[2007年07月31日(火) ]
みなさん、こんにちは!
受験生にとっては大切な夏休みです!
計画をしっかり立てて、しっかり実行して、夏休み後は一回りも二回りも成長できるよう、がんばりましょう!
さて、今回みなさんに紹介したい職業は「心理カウンセラー」。
悩みを相談でき、不安に思う心を癒してくれる人です。
みなさんの学校にも、スクールカウンセラーの方はいらっしゃることでしょう。
ひと昔前に比べ、カウンセリングへの抵抗も少なくなっているように私は感じるのですが、どうですか?
というのも、最近女子高校生や若い女のコたちと話していると、
「私、いま病んでいるんだよね」とか、
「この頃の病み具合は、ハンパなかった」とか、わりと頻繁に聞きます。それも、わりと明るく。
この場合の“病む”というのは、心が落ち込んでとか、不安に思って、悩んでという意味です。
それだけ、心にストレスを抱えて、苦しんでいる人が多いということでもあるのでしょうけれど、
それを、「人に伝えてもいいんだ」「そんな自分を認めてもいいんだ」というカンジになっている分、救いがあるなあと感じるのです。
でも、「心が病む」っていいますけれど、悩んだり落ち込んだりしたとき、
精神科や心療内科に行くのと、カウンセリングに行くのとどう違うのか?
私は、ここが疑問でした。
ですので、先日お会いした心理カウンセラーの女性、Sさんに質問してみました。
Sさんは
「医者はお薬を出す人で、カラダを見ていきます。だからたとえば『眠れない』などの症状があるとき、お薬を処方してもらうには病院は最適な場所です。
一方、私たちが扱うのは、カラダではなく『心』。薬でカラダの症状はよくなったとしても、自分自身の抱える問題が原因となって鬱々としている場合は、その問題をまず解決することが先決。たとえば、お薬を飲むことによって家族関係や自分を取り巻く状況が変わるわけではないですよね。
ですから、問題解決を先決とする人には、カウンセリングが必要です」
薬が必要な人(カラダに症状が出る)=病院での治療
問題解決が必要な人(薬で症状を治しても改善しないと感じる)=カウンセリング
という答えはすごくわかりやすいし納得だなあと私は感じたのですが、みなさんはどうですか?
ちょうど、歌手の華原朋美さんの事務所解雇のニュース(睡眠薬をお菓子のように食べていた、という報道がショッキングでした)が、出ていた頃で、
「華原サンには、いいカウンセラーがいなかったのかなあ?」と感じたものです。
実際、Sさんがおっしゃるには
「精神科のお医者さんから『カウンセリングは別でうけてください』と言われて、私のところに来る方もいます」とのこと。
心の問題と薬とのつき合い方の、ヒントをもらった気分です。
[2007年07月27日(金) ]
今回、「故郷に錦を飾る」という言葉から、
大相撲やふるさと納税、棚田オーナー制度について思うコトを書いてきましたが、
「錦」というのは、立身出世、富貴の象徴ですが、それは決して「お金」だけではないのかもしれません。
お金では解決できない「人力」というのは、高齢化、過疎化が進む地方では、切実に欲しいモノなのかもしれません。
でも、その人が暮らすために必要なお金が必要…ということで、
考えれば考えるほど、ぐるぐるしてしまいます。
もちろん、お金は大事です!!(ファイナンシャル・プランナーの話でもお伝えしましたよね!)
最低限のお金がなくては、何もできません!
だから
大相撲では、給料のもらえる関取を目指します!
ふるさと納税では、地方が財源を創出する工夫が必要でしょう!
棚田オーナー制度では…、地元の農作業ボランティアをもっと増やすとか!(どうでしょう??)
一方で、
大相撲の関取も、
ふるさと納税(が施行されたとして、そこ)で都会の人から集まってきた税金も、
棚田オーナー制度の棚田の見事な景観も人も農作物も、
私のような人間からすれば、それがそもそもの「錦」だし、宝物、誇りに思えます。
格差、なんて言葉で都市と地方を対立させるよりも、
それぞれのよさをもっと実感できる仕組みが、必要なのかもしれません。
私自身は大学進学を機に、首都圏を離れ地方都市で一人暮らしをしましたが、自分の育った環境とは別の地方の暮らしは、とても豊かなものでした。
自然がいっぱいな中で、トライアスロンの練習をしたり、大会に参加したり、キャンプをしたり。
地元から通うクラスメイトや、地方出身の後輩の実家から、果物や野菜、お米の差し入れをもらったりしたこともあります。
私にとっては、生まれ育った場所より、進学した場所のほうが、ふるさとと呼ぶのにふさわしいところだったのですが、
大学進学を機に、自分の育った地域を離れる人もたくさんいるでしょう。
自分がそうでなくても、いろんな地域出身の人と触れ合うことができるのが、大学という場所です。
そういう場である大学で、
みなさんなりの「ふるさと納税」を考えたり、「故郷に錦を飾る」ことの意味を考えてみることは、これからの社会にとって、有益なことに違いありません。
そもそも、「故郷に錦を飾る」っていうのも、自分の名声をひけらかすのではなく、自分を育み育ててくれた人や環境への感謝の気持ちがないとできないのですから!
そして同時に、自分とふるさとへの誇りがないことには、できないのですから!
私も、罪悪感を感じている場合では、ないようです!
この先、「ふるさと納税」がどんな風な形になっていくのか。
私のような対象とする「ふるさと」のない人間も、みなさんのように住民税を払う立場でない中高校生も、
注目していきたいものです。
[2007年07月26日(木) ]
棚田オーナーとして、今年は5月中旬に田植えに参加しましたが、そのとき、NHK地方局から取材が来ました!
いつもは、自分が取材する立場なので、なんだか不思議なカンジでしたが、家族や友人と、取材者の質問にいろいろ答えました。
「3年もオーナーを続けている、この棚田の魅力はなんですか?」
「農作業をしていて、気分はどうですか?」などといった質問は笑顔でこたえられたのですが、
「オーナーが増えるほど、地元の農家の方の負担も大きいのです。そのことについてどう思いますか?」と聞かれたときには、かなり考えてしまいました。
実際、私の住んでいるところから棚田までは、電車やバスを乗り継いで4、5時間かかります。
しょっちゅういける距離ではなく、作業も田植えと稲刈りしかしたことありません。草取りは任意の参加なのですが、なかなか都合が付かず、地元の人にお任せしている状態です。
「もしかして、私がやっていることは、地域のためになっていないのでは?」という罪悪感でいっぱいになりました。
それまでは、「なかなか行けない」という現実はあっても、
「でも、年間3万5千円というお金も払っているし(お米20キロに換算すれば、市場価格よりはずいぶんと高めです)、このことがきっとこの地域の役に立っているはず!」と思い込んでいたのですが、
まったく逆なのかもしれません!
私のような、「ふるさとっていうものが欲しい。農業体験ってしてみたい」という都会人の道楽(あえて、こう言います)に
地域の人々が苦しめられているとしたら?
なんだか、本末転倒です!
実際、その取材者から後日、下記のようなメールをもらいました。
「棚田に限らず、全国的の農業の高齢化が進み、後継者がいなくなっているのが現実です。
この棚田に関わっている平均年齢も70歳とかなり高齢です。
地元の人がぼそっと言っていた言葉が印象的でした。
『確かに田植えや稲刈りにたくさんの人がやってきてくれるのはうれしいが、
田植え前にやる作業のほうがたいへんで、オーナーが増えれば増えるほど手が回らないよ』
町おこしの一環でやってきた事が、地元を逆に苦しめているかもしれない。
70歳というと、自分の親よりも高齢で、よくもあれだけの棚田を管理していると感心しますよね」
放送された内容は、
地域の棚田が復活して、人が集まるようになった、という楽しい映像だったのですが、
その裏には、高齢化、過疎化の問題が常にあるのです。
[2007年07月25日(水) ]
ふるさと納税とは、住民税の一部を、生まれ育った故郷などに納めることを可能とする制度で、
都市と地方の税収格差を是正すべく、政府・与党が打出したものです。
税収が減ると予想される都市部では反対意見もありますが、
単純に「いまは都会で生活しているけれど、生まれ育った故郷や両親のいる自治体には、恩返ししたい」と思っている人の心はくすぐるのではないでしょうか?
都会への人口流出に苦しむ地方にとってはおおむね賛成意見が多いようです。
著名人でも、有名スポーツ選手でなくても、「故郷に錦を飾る」ことができるような制度として、受け入れたいと思う人は多いのでは?
一方、
「ふるさとったって、私が生まれ育ったのはずっと首都圏」という、私みたいな立場の人には、関係ないのかな〜って思ったのも事実です。
「私のふるさとはここだ!」といえる場所がある人はうらやましいって、本来の論議とはぜんぜん別のことを思い浮かべたりしました。
「ふるさと納税」は、まだまだその内容が不十分なところもあって、これから賛否両論、いろんな議論が尽くされると思いますが、
私は「お金で解決できる部分とそうでない部分がある」と考えた方がいいと思うのです。
というのも、私事で恐縮ですが、私はある地域の棚田オーナーとなっています。
<太>棚田オーナー制度というのは、
農業の担い手がいなくなって荒れてしまった地方の棚田を、都市部や地域の非農家の人々をオーナーとすることで復活させようという取組です。
都市部の人を地域に呼び寄せるだけでなく、棚田という自然遺産を通して環境保全にも役立てています。
下記HPに詳細があります。みなさんのお住まいの地域も含まれていますか?
http://www.inakajin.or.jp/tanada/tanada.html
「ふるさと」や「農作業」というのに憧れていた私は、3年前から参加していますが、
今年ある出来事があって、
「オーナーとして、応援するだけじゃ、ダメなんだ」という思いにさらされたのです。
[2007年07月24日(火) ]
みなさん、こんにちは!
先日、たまたまつけていたNHKのテレビで「みんなのうた」が流れてきました。
私、わりと好きなんです♪ なのでそのまま見ていると。
『どすこい !! 太郎』という歌が流れてきました。
金太郎の子孫と見られる太郎が、故郷の足柄山を後にし、東京で角界に入門。横綱を目指すという内容です。
1993年放送の再放送だそうで、歌は「365歩のマーチ」の水前寺清子さん。
1993年といえば、相撲界では若貴ブーム真っ盛りのころですが、中高生のみなさんはまだ子どもの頃ですかね〜。
私は大学生で、大の相撲ファンでした(笑)。
この放送を見たのは初めてでしたが、歌もアニメーションも力強く可愛くて、思わず引き込まれてしまいました。
で、その中で
♪故郷に錦を飾るまで、耐えるんだ〜♪
みたいな歌詞が出てくるんです(うる覚えです。違っていたらすみません)。
厳しい稽古を投げ出したくなっても、「故郷に錦を飾るまでは」とがんばる。
相撲ファンとしては、ジーンとしてしまうのですが、
実際、相撲の稽古はとても厳しく、関取と呼ばれる一人前の力士になるのは100人中8人。
関取になるには平均8年かかると言います。
中学卒業の15歳で考えると、23歳で十両にあがれればかなり順調に出世しているというカンジですね。
「故郷に錦を飾る」というのは、
キレイな着物で着飾って、つまり立身出世をして、胸を張って故郷に戻ることの例え。
広辞苑にはその語源?であろう、こんな言葉が乗っていました。
「錦を衣(き)て夜行くがごとし」
:立身出世をしても、故郷に帰り知人にその栄誉を知られなくては、その甲斐がないの意。
漢文は、「富貴にして故郷に帰らざるは、繍を衣て夜行くが如きのみ。誰か之を知る者ぞ」。
[史記 項羽本記 「富貴不帰故郷、如衣繍夜行、誰知之者]
相撲の世界では、「立身出世」もわかりやすいし、日本国内だけでなく
昨今の外国人力士の活躍を見れば、「故郷に錦を飾る」を最も体現している世界のように見えます。
このほかでいえば、
例えば各界で活躍する著名人が自分の生まれ育った小中学校で教育ボランティア活動したり、
スポーツ選手が、自分の出身地でスポーツの普及・強化に勤めたりといったことでしょうか。
いずれにせよ、「錦を飾る」って、相当程度「富貴」を創出した人でないと、できないことなのかなあというのが、私の印象ですが、みなさんどうでしょう?
しかし、最近話題になっている「ふるさと納税」。
もしかして、これって、一般市民でも「故郷に錦を飾る」ことができるの?
ちょっと、私的に考えてみたいと思います。
[2007年07月14日(土) ]
年上の女性編集者に
「小谷さん、本書いてください!」とストレートにいわれたのですが、
そんなこといわれたの初めてだったので(って、書く仕事しているのに…)
なんか、有頂天になってしまいました。
詳しい本の内容については、ここでは割愛しますが(書き終わったら、紹介します!)
ジャンルでいうと“小説”です。
小説なんて、私、いままで書いたこともありません。
そもそも、書こうと思ったことすらなく、どう書いていいのかわからない。
けれどもその、書きたい内容・テーマを伝えるのに、小説というジャンルがいちばんふさわしいと…。
その編集者が太鼓判?を押してくれたのです。
さらに…
「もし取材するのであれば、意向に沿って、リストアップいたします」
とまで言ってくださいました。
いままで、編集者の意向に沿って取材をし、編集者のイメージした原稿を上げるのが自分の役割だと、仕事を進めてきましたが、
自分の意向を編集者に伝えて、協力してもらうっていうことも、あるんだなあと…。
彼女の胸を借りて、自分を成長させたいと思った次第です。
まだ具体的には進められていませんが、
近いうちに、こちらの進捗も、このブログの中で紹介できればいいな〜と考えています。
追伸)小説といえば、最近は携帯小説なども人気ですよね! このブログを読んでくださっている中高校生のなかにも、携帯小説をすでに書きはじめている人もいると思いますが、
ぜひぜひ、あやかりたいものです(笑)。
体験談等、お伝えいただければ嬉しく思います♪
[2007年07月13日(金) ]
最近は、例えば雑誌のロケ撮影に出かけたときなど、
編集者、スタイリスト、ヘアメイク、カメラマン、ロケバス運転手、モデルなどのスタッフの中で
「あ、いま確実に自分がいちばん年上だな」と思う場面が増えてきた私ですが、
先日、久しぶりにある年上の編集者に会ってきました。
彼女は私より3〜4つくらい年上の、書籍編集者です。
会うのは…、1年ぶりくらいです。
「ご無沙汰しています。
今、お仕事など、何をされていますでしょうか?
もしお時間があったら、ランチでも食べながらお話できたらと考えています」
という、いたってシンプルなメールをいただきました。
以前、彼女が作りたいと思っていたある内容の本があり、私はそのお手伝いをしたことがあります。
結局、出版にはいたらなかったのですが…。
「その時の無念を!」ってカンジかなあと思った私は、元気よく
「ぜひぜひ〜! 私でお手伝いできることがあればいいのですが…」と返事したのです。
私のつんのめり気味の返事を受け、彼女は
「いえ、何か具体的なものがあるというわけじゃないんです。。。
気楽に、お昼でも食べることができたらと思います」と、釘を(?)さしてきたのですが、
最近、私はふだん仕事をいっしょにする人以外と、あまり会っていなかったので(営業活動、さぼり気味?)
彼女と会う時間を楽しもうと、気軽な気持ちで待ち合わせに向かいました。
久しぶりに会った彼女は、とても美しくてすてきでした〜♪ 年上の女性、やはり憧れます。
ずっとご無沙汰していたのに、なんだかそんなのが嘘のように、お互いの仕事のことを話しました。
で今、私がつらつらと考えていることを話しました。
こんな内容の本を書いてみたいんだ、こういうテーマに興味あるんだ、などなど〜。
「小谷さん、それぜひ書いてください! 書けたらすごいですよ!」
と、背中をプッシュしてくれたのです。
[2007年07月11日(水) ]
私の経験でいうと、現在30代半ばですが、いっしょに仕事をする人は20代の年下の人が多いのです。
とくに編集者や広告プランナーなど、私に仕事の依頼をし、指示を出す存在の人が、年下の場合がほとんどだと気づきました。
私と同じく、彼らに“使われる”立場のカメラマンやデザイナー、スタイリストといった方々は逆に、私より年上の人も案外多いのですが…。
そういえば、私がまだ20代で、会社員で編集の仕事をしていたときは、
カメラマンやライター、そしてクライアントはすべて年上の方でした。
年上の人に指示を出すのは緊張したものですが、
彼らのほうが経験はぜんぜん上ですし、指示を出しつつお任せしている、という状態でした。
人に指示を出し、人を使いながら、仕事を覚えていくっていうのも、あるようです。
振り返っていまの私は…、果たしてお任せされているのだろうか?
はなはだ疑問なのですが(苦笑)。
けれども、一つ確実にいえることは、
年下の彼ら彼女らが、一人前になっていく様を見るのは、なんだか嬉しいし、頼もしく感じるものです。
先日も、入社1年目の新人編集者の方といっしょに仕事してきました。
3カ月前かな? はじめて仕事をしたときには、
テンパっていっぱいいっぱいってカンジでした。
私への依頼も「申し訳ないんですけれど〜」っていう気持ちが先に立っているようで、
はっきり「コレをして欲しい!」と言えずにいるところがありました。
(私のほうから「やりましょうか?」と言ってしまった…これを、狙っていたのだとしたら、彼女なかなかやり手かも!)
けれども、先日会った時は少し余裕ができたように見えました。
「●●の企画なんですけれど、いっしょにお願いします!」と、まず、依頼がとっても元気!
さらに、
「●日と、●日は開けておいて欲しいんですけれど」と、要求もストレートに伝えてきました。
はっきり言ってくれると、私も返事がしやすい!(両日、彼女のために、日にちを開けちゃったよ!)
さらに、企画そのものをよくしよう、いい雑誌ページを作ろうという意欲にあふれているカンジでした。
彼女のページをいいものにしてあげたい!
いい編集者になってほしい!(できれば、私がそのお手伝いをしたい)
なんて気持ちになったものです。
[2007年07月09日(月) ]
みなさん、こんにちは!
さて、みなさんの周りにいる、自分より年上、年下の人ってどんな存在ですか?
中高校生のみなさんにとっては、
年上の人は、学校の先輩、学校の先生、自分の兄や姉、両親、バイト先の社員さんや先輩…、
年下の人は、学校の後輩、自分の弟や妹、近所の子どもたち、親戚の子ども…、といったところでしょうか?
場合によっては、ブラウン管の向こうの芸能人やスポーツ選手、ネットで介する友人なども、“自分の周りの人”かもしれませんね。
年上の人には憧れや尊敬の念を抱いたり、あるいは逆に「なんてアタマ固いんだろう!」「この人古い!!」って思ったりもするでしょう。
年下だったら、「コイツ、可愛がってあげたいな♪」とか、「なんて生意気!」とか…いろいろでしょうね。
いずれにしても、同級生とはまた別な感覚があるものです。
社会人になると、それにプラス仕事関係の年上、年下の人が加わってきます。
同じ会社であれば、先輩後輩の関係は、学校のそれと似たようなところがあるのかもしれませんが、
経験や地位、立場などによって、“年齢の差”だけで“上・下”が決まるわけではないというのが、私の実感です。
未経験で中途採用などという場合は、例えば会社に年下の上司がいる場合もあるでしょうし、
クライアント(顧客)相手の仕事であれば、担当者が自分より年上年下に関わらず、常に相手を上の立場として、立てておかなくてはなりません。