高齢化社会で必要とされる仕事〜若者と介護の関係とは(3)

[2007年06月15日(金) ]

父方の祖父母は、私が小学生のときに亡くなっているのですが、
このときを父の“嫁”である私の母は、今の私より若い年齢です。30代で義理の両親を看取ったことになります。
その母は、昨年還暦を迎え、今年2月、自分の母(私の祖母)を亡くしました。
「義理の父のときはしていた最後の世話を、自分の母にはしてやれなかった」ことを、歯がゆく思っているとよく言います。

今年亡くなった祖母も、最後は認知症になりました。
英語、中国語、スペイン語など語学も堪能で、絵画や音楽、相撲や野球などの鑑賞・観戦も好き。
野球ではヤクルトスワローズが好きで、いまは監督の古田選手の大ファンでした。
私とは、よく相撲談義に花をさかせていたものです。

そんな祖母でしたから、母曰く「ぜったいにぼけないと思っていたのに」。
施設に入ってからは、ヘルパーの方に、ものすごい暴言・暴力を働いて泣かしてしまったり、
最後は、下の世話も必要なくらい、自分で自分が何をしているのかわからなくなりました。
「あんなにキレイ好きだったのに」と、母は娘として相当ショックを受けていました。

でも、介護事業所に勤めている私の夫曰く「誰でも年を取ればそうなる。珍しいことでもなんでもない」といいます。
もちろん、自分の身内のこととなったら、私の夫も同じように冷静でいられるかわかりませんが、
介護の現場で、高齢者のありのままの姿、いろんな姿に日々接している分、覚悟というか、受け入れる度量は広くなっているように思います。

一方、私はそんな母の姿を見て、「自分の母も認知症になるかもしれない。そうしたら、自分も母と同じように娘としてショックを受けるかもしれない」と思う一方で、
「でも、それは年を取った自然な姿。受け入れて、最後まで自分のできる世話をしてあげたい」と、素直に思えました。

祖母の入所した施設は、認知症ケアに関しては、十分とはいえないところだったのですが、
(祖母が入所するとき、私も母に付き添っていろんな老人介護施設に見学に行きました)
母は「自分たちが世話ができない分をお願いしている。どんな介護をしていても、私たちは文句をいえない」と、施設で介護をお願いすることに関しては、覚悟がありました。
そしてもちろん、施設の職員の方は、そのときできる精一杯をやってくださいました。

父方の祖父がいまでいう認知症になったのは、今から20年以上前の話です。
そのときは、施設の絶対数も少なかったでしょうし、そもそも「入所させる」という発想はありませんでした。
でも、今回祖母のケースを体験した私たち親子は、今後いろんなケースを考えられそうです。
現に、父はすでに「おばあちゃんが入所した施設で、俺はいいぞ」などと半分冗談、半分本気でいいます。
一方母は、祖母が長い一人暮らし(祖父亡き後17年間一人で暮らしました)の末、もともとウツ気味な性格だったのも手伝って認知症になったのかもしれないと考え、
「私は絶対1人暮らしはしたくない。お父さんに先立たれるのもイヤだし、できればあなたたち(私か弟)と将来は一緒に住みたい」といいます。

まだ先の話のようでもあり、本当に近い将来のような話に思える、今日このごろです。