先生と呼ばれたい?!〜教師になる前、なってから、なった後(1)

[2007年08月06日(月) ]

みなさん、こんにちは!
夏休み、計画通り(勉強も遊びも!)にいってますか?
いまからでも(勉強も遊びも!)遅くないので、精一杯悔いのないように過ごしてください!

さて、ちょっと前の話題になりますが、この夏、参議院選挙がありましたが、ヤンキー先生こと義家弘介さんが、当選していましたね。
彼の出馬に当たっては、教育再生委員会などからも賛否両論、批判もありますが、
当選されたことですし、教育のためにがんばってもらいたいものです。

私は一度、義家先生と取材でお会いしたことあるのですが、その時に彼が
「落ちこぼれの、できない生徒にとって、学校の先生というのは立派すぎるんだ。
学校の先生というのは、大学を出て、ちゃんと勉強した人しかなれないから、どうしたって距離を感じてしまう」
ということをおっしゃっていたのが印象的でした。

いじめられている生徒が先生に相談できないっていうのも、そういうところにも原因があるのではとのことでしたが、みなさんはどうでしょうか?
彼の話を聞いて、教師という、生徒から見たら強い立場にある人間には、
弱い立場にある人間のことを、想像する力が必要
なんだとつくづく思いました。

「自分はいじめられたことがない」
「自分は勉強で遅れをとったことはない」
「自分は受験で失敗したことがない」
「自分は教師に反抗したくなったことがない」

だからこそ教師になったときに、自分と正反対の体験をしたり、自分が思いもやらないことを考えたり感じたりする生徒がいることを、
謙虚に受け止め、向き合う必要がある
のです。

自分が経験したことを、生徒に伝えることは大切。
と同時に、自分が体験しなかったことも含めて、生徒の将来になるためのことを伝え、気づかせていくのが教師と言う存在なのでしょう。