ワークスタイル」を作り上げたことが評価されたのです。
「母乳を与え始める時期から女性は障害者みたいに世間から虐げられて疎外されます。
本人も上手く社会とつながっていかないんですね。
だから、授乳期間中のライフステージを上手く利用できるライフスタイルを提案してきたんです」
モーハウスの活動を始めて2007年で早10年。
光畑さんは、母親たちを支援してきた手応えを感じています。
青山ショップでは月2回程度イベントも催され、ママさんどうしの楽しみを提供しています。
新潟の地震被災地には服やブラを送り、パパの育児をテーマにした集まりや母乳体験エッセイのコンテストも行いました。
「学校」を作る動きすらあるようです。
スタッフの杉山さんが、こんなことを言っていました。
「いつか子どもができたら、子連れ出勤で何ヶ月間かモーハウスに関われたらいいなと思ってるんです。
そうなるとモーハウスってある種の通過点なのかな。
自分でも何かできないか、ぼんやり考えたりしますもん。
なにか面白いことができそうで」
以上は、拙著『プライドワーク/自分をつくる働き方』(春秋社)からのダイジェスト版です。
東大自主ゼミでは、光畑さんと杉山さんの両名をお招きし、もっと豊かな話をしていただきましたが、それは受講できた人だけのお楽しみとしておきましょう。
なお、東大自主ゼミは、2008年春からも継続して行う予定です。
ソーシャルベンチャーに特化した内容になるかもしれませんが、起業意欲のある方なら誰でも受講できますので、お気軽に下記までお問い合わせください。
●東大自主ゼミ(conゼミ@東大)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2040296
(※上記リンクのSNS「mixi」は18歳以上の方しか参加できませんが、自主ゼミは東大生以外でも18歳未満でも参加できます)
●ソーシャル・ベンチャー 〜もっといい世の中を作ろう!
http://gogo-socialventure.blogspot.com/
●『プライドワーク』をamazonで買う
http://astore.amazon.co.jp/con-isshow-book-22
杉山さんがモーハウスに入社してから、たった3ヶ月後の6月。
彼女は、名古屋で行われた愛・地球博でモーハウスのトークイベントの仕切りをいきなり任されることになりました。
「大変だった? いや、別に。やるしかなかった(笑)。
授乳ショーに出演してくれる人を募って当日の手配をして…。
『ほんとに出演者が来てくれるの?』とか、まったく不安がなかったわけではないんですが、そういうことを働いて間もない私にやらせてくれる環境がものすごくありがたかった。
他の会社ではありえないこと。
ここまで任せてくれてくれたんだから、すごい頑張ろうと思ったんですよ」
しかも、光畑さんは毎度、「杉山さん、仕切りやってくれる」「はあ? はい」といった調子で、細かい指示がないんだそうです。
「初めて授乳ショーを観た時に、『これ、大学の学園祭でやりませんか?』と言ったら、『いいじゃない、やったら?』って感じで平気で無茶振りする(笑)。
常に自分で考えて動かないといけないから、いつの間にかそういうこともできるようになっていったんです。
知らず知らずのうちに成長させてもらいました。
新卒を面接して雇うのも私が窓口で、人事もやってるんですよ。
ありえないですよね、1年目で人事ですよ。
そういうのも楽しくてしかたがない」
このように仕事をしていると、杉山さんの中で変化が起きてきたそうです。
「仕事を通じて変わってきたのは、私は子育てしている人たちを『退屈そう』とかすごい偏見の目で見ていたんだなって気づいたこと。
私みたいな思いをしてきた子たちに対して、私が持っていたような偏見を取っ払えるようにできたらいいなって思えるようになった。
ママさんたちは思った以上に仕事ができる人がいて、憧れです。
子育て中の女性に対する見方を変えてくれる人たちに出会えるのが楽しい。
だから、女性に生まれたことを、自分を、すごく誇りに思いました。
『知ってしまったからには女であることを満喫しなければ!』という妙な使命感にかられている毎日です(笑)」
一方、モーハウスは、2005年10月に初めてのショップを東京・青山にオープンしました。
光畑さんは、その当時の思いをこう話してくれました。
「家賃を日割りにした分くらいは売っていけるだろうか、とまず考えました。
諸経費を別に考えれば約3万円。
ライブハウス経営の経験者に聞くと、『そのくらい何とかなるんじゃない』とおっしゃる。
自宅でのオープンハウスでさえ、日によってはママたちの異業種交流の場になっていました。
これを青山に持っていけば、さらにいろんな方たちと交流ができて何か面白いことが起こるかも。
最終的に出店を決めたのは、その魅力に抗しかねたからです。
売上を伸ばそうということはあまり考えていませんでした。
誰でも服の質感を味わえる場を作ること。
お母さんたちに安心して遊びに来てもらえるハレの場を作ること。
子連れで働く場を作ること。
ショップに期待するものはそんなものでした」
このように、赤字にならない程度の仕組みは考えながらも、社会にとって必要なインフラを整備することを優先的に課題にする構えこそ、ソーシャルベンチャー(社会起業家)特有のあり方と言えるでしょう。
授乳服の製造・販売を通じて女性の自由を一つずつ実現してきたモーハウスは、「母親」になった後から起こりうる問題に、敏感に反応してきたのです。
実際、出産直後から何をするにも赤ちゃん中心で動き、忙しさの中で自分にとって気持ち良いことや自分らしい暮らし方を忘れてしまう人は珍しくありません。
また、母親になった途端、出産前には当たり前だった友人との交際や趣味に没頭する時間も捨てなきゃいけないような気持ちにもなりがちなのです。
そんな女性たちに、モーハウスはオープンハウスやイベント、授乳服を通じて「なんとかなるわよ」とゆるく訴えかけてきました。
その大らかな構えが「授乳以後」というライフステージにおける新しい選択肢になることを、当事者のママさんたちは自然に感じとってきたのでしょう。
しかし、女性には、まだまだ明るみにされない可能性が眠っています。
その一つが子連れ出勤です。
(つづく)