貯金のススメ!〜ファイナンシャルプランナーの仕事を知っていますか?(4)

[2007年06月30日(土) ]

「ファイナンシャルプランナー」とは、
先日インタビューしたNさんもおっしゃってましたが
「お客様の夢や目標をいっしょに考える仕事」ということです。
ファイナンシャル(金融の)プランナー(設計者)ということで、それはもちろんお金の面から考えるのですが、
「誰にとっても避けて通ることのできないお金の大切さ」を伝える仕事でもあるのです。

じゃあ、お金の大切さって、何なのでしょう?
私は、先にあげた、「貯金の目的」がイコール「お金の大切さ」と考えていいのではないかと思うのです。

「大学4年間の授業料を貯める」というAさんにとっては、お金の大切さは、大学に行く大切さです。
「彼氏の留学先に遊びに行く」というBさんにとっては、お金の大切さは、彼氏と会うことの大切さです。
「東京で一人暮らしする」というCさんにとっては、お金の大切さは、東京生活を送ることの大切さです。
「車を買うため」というDさんにとっては、お金の大切さは、ドライブを楽しむことの大切さです。
「ギターを買うため」というEさんにとっては、お金の大切さは、バンド活動をする大切さです。
「法律関係の予備校に通うため」というFさんにとっては、お金の大切さは、法律家になる夢の大切さです。

こうして見ると、お金の大切さは、人によってそれぞれ違います。
けれども、「夢や目的を達成させるには、お金は絶対必要」ということは、事実です。

ファイナンシャルプランナーとは、こうした、それぞれの人の目的に合わせて、お金に関するアドバイスをする人なのです。
「家計が苦しいが、お金の使い方はこれでいいのだろうか?」という疑問から、
「住宅購入を考えているが、どんなローンが自分に合っているのだろうか?」という相談、
「所有している不動産の効果的な活用方法はないか?」といったことの提案まで、
資産運用、保険の見直し、金融商品の選び方などをアドバイスするのです。

人生の目的は人それぞれですので、それぞれの方にとっての“お金の大切さ”があります。
そして、目的に応じて必要な貯金額も、人それぞれなのです!!

大人になって、社会人になって、自分が働く対価としてお金を得るようになってから、お金について考え、
自分の稼ぐ額、貯金額が「多い、少ない」と
優越感を持ったり、劣等感を持ったりするのでは、心があまりに貧しい気がしませんか?

ぜひぜひ、中高校生、あるいは大学生のうちに、社会に出る前に、
自分なりの金銭感覚を養う努力をしてほしいです。
そうすれば、貯金をすることも、働いて稼ぐことも、楽しくなるはずです!

お金の大切さを、自分で実感するためにも、
今日から何か目的を持って、貯金始めてみませんか?
方法は500円玉貯金だって、いいんですから!!

貯金のススメ!〜ファイナンシャルプランナーの仕事を知っていますか?(3)

[2007年06月29日(金) ]

大学1年生のAさんは
半年で60万円を、4年間だから計8回、授業料を払うときまでに貯めるということです。
手段は、バイトだったり、いろんな臨時収入だったり、いろいろあるようです。

「いつまでに、●万円」という目標があれば、かなり貯金への意欲がわくのではないでしょうか?
そして、自分が払ったことへの対価としての大学生活、という意識も高まっているようです。
一方で、私は「授業料は親が当然出してくれるってコも周りにいっぱいいるでしょ? そういうコに対して、何か思うコトある?」と聞いてみました。
すると、Aさんは「別に何とも思わない。実家がお金持ちでいいなあとは思うけれど」とサラッとこたえました。
彼女の、お金に対して劣等感も優越感もなくフラットに考えていること、がつがつしすぎていないこと、自分なりの金銭感覚を持っていることに、なんだか感心してしまいました。

私が彼女の立場だったら、とてもこんな風に思えないなあと…。
そもそも自分から「払うよ!」とすら、言いませんでしたから…(反省中)。

とかく、お金の絡むことというのは、自分の本音(それも、あまり人に知られたくない考え)が出てしまいませんか?
私はじつは、最初「ファイナンシャルプランナー」という仕事を、高校生に紹介するというのは、一体どういう意味があるのかなあと疑問でした。

ファイナンシャルプランナーとは、
「顧客の資産をどのように運用すれば効果的かをアドバイスして、その相談料をいただく」
というのが主な仕事ですが、
私のイメージでは、
「お金持ちの人のお金を増やす方法をひたすら考える、富裕層ばかりを相手にする」という職業でした。

「高校生の時分から、富裕層だけを相手にした職業を将来の目的にするって、なんか違うんじゃない?
まだ、自分で働いてお金を稼ぐこともしらないのに、人の資産を運用する方法を考えてとかって、なんか卑しい!
あんまりいい職業じゃない気がする〜」って…。

しかし、それはとんでもない誤解だったのです。

貯金のススメ!〜ファイナンシャルプランナーの仕事を知っていますか?(2)

[2007年06月27日(水) ]

さて、女子高校生たちの貯金額について、前回さらっと紹介しましたが、
次にお伝えしたいのが
なぜ貯金をするか?」という目的です。

目的がなくて、「貯金そのものが目的」というのでも、
お金というものが持つ性質から考えて、決してムダではありませんが、
やはり、途中経過をがんばれるのは、目的を持つに限ります!
こんな目的を持ってがんばっているコがいましたよ〜♪

・「大学4年間の授業料を払うため」→大学1年生Aさん、現在貯金額40万円
・「海外留学している彼氏のところに遊びに行くため」→高校2年生Bさん、現在貯金額10万円
・「高校卒業後、東京で一人暮らしするため」→専門学校1年Cさん、現在貯金額100万円
・「欲しい車(80万円くらい)を買うため」→ショップ店員Dさん、現在貯金額20万円
・「バンドで使うギターを買うため」→高校2年生Eさん、現在貯金額5万円
・「法律関係の予備校に通うため」→大学1年生Fさん、現在貯金額4万円

といったカンジです。
こうして目的をざっと並べただけで、彼女たちのワクワクした未来が見える気がしませんか?
この中で、私が印象的だったのが、大学1年生Aさんの話です。
受験を控えたみなさんでしたら、いろいろ思い当たることもあると思うので、紹介しますね。

「高3のとき、予備校に行くお金を自分で払ったの。20万円くらいだったかな?
そしたら、親にほめられたんだ。『本当に自分で出すとは思わなかった』って。
ほめられたのは嬉しかったけど、『本気だと思われてなかったのか!』と思ったら、なんだか悔しくて、
『じゃあ、大学の授業料も払うよ』って言っちゃったんだよね。
そうしたら、大学の授業料が高くてびっくり! 半年で60万円もするんだよ〜!
親は、払う気マンマンなんだけど、私、第一志望の大学じゃないし、自分のことだから、やっぱり自分で払おうかなって。
親、大変なんだよ。すごい働いていて。でも『自分で払いなさい』って強制されたら、反発してたかも。
4年間払うつもりだよ。
じつは高校の友だちのなかには、大学入学早々に『こんなはずじゃなかった』って、大学に行かなくなっちゃって、
退学しちゃいそうなコもいっぱいいる
んだけれど、
私は、お金払っちゃったから、辞めるのもったいない…っていうか怖い! 
だから、大学は4年間がんばって卒業するからね」

貯金のススメ!〜ファイナンシャルプランナーの仕事を知っていますか?(1)

[2007年06月25日(月) ]

みなさんこんにちは。
さて、いきなりですが、みなさんは貯金してますか?

じつは私、先日ある雑誌の取材で高校生を含む16〜21歳までの女のコにアンケートをとったのですが、
なんと、100人中51人が貯金しているという結果がでました!

これが多いか少ないかは、現在高校生であるみなさんにもいろいろ思うコトがあるでしょうけれど、
私には「多いなあ! 偉いなあ!」というのが、正直な感想でした。

・・・ってなんでこれが“職業を考える”につながるの?と思う方もいらっしゃるでしょうが、
じつは、Z会会員情報誌Azestの取材で「ファイナンシャルプランナー」を紹介することにもなったので、
改めて
・高校生とお金の問題→「貯金してますか?」
・職業として考えるお金の問題→「ファイナンシャルプランナーってなにする人か知っていますか?」
というのを、取り上げるのもいいかもしれない!と考えたのです。

話を戻しまして、
先の女子高校生たちの貯金についてですが、まず気になるのが貯金額!
これがびっくり! 
高校3年間で、100万円貯めたというコもいました!
しかも、貯金方法はファーストフード店でのバイト代だけというから驚きです!
人間、やればできるってことの、見本のようなものではないでしょうか?

ほか、10万円超えのコも思ったより多かったですが、10万円以下のコがほとんど。
それでもバイトやお小遣いで生活して、
消費意欲も旺盛な女子高校生たちが(※ファッションや化粧品への興味も高いコたちです)
万単位のお金を、使わずにとっておいているというのですから、
その金銭感覚や、あっぱれ♪ ではないでしょうか?

このブログを読んでいる中高校生で「私も貯金しているよ♪」という方は、
ぜひぜひご連絡ください! 
いっしょに、お金のこと考えましょう♪

高齢化社会で必要とされる仕事〜若者と介護の関係とは(4)

[2007年06月16日(土) ]

長々と、自分の祖父母、両親にまつわる高齢化、介護の現状について思うところを書いてきましたが、
最後に、私の夫について書かせてください。

私の夫は現在、「住宅改修コーディネーター」として、要介護状態にあるお年寄りのお宅の住宅リフォームの設計をしています。
車いすでもスムーズに移動できるように、家の中の段差をなくしたり、
廊下やトイレ、お風呂等に手すりをつけたり、
大きな工事になると、車いすで2階に上がれるような、昇降機をつけたりもするそうです。
トイレやお風呂、台所のバリアフリー化のための、大幅なリフォームの設計も行っています。

彼はもともと、建築の専門学校を卒業して設計会社に勤める建築士でした。
転職を何度も繰り返し、さまざまな設計会社に勤めましたが、
なぜ、介護業界で働こうと思ったのかを聞いてみました。

「ある会社で老人介護施設や病院など、福祉関係の設計をずっとやっていたことがあったんだけれど、
そこでの設計がおもしろいって思ったんだよね。
それまで、いわゆる健常者、自分みたいな人間が、暮らしやすいとか、居心地がいいとかいう設計をしていたのだけれど、
お年寄りや、障害者といわれる人が心地いいと感じる空間って、自分がそうじゃないからわからない。
でも、施設を見学したり、いろいろと勉強したり、お年寄りや障害者の方と接して話を聞くうちに、
『ああ、こういう空間がいいんだ。こういう建築、設計もあるんだ』って、目からウロコのことがいっぱいで。
まるで、もう一つの地球を見つけたくらい、自分には衝撃的だったんだよね。
ちょうどそのころ、住宅改修コーディネーターという資格ができて、
世の中にも必要とされているっていうのがすごくわかって勉強したんだ」

私は日々、彼が仕事で接したお年寄りの方の話を聞きます。
人の話をぜんぜん聞かない人、約束を守らない人、お金持ちなのにケチな人。。。
不愉快に思うお年寄りは大勢いるそうです。
彼も、仏というわけではありませんので、怒りながらかえってくることもたくさんあります。

「でも、やっぱり人生を重ねてきた人ってだけで、俺はすごいって思うんだよね。
ふつうに生活していたら会えない人たちに会って、家族を含めて人間の生の姿っていうのを、毎日のように見る。
大変なこともいっぱいあって、正直苦しいけれど、この仕事ってやっぱりおもしろいって思うんだよね」と言います。

彼はそれまで会社に3年といたことなかったのですが(履歴書に書ききれないくらい、転職を繰り返してきた人です)、いまの会社は丸5年になります。
介護保険改悪などの影響で、会社の経営自体は大変厳しいということですが、
彼はこの業界、この仕事にずっと携わっていくと思います。

「俺は建築から介護の世界に入ったけれど、一番必要とされているのはヘルパー。
小谷もやってみる?」と、私も誘われています。
私に、介護という仕事が勤まるのかどうか、わかりませんが、興味があるのは事実。
いつか体験して、このブログで報告できればいいと思っています。

高齢化社会で必要とされる仕事〜若者と介護の関係とは(3)

[2007年06月15日(金) ]

父方の祖父母は、私が小学生のときに亡くなっているのですが、
このときを父の“嫁”である私の母は、今の私より若い年齢です。30代で義理の両親を看取ったことになります。
その母は、昨年還暦を迎え、今年2月、自分の母(私の祖母)を亡くしました。
「義理の父のときはしていた最後の世話を、自分の母にはしてやれなかった」ことを、歯がゆく思っているとよく言います。

今年亡くなった祖母も、最後は認知症になりました。
英語、中国語、スペイン語など語学も堪能で、絵画や音楽、相撲や野球などの鑑賞・観戦も好き。
野球ではヤクルトスワローズが好きで、いまは監督の古田選手の大ファンでした。
私とは、よく相撲談義に花をさかせていたものです。

そんな祖母でしたから、母曰く「ぜったいにぼけないと思っていたのに」。
施設に入ってからは、ヘルパーの方に、ものすごい暴言・暴力を働いて泣かしてしまったり、
最後は、下の世話も必要なくらい、自分で自分が何をしているのかわからなくなりました。
「あんなにキレイ好きだったのに」と、母は娘として相当ショックを受けていました。

でも、介護事業所に勤めている私の夫曰く「誰でも年を取ればそうなる。珍しいことでもなんでもない」といいます。
もちろん、自分の身内のこととなったら、私の夫も同じように冷静でいられるかわかりませんが、
介護の現場で、高齢者のありのままの姿、いろんな姿に日々接している分、覚悟というか、受け入れる度量は広くなっているように思います。

一方、私はそんな母の姿を見て、「自分の母も認知症になるかもしれない。そうしたら、自分も母と同じように娘としてショックを受けるかもしれない」と思う一方で、
「でも、それは年を取った自然な姿。受け入れて、最後まで自分のできる世話をしてあげたい」と、素直に思えました。

祖母の入所した施設は、認知症ケアに関しては、十分とはいえないところだったのですが、
(祖母が入所するとき、私も母に付き添っていろんな老人介護施設に見学に行きました)
母は「自分たちが世話ができない分をお願いしている。どんな介護をしていても、私たちは文句をいえない」と、施設で介護をお願いすることに関しては、覚悟がありました。
そしてもちろん、施設の職員の方は、そのときできる精一杯をやってくださいました。

父方の祖父がいまでいう認知症になったのは、今から20年以上前の話です。
そのときは、施設の絶対数も少なかったでしょうし、そもそも「入所させる」という発想はありませんでした。
でも、今回祖母のケースを体験した私たち親子は、今後いろんなケースを考えられそうです。
現に、父はすでに「おばあちゃんが入所した施設で、俺はいいぞ」などと半分冗談、半分本気でいいます。
一方母は、祖母が長い一人暮らし(祖父亡き後17年間一人で暮らしました)の末、もともとウツ気味な性格だったのも手伝って認知症になったのかもしれないと考え、
「私は絶対1人暮らしはしたくない。お父さんに先立たれるのもイヤだし、できればあなたたち(私か弟)と将来は一緒に住みたい」といいます。

まだ先の話のようでもあり、本当に近い将来のような話に思える、今日このごろです。

高齢化社会で必要とされる仕事〜若者と介護の関係とは(2)

[2007年06月13日(水) ]

最初に祖母を亡くしたのは、私が小学校2年生のとき。父方の祖母で64歳でした。

ある日、祖母の家に遊びにいくと、暖かい日だったのに祖母が1人「寒い、寒い」と言っていたのを覚えています。
その後入院し、私たちは休みのたびに、病院にお見舞いにいったものです。
私が覚えているのは、病院で買えるコーヒー牛乳が美味しかったことくらい。
祖母の姿として記憶にあるのは、彼女が元気だった姿だけなので、もしかして子どもだった私たち(私には弟がいます)は、病室に入れてもらえなかったのかもしれません。
大人になってから聞いたことですが、祖母は最初、ガンと診断され治療を受けていましたが、
最終的には糖尿病で亡くなりました。はっきり言って誤診です。
そのとき以来、父はしばらく病院不信になったそうです。今だったら訴訟さわぎでしょうか?

このときの父の年齢が、今の私の年齢です。
そして、父はその祖母が亡くなった年齢を超えました。今66歳です。

次に亡くなったのは、父方の祖父。私は小学6年生、祖父は83歳でした。
祖父は、14歳年下の祖母に先立たれた後、しばらく一人暮らしをしていましたが、
長男である私の父の家に引き取ることになりました。

祖父は最初は元気でしたが、しばらく経つと
「ワシはご飯食べたかね?」など、同じことを何度も繰り返したり、
近所を徘徊したりという、痴ほうの症状がでました。
今でいう、認知症です。

何度も何度も「ご飯食べたかね?」と尋ねる祖父に、母はイライラ(しているように、当時の私には見えました)。
祖父が寝たきりになり、下の世話が大変だったことで、よく両親が言い争いをしていました。
私は「おじいちゃんさえいなければ、我が家は平和なのに」などと思ったこともあります。

ある日、友だちと下校中、遠くに家とは反対方向に歩いていく祖父の姿が見えました。
友だちがいる手前、すぐに祖父のところにはいけませんでしたが、友だちと別れたあと祖父のそばに寄ってみると、どこかで転んだのか、足にひどいケガをしてビッコを引いていました。
ゆっくりゆっくり歩いて一緒に帰ると、祖父は何度も「祐子ちゃんがいてくれて助かった。ありがとう」と言いました。
自分がとても恥ずかしかったのを覚えています。

高齢化社会で必要とされる仕事〜若者と介護の関係とは(1)

[2007年06月11日(月) ]

みなさんこんにちは。
さて、高齢化、高齢化といわれていますが、みなさんの、おじいさま、おばあさまは、おいくつでしょうか?
60代? 70代? 80代? 
もしかして、「ひいおじいさん、おばあさん」までいらっしゃるという方も、いるのでしょうか?

私事で恐縮ですが、今年2月、母方の祖母がなくなりました。89歳でした。
最後は、高齢者向けの介護施設に入所し、夜中に異常を発見した職員によって病院に運ばれ、
そこで最後を迎えました。
斎場で最後に拾った祖母の骨は、89歳とは思えないほどキレイなもので、一緒に参列した一回り年下の祖母の弟(72歳)曰く「若い娘のようだ。姉さんは病気知らずだったから」と言ったのが印象的でした。

これで、私にとって祖父母という人はみな、この世の人ではなくなりました。

ちなみに、母方の祖父をなくしたのは、ちょうど受験生だったころです。
予備校帰りに、祖父の入院している病院にお見舞いに行ったことを思い出します。
祖父はいわゆる「一高→帝大」といわれた時代の東大を出ていた人なので、
弱っていながらも孫たちの進路をとても心配してくれていました。
私は高校を卒業し浪人中でしたので、お葬式のときに制服を着ることができず、初めて真っ黒なワンピースを買ったことなど、ぼんやり思い出します。
(そういえば、私と同い年のいとこも、一つ年上のいとこも、みな浪人中でした)

なんだか、今回のブログは縁起が悪いなあ〜なんて思う方もいらっしゃるでしょうか。
けれども、これだけ高齢化、高齢化といわれているにも関わらず、
高齢者を取り巻く状況や、高齢者と関わる人の仕事の現場が、若い人にはなかなか見えてこないというのもあるでしょう。
会員誌AzestのおシゴトBOXなどでも、もっと介護事業者や福祉関係の仕事を紹介したらどうだろうと思うのですが、会員の方に興味関心がないと聞き、とてもがっかりしました。

私は、Z会会員のみなさんのような、将来の日本を盛り上げていこうとする方々にこそ、
高齢化問題を、もっとリアルな自分の身に起ることとして、想像してほしいのです。
だから、ご自分の祖父母の方々の姿と重ね合わせて、私の体験を聞いて(読んで)いただけたらと思います。

『14歳からの哲学』〜“考える”力に期待!(4)

[2007年06月09日(土) ]

大人は、その立場や責任、義務感などから、10代の中高校生に対して、上から目線でものを言います。
このブログも、そういった面があります。
自分のことは棚において…という気分が、なんとなしにいつもつきまとっていると、私は感じています。

けれども、今という時代に敏感に反応し、それについていろいろなことを感じ、さまざまな悩みを抱えて、そこからいろんなことを考え抜いて、実行していく。
そのエネルギーがいちばん強いのは、10代の中高校生なのです。
そう思うと、私が正直な気持ちで、伝えたいと思うことを、つたないことばであっても書いていくことに、
何か意味があるような気がしてきます。
敏感で、精神的に成長したい、大きくなりたいと思う10代の中高生たちが、なんらかのヒントをそこから拾ってくれるはずだと、信じていたいのです。

『卑しい』ということは、精神にとって最大の恥ずべきことだ。卑しいことは、恥ずべきことだ。卑しいということは、精神が下位のものにへつらうことだ。それを得るために自分を売ることだ」(『14歳の哲学』のp121より抜粋)

これは、『14歳の哲学』に書かれた言葉の中でも、私が最も気に入っている文章のうちの一つなのですが、
こうした抽象的で、強い言葉に、敏感に反応できるのが、10代だと思います。
自分の精神に、何か、はっと気づかせてくれる言葉が、この本にはちりばめられているのです。

なぜ、自分は勉強しなければならないのだろう?
なぜ、校則は守らなければならないのだろう?
なぜ、自分は生きていかなければならないのだろう?
なぜ、自分は自分のしたいように生きられないのだろう?

中高生であれば、毎日のように思うたくさんの“なぜ”と、
どうやってつき合えばいいのか、この本がヒントを与えてくれます。
進路に迷ったとき、勉強が思うように進まないとき、なんとなくイライラしているとき。
『14歳の哲学』を、ぜひ手に取ってみてください。

考えるための、すごい力が、自分にはいっぱいあるのだと信じて!

『14歳からの哲学』〜“考える”力に期待!(3)

[2007年06月08日(金) ]

さて、話は変わりますが、私はある仕事で知り合った高校生がいます。
仮にMさんとしましょう。
Mさんは、高校を1年留年し、通信制高校に通う高校2年生ですが、
バンド活動をしたり、アニメ好きの集まりに出たり、雑誌の読者モデルになったりと、いろいろと積極的なコです。
でも、そのMさんががこんなことを言いました。
「私、弱いから、目標がないと生きていけないんだ」
彼女は、適応障害ということで薬を飲んでいるとのことでした。

『14歳の哲学』には、次のような文章が出てきます。

『恥ずかしい』という感覚に、もっと敏感になるといい。君の年齢は、ある意味で、この『恥ずかしい』『恥である』という感覚に最も敏感な時期だから、わかるだろう。もっと年齢を重ねれば、自分で自分をだます仕方も覚えるし、厚かましくもなってくる。他人からどう見られるかなんて気にならなくなって、あげく全然わからなくなっちゃうんだ」(p120〜121品格と名誉より)

この文章は、精神の大切さ、自分を大事にするとは、精神を大事にするということを説いた中で出てくるのですが、
読んだとき、
大人の厚かましさ、卑怯さに日々腹をたてていた10代のころのことを思い出しました。
そして、Mさんのように、弱いと自覚しながらも、そのなかにピュアで正しくありたいと願う姿も、思い浮かびました。
そうした、10代の、若い人の精神のあり方に、私はエールを送りたいと思っているのです。

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