[2008年08月12日(火) ]
またまた「ひみつ日記」ネタで恐縮ですが、もう1人、先生のことが出てきます。
日記の2日目に(小学4年生になった2日目)、
「渡辺先生のことは、わすれないようにしています」
とあります。
渡辺先生とは、小学3年生のときの先生ですが、私の書いた作文をほめてくれた先生ということで、ずっとずっと覚えている先生です。
私の母も
「あの先生はおとなしい人だったけれど、熱心だったね。あんたの書いた『ドラえもん』という作文もほめてくれてたじゃない」
とよく覚えている先生です。
(作文の内容は、「今日身体検査があって、私の身長はドラえもんと同じ129.3cmになった」とか、そんなたわいもない内容なのですが)
今、こうしてまがいなりにも書くことを仕事にしている、その根っこにあるのは、「渡辺先生にほめてもらった」ということがあるような気がします。
当時の自分も、そのことを大切に思っていたようで、なんだかうれしくなりました(というより、あまり考えていることが変わらない。成長してないのかも!)。
私は、学校という空間はあまり楽しいものだと記憶にはなかったし(男のコからいじめられたり、女のコ同士仲間はずれとかありましたし、先生はひいきするし)、「学校が好きか、嫌いか」と問われれば、「どちらかと言えば嫌いだ」と答えるのですが、こうして過去の日記を見ると、まんざらでもなかったようです。
何10年経ったあとに、
「あの時、先生はこんな風に言ってくれた」
という記憶が、十分大人になった生徒の心に残るのですから、やっぱり学校の先生というのは、職業としても魅力的です。
その先生になる過程を巡って、いろいろと問題が噴出していますが・・・。
先生を必ずしも好きな人ばかりでないと思いますが(どちらかといえば、私もその1人)、
自分が先生という存在から教わったこと、学んだこと、力づけられたこと、どんなささいなことでもいいから、大人になって思い出すことは大切なのでは?
と思うのです。
そして、大人が先生に(自分の子どもの先生に)望むことも、自分がかつて先生にしてもらって
「このことがうれしかった」「このことは悲しかった」
ということを基準にしてもいいのでは?
とも思うのです。
そうすることで、先生も成長できるのでは?
私は小学校・中学校で感じていたのは、
「先生は完ぺきであって欲しい」ということ。
でも、大人になった今思うのは
「先生は、人間的であって欲しい」ということです。
私たち大人は、先生(とくに若い先生)を先生として成長させるために、もっとがんばらなければいけないような気がするのです。
先生という職業が「やりがいがあって魅力的だ」という認識がもっともっと広まって、先生が「先生らしい」と同時に、(矛盾するかもしれないけれど)「先生とは思えない」という人間的な魅力を持った人たちであれば、日本の教育だって、まだまだ大丈夫だと思うのですが・・・。