2008年を振り返って。もう一度夢を見よう!

[2008年12月30日(火) ]

いよいよこのブログも、今年最後となりました。

今年もおつきあいいただきありがとうございます。

みなさんにとって、この1年はどんな年だったでしょうか?


2009年の『今年の漢字』が先日、日本漢字能力検定協会から発表されました。

『変』

自然災害や金融危機、さまざまな事件や事故など分野問わず『変』な出来事が相次いだからでしょう。

アメリカ次期大統領・オバマ氏の“Change”というキャッチフレーズも、影響しているようですが、日本の“Change”『変化』は、首相の交代劇などアメリカのそれとは違ってあまり前向きではない“Change”だったように思います。

「『変』が選ばれたの?なんかヘンなの」というのが、ほとんどの人の感想でしょう。

でも、こんなヘンな時代だからこそ、“Change”が可能だというのも、また一理あります。



昔、私の友人でオペラ歌手を目指している男のコがいました。

彼は本人曰く「ひどい部屋に住んでいた」といいます。

都内(それも23区内)で2万円という家賃ですから、いわゆる風呂・トイレなし(共同)で、床は穴があきそうというところ。

着ているものもくたびれていましたし、女にはだらしないし、ろくでもない人でしたが、そんな彼でも、夢を追うことはできました。

彼の舞台を見たことがありますが、堂々とした歌いっぷりに驚いたものです。

考えてみれば、その頃から10年経っています。

いま彼とは会っていませんが、おそらく元気でたくましく暮らしているはずです。


年末にかけて、「派遣切り」のニュースが相次いで報道されています。

解雇を通告され、3日後には寮を出て行けと言われ、「住むところもないし、ホームレスになるしかない」という人がいるとのこと。

27歳とか23歳という若さ、独身という立場の人などさまざまなケースの方がテレビで取り上げられており、社会の厳しい現実が垣間見れます。


でも、こんな厳しい時代だからこそ、また若い方なら若いからこそ見れる「夢」や「目標」があるはず。

オペラ歌手を目指していた友人のように、

「少しぐらい食えなくなっても、夢があれば生きて行ける」

そんな若者が多くなってくれること、またそんな若者の想いを支えられるような社会になることが、いまの私の願いです。

夢を追うことや、自由に自分の将来を選ぶことから、今の若い人が遠いところにいるのだとしたら、それは悲しいです。

「若いからこそ見れる夢や目標」

いまの自分にそれがないならぜひ見つけて欲しいと思います。



2008年、特に仕事で苦労してしまった人にはまず「夢」を!

社会の厳しさになんか負けないで欲しいです!

ファイト!


1年間、ありがとうございました。


棚田が消える ─ それは日本社会の崩壊の象徴かもしれない!

[2008年12月26日(金) ]

そして、休憩をはさんで第二部は

「美しい棚田が消えて行く〜地域の農業をどう支えればよいか〜」

というテーマでのパネルディスカッションです。

パネリストには、経済評論家の内橋克人さん、慶應義塾大学教授の金子勝さん、農業ジャーナリストの榊田みどりさん、農業者を代表してJA埼玉ひびきの代表理事組合長の鯨井武明さん。

コーディネーターには、元NHKエグゼクティブアナウンサーの宮川泰夫さんがつとめられました。





冒頭、徳島県のある棚田農家をVTRで紹介していたのですが、この地域は10年前から休耕地が増え、農家を受け継がない者が続出。

集落に19あった農家数が2軒にまで減ってしまったというのです。

ある70代の夫婦の今年の収穫高は800kg。

その収入は16万円にしかならないというのです!

これは本当にショッキングでした。

お米を作る手間ひまを考えたときに、現金収入が16万円というのは・・・、これもグローバル化が進み、価格競争に破れた結果だと。

これでは、農家を継ぎたくても継げませんよね。


私はこの日、初めて知ったのですが、日本の農家数も、農業の耕地面積も、農業の生産量も、その40%が棚田をはじめとした中山間地の農業だというのです。

広々とした平野で農業を行う欧米とは実情がまず全く違います。

冒頭の農家の方の話は、全国各地、日本の農業全体で起こっている問題なのです。



パネリストのひとり、農業者でもある鯨井さんは盛んに


なぜ棚田がなくなってしまうのか。その原因を考えて欲しい。


とおっしゃっていました。


それまで自分の経済をまわすために守ってきたのが棚田なんです。いま、それをあきらめて手放してしまっている状態なんです。


棚田は美しい景観のために作られたものではなく、経済活動を担う手段としてあったものなのです。

私のような者は、こうした点を見逃しがちなので、改めて中山間地の実情の厳しさを感じました。


こうした事をうけて、経済評論家の内橋さんは、日本があまりにも工業に偏りすぎた政策をしていると指摘。


現在、日本を代表する世界的企業と、日本経団連会長が率いるエレクトロニクスメーカーが先頭に立って派遣社員や請負工を解雇する動きがあるが、これは行き過ぎたコスト競争主義の結果であって、工業一辺倒の日本のゆきづまりである。これは、『農村で起こっている問題はやがて都市でも問題になる』ということの現れです。

農家は代々世襲で生き残って来たが、いま国が進める集落営農も、小規模農家がほとんどである農家の実情とマッチしていない。それどころか法人による農家の新規参入を認めようと言う動きがあるが、それは農家の中に格差を広げるだけで、問題はなにも解決しない。


と、農業と工業、現代日本社会のあり方そのものにも、警鐘を鳴らしました。


慶應義塾大学教授の金子さん「中山間地の農家は、少子化社会の最前線である」とし、


棚田で米作りだけをしているのでは限界がある。野菜や果物、花などを作り、それらを自分たちで加工し、流通させる。農家が1次産業だけでなく、加工などの2次産業、流通などの3次産業も行い「6次産業」として自立していく必要がある。

もっと農業が自由で楽しく、利益も生み出せる職業にしないと、若い人は戻ってこない。


と意見。

国の助成金を頼りにするあり方では、都市住民からの反発も起こりうるとおっしゃっていました。


農業ジャーナリストの榊田さんは、全国各地の農村を取材した経験から「みなさんも農地に足を運んでほしい」と伝えられました。


自分たちの飲み水がどこの源泉から引っ張って来ているのか調べてみて欲しい。というのは、いま山間地の農家が農業を続けられず手放すケースが相次いでいるが、その土地を産業廃棄物の業者が手に入れている。山間地から流れ出た水は、やがてふもとの街にまで届きます。


と、これまたショッキングな事実を伝え、都市住民にとっても、中山間地・棚田で起きている問題は無関係ではないと訴えます。


どのパネリストもそれぞれ違う背景を持ちながらも、


このままでは棚田はもちろん、地域の、日本の農業が危ない。そしてそれは、日本社会そのものが危ないということの現れだ。


という意見で一致していました。

こうした問題は「じゃあどうすればいいのか?」というところで結論が出にくいのです。

国が後押しする集落営農も、地域に残るたった1人の若者に将来が託されているのが現状で、次世代を担う農業者を育てるという点でも、まったく解決にはなっていません。

しかし、金子教授がおっしゃっていた「まず議論が必要」というのにも、私は賛成です。

農村で暮らす人々だけでなく、都市住民も当事者意識を持ってこの問題を考え、意見を持ち、自分に何ができるかを考える。

そうした中で「農業を職業にしたい」という人が増えてこなければ、私たちに未来はないのです。



この日の議論はしかし、暗い話ばかりに終止したのではなく、すでに自立の道を歩み始めて成功している農家や農村も紹介されました。

JA代表の鯨井さんも「いまこそ農協がリーダーシップを発揮するとき」とおっしゃっていたのも、頼もしく感じました。

しっかり金子教授がそれに対して厳しい突っ込みを入れるなど、2時間以上の議論だったにも関わらず、まったく退屈しないものでした。

NHKで放送されるときには、みなさんもぜひチェックしてみてください。

「農業を仕事にしたい!」という人が増えれば、日本もきっと立ち直れるはずです!


NHKの食料フォーラムに行ってきました!

[2008年12月23日(火) ]

先日、こんな講演会に参加してきました。



食料フォーラム 美しい棚田が消えていく
〜地域の農業をどう支えればよいか〜



私は以前、棚田オーナーとして伊豆の棚田に農作業しに行ったこともあって、棚田は常に気になる存在です。

実は今年、棚田オーナーを辞めてしまったのですが、その理由としては、伊豆の棚田まで通うのが年々負担になってきたのと、都会からのオーナーを受け入れるために、現地の人に農作業の負担が重くのしかかってしまい問題になっている、というのを知ったためです。

「美しい棚田の風景をなくして欲しくない。残して欲しい」

というのは、その地域では暮らしていない、自分のエゴではないのか?という思いでいっぱいでしたので、このフォーラムのチラシを見たときは、即申し込みをしました。


会場も埼玉会館で近かったので、ラッキーでした。

受付を済ませ中に入ると、埼玉県内の農業を紹介する人たちがたくさんいました。

秩父の「遊休農地活用サポーター」なる制度もあるようです。



「伊豆よりは近いし、私にできることあるかも?」

興味をそそられたので、これからいろいろ調べて、できれば参加したいと思っています。



まず第一部は、料理家・ケンタロウさんのトークショー。

料理研究家の小林カツ代さんの息子さんということで、幼い頃の台所での思い出話から、カンタンレシピまで、楽しいトークを聞くことができました。


米研ぎは子どもの仕事だった。冬は水が冷たくて1回しか水を変えなかったりしたけれど、いつばれるのかと思ってドキドキ。結局次からはまじめにやってしまうんです。



インゲンの筋を取る作業とかもやっていました。インゲン、好きじゃなかったけれど、自分がやったものだから残せなかったですね。


この辺りのエピソードは、子どもを育てているおかあさんに役立ちそうです。


料理家になるまでのエピソードも披露。


イラストレーターを目指していたのだけれど、自分が出版社にイラストを持ち込んでも相手にしてもらえない。しかし家にはカツ代(注:ケンタロウさんは小林カツ代さんの会社で仕事をしていたこともあり、こう呼ぶのだそうです)に会いに、出版社の編集者が自ら足を運んでくる。こっちで仕事をしたほうがチャンスが広がるんじゃないか?という下心があって。“腰掛けOL”みたいな感覚で、カツ代の会社で働き始めたのです。

ある日、男性向けの雑誌で料理特集することになったからやってみないかと言われて引き受けた。それからは、料理の仕事しかこなくなった(笑)。でも料理家っていい仕事ですよ!


これは、ケンタロウさんだからこそ、というエピソードですが、男性の料理家は、いま何かと注目ですね!


この講演会の模様は日曜フォーラム(NHK教育)で後日放送される予定ですので、
ぜひチェックしてみてください。


人と人とをつなぐ、A&Rという仕事

[2008年12月19日(金) ]

前回まで2回にわたって、箏クリエイター・中しまりんさんのインタビューを紹介しましたが、彼女にインタビューするきっかけとなったのが、「ミミ・エンタープライズ」のA&Rである内田雄介さんとの出会い。

アーティストとしてだけでなく、スタッフとして音楽に携わりたいと思う人へのヒントになるようなお話を、内田さんにいろいろ伺ってきました。



高校時代からバンドを組みギターを弾いていたという内田さん。


音楽だけでなくモノ作りにも興味があって、建築家になりたいって思っていました。大学に行かず独自に建築を学んだ安藤忠雄がカッコいいと思って。物理が苦手なので、あきらめましたが・・・。


高校卒業後は、飲食店でバイトなどもしながら、音楽スタジオでアシスタントエンジニアの仕事をしていたとか。

「エンジニア」という響きから、表に出るアーティストではなく裏方のスタッフ、と私は想像してしまったのですが、音楽業界でいう「エンジニア」とは、「レコーディングエンジニア」のこと。

レコーディングの際、アーティストやプロデューサーらと音楽の方向性やテーマを確認しながら、実際の録音作業に携わるスタジオのキーマンです。


裏方やスタッフの仕事に興味持ったのは、音楽イベントの仕事に携わるようになってから。ディレクターとか、プロデューサーとか、A&Rという仕事があるというのを知ったのです。


※音楽業界の職種については下記を参考に。

音楽に携わる仕事とは?|音楽を仕事にする!!音楽業界仕事Navi


スタッフの仕事のどこに魅力を感じたのか尋ねると、


アーティストには夢がありますよね。アルバム1枚作るにしても、すごい希望が詰まっている。それをいかに魅力的なものにしていくかというのは、ディレクターやA&Rの手腕にかかっている。より魅力的なものを、アーティストといっしょに作り上げていきたいと思ったのです。


内田さんの“モノ作り”への思いは、音楽そのものにとどまらず『アーティストの夢』へ向います。


私の仕事は、東風に関しては、「東風」の活動をよくする仕事全般。『誰か曲をアレンジしてくれる人が欲しい』といえば、その人を紹介したり。アーティストの身近な相談役という感じです。もちろん、東風以外の担当アーティストや、新人発掘も仕事です。マネージャー的な仕事もあります。ウチの事務所は少数精鋭なので(笑)、なんでもやります。

でも、A&Rになる前に、へんな夢を抱かなかったので『想像と違う』ということはないです。具体的な仕事内容というのは、入ってみないとわからないですし、会社によっても違います。この仕事をしてもう1年ですが『こういう動きがベストだな』っていうのが自分なりにわかってきた。だから今、楽しいです。


例えば、ライブをやることになったら、チラシのデザインを決めたり、ホームページを作ったりといった、細かいやりとりや雑用もある。

スケジュールの調整など、人と人との間に立つことも多い仕事。


でも、そういうことは大変だと思わないです。フットワークは軽いほうがいいですし。この仕事は人と会うことが大切なんです。会って役に立たない人なんていない。人と会って情報交換すると、いろんな発想が出て来たりするのです。



スタッフの仕事に向いているのは、どんな人でしょうか?


音楽が好きなことはもちろんですけれど、人と何かを作ったり、人と話すのが好きかどうか。コミュニケーションって大切ですよね。自分も流暢に話せるわけではないんですけれど、人と話すのが好きなんです。

やっぱり音楽って人と人との信頼関係からできているって思うんです。損得だけじゃやれない。個人的には自腹切ってでもやりたい仕事っていうのはあるんです。



A&Rとして、アーティストをどんな風に売り出していきたいかを聞いてみると、


それは彼女(中しまりんさん)と話した上で決めること。彼女がどうなりたいかが1番のビジョンなので。そのために『こうしたほうが近道』とか『少し遠回りだけれどこうしたほうがいい』と道を示して行くのが僕の役割です。

もちろんカッコいい音楽を作って、カッコいいアーティストになってほしいというのは常にあります。でもそれが全てではない。そこにいくためにいい人間関係、チームを作って行きたいのです。あるアーティストを紹介して、そのコミュニケーションがうまくいって、ライブでいいパフォーマンスができたりすると、すごくやりがいを感じますね。



最後に、音楽業界で働きたいと思っている人へのメッセージを伺いました。


音楽もビジネスですので、夢を追ってばかりではダメ。ただの音楽好きには、逆につらいかもしれません。雑用でもなんでも楽しめる人がいいと思います。



「音楽は人と人との信頼関係からできている」という言葉がとても印象的でした。

音楽が人に感動を与えるのは、それが大勢の人の信頼関係から成り立っているからなのでしょう。

この業界で働きたいという人が多いのも、うなずけるなあと思った内田さんのインタビューでした。




撮影ビデオを設置し、東風のライブを見守る内田さん。



箏クリエイター・中しまりんさんにインタビューしてきました♪(後編)

[2008年12月16日(火) ]

シンガーソングライターとしてデビューした中しまりんさん


地道にライブ活動しつつ、曲作りつつと4〜5年やっていたのですが、また私の悪いところが出ちゃって・・・。


曲を鼻歌で歌うと、アレンジしてくれる人がいたからつい頼ってしまったそうです。

そうすると、自分のなかで進歩がなくなってしまう。


ライブでも思うように表現できなくなり、だんだん歌が好きじゃなくなってきたんです。



そんな悩みを抱えていた頃、箏はどうだったかというと「ずっと放置しっぱなし(笑)」だったとか。


田舎の師匠は『いつ(お箏に)戻ってくるの?』と言い続けてくれていたんですけれど、私は絶対戻ることはないって思っていました。箏の会にも籍をずっと置いたままになっていたので『籍抜きたい』という話もしたんです。けれど『あと1、2年待ってみなさい。会費は私が立て替えてもいいから』って言ってくださって。



師匠とそんな会話をした後、たまたまテレビのドキュメンタリー番組で、あるアーティストの存在を知る。

それは、中国の古箏奏者、伍芳(ウー・ファン)さん


『中国にはこんな箏があるんだ』と思ってなんとなく見ていたのですが、それがすごくきれいなメロディーで、すてきだなあと思ったんです。



ネットで伍芳さんのことを調べてみると、たまたま近くでライブをやるということがわかり、出かけてみた。

そのライブで彼女は、古典だけでなく、オリジナル曲を多数演奏していた。


それが本当にすばらしくて!その人の世界観っていうのが表現されていて感動したんです。



箏を演奏する技術力にも、衝撃を受けたという。


技術力があるってすごいことですよね。例えば私がいまからギターで、伍芳さんのような技術力をつけようと思っても無理だと思って。でも、小さい頃からやっていた『箏なら自分を表現できるかも』って思えた。

小さい頃に楽器をやらせてもらえていたっていうのは、すごくありがたいこと。なのに自分はそれを無駄にしてきたのかもって、その時初めて気づいたんです。気づくまでに、すごく長い時間かかったんですけれど(笑)



「箏でオリジナル曲を作ってもいいのでは?」と気づいた中しまさん。

師匠に「もう一度やってみようと思うんです」と伝えたら「やっぱりね、思った通りよ」と言われたとか。


本当に、籍を抜かなくてよかったと思いました(笑)



最初に作った箏のオリジナル曲は「風ぐるま」


実はこれ、ギターで作っていた歌なんです。途中までしかできていなかったのですが、メロディ的に箏に合うかもしれないと思って。

ちょうどコンピューターで音楽を作るDTMを教えてもらっていたときなので、見よう見まねで。キーボードもひけないので、ゆっくり1音1音打ち込みながら、音を並べてメロディーを作ってアレンジして・・・。いま思えば気の遠くなる作業をして作りました(笑)

結局、私はその場に立たされないとやらないみたいなんです(笑)でも『やりたい』という思いがあるから『やるしかない』って思える。ここまで来るのにすごく遠回りしました。でもギターで歌を作っていなかったら、いま箏で曲を作ろうとは思わなかったと思うんです。


それまでの音楽活動がつながり始めた。


中しまさんが自らを、箏の「演奏家」ではなく「箏クリエイター」と名乗るのも、自分で表現していける人になりたいからだという。


ギターをひいていた頃は『あまりうまくないのに』と仕方なく演奏していた感じでしたが、お箏だと、たとえ失敗しても『もっと練習しよう』という気になれるんです。自分でも堂々としていられるようになったって思います。

芸の道は積み重ね。10年のブランクは長いけれど、その日々がなければいまはないわけで。その分練習しようと思えるんです。いまの私の課題は『丁寧に演奏する』ということ。ひたすらひいていた昔と違って、だいぶ練習の仕方もわかってきました。



最後に将来、音楽のプロとして活動していきたいと思っている人にアドバイスを伺いました。


音楽が好きという気持ちがいちばんなんですけれど、やりたいという思いだけではダメ。客観性も必要だと思います。自分はなにができて、なにができないのか。なにが必要で、なにを求められているのか。そのバランスがうまくいって、初めてプロとして成り立つんだと思うんですよね。

やりたいことをするために、自分はなにをするべきかというところに、ちゃんと向き合うのが大事です。でも、そこで失敗したり、遠回りしてもいい。その経験は、決して無駄じゃないと思います!


すべてご自身の体験から語られる言葉だからこそ、説得力がありますよね!



中しまさんはライブ活動も積極的に行っています。

私も12月7日に行われた「表参道オリエンタルバザール フリーライブ」に行ってきました♪



箏を演奏する中しまりんさん。
ギタリストの高井城治さんとの息もピッタリ!




しばし足を止めて演奏に聞き入る人々。
場所柄、外国人の姿も多かったです。




無事ライブ終了でホッとひといき。
お着物姿もステキでした♪



来年2月7日には、中しまさんのユニット「東風」がオーガナイズする「Classics Lounge voi.7」も開催が決定。

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日時:2009年2月7日(土) 開場 15:30/開演 16:00
会場代官山 晴れたら空に豆まいて
入場料:前売り 3,000円/当日 3,500円
    ※別途ドリンク代500円が必要です。
Guest蝦馬Be.

問い合わせ&チケット予約は下記まで。

「代官山 晴れたら空に豆まいて」チケット予約フォーム
TEL.03-5456-8880

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インタビュー後、なんと私と同い年ということがわかって、個人的に大感激。

社会に出ると、なかなか「同級生」に出会えないので本当にうれしかったです。

しかも、夢を現実のものとしている同級生なんて、励まされます。

これからの中しまりんさんの音楽活動に、がぜん注目です♪


箏クリエイター・中しまりんさんにインタビューしてきました♪(前編)

[2008年12月12日(金) ]



以前、このブログでもお伝えしましたが、先日、念願かなって箏クリエイター・中しまりんさんにインタビューしてきました。

中しまりんさんのプロフィール等

My life as a cat  ***中しま りんブログ***


彼女のブログでも紹介してもらいました。

ありがとう!


音楽を志したことのある人ならば一度ならずとも

「将来は、自分の好きな音楽で食べて行きたい」

と思ったことがあるはず。

でも、誰もがその夢を叶えられるというわけではありません。

若い頃、音楽活動に明け暮れたけれど、いまは別の職業についているという人は多いでしょう。

そんな人と、プロとして音楽活動を続けられる人って、なにが違うのか?

そんなことを知りたくて、音楽アーティストに話を聞いてみたいと思っていたのです。


中しまりんさんは、箏という伝統楽器で独自の音楽世界を作るアーティスト。

オーガニック・サウンド・ユニット『東風(TONFU)』として、伝統にとらわれない自由な発想で上質な音楽を創造しています。


そんな中しまりんさんに、箏との出会いから現在までの道のり、音楽を続けて行きたいという人へのアドバイス等を聞いてきました。



吉祥寺の喫茶店でお話を伺いました。

「母がなにか芸をやらせてみたいと思ったみたいで」と、5歳のときから箏を始めたという中しまりんさん。

周りに箏をやっている人がいないため「人と違うことをしているのがうれしかった」という。

中学高校のときもずっと箏を続け、師匠に連れられて故郷の富山から東京でレッスンを受けたりもしていたという。


師匠は『お箏を仕事にするくらい、本気でやって欲しい』と言っていたのですが、私は『自分のやりたい音楽とお箏は別もの』って考えていた。だから高校を卒業してから一度辞めてしまったんです。



短大進学のために上京。

歌や音楽が好きだったので、ボイストレーニングに通ったり、バンド活動をしていたという。

その頃からすでに、プロになるんだという意識はあったのでしょうか?


『音楽をやっていきたいなぁ』という思いはあったんですけれど、具体的に『じゃあどうしたらいいんだ』っていうのは見えてなかったかも。プロになるためになにが足りないかとか、どうしたらいいのかとか、そこはあまり冷静じゃなかった。曲も作れないし。ギターくらい買ってみようと思って買ったんですけれど、あまり練習もせず(笑)



時代はシンガーソングライター全盛の頃。

「歌詞くらい書けないと」と思い、仲間が作った曲に合わせて歌詞を書きはじめる。

本格的なデモテープを作ろうというときになって、仲間が「他のバンド活動に専念したいから辞めたい」と言い出した。


それまでの私は甘えたところがあって、『誰かがやってくれるなら』と、人を頼ってしまうところがあったんです。でもそのとき初めて『自分でやらなきゃだめなんだ』って思い知らされた。

それからギター片手にコードブックを見ながら、まずはコードを覚えていったんです。鼻歌で歌って、それにC、D、Eみたいな、カンタンなコード進行でメロディーをつけて。ギターはポロンポロンと鳴らすだけみたいな感じでした。



こうして初めてのデモテープが完成。

知人を通じてレコード会社の人に聞いてもらうことができた。

すると彼は「いいね!」と気に入ってくれたという。


技術じゃないところを見てもらえたのがありがたかったですね。曲も詞も初めて自分でひとりで作ったのですが、心の声というか、自分の思いを込められたのがよかったんだと思います。



せっかくだからレコーディングしようということになり、CDを制作。

シンガーソングライターとしてデビューすることができた。

音楽をする人なら誰もが憧れる夢を叶えたわけですが、その秘訣はどこにあるのでしょうか?


身近に音楽関係の人がいて、その人に聞いてもらえたのはラッキーだった。


と中しまさんは言いますが、まずはそうした夢につながる“場”にいることが必要なのでしょう。

そして彼女はずっと「歌をやりたい。今度デモテープを作るので聞いて欲しい」と言い続けていたという。

夢を叶えるためには、まず周りに宣言することが大切。

また、何よりも仲間が「辞めたい」といったピンチのときにも、夢をあきらめないで、曲作りにチャレンジしていったことがいちばんでしょう。

中しまさんの行動の中には、夢を現実のモノとしたいという人のヒントになることがたくさんあるのです!


ハーフマラソン、完走しました!

[2008年12月09日(火) ]

もう2週間ほど前のことになりますが、私は11月23日に行われた「さいたまシティマラソン大会」に出場し、ハーフマラソンを無事完走してきました!

以前このブログでも書きましたが、マラソン大会というものに出るのは学生時代以来15年ぶりくらい。

前日の夜は大好きなお酒も飲まず、食事も早めに済ませて早々に寝ましたが、いままでになく緊張してなかなか寝れませんでした。

当日は受付時間が早いので6時前に起床。

五輪のマラソン選手に習って(気分ですよ、気分!)お餅を2つほど食べて、会場に向かいました。


会場は、サッカーJリーグの浦和レッズのホームスタジアムでもある、駒場スタジアム。



「浦和レッズサポ」でもある夫や夫の両親も「スタジアムを走るなんていいじゃん」と応援にきてくれました。

スタートは自己申告タイム別順で、私は「1時間40〜50分」というところに並びました。

自分の練習での持ちタイムを考えるとその後ろの「完走を目指す方(2時間20分)」というところが適当なのですが、ちょっとでも前でスタートしたいという気持ちから、前へ前へとすすんでしまいました。

私の密かな目標は時速10km/hのペースで走って「2時間6分」というもの。

でもこのタイムを出すのも厳しいと思っていました。

というのも、練習ではどうしても時速10km/hで1時間以上走れなかったので(いつも時速計算すると9.7km/hとかになっていました)。

オーバーペースになって途中でブレーキがかからないように、というのだけを心がけて走りました。


実際走ってみると、練習ではいつも一人で走っているので、周りに大勢の人が一緒に走っていることが新鮮で、そしてとても楽しく心強かったです。

「周りががんばれるから、自分もがんばれる」という感じ。


沿道では周辺の住民の方が大勢応援してくれました。

私はこの日「さいたまデビュー」ということを考えていたので浦和レッズのレプリカユニホーム(13番、鈴木啓太選手のです)を着て走ったのですが、沿道から

「レッズがんばれ!」

「啓太ファイト!」

「13番がんばれ!」

とか、いっぱい声援もらっちゃいました。

さすがレッズの地元!

こういうのが、本当に楽しいんです♪


最初の5kmを30分弱、時速にすると10km/hを少し上回るペースで走っていることに気づき、

「このペースだったら完走はまず大丈夫だろう」

と確信。

半分を過ぎたところで

「もしかして2時間を切れるかもしれない」

と思い、それを目標にがんばりました。

ラスト2kmくらいのところは最後、若干登り坂になるし、沿道からは

「がんばれ、2時間切れるよ!」

なんて声援があるものだから、すごく苦しかった!

最後競技場に入って半周するのですが、猛ダッシュでしたよ!

ゴールするときはうれしくて1人ガッツポーズしてしまいました。


タイムは1時間57分41秒

タイム自体は平凡ながら、自分の目標を上回ったということで、すごく満足感がありました。

やっぱり目標を持つって大切なんですね。

それがあるから、がんばれるっていう感覚を、久々に味わいました。


参加賞はスポーツタオル。



この竜はさいたま市のキャラクターで「ヌゥ」というそうです。

「なぜ竜なのか?」というと、今回のコースにもなっている「見沼たんぼ」の守り神が竜だからだとか。

見沼田んぼは、首都近郊では貴重となっている大規模緑地空間です。

広々とした田んぼや畑を駆け抜けて行くのは気分がよく、遠くに埼玉スタジアムを望んだときには、

「ああ、自分の街を走っているのだなあ」

という気持ちになれました。


ゼッケンには大会の特別協賛ということで「浦和レッズ」の名前も入っていました。



地域密着のサッカーチーム自身が、地元の大会のスポンサーのひとつになるという現象が面白いですよね。

街を駆け抜けるマラソン大会には、その街を見直すいいきっかけになります。

「こんなに自然が残っていたのか」とか「こんな道があったんだ」とか。

昨今のマラソンブームも、そんなことが背景にあるのかもしれませんね。


次は来年2月1日の「東京ベイ浦安シティマラソン」に参加する予定です。

浦安は私の実家のある街。

「故郷に錦を飾る」という気分で、楽しんで走ってきます!

またブログでもその様子を報告させてもらいますね。

料理に関する仕事がしたい!

[2008年12月05日(金) ]

フードコーディネーターのSHIORIさんのように、

「将来、料理に関する仕事がしたい!」

と考えている方は多いことでしょう。


でも「食」「料理」「フード」に携わる仕事って、本当にさまざまです。

『やりたい仕事がある! ― 好きな仕事・向いている仕事741職』

という本の分類を参考にすると、「フード」関係の仕事は、大きく2つのキーワードに分かれています。


● 料理で人を喜ばせる仕事がしたい ⇒ 「調理」

● 食に関する知識と感性を活かせる仕事がしたい ⇒ 「グルメ」


「調理」には、

・料理人/調理師(日本料理、フランス料理、イタリア料理、中華料理、そば職人、すし職人など)
・パン職人、チーズ職人、パティシエ(菓子職人)、和菓子職人など
・醤油職人、豆腐職人、塩職人、味噌職人、杜氏など
・バーテンダー、喫茶店やカフェの店主など
・学校や病院の調理担当者
・バリスタ、コーヒー焙煎職人など
・ワイン製造工
・ティーブレンダー


「グルメ」には、

・料理やグルメ本のライター、グルメエッセイストなど
・デパ地下スタッフ、自然食品販売スタッフなど
・ソムリエ、きき酒師など
・料理研究家、フードコーディネーター、フードスタイリストなど
・インスタント食品開発者
・駅弁(空弁)企画開発スタッフ
・栄養士


という職業名があげられていました。

もちろん、コレ以外にもいろいろとありますし、同一人物でも複数の肩書きを持つ場合もあります。


例えば、「杜氏」(日本酒作りの職人)の方で、「きき酒師」の資格を持っている方は大勢いますし、「学校や病院の調理担当者」には「栄養士」の資格が活かされそうです。

人気の「料理人」が「駅弁(空弁)企画開発スタッフ」に加わるという話も、ありそうですよね。


「食」を作る人、「食」を表現する人、「食」を販売する人、「食」を評価する人、「食」を探求する人・・・。

さまざまな「食」のスペシャリストのなかで、自分はどんなことをしたいのか、どんな人に憧れるのか、いろいろ見てみることが大切ですね。



ちなみに、フードコーディネーターのSHIORIさんは「祐成陽子クッキングアートセミナー」の「フードコーディネーター養成コース」を卒業されたそうです。

このコースでは、撮影のための調理方法や美しい料理の盛りつけ方、食器やお花などのスタイリングなど、フードコーディネーターとして活躍するときに必要な実習を学べます。

「料理人として厨房で料理を作るより、料理研究家のようにレシピを発表する仕事に興味がある」という人は、こうしたスクールで学ぶのもオススメです。


それにしても、一口に「料理教室」「クッキングスクール」といっても、ずいぶんと細分化されていることにびっくり!

それだけ、「料理を仕事にしたい」という人のニーズが多様化しているのでしょう。

人が生きている限り、「食」は欠かせない分野なので、それも納得ですね!


注目の若手フードコーディネーター・SHIORIさん

[2008年12月02日(火) ]

以前、雑誌『Popteen』のお仕事インタビューでフードコーディネーターのSHIORIさんとご一緒させていただいたことがあります。

彼女のブログはこちら!


フードコーディネーターSHIORIブログ「作ってあげたい彼ごはん」by Ameba




「22歳でレシピ本を出す!」

ということを目標にしていたというSHIORIさん。

昨年2007年8月に『作ってあげたい彼ごはん』を出版し、見事その夢を叶えました。

フードコーディネーターや料理研究家といった仕事は、主婦出身の方、そしてオトナの女性が多いという印象でしたので、まだ若いSHIORIさん(現在まだ24歳でいらっしゃいます!)の有言実行ぶりがとてもたくましく感じました。


『作ってあげたい彼ごはん』は、現在第3弾まで出版されています!

若い女のコの「自分の彼に作ってあげたい!」というひたむきさがいっぱいに現れたレシピ本です。

まったく若くはない(!)私も持っていますが、夕飯作りに、お菓子作りにたびたび活用させてもらっています。

世の中に数多くのレシピ本はありますが、

「好きな人のためにごはん作るのって楽しい!」

というコンセプトがここまで明確なのはいままで見たことがなく、本当に新鮮でした。

SHIORIさんの「彼ごはん」のレシピを作ったとき、夫から「美味しい!」といわれ、なんだかいつも以上にうれしかったのです(照)。



そして、何より特筆すべきはSHIORIさんのバイタリティー!

「22歳でレシピ本を出す!」という夢のために、料理研究家の先生のアシスタントをしながら、休日は自分で手書きした企画書を出版社に送り続けたといいます。


『若い女のコに見てもらうなら、まずはファッション誌だ!』と思い、『彼ごはん』の企画を雑誌の編集部に送り続けましたがぜんぶスルー。1年くらい経ったとき、ある雑誌で連載が決まり、そこから雑誌の実績が増えました。

次は本にする企画を持って出版社を回ったのですが、ぜんぜん相手にしてもらえない。ようやく『料理ブログランキングで10位に入ったら』という条件付きで出してもいいといってくれた出版社があったのです。



そこで実際に1ヶ月半でブログランキング1位になり、出版に至ったというのですから、見事としかいいようがありません!

「途中めげたりしませんでしたか?」という質問には、


若いコが料理を始めるきっかけは『彼に作ってあげたい』というのが、実体験からもわかっていたので(笑)、私が本を出すならコレしかない、ぜったいに出したいって思っていました。前例がないと、なんども言われましたが、リスクの反面チャンスはあるはずって。



このまっすぐな気持ち、将来本を出したいと思っている私も、見習いたい!

そしてまだまだ若いSHIORIさんの、これからの活躍が本当に楽しみです。

いまいちばん注目のフードコーディネーターさんといえるでしょう!

ちなみに、いちばん新しいSHIORIさんのレシピ本は、

『フードコーディネーターSHIORIのかんたん♪LOVE弁当』

コレ見ると、お弁当作りたくなりますよ〜♪

私も買っちゃいました。