[2008年12月30日(火) ]
いよいよこのブログも、今年最後となりました。
今年もおつきあいいただきありがとうございます。
みなさんにとって、この1年はどんな年だったでしょうか?
2009年の『今年の漢字』が先日、日本漢字能力検定協会から発表されました。
『変』
自然災害や金融危機、さまざまな事件や事故など分野問わず『変』な出来事が相次いだからでしょう。
アメリカ次期大統領・オバマ氏の“Change”というキャッチフレーズも、影響しているようですが、日本の“Change”『変化』は、首相の交代劇などアメリカのそれとは違ってあまり前向きではない“Change”だったように思います。
「『変』が選ばれたの?なんかヘンなの」というのが、ほとんどの人の感想でしょう。
でも、こんなヘンな時代だからこそ、“Change”が可能だというのも、また一理あります。
昔、私の友人でオペラ歌手を目指している男のコがいました。
彼は本人曰く「ひどい部屋に住んでいた」といいます。
都内(それも23区内)で2万円という家賃ですから、いわゆる風呂・トイレなし(共同)で、床は穴があきそうというところ。
着ているものもくたびれていましたし、女にはだらしないし、ろくでもない人でしたが、そんな彼でも、夢を追うことはできました。
彼の舞台を見たことがありますが、堂々とした歌いっぷりに驚いたものです。
考えてみれば、その頃から10年経っています。
いま彼とは会っていませんが、おそらく元気でたくましく暮らしているはずです。
年末にかけて、「派遣切り」のニュースが相次いで報道されています。
解雇を通告され、3日後には寮を出て行けと言われ、「住むところもないし、ホームレスになるしかない」という人がいるとのこと。
27歳とか23歳という若さ、独身という立場の人などさまざまなケースの方がテレビで取り上げられており、社会の厳しい現実が垣間見れます。
でも、こんな厳しい時代だからこそ、また若い方なら若いからこそ見れる「夢」や「目標」があるはず。
オペラ歌手を目指していた友人のように、
「少しぐらい食えなくなっても、夢があれば生きて行ける」
そんな若者が多くなってくれること、またそんな若者の想いを支えられるような社会になることが、いまの私の願いです。
夢を追うことや、自由に自分の将来を選ぶことから、今の若い人が遠いところにいるのだとしたら、それは悲しいです。
「若いからこそ見れる夢や目標」
いまの自分にそれがないならぜひ見つけて欲しいと思います。
2008年、特に仕事で苦労してしまった人にはまず「夢」を!
社会の厳しさになんか負けないで欲しいです!
ファイト!
1年間、ありがとうございました。
[2008年12月26日(金) ]
そして、休憩をはさんで第二部は
「美しい棚田が消えて行く〜地域の農業をどう支えればよいか〜」
というテーマでのパネルディスカッションです。
パネリストには、経済評論家の内橋克人さん、慶應義塾大学教授の金子勝さん、農業ジャーナリストの榊田みどりさん、農業者を代表してJA埼玉ひびきの代表理事組合長の鯨井武明さん。
コーディネーターには、元NHKエグゼクティブアナウンサーの宮川泰夫さんがつとめられました。

[2008年12月23日(火) ]
先日、こんな講演会に参加してきました。
食料フォーラム 美しい棚田が消えていく
〜地域の農業をどう支えればよいか〜
私は以前、棚田オーナーとして伊豆の棚田に農作業しに行ったこともあって、棚田は常に気になる存在です。
実は今年、棚田オーナーを辞めてしまったのですが、その理由としては、伊豆の棚田まで通うのが年々負担になってきたのと、都会からのオーナーを受け入れるために、現地の人に農作業の負担が重くのしかかってしまい問題になっている、というのを知ったためです。
「美しい棚田の風景をなくして欲しくない。残して欲しい」
というのは、その地域では暮らしていない、自分のエゴではないのか?という思いでいっぱいでしたので、このフォーラムのチラシを見たときは、即申し込みをしました。
会場も埼玉会館で近かったので、ラッキーでした。
受付を済ませ中に入ると、埼玉県内の農業を紹介する人たちがたくさんいました。
秩父の「遊休農地活用サポーター」なる制度もあるようです。

[2008年12月19日(金) ]
前回まで2回にわたって、箏クリエイター・中しまりんさんのインタビューを紹介しましたが、彼女にインタビューするきっかけとなったのが、「ミミ・エンタープライズ」のA&Rである内田雄介さんとの出会い。
アーティストとしてだけでなく、スタッフとして音楽に携わりたいと思う人へのヒントになるようなお話を、内田さんにいろいろ伺ってきました。
高校時代からバンドを組みギターを弾いていたという内田さん。
音楽だけでなくモノ作りにも興味があって、建築家になりたいって思っていました。大学に行かず独自に建築を学んだ安藤忠雄がカッコいいと思って。物理が苦手なので、あきらめましたが・・・。
高校卒業後は、飲食店でバイトなどもしながら、音楽スタジオでアシスタントエンジニアの仕事をしていたとか。
「エンジニア」という響きから、表に出るアーティストではなく裏方のスタッフ、と私は想像してしまったのですが、音楽業界でいう「エンジニア」とは、「レコーディングエンジニア」のこと。
レコーディングの際、アーティストやプロデューサーらと音楽の方向性やテーマを確認しながら、実際の録音作業に携わるスタジオのキーマンです。
裏方やスタッフの仕事に興味持ったのは、音楽イベントの仕事に携わるようになってから。ディレクターとか、プロデューサーとか、A&Rという仕事があるというのを知ったのです。
※音楽業界の職種については下記を参考に。
音楽に携わる仕事とは?|音楽を仕事にする!!音楽業界仕事Navi
スタッフの仕事のどこに魅力を感じたのか尋ねると、
アーティストには夢がありますよね。アルバム1枚作るにしても、すごい希望が詰まっている。それをいかに魅力的なものにしていくかというのは、ディレクターやA&Rの手腕にかかっている。より魅力的なものを、アーティストといっしょに作り上げていきたいと思ったのです。
内田さんの“モノ作り”への思いは、音楽そのものにとどまらず『アーティストの夢』へ向います。
私の仕事は、東風に関しては、「東風」の活動をよくする仕事全般。『誰か曲をアレンジしてくれる人が欲しい』といえば、その人を紹介したり。アーティストの身近な相談役という感じです。もちろん、東風以外の担当アーティストや、新人発掘も仕事です。マネージャー的な仕事もあります。ウチの事務所は少数精鋭なので(笑)、なんでもやります。
でも、A&Rになる前に、へんな夢を抱かなかったので『想像と違う』ということはないです。具体的な仕事内容というのは、入ってみないとわからないですし、会社によっても違います。この仕事をしてもう1年ですが『こういう動きがベストだな』っていうのが自分なりにわかってきた。だから今、楽しいです。
例えば、ライブをやることになったら、チラシのデザインを決めたり、ホームページを作ったりといった、細かいやりとりや雑用もある。
スケジュールの調整など、人と人との間に立つことも多い仕事。
でも、そういうことは大変だと思わないです。フットワークは軽いほうがいいですし。この仕事は人と会うことが大切なんです。会って役に立たない人なんていない。人と会って情報交換すると、いろんな発想が出て来たりするのです。
スタッフの仕事に向いているのは、どんな人でしょうか?
音楽が好きなことはもちろんですけれど、人と何かを作ったり、人と話すのが好きかどうか。コミュニケーションって大切ですよね。自分も流暢に話せるわけではないんですけれど、人と話すのが好きなんです。
やっぱり音楽って人と人との信頼関係からできているって思うんです。損得だけじゃやれない。個人的には自腹切ってでもやりたい仕事っていうのはあるんです。
A&Rとして、アーティストをどんな風に売り出していきたいかを聞いてみると、
それは彼女(中しまりんさん)と話した上で決めること。彼女がどうなりたいかが1番のビジョンなので。そのために『こうしたほうが近道』とか『少し遠回りだけれどこうしたほうがいい』と道を示して行くのが僕の役割です。
もちろんカッコいい音楽を作って、カッコいいアーティストになってほしいというのは常にあります。でもそれが全てではない。そこにいくためにいい人間関係、チームを作って行きたいのです。あるアーティストを紹介して、そのコミュニケーションがうまくいって、ライブでいいパフォーマンスができたりすると、すごくやりがいを感じますね。
最後に、音楽業界で働きたいと思っている人へのメッセージを伺いました。
音楽もビジネスですので、夢を追ってばかりではダメ。ただの音楽好きには、逆につらいかもしれません。雑用でもなんでも楽しめる人がいいと思います。
「音楽は人と人との信頼関係からできている」という言葉がとても印象的でした。
音楽が人に感動を与えるのは、それが大勢の人の信頼関係から成り立っているからなのでしょう。
この業界で働きたいという人が多いのも、うなずけるなあと思った内田さんのインタビューでした。

[2008年12月16日(火) ]
シンガーソングライターとしてデビューした中しまりんさん。
地道にライブ活動しつつ、曲作りつつと4〜5年やっていたのですが、また私の悪いところが出ちゃって・・・。
曲を鼻歌で歌うと、アレンジしてくれる人がいたからつい頼ってしまったそうです。
そうすると、自分のなかで進歩がなくなってしまう。
ライブでも思うように表現できなくなり、だんだん歌が好きじゃなくなってきたんです。
そんな悩みを抱えていた頃、箏はどうだったかというと「ずっと放置しっぱなし(笑)」だったとか。
田舎の師匠は『いつ(お箏に)戻ってくるの?』と言い続けてくれていたんですけれど、私は絶対戻ることはないって思っていました。箏の会にも籍をずっと置いたままになっていたので『籍抜きたい』という話もしたんです。けれど『あと1、2年待ってみなさい。会費は私が立て替えてもいいから』って言ってくださって。
師匠とそんな会話をした後、たまたまテレビのドキュメンタリー番組で、あるアーティストの存在を知る。
それは、中国の古箏奏者、伍芳(ウー・ファン)さん。
『中国にはこんな箏があるんだ』と思ってなんとなく見ていたのですが、それがすごくきれいなメロディーで、すてきだなあと思ったんです。
ネットで伍芳さんのことを調べてみると、たまたま近くでライブをやるということがわかり、出かけてみた。
そのライブで彼女は、古典だけでなく、オリジナル曲を多数演奏していた。
それが本当にすばらしくて!その人の世界観っていうのが表現されていて感動したんです。
箏を演奏する技術力にも、衝撃を受けたという。
技術力があるってすごいことですよね。例えば私がいまからギターで、伍芳さんのような技術力をつけようと思っても無理だと思って。でも、小さい頃からやっていた『箏なら自分を表現できるかも』って思えた。
小さい頃に楽器をやらせてもらえていたっていうのは、すごくありがたいこと。なのに自分はそれを無駄にしてきたのかもって、その時初めて気づいたんです。気づくまでに、すごく長い時間かかったんですけれど(笑)
「箏でオリジナル曲を作ってもいいのでは?」と気づいた中しまさん。
師匠に「もう一度やってみようと思うんです」と伝えたら「やっぱりね、思った通りよ」と言われたとか。
本当に、籍を抜かなくてよかったと思いました(笑)
最初に作った箏のオリジナル曲は「風ぐるま」。
実はこれ、ギターで作っていた歌なんです。途中までしかできていなかったのですが、メロディ的に箏に合うかもしれないと思って。
ちょうどコンピューターで音楽を作るDTMを教えてもらっていたときなので、見よう見まねで。キーボードもひけないので、ゆっくり1音1音打ち込みながら、音を並べてメロディーを作ってアレンジして・・・。いま思えば気の遠くなる作業をして作りました(笑)
結局、私はその場に立たされないとやらないみたいなんです(笑)でも『やりたい』という思いがあるから『やるしかない』って思える。ここまで来るのにすごく遠回りしました。でもギターで歌を作っていなかったら、いま箏で曲を作ろうとは思わなかったと思うんです。
それまでの音楽活動がつながり始めた。
中しまさんが自らを、箏の「演奏家」ではなく「箏クリエイター」と名乗るのも、自分で表現していける人になりたいからだという。
ギターをひいていた頃は『あまりうまくないのに』と仕方なく演奏していた感じでしたが、お箏だと、たとえ失敗しても『もっと練習しよう』という気になれるんです。自分でも堂々としていられるようになったって思います。
芸の道は積み重ね。10年のブランクは長いけれど、その日々がなければいまはないわけで。その分練習しようと思えるんです。いまの私の課題は『丁寧に演奏する』ということ。ひたすらひいていた昔と違って、だいぶ練習の仕方もわかってきました。
最後に将来、音楽のプロとして活動していきたいと思っている人にアドバイスを伺いました。
音楽が好きという気持ちがいちばんなんですけれど、やりたいという思いだけではダメ。客観性も必要だと思います。自分はなにができて、なにができないのか。なにが必要で、なにを求められているのか。そのバランスがうまくいって、初めてプロとして成り立つんだと思うんですよね。
やりたいことをするために、自分はなにをするべきかというところに、ちゃんと向き合うのが大事です。でも、そこで失敗したり、遠回りしてもいい。その経験は、決して無駄じゃないと思います!
すべてご自身の体験から語られる言葉だからこそ、説得力がありますよね!
中しまさんはライブ活動も積極的に行っています。
私も12月7日に行われた「表参道オリエンタルバザール フリーライブ」に行ってきました♪



[2008年12月12日(金) ]

[2008年12月09日(火) ]
もう2週間ほど前のことになりますが、私は11月23日に行われた「さいたまシティマラソン大会」に出場し、ハーフマラソンを無事完走してきました!
以前このブログでも書きましたが、マラソン大会というものに出るのは学生時代以来15年ぶりくらい。
前日の夜は大好きなお酒も飲まず、食事も早めに済ませて早々に寝ましたが、いままでになく緊張してなかなか寝れませんでした。
当日は受付時間が早いので6時前に起床。
五輪のマラソン選手に習って(気分ですよ、気分!)お餅を2つほど食べて、会場に向かいました。
会場は、サッカーJリーグの浦和レッズのホームスタジアムでもある、駒場スタジアム。



[2008年12月05日(金) ]
フードコーディネーターのSHIORIさんのように、
「将来、料理に関する仕事がしたい!」
と考えている方は多いことでしょう。
でも「食」「料理」「フード」に携わる仕事って、本当にさまざまです。
『やりたい仕事がある! ― 好きな仕事・向いている仕事741職』
という本の分類を参考にすると、「フード」関係の仕事は、大きく2つのキーワードに分かれています。
● 料理で人を喜ばせる仕事がしたい ⇒ 「調理」
● 食に関する知識と感性を活かせる仕事がしたい ⇒ 「グルメ」
「調理」には、
・料理人/調理師(日本料理、フランス料理、イタリア料理、中華料理、そば職人、すし職人など)
・パン職人、チーズ職人、パティシエ(菓子職人)、和菓子職人など
・醤油職人、豆腐職人、塩職人、味噌職人、杜氏など
・バーテンダー、喫茶店やカフェの店主など
・学校や病院の調理担当者
・バリスタ、コーヒー焙煎職人など
・ワイン製造工
・ティーブレンダー
「グルメ」には、
・料理やグルメ本のライター、グルメエッセイストなど
・デパ地下スタッフ、自然食品販売スタッフなど
・ソムリエ、きき酒師など
・料理研究家、フードコーディネーター、フードスタイリストなど
・インスタント食品開発者
・駅弁(空弁)企画開発スタッフ
・栄養士
という職業名があげられていました。
もちろん、コレ以外にもいろいろとありますし、同一人物でも複数の肩書きを持つ場合もあります。
例えば、「杜氏」(日本酒作りの職人)の方で、「きき酒師」の資格を持っている方は大勢いますし、「学校や病院の調理担当者」には「栄養士」の資格が活かされそうです。
人気の「料理人」が「駅弁(空弁)企画開発スタッフ」に加わるという話も、ありそうですよね。
「食」を作る人、「食」を表現する人、「食」を販売する人、「食」を評価する人、「食」を探求する人・・・。
さまざまな「食」のスペシャリストのなかで、自分はどんなことをしたいのか、どんな人に憧れるのか、いろいろ見てみることが大切ですね。
ちなみに、フードコーディネーターのSHIORIさんは「祐成陽子クッキングアートセミナー」の「フードコーディネーター養成コース」を卒業されたそうです。
このコースでは、撮影のための調理方法や美しい料理の盛りつけ方、食器やお花などのスタイリングなど、フードコーディネーターとして活躍するときに必要な実習を学べます。
「料理人として厨房で料理を作るより、料理研究家のようにレシピを発表する仕事に興味がある」という人は、こうしたスクールで学ぶのもオススメです。
それにしても、一口に「料理教室」「クッキングスクール」といっても、ずいぶんと細分化されていることにびっくり!
それだけ、「料理を仕事にしたい」という人のニーズが多様化しているのでしょう。
人が生きている限り、「食」は欠かせない分野なので、それも納得ですね!
[2008年12月02日(火) ]
以前、雑誌『Popteen』のお仕事インタビューでフードコーディネーターのSHIORIさんとご一緒させていただいたことがあります。
彼女のブログはこちら!
フードコーディネーターSHIORIブログ「作ってあげたい彼ごはん」by Ameba
「22歳でレシピ本を出す!」
ということを目標にしていたというSHIORIさん。
昨年2007年8月に『作ってあげたい彼ごはん』を出版し、見事その夢を叶えました。
フードコーディネーターや料理研究家といった仕事は、主婦出身の方、そしてオトナの女性が多いという印象でしたので、まだ若いSHIORIさん(現在まだ24歳でいらっしゃいます!)の有言実行ぶりがとてもたくましく感じました。
『作ってあげたい彼ごはん』は、現在第3弾まで出版されています!
若い女のコの「自分の彼に作ってあげたい!」というひたむきさがいっぱいに現れたレシピ本です。
まったく若くはない(!)私も持っていますが、夕飯作りに、お菓子作りにたびたび活用させてもらっています。
世の中に数多くのレシピ本はありますが、
「好きな人のためにごはん作るのって楽しい!」
というコンセプトがここまで明確なのはいままで見たことがなく、本当に新鮮でした。
SHIORIさんの「彼ごはん」のレシピを作ったとき、夫から「美味しい!」といわれ、なんだかいつも以上にうれしかったのです(照)。
そして、何より特筆すべきはSHIORIさんのバイタリティー!
「22歳でレシピ本を出す!」という夢のために、料理研究家の先生のアシスタントをしながら、休日は自分で手書きした企画書を出版社に送り続けたといいます。
『若い女のコに見てもらうなら、まずはファッション誌だ!』と思い、『彼ごはん』の企画を雑誌の編集部に送り続けましたがぜんぶスルー。1年くらい経ったとき、ある雑誌で連載が決まり、そこから雑誌の実績が増えました。
次は本にする企画を持って出版社を回ったのですが、ぜんぜん相手にしてもらえない。ようやく『料理ブログランキングで10位に入ったら』という条件付きで出してもいいといってくれた出版社があったのです。
そこで実際に1ヶ月半でブログランキング1位になり、出版に至ったというのですから、見事としかいいようがありません!
「途中めげたりしませんでしたか?」という質問には、
若いコが料理を始めるきっかけは『彼に作ってあげたい』というのが、実体験からもわかっていたので(笑)、私が本を出すならコレしかない、ぜったいに出したいって思っていました。前例がないと、なんども言われましたが、リスクの反面チャンスはあるはずって。
このまっすぐな気持ち、将来本を出したいと思っている私も、見習いたい!
そしてまだまだ若いSHIORIさんの、これからの活躍が本当に楽しみです。
いまいちばん注目のフードコーディネーターさんといえるでしょう!
ちなみに、いちばん新しいSHIORIさんのレシピ本は、
『フードコーディネーターSHIORIのかんたん♪LOVE弁当』
コレ見ると、お弁当作りたくなりますよ〜♪
私も買っちゃいました。