前回に引き続き、また「ひみつ日記」のネタになりますが、
「Tuesday,June,24,1986」
のページにこんな内容がありました。
「今日はテストがあった。(中略)帰ろうとしたら先生に呼ばれて『社会は好き?』って聞かれたから『嫌いじゃない』っていったら喜んで(注:担任は社会科の先生でした)、『今回のテストも(私の成績が)よさそうだから・・・』とか(先生が)言って、『将来何になりたい?』って聞かれて(私が)『ふつうのおばさん』っていったら『裁判官や弁護士になれば?』って言われた。ちょっと考えさせられるなー。どうしよう?先のことはわかんないでーす」
「もう、自分、ばかだ~!」ってつっこみたくなりますが。
中3の頃の担任の先生は私のことをかってくれて、こんな話をしてくれたことは覚えていました。
でも、私の記憶にあったのは、別の場面のことなので、先生は私に何度も「今からちゃんと勉強して、将来は裁判官や弁護士になれ」と言っていたようです。
このことを思い出すと、私は「ホントだよ~、ちゃんと勉強していればまともな人間になれたかもしれないのに」と思います。
もっと自分が、社会的にも説得力のあるなにかを持っていれば、私が「助けたい!」と思う人を助けることができるのに・・・と思うことがわりとあるので、その度に、中3の頃の担任の先生の言葉を思い出します。
結果として、(よくあるパターンですが)高校で落ちこぼれて、司法試験なんてとてもとても・・・という人間になってしまったのですが、いま大人目線で、自分を棚にあげて考えると
「もうちょっとどうにかサポートすれば、どうにかなったかもしれない」
なんて、思ったりします。
少なくとも、チャレンジさせるくらいのことは、あってもよかったのかなぁ、なんて。
(個人的には、大学の教養の授業で司法の「判例」をやり、司法そのものに疑問を持ってしまったので、チャレンジしたとしてもどこかで別な道を選んだかもしれませんが・・・)
というよりも、中3にして「ふつうのおばさん」って!
将来の仕事に対する、想像力がなさすぎ!こっちのほうが、問題でしたね(笑)。
私はずっと公立の学校育ちで
「義務教育である中学生までと、受験して入る高校生とでは、根本的に違う」
という自分の経験があって、
いま流行りの「中高一貫教育」というのには、疑問を持っていましたが、15歳で芽生えた何かを育てる環境として、それは大いにアリなんだな、というのがなんとなくわかった気がしました。
中学の友人から先日、私たちの担任をしていた先生が、校長先生になったということを聞きました。
「私たちも、年をとるはずだよね~」なんて話していたのですが、機会があったら、友人と一緒に、先生を訪ねてみたい気もします。