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2011.10.11 19:20

~~これからの「未来」を生きる若い世代のみなさんへ、
大人たちからのメッセージをお伝えします~~


絵描きさん 押川 輝晃さん
押川 輝晃氏

■ 見たことのない世界にあこがれていた僕
 まだ行ったことのない場所、まだ見たことのないもの、触れたことがないものへの憧れが強く、決まった仕事には就かずに、あてもなく世界中を旅して回りたいと考えていました。旅先で自分の身を守る目的で武術を習い始めましたが、武芸十八般といわれるほどのたくさんの方法論を習うなかで、全く異なって見える方法であっても、結局は「世界を理解する」という同じ目的へ収束していくんだ、と理解していったように思います。やがて、分散していた興味を並べ、共通している欲求を整理していくことを繰り返していったとき、最後に僕に残っていたのが絵でした。

■ 絵描きさんになった僕
 子どもの頃は、まだ見たことのない場所に行けば、 なにかすばらしいものが待っているのではないかと期待していたものです。でも、今では、感動できる要素は特定の場所やモノ、方法に限らないと考えるようになりました。「よいな」「好きだな」と思える要素は、たとえ同じ風景や見慣れた日常の中であったとしても、新しい発見を求めて興味深く見てみることで、いくつでも発掘できるんだと、思えるようになりました。
 僕は人物画を描いていますが、人物の優れたポーズはそれほど多くのバリエーションがありません。コストや物理的な条件によって、様々な制約も発生しますが、そういった枷(かせ)は、むしろ多くの自由や幅や深さ、複数の視点といった、僕自身を開発してくれる大事な要素となりました。
 子どもの頃に望んでいた世界旅行はできていませんが、子どもの頃よりも小さな行動範囲でありながらも、画家の僕は、より大きな自由と好奇心を持てるようになったと思います。

■ 僕にとって未来とは
 世界には画家と言われる人がごまんといますが、1,000年後にも作品がありがたがられる作家はそれほどいません。僕は自分が作ったものが1,000年後の未来にも大事にしてもらえるようになって欲しいと願っています。それは、地球と人類が1,000年後にも存続していて、作家が亡くなった後にも絵を残したいと思う人たちがいて、その心が1,000年後にも引き継がれていて欲しいという願いです。また、絵のもたらす「想像を超える刺激」によって、未来の人々がより豊かになっていて欲しいという願いでもあります。

■ 未来を生きる人たちへ
 目に見えるものや耳に入ってくるものは「事実」 かもしれませんが、「真実」とは限りません。僕は今もずっと、目隠しをされてジャングルを徘徊しているような感覚です。僕の生活は、全部手探りで探して、自分で手に入れたものだけです。人は盲目で、手探りでしか動けない。どんなに恐くても、痛くても、手を出さないと触ることはできないし、立って歩かないとどこかにいけません。だから、視覚だけに頼らずに、五感のすべてを駆使して、必死で探して、歩いて欲しい。自分で蓄積したたくさんの経験が、次に動き出すための勇気にもなります。決して動くことを怖がらないで欲しいと思います。

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あのころの未来

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2011.10.04 18:47

~~これからの「未来」を生きる若い世代のみなさんへ、
大人たちからのメッセージをお伝えします~~


お花屋さん 岩井 浩二さん
(有限会社 花・壱丸壱 代表取締役)
岩井 浩二氏

■ あばれんぼうだったわたし
 子どもの頃は、いわゆるガキ大将です。手のつけられないくらいのあばれんぼうで、母親が泣きながら頭を下げて回るなんてことも日常茶飯事。自己顕示欲も強く、あばれんぼうの私が、絵を描いているときだけはおとなしかったそうです。幼稚園の先生が絵を描くたびにほめてくれたことは、その後の人生に大きな影響を与えました。高校時代は美術部で活躍し、美術大学に進みました。卒業後はウインドウディスプレイを製作する会社に。当時の経済は右肩上がりの成長。ウインドウは企業の看板そのものでした。当時は景気も良く、ウインドウディスプレイにかける予算も十分あり大変忙しく、寝る間を惜しんで働き続けた毎日でした。

■ お花屋さんになったわたし
 ディスプレイの仕事は、常に目の引くものを作り、月単位、季節単位の入れ替えを実施し続けなければならない仕事です。時間をかけて作られた商品も期限がくれば壊される。そのことが、2年も過ぎた頃、自己顕示欲の強い私には大きな悩みとなり、行き詰まっていました。自分で設計し、手がけた植物が人間よりはるかに長く生き続ける、造園の仕事を持続力のある業種として選び、縁があって、設立間もない造園会社に転職したのです。
 以降40年間緑に関する仕事に携わっています。10年前に独立し、現在の会社を経営しています。切花・観葉植物・園芸苗・樹木と、植物全般の小売販売をしております。また、有名ブランドショップのディスプレイ、アレンジメントの製作、ブライダルに関するお花の製作、個人住宅の造園など、ひと言に「お花屋さん」と言っても、私の場合は、「植物屋さん」というのが当たっています。

■ わたしにとって未来とは
 私の店はごくありふれた住宅地の中の街道沿い。訪れる人は、目的買いのお客様ばかり。式やお見舞いであったり、特別な行事があるから買いに来るという人がほとんど。世の中の景気が冷え込むと、日常的に花を買うという人は少なくて、花を飾ること自体がぜいたくなことになっているのだと感じます。しかし人間は古来より生き物として、植物に囲まれた環境で生きてきたはず。人間という生き物の傍らにはいつも植物があるべきだと、私は考えています。都市の緑化を推進するということは、人間の本来の姿を取り戻すこと。日常の一部として植物を取り入れるゆとりを、誰もが持てる世の中になることを望んでいます。

■ 未来を生きる人たちへ
 『自分が信じることを、とことん信じて生きていく』。これからの時代に伝えたいのは、そのことだけです。私も何度も迷い、つまずいては、軌道修正をしながら生きてきました。そうして年齢とともに変化してきたのは、他人が評価してくれること以上に、自分自身が納得しこれでいいのだと思い、誇りを持てるようになったことです。様々な経験に直面して、挫折することは大いにあってよいと思います。そこで考え抜いた結果、新たな答えを見出したなら、正面を切って進むのみ。自分を信じ、他人と信じ合うことができてはじめて、世の中全体を未来へ向けて前進させることができるのです。

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2011.09.27 14:41

~~これからの「未来」を生きる若い世代のみなさんへ、
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弁護士 紅山 綾香さん
(広島みらい法律事務所)
弁護士 紅山 綾香氏

■ 自己紹介が苦手だった私
 「紅山綾香です」「めずらしい名前ね!」と、毎回繰り返される相手の反応がいやで、子どもの頃の私は、自己紹介がとてもきらいでした。決して目立つタイプではない私自身と、「めずらしい名前」の間に大きなギャップを感じていたのです。
 母はよく、親子向けのステージイベントに連れていってくれました。バレエを習っていたこともあって、映画や音楽よりも、舞台の上に人が出てきて、目の前で演じる、舞台の魅力に惹かれました。中学では演劇部に所属していましたが、舞台に上がることよりも、演出をしたり、脚本を書いたりすることが好きで、将来は脚本家になりたいと思っていました。

■ 弁護士になった私
 法学部に進学しましたが、友人に誘われて参加した模擬裁判のサークルが、法曹の道を選ぶきっかけだったと思います。卒業後の進路を考えたとき、自分自身の成果や評価のために働き続ける自信が、私にはありませんでした。困っている誰かのために働く弁護士なら、自分のために働くよりも、やる気を持ち続けられるのではないかと考えたのです。
 私は、弁護士は通訳のような仕事だと思っています。依頼人の方は、大きなトラブルを抱え、精神的に混乱している場合もめずらしくありません。トラブルの状況や依頼人の言い分を、裁判所で公正に取り扱える言葉に翻訳すること。さらに、法律の専門家ではない依頼人が理解できるよう、状況を整理して説明することの両方が、弁護士には求められます。どんなに難しい法律の知識を持っていても、相手に伝わらなければ何の役にも立ちません。書類や弁論といった「ことば」を使って、相手の理解を得ることは、私が憧れていた脚本家の仕事にも通じる部分があるような気がします。

■ 私にとって未来とは
 現代の日本にも、社会的に恵まれない境遇の下で、手助けを必要としている人がたしかに存在します。まず、その現実に目を向けなくてはなりません。自己責任ということが強く謳われますが、なにかのタイミングで困難な立場に追い込まれてしまう可能性は、誰にでもあるのです。
 自分の力ではどうすることもできない状況にある人に、「あなたがしっかりしないからいけない」と言い立てることでは、解決に近づかないのではないかな、と思います。困難を抱えている人を、周囲が理解し、支援し、人と人がお互いに支えあっていく未来になるように。制度面を含めて、社会全体がそうなることを心から望んでいます。

■ 未来を生きる人たちへ
 私ははじめから「弁護士になりたい」という明確な希望を持っていたわけではありません。高校の先生が法学部を進路として薦めてくれたときも、友達の参加しているサークルを見に行ってみたときも、理屈はなにもありませんでした。ただ、今振り返って、特に根拠もないのに、意外と迷いなく決められた決断が、将来につながっている気がします。
 大切なのは、素直に「これだ!」と思えるタイミングを逃さないこと。そして、一度自分で決めたことは、決して他人のせいにしないでほしいと思います。様々なトラブルに直面して、誰かを恨んだり、憎んだりせずにいられない方も、何人も見てきました。そんなとき私は、恨んでも憎んでも、相手を100%自分の思い通りに変えさせることはできないんだ、と話します。お金でも、法律でも、人の心を思い通りにはできないのが現実。他人を責める気持ちを捨てたとき、人は、新しい未来へ前向きに歩き出せるのだと思います。

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2011.09.20 15:17

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おかあさん 山元 玲子さん
山元 玲子氏

■ さみしがりやだった私
 両親が共働きで、もともとさみしがりやの性格だったため、家でひとりじっと勉強しているのが嫌な子どもでした。それもあってか、親になった今は「子どものそばにいたい」という思いがとても強いです。他方、「勉強しなさい」と口うるさく言われたり、「あれはいけない」「これはだめ」と頭ごなしに叱られた記憶はありません。のびのびというか放任というか。それは、今の自分にも自然と引き継がれている部分だと思います。

■ おかあさんになった私
 もともとは会社員として働いていましたが、結婚を機に退職し、以降、3人の子どもの母親業に専念しています。
 いつも考えているのは、「子どもに自分の理想を押し付けない」ということ。「この子を誰々さんのように育てよう」などとは、あまり考えてこなかったです。「なるようになる」とか「子どもが助けてくれる」とか考えるほうがいいと思うんです。育児について説いた本などは楽しく読んでいましたけど、本は本であって、自分とは違うと思っていました。おかげで、あまり思いつめずに済んだのかもしれません。
 育児に悩まれているお母さんは、自分だけで育てるのではなくて、家族みんなで育てるんだと考えるといいんじゃないかなと思います。その方が自分も楽になりますし、お母さんの意見だけでなく、お父さんや周りの大人の意見も聞けた方が、子どもにとってもいいでしょう。「仕事が大変なのもわかるけど、子育てはこんなに面白いんだよ」って、忙しいお父さんにも伝えたいですね。

■ 私にとって未来とは
 日々目の前にやってきたことを受け入れて、今まで生きてきたので、これから自分がどうなっていくのか…なんてことは考えたことがなかったですね。子育てに関しても「なるようになる」と考えて、夫や子どもたちに助けられながらここまできましたから、これからもそういう風にして進んでいくのではないかと思います。

■ 未来を生きる人たちへ
 時代はこれからもどんどん便利になっていくと思いますが、本来の人間らしいあたたかさ、思いやりは忘れないでほしいし、育てていかなきゃいけないと思っています。私は子どもたちに対して、「勉強しなさい」と口うるさく言うことはありませんが、人としてきちんとしてほしいことについては教えてきたつもりです。たとえば、「人に迷惑をかけない」「親に変な隠し事をしない」「あいさつをしっかりする」「ちゃんと歯を磨く」「忘れ物をしない」なんていうことです。勉強ができる、知識がたくさんあるということ以前に、忘れてはいけないことだと思っています。親や学校、周囲の大人など、どこかしらで接する大人が子どもに教えてあげられる社会でありたいですね。

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2011.09.13 11:42

80thあのころの未来(第5回)数学が苦手だったわたし
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看護師 荻島 和美さん
(岡村記念病院)
看護師・荻島和美氏

■ 数学が苦手だったわたし
 高校で理系のクラスにはいたものの、私は数学がとても苦手でした。看護師の道を選んだきっかけは、ちょうど進路選択の時期に、友達に誘われてナース体験のイベントに参加したことです。生涯続けられる専門職に就きたいという思いもあって、看護学科に進みました。
 看護学生時代の一番の思い出は、実習です。学校では、毎日が同じことの繰り返しだけれど、医療の現場では、患者さんの身体は日々刻々と変わります。昨日は歩けなかった患者さんが今日は歩けるまで回復しているかと思えば、今日重体の患者さんは、明日にはもう生きていないかもしれない。卒業後に就職した大学病院の現場では、目まぐるしい毎日についていくのに精一杯だったことを覚えています。

■ 看護師になったわたし
 看護師の仕事は、患者さん、医師、リハビリスタッフなど、治療に関わる人たちの橋渡しのような役割だと思います。たとえば「お手洗いくらいは自分で歩いて行きたい」と思っていても、医師にその希望を素直に伝えられずにいる入院患者さんもいます。私は、心臓循環器科で働いていますが、心臓の病気を抱える方の中には、長く患う慢性の患者さんも多く、治療のためにこれまでの生活スタイルを犠牲にしなければならないことがあるのです。我慢をしながら病気とつきあっていく生活のなかで、叶えられる望みは実現してあげたいと考えています。一方で、患者さんに厳しく接しなければならない場面もあって「白衣の天使」なんて優しげなイメージからは程遠いのが現実です。
 でも、全ては患者さんが一日も早くよくなって欲しいという願いからのこと。患者さんにとってベストな判断は毎日違います。それを考えることは面白いと思いますし、なにより患者さんのためになることに直接関わっていける喜びがあります。

■ わたしにとって未来とは
 未来は明るくあってほしいですね。私自身、子どもの頃は自分が看護師になるなんて思っていませんでした。親にも「あなたが看護師になるなんて」と言われるくらいです。でも今は、10年後、20年後にも看護の仕事をしていたいと思っています。診療科ごとに様々な現場があって、病院の外には訪問看護など多様な働き方がありますが、形が変わってもこの仕事を続けていきたいと思っています。最近は、子育てが一段落してから、看護師の資格をとるために勉強している人もいて、そんな姿を見ると頼もしく思います。

■ 未来を生きる人たちへ
 はじめは心臓循環器科なんて私にはできないんじゃないか、という気持ちもありましたが、働いてみたら意外と合っていると感じたものです。できるかできないかは、実際にやってみなければわからないことが多いと思います。
 できないかもしれない、あるいは、やりたいことがないなんていう考えは悲しいし、そう考えてしまうのは、絶対に損です。私は旅行が好きで、全国の知らないところへ出かけるのをいつも楽しみにしています。子どもたちには、見たことのない世界を見てみよう、という経験を特に大切にしてほしいな、と思います。

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2011.09.06 14:25

80thあのころの未来(第4回)内気でマイペースだったボク
~~これからの「未来」を生きる若い世代のみなさんへ、
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ミュージシャン 箕輪 一広さん
ミュージシャン 箕輪 一広さん

■ 内気でマイペースだったボク
 小さい頃の自分は、一人でコツコツ絵を描いているようなタイプ。思えば、お菓子の缶カラをたたいたりするのは好きだったかなと思います。「音楽をやりたい」と思ったのは、中学、高校のとき。お友達がバンドをやっている様子を見て、いいなと思ったんです。初めてやった楽器はドラムで、その後、ベースに変更しました。目立ちたいからバンドをやるというよりも、人と一緒に音を出したいという気持ちでした。基本的に一人が好きなんですけど、昔から、音楽は人とやりたいし、人と共有したいと思っていました。
 高校を卒業してからしばらくは、今でいうフリーターで、アルバイトを転々としていました。音楽をやるためにアルバイトをするという日々でした。当時はあまり深刻には考えず、「24、25才ぐらいになったら何か定職につけばいいか」ぐらいに思っていました。

■ ミュージシャンになったボク
 22才のとき、偶然、道が開けてきました。知り合いにプロミュージシャンの人がいて、その方の紹介で初仕事が来たのです。そのまま順風満帆、というわけにもいかず、アルバイトも並行して続けていましたが、少しずつ仕事が増えて、20代後半になって、ようやく音楽だけで食べていけるようになりました。
 30代後半ごろ、転機が訪れました。ベーシストとしての仕事が忙しくなるにつれ、だんだん、好きでやっているというよりも、お金のためにやっているという状態に陥ってしまったんです。音楽に対する、最初の純粋な気持ちを見失ってしまった時期でした。
 そんな中、ふとしたことでオーストラリアの民族楽器、ディジュリドゥーに出会ったんです。「ブウォー」という原始的な音を聞いて、音楽を始めたころの、鳥肌が立つような気持ちがよみがえってきました。「これってあのときのあの感じだ!」と思いましたね。
こうして、民族楽器の世界に徐々にのめり込むようになりました。素朴な音色に身を委ねていると、気持ちがリセットされ、再び音楽への情熱がよみがえると同時に、また新たな道も開けていきました。

■ ボクにとって未来とは
 私の人生はずっと、ひとつのことに固執しないで、「今」楽しいことをやっていたら、それがうまく未来につながっていったという感じです。これからも、何に出会うかわからないなと思っています。

■ 未来を生きる人たちへ
 自分の気持ちに素直になるのが大事だと思います。本当にやりたいことはどこかにきっとあるはずですが、「自分には無理」ってフタをしてしまいがち。でも、あんまり結果にとらわれすぎないでやってみると、いいことがあるんじゃないかなと思います。

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2011.08.30 11:23

80thあのころの未来(第3回)おせっかいだった私
~~これからの「未来」を生きる若い世代のみなさんへ、
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薬剤師 渡辺 邦子さん
薬剤師 渡辺 邦子さん

■ おせっかいだった私
 例えば、教室の隅で一人ぼっちの子がいれば声をかけずにはいられない……。私は、ついお友達の世話を焼いてしまう、おせっかいな女の子でした。みんなが笑顔で楽しんでいる姿を見るのが好きで、もめごとは大嫌い。仲よくなるために何ができるかな?とそんなことばかり考えていました。
 数学教師だった父の影響で幼い頃から理系の世界に親しみがあり、特に目の前で起こる変化に感動できる実験は大好きでした。そして将来のために資格を持つことを母にすすめられ、大学では薬学部に進みました。

■ くすりやさんになった私
 卒業後は製薬メーカーの研究部門で働き始め、充実した毎日でしたが、30年前は、仕事と子育ての両立に充分な環境が整っていない時代です。私は出産で一旦退職し、子ども達が学校に上がってから、今度は薬局の薬剤師として再スタートを切りました。
 薬局を訪れる患者さんは大概いつもより弱っています。その気持ちに寄り添って、ふさわしい薬をよりよい対応で提供することこそ薬剤師の役割です。正確な知識も新しい情報も、その患者さんのために生かせなければ意味がありません。薬剤師は女性にも続けやすい仕事のひとつですが、特に出産・育児、さらに介護を通じてのさまざまな経験は、薬剤師としての力量を磨いてくれたと感じています。

■ 私にとって未来とは
 日本は、不況から立ち上がる途中でさらに震災の痛手を受けた辛い時期だと思います。でも、震災は痛手だけでなくたくさんの素晴らしい人の輪を生んでくれました。そして、どんなに大きな悩みや苦しみがあっても、大切な命と引き替えにするほど重大なことはないと、みんなが再確認したはずです。困っている人、悩んでいる人が一人きりで責任を抱え込まず、お互いにサポートし合える環境をみんなで整えていきたい。私は、一人の薬剤師として、そんな社会のお役に立てる仕事をしていきたいと思っています。

■ 未来を生きる人たちへ
 未来は可能性に満ちています。でも若い頃ほど可能性を狭めて考えがちではないでしょうか? 例えば70歳を過ぎて恋をしてしまうかも知れないなんて、今は想像できないですよね。
 何歳までに何をしなくてはいけないとか、何年生ならこれができて当たり前とか、目に見えない物差しに縛られるのはもったいない。人の評価を気にし過ぎるのは残念なことだと思います。広い世界を見、何にでも興味を持って「チャレンジすること」を大事にしましょう。勇気を持って挑戦すればその先にきっと新しい可能性が開けます。応援しています!

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2011.08.23 10:08

80thあのころの未来(第2回)バナナと包丁が好きだった私
~~これからの「未来」を生きる若い世代のみなさんへ、
大人たちからのメッセージをお伝えします~~


シェフ 工藤 康二さん
(Bistro La table de Kudo オーナーシェフ)
シェフ工藤康二さん

■ バナナと包丁が好きだった私
 シェフになりたいという思いは、中学・高校の頃に、漠然と持ち始めました。『料理の鉄人』が流行っていた時代で、メディアの影響も大きかったと思います。コックコート姿ってカッコいいな…と思い始めたんです。さらに子ども時代を振り返ってみると、包丁を持ってバナナやトマトを切るのが好きだったことも、今の自分につながっているかもしれません。小学校1~2年の頃に、地域の子ども向け包丁さばきコンテストで1位をとったなんてこともありました。母親の手伝いをするというよりも、ただ純粋に包丁を使うのが楽しかったんですよね。

■ シェフになった私
 18才のときにフランス料理の世界に入り、30才で自分のお店を持ちました。

 目指しているのは、お客様の記憶に残る料理を作るということです。料理人としては、お店の雰囲気というよりも、やはり料理そのものでインパクトを与えたいですね。何を食べたかを思い出して、また食べに来たいと思っていただきたいと思っています。

 自分にとっての「理想のお店」は、日々変わっていっています。お店を持ちたいと思った18才の頃からお店を持つまでもそうでしたし、お店を持ってからも少しずつ変わっています。決してお店を持つことがゴールではないんです。毎年、去年の自分を振り返ると、恥ずかしいと思います。そう思わなくなると、料理人として終わりなんじゃないかと思っています。理想のお店が完成するのは、きっと引退する頃なんでしょうね。

■ 私にとって未来とは
 これからは、がむしゃらに走り続けてきたこれまでのやり方を少しずつ変えて、自分や家族を大事にしながら、長くこの仕事を続けていきたいと思っています。振り返ってみると、20代は自分を犠牲にし、30代の今は自分と家族に犠牲を払ってきていると感じます。家族とともに、今よりも余裕を持って暮らす40代を迎えるためには、何か「武器」と呼べるものがないといけません。今は、その武器作りをしている状況です。

■ 未来を生きる人たちへ
 今は、簡単に何でもできる時代。フランス料理の世界で言えば、簡単に本場フランスに行けますし、簡単にお店を持つこともできます。それだけに、小手先の力でごまかしてしまう危うさもあると思います。やはり、基本をしっかりと身につけることが大事です。基本があれば、いくらでも応用はできるのですから。焦らずに一歩一歩、本物を身につけていってほしいですね。

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2011.08.16 09:35

80thあのころの未来(第1回)泣き虫だったボク
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社長 加藤 文夫
(Z会グループ 代表、株式会社増進会出版社 代表取締役社長)
加藤文夫

■ 泣き虫だったボク
 私は、幼少期を親類宅への養子として、後に、実家への里子として育ちました。生い立ちのせいか、幼い頃から「自分自身を相手に理解してもらう」ということに、人並み以上に努力してきました。私が「泣き虫だった」のは、周囲の大人たちに自分を理解してもらいたいという強い思いのあまり、溢れる涙のせいであったのだろうと思います。私が勉学に熱中したのも、クラスで一番をとって、大人たちに自分を認めてもらいたいという動機が根底にありました。

■ 社長になったボク
 養子に入った親類の家業を、私は継ぎませんでした。そして前職の商社に就職して家を出ました。もちろん、当時は自分が将来「社長」になるというイメージは全くありません。私が組織のリーダーという立場に将来像を見出したのは、以前の職場で労働組合の委員長を務めたときからです。もともと人前で話すということは決して得意ではありませんでしたが、いまや社員の誰もが「加藤社長はよくしゃべる」と言うほどです。相手を問わず、伝えたい思いのあるかぎり、とことん伝えようという努力は惜しまずにいます。

■ ボクにとって未来とは
 私は62歳になりましたが、70代、80代と続くこれからの人生は、未経験の領域です。未知へのおそれがないとは言いませんが、数百年、数千年前を生きた先人たちも、同じく未知なる未来を生きてきたのです。先人が未知への不安にどのように立ち向かい、克服してきたかを知ることは、私たちのもつ未知へのおそれを軽減してくれます。そこに歴史を学ぶことの意義があるのではないかと思います。

■ 未来を生きる人たちへ
 20年前、30年前を生きてきた私たちの世代と比べたとき、結婚や子育て、職業のあり方をはじめ、日本の社会は大きく変わりました。教育を例にとれば、今年度から小学校で英語のカリキュラムが本格的にスタートしました。今の小学生が社会に出る10年後、20年後の日本は、英語が話せることが当たり前の社会になるのかもしれません。つまり、これからの若い世代は、親の世代が経験しなかった現実に直面することになるのです。親を手本にすれば満足に生きることができる時代は、いくら懐かしんでも戻りません。これからの若い世代には、自らの価値観を確立し、自ら満足のいく道を選び、自ら未来を切り拓くことが一層求められるでしょう。これからの若い世代に、未来を生きる知恵を残すことが、私たち大人の責任だと考えています。

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2011.08.16 09:20

80thこんにちは。Z会 創立80周年記念プロジェクトです。

私どもZ会グループは今年、創立80周年を迎えました。これもお客様からのあたたかいご支援、ご愛顧の賜物と、心より感謝いたしております。この記念すべき年が、みなさまと私どもZ会にとって、未来を開く新たなスタートとなりますように、従業員一同、誠心誠意努めてまいる所存です。

さて、私どもZ会グループを支えてくださっているお客様には、未就学児・小学生・中学生・高校生を中心とした子どもたちと、その保護者の方々が多くいらっしゃいます。

Z会グループが90周年、100周年を迎えるとき、みなさんはどんな大人になっているでしょう。みなさんとZ会グループは、どんな未来を作っていくことができるでしょうか。

私たちは、これからの「未来」を生きる若い世代のみなさんへ、大人たちからのメッセージを伝えたい、と考えました。社長になった人、看護師さんになった人、お花屋さんになった人……。どんな大人も、かつてはみなさんと同じように、「未来」を夢見る子どもでした。これからご紹介する9人の大人たちは、子どもだったあのころの「未来」を今、生きているのです。

9人の大人たちは、自分の「未来」をどうやって見つけ、どうやって「未来」にたどり着いたのでしょう。

これからの「未来」を生きていくみなさん、お子様を「未来」に送り出す保護者の方々と一緒に、9つの物語を聞いていきたいと思います。

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