[2007年10月18日(木) ]
私は仕事柄、いろんな会社の方と接します。
なかでも、製造業に携わる人と話をしていると、文系であれ理系であれ「モノ作り」に携わる人としての、ある種のアイデンティティを感じます。
それは、工場を持っている会社、といっていいのかもしれません。
「工場の製造ライン」に関して、事務系社員、技術系社員がどのように関わっているのか、それを見るとなんだかワクワクするのです。
ある文房具メーカーで、ボールペンのインクを作ってる研究所に行ったときのこと。
「ここ、理科の実験室みたいでしょう?」という研究開発の方の話を聞いて、
「そういえば、私も高校生の頃、化学の実験大好きだったじゃん。
その気持ちを持ち続けて、こういう会社に就職するっていうのも、ありだったのかも」と思ったりしたものです。
理系の専門家ではないので、研究員としてはムリでも、広報とか営業とか生産管理とかに携わっていたのかも。
そうすれば、こんな私でも「半分理系」の知識が身についたのかも。そう思うだけで、ワクワクしちゃったのです。
大学受験に合わせて、高校での文理選択に合わせて、どっちかに決めなきゃいけないかもしれないけれど、
どっちかを選んだとしても、選ばなかったほうをまるっきり捨ててはほしくありません。
そして、迷っている方、両方好きで得意である方には「文理併願」というのは大いにあると思うのです。
実際、Aさんの海外にある大学の「オペレーションマネージメント学部」という文系理系どっち付かずの学部というのもありますし、
今後環境問題や国際交流などに携わろうとしたら、文系理系が混ざり合った分野が多いように思うのです。
だから、文理選択を狭く考えずに、
自分の可能性を広げる第一歩として考えてほしい。
いまも、この先も「半分文系、半分理系」がいいのかも。そんな風に考えてみるのも、オススメです。
[2007年10月15日(月) ]
「オペレーションマネージメント学部」なんて、私は初めて聞きました。
そんな学部があるんですね、海外には(日本にもあるのでしょうか)。
Aさん曰く「やや文系、やや理系という、どっち付かずの学部」らしいのですが、なぜその学部を選んだのか、聞いてみました。
「ええっと、この話はすごく個人的なのですが。
ボクはじつはパイロット志望だったのです。
でも、学生時代にいろいろと問題が発生して、それがダメなら飛行機に乗る職業に就こうと。それなら海外を行き来する仕事だと思い、注目したのが日本の工場だったのです」とのこと。
オペレーションマネージメント学部では、生産管理や物流管理という、製造業が実際に工場でやる仕事に直結するようなことを学んでいたそうです。
入社後、Aさんは日本のある工場で働くことになりました。
そこでは「いつまでに、なにを、どのように生産すればいいか」という、生産計画の立案に携わっていたとのこと。
「生産計画は担当者の知識と経験によって出すのですが、それがお客様への解答となり、会社の約束ごととなり、工場の収益につながる。私が計画したことが、そこまでのことになるので、大変やりがいがありましたね」
さらに、Aさんは続けてこういいます。
「ウチの会社がすごいのは、こうした工場のラインに関わる業務を、技術系の社員ではなく、事務系つまり文系出身の社員に担当させるというところです。
背景として、こうした生産管理にいく人間は、もともと営業という形で採用される人がほとんどなのです。
営業といっても、工場のラインをある程度理解していないと、お客様との交渉のとき困ります。なにか質問あったときも『工場担当者に確認します』というのではなく、その場で答えられるようにする。そういう考えがあるのです。
文系出身であっても、入社後研修などで『シリコンウエーハとは』『工場のラインとは』など徹底的に学びます。
実際に工場に入っていっしょに働きながら学んで行くので、気づいたときには半分理系になっているんですよ(笑)」
[2007年10月13日(土) ]
大学受験というシステムに合せると、理系文系の選択はずいぶん早くから必要なようですが、
その先の人生を考えると、そんな風にわかれたままでもないようです。
というのも、先日ある会社の方へインタビューしたのですが、彼曰く
「仕事を続けていれば、文系の人も半分理系みたいになっちゃいます」というのです。
それは一体どんな仕事でしょうか?
彼(仮にAさんとしましょう)が務める会社は、半導体の基盤であるシリコンウェーハを製造する素材メーカーです。
半導体というのはみなさんご存知のように、パソコンや携帯電話、携帯音楽プレーヤーやICカードなどに使われているもので、自動車やロケットなどにも使用されています。
その素材であるシリコンを作っているメーカーですから、仕事をする相手は世界各国の製造メーカー。
私たちが使っている製品のほとんどは、この会社が材料を提供しているといってもいいくらいの、世界的企業なのです。
Aさんにこの会社を選んだ理由を聞きました。
「自分が就職したのは6年ほど前ですが、その頃は製造業のグローバル化が進み、日本から海外に製造拠点を移すところも多くありました。
素材メーカーであれば、今後コスト競争力などで海外に進出する可能性が高い。
自分は日本の技術力の高さや、工場の生産性の高さなどはすばらしいと思っていたし、工場の立ち上げにも関わりたいと思っていました。
これから海外に進出するにあたって、日本と海外を結ぶような橋渡しの役割をしたいと思い、この会社を選んだのです」とのことでした。
Aさんはじつは大学はアメリカの大学に進んだとのこと。
オペレーションマネージメント学部という、工場の生産性を上げるためにどうすればいいか、ということを勉強する学部にいたそうです。
[2007年10月11日(木) ]
みなさん、こんにちは!
以前、ブログにコメントいただいた方とのやりとりで、「文理選択に悩んだときは、まずは理系を選んでみては?」という意見を載せましたが、
(下記を参照ください。
http://www.zkaiblog.com/obstaff/archive/56)
あらためて、理系文系選択について考えてみます。
なんどもこのブログでお伝えしていますが、
私の出身高校(千葉県にある県立高校です)は、進学校といわれているにも関わらず、理系文系でクラスを分けることをしていません。
最近、同じ高校を今年卒業した女のコと知り合いになれたのですが、彼女に聞いても、その伝統はいまでも変わらないそうです。
(その他、私の時代はかなり校則もゆるくて自由でしたが、そのあたりは先生方がずいぶん厳しくなっているとのことでした)
高校2年生に進学するときにクラス替えが一度あり、そのまま3年生に進級するのですが、
3年生になって必要な教科を自分で選択します。
当然、理系進学を希望している学生は物理や数学などを中心に取るのですが、文系進学者も取ってかまわない。
学校側としては、必要な単位数さえとれていれば、文系理系に関わらず、卒業できるのです。
私自身は、高校に入って早々に数学でつまずき、2年生のときに物理で赤点をとるという、ダメダメ生徒でしたので、この学校のシステムを活かすことはできませんでしたが、同級生の中には、文系の学部を受験するにも関わらず、受験科目にない理系科目を取っているコもいたのです。
反対に、薬学部受験を目指している、バリバリ理系の同級生で、古文が大好きな友人もいました。彼女とはクラスが2年生になってわかれたのですが、3年生になってまた、古文の授業で会ったりもしていました。
また、大学時代の友人ですが、仏文科出身にも関わらず数学がすごく得意な友人もいました。
(彼女は高校受験のとき、数学が得意だったので県立高校の“数学科”を受験してはどうかと進められたくらいだそうです)
結局、数学も好きでしたが文学も好きだったので、文系に進み、大学では『フランソワーズ・サガン』の研究などしていました。
けれども、数学得意なので、家庭教師のバイトはずいぶん精力的にやっていました(高校生の数学の勉強も見ていたそうです)。
卒業後は、得意な数学的考えを活かしてなのか、システムエンジニアになりました。
彼女曰く「最近は、情報系の学部出身者ではない、文系出身のシステムエンジニアも多いんだよ」とのことでしたが、
就職が厳しい時代にあって、理系分野に属することへのコンプレックスがないって、選択の幅を広げるんだなあと思ったものです。
このとき改めて「数学や物理、もっと勉強しておけばよかったなあ」とつくづく思ったものです。
そのチャンスはいくらでもあったのに、なんで私は活かしきれなかったのだろうと、後悔ばかりの日々です。
[2007年10月08日(月) ]
「ありがとう」という言葉には、いろんな力がありますが、
私は、オペラ歌手の中島啓江さんが、おっしゃっていたエピソードがすごく印象に残っています。
中島さんは、小学生のとき、いじめられていたことがあるそうです。
本当に、辛く悲しい体験だったようですが、あるとき彼女は転校することになりました。
そのとき、中島さんはお母さんから
「引っ越しの日、クラスのみんなに『ありがとう』といってプレゼントを渡しなさい」といったそうです。
プレゼントは、お母さんが用意してくれていました。
彼女は、「なんで、自分をいじめたコにプレゼントをあげ、自分が『ありがとう』なんていわなきゃいけないの?」と、泣いていやがったそうです。
当然ですよね。
自分が、いじめられこそすれ、好意なんてうけた記憶もない人に、なんで感謝の気持ちを伝えなきゃいけないのか?
それでも、中島さんのお母さんは「ありがとう」を伝えなさいという。
「ぜったいにいいことがあるから。『ありがとう』といえば変わるから」というのです。
引っ越しの日、クラスのみんな一人ひとりに「ありがとう」といって、プレゼントを渡していった中島さん。
プレゼントを受け取った相手からは「手紙書くから」「元気でね」など、それまでとは違った暖かい言葉が次々に帰ってきたといいます。
そして、自分をいちばんいじめていたあるコの番になって。
中島さんは、本当にどきどきしながら、相手の目を見て、「ありがとう」といったそうです。
すると、その相手のコが、ぽろぽろと涙をこぼしながら「ごめんなさい」といったそうです。
私は、この話を聞いた時、本当に心がじんわりしてしまい、すごく感動してしまいました。
中島さんも、中島さんをいじめていたコも、「ありがとう」という言葉に、心が救われたのです。
「ありがとう」という言葉は、出し惜しみする言葉ではありません。
いっぱいいったからといって、すり減ってしまうものではありません。
感謝の気持ちを、自分の胸だけにしまうのではなく、どんどん周りに伝えましょう。
心を込めて伝えれば伝えるほど、自分にも相手にもまわりにもハッピーを運んでくれる言葉、
それが「ありがとう」なのです。
自意識過剰で、小さな、あまのじゃくな自分を甘やかすのではなく、
いつ、どんなときでも、人に「ありがとう」の気持ちを伝えられる、
そんな人に、みなさんにもなってほしいと思います。
[2007年10月06日(土) ]
Aさんは、自分の代わりに家具を組み立ててくれたCさんに対して、感謝の気持ちをもっていないわけではありません。
けれども、その伝え方が、私にいわせると、あまりに子どもっぽい!
どこか、素直に「ありがとう」ということは、相手よりも自分を下の立場においてしまうのではないか、と恐れているようにも見えるのです。
「常に自分優位でいたい」という気持ちが、とても強い。
だから感謝の気持ちを伝えるよりも、「借りはつくりたくない」という気持ちのほうが先にたってしまって、
人の好意をプラスマイナスゼロに、したがるのではないか?
そんな風に私には思えてしまうのですが、みなさんどうでしょうか?
あるいは、素直になることが、単純に恥ずかしいと思ってしまって、つい憎まれ口を聞いてしまうというか。
そんなあまのじゃくなところがあるのかもしれません。
若いということは、自意識が強いということでもあるので、
そんなところは多かれ少なかれ、誰にでもあるのでしょう。
友だちであったり、恋人であったり、家族であったりしたら、
「あのコはあんな態度しているけれど、本当はわかっているのよ」と相手は思ってくれるかもしれません。
けれども、いつまでも相手に「あの人はああいう人だから」と思わせて、
「相手の好意に甘えている(ように見える)」コミュニケーションしか取れないのであれば、
自分の感謝の気持ちが伝わらない場合も増えてきます。
大人になり、社会人となり、いろんな人と接するようになると、
誰もが自分のことを1から10まで知っている人ばかりではないのです。
逆に、自分のことを知らない人に「あの人ってこういう人なんだ」と自分を表現することが大切になってくるのですが、
相手に好印象を与えるコミュニケーションというのが、とても大切なのです。
「あの人っていい人だな」「カンジがいいな」「いっしょにいたいな」と相手に思わせるコミュニケーションをする。
それは、「ありがとう」を伝えられる人であるか、どうかだと私は思うのです。
「ありがとう」を伝えられる人の周りには、ハッピーがいっぱい集まってくるはずなのです。
[2007年10月05日(金) ]
Aさんは、Cさんの気持ちに答えなければ、感謝の気持ちを伝えなければと思ったのでしょう。
Cさんに「なにか必要なものがあれば、買ってくるよ」と差し入れすると言い出したのです。
そこでCさんは、タバコを買ってきて欲しいと伝え、彼女はそれをうけて買い物に行きました。
帰ってきて、Aさんからタバコを受け取ったCさん、
「ありがとう。お金払うよ」といいました。
それを受けて、Aさんは
「いいよ、いらない。プレゼント」といいました。
Cさんは「いいよ、悪いよ」といいながらも、Aさんの好意を受け「ありがとう」といって、タバコを受け取りました。
ここまではいいのです。Aさんが感謝の気持ちを現そうという気持ちは伝わってきます。
しかし、その後、Aさんからびっくりするひと言がありました。
「いいよ。その代わり、Cさんが引っ越ししても、私家具組み立てないから(笑)」
私は思わず、耳を疑ってしまいました。
Cさんは、「マジかよ〜」と笑っていましたが、
もし、あなたがCさんの立場だったら、どんなことを思いますか?
私がCさんの立場だったら、ブチギレてしまったかもしれません。
「人の好意を、なんだと思っているんだ! 」と…。
けれども、Cさんは
「ありがとう」という言葉を言ってもらおうと、いうわけではありません。
私のような反応は、恩着せがましいわけで、ほめられたものじゃないわけです。
第一、こんなことでいちいち腹を立てるような人であれば、Cさんのような行動もできないわけで、
改めて、Cさんの懐の大きさ、仕事を遂行するための責任感に感服しました。
一方、Aさんは、なぜこんなことをいってしまったのでしょう?
きっかけは、Cさんのユーモアに、Aさんがそのまま返したやりとりで、彼女なりのコミュニケーションなのでしょう。
素直に「ありがとう」というよりも、こうしたほうが、彼女らしいのかもしれません。
けれども、感謝の気持ちを伝えるのにこんな姿勢では、彼女はこの先、苦労するのではないか、と私は心配になってきました。
[2007年10月03日(水) ]
みなさん、こんにちは!
さて、みなさんは「ありがとう」という言葉、素直にいえていますか?
人からなんらかの好意をうけたとき、
自分のために、人が尽力してくれたとき、
自分の感謝の気持ちを伝えるとき、
人は「ありがとう」という言葉を使います。
「ありがとう」という言葉ほど、いわれるほうはもちろん、いう方も、ハッピーで心が温まる言葉はないと思うのです。
ところが先日、ある20代前半の女性と仕事をしていて、この「ありがとう」という言葉を巡って、少し気になることがありました。
彼女(仮にAさんとしましょう)とは、雑誌の撮影で、Aさんのお部屋を紹介するというときにいっしょになったのですが、そこでのエピソード。
Aさんは引っ越したばかりだったので、家具が運び込まれるのは撮影日ギリギリという状態でした。
しかも、彼女は午前中、別の仕事が入っていたため、編集者(女性)に家具の受け取りを頼んでいる状態でした。
さらに、その家具というのが、自分たちで組み立てる家具であったため、2人以上の人手を要しました。
そこでAさんは、撮影に来るカメラマンのCさん(男性)とそのアシスタントに頼んだのです。
Cさんは、1時間も見れば十分だろうと見込んでOKしたのです。
ところが実際、家具を組み立てるのには5時間以上かかり、撮影スケジュールが大幅にずれ込むことになりました。
狭い部屋に組み立てるべき家具がいっぱいで、とにもかくにもそれを組み立てなければ撮影もできない状態だったので、
カメラマンのCさんは必死で、アシスタントの人と2人で組み立てていたのです。
Aさんが別の仕事から部屋に戻ってきたときは、思いがけず大変な作業になっていることにびっくりしていました。
彼女は、さすがに少し悪いと思ったのでしょう、ちょっと気まずそうな顔つきでした。
そんなとき、カメラマンのCさんは、
「オレが引っ越しするときは、お前にコレ組み立ててもらうの、手伝ってもらうから」
といったのです。
この言葉には、たくさんの意味が込められているのです。
Cさんがこの作業の大変さを、Aさんに伝えているのですが、
誰かがやらなければやらないこの作業を、たまたま自分がやっているわけで、
「だから気にすることはないよ」と、Aさんの気持ちを軽くする一方で、
「立場が変わればAさんがやることもあるかもしれないよ」、
だから「お互い様」ということを、教えているわけです。
それを、(実際には引っ越しする予定も、そうなったとしても頼まないであろう例を用いていうことで)独特のユーモアを交えて伝えているわけです。
これが、Cさんの、Aさんに対する「好意」なわけです。
さて、みなさんがAさんでしたら、このCさんの好意にどう答えますか?