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2017.04.02 09:30

こんにちは、リベラレス大学生アドバイザーのハヤシです。
 
先日は、梶井基次郎の「檸檬」のことも少しブログに書かせていただきましたが
今回は同じようなモチーフで書かれた柑橘系小説第2弾、芥川龍之介「蜜柑をご紹介。
 
読み解く際のキーワードは「象徴」です。檸檬にもそういう要素はありましたが、蜜柑のほうがもっと描かれ方が分かりやすい。自らの心の内の描写を、風景に象徴的に溶かし込んでゆきます。
 
 
或曇った冬の日暮である。・・・とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はいなかった。外を覗くと、うす暗いプラットフォオムにも、今日は珍しく見送りの人影さえ跡を絶って、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しそうに、吠え立てていた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかわしい景色だった。
 
 
そんな「不可解な、下等な、退屈な人生」で「一切がくだらなくなっ」た私だったのですが、ある出来事を目の当たりにして、最後には・・・
 
 
暮色を帯びた町はずれの踏切りと、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮(か)な蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はっきりと、この光景が焼きつけられた。そうしてそこから、或得体の知れない朗(か)な心もちが湧き上って来るのを意識した。
 
 
そう、「朗な心もち」になるのです。
 
いったい、私はどんな場面に出くわしたのでしょう??
そして、それはなぜ荒んでいるようにも見える私の気持ちを変えるに至ったのでしょう??
 
私には、そこで蜜柑の鮮やかさが重要な効果を果たしているように見えます。
そして、その効果を踏まえて芥川の蜜柑と梶井の檸檬と対比してみると、その2作品からは2人の性格の違いまで垣間見ることができるように思います。視覚的鮮やかさがスマートに心に残る芥川蜜柑と、「単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚(視覚は最後)」の総体として鮮烈な梶井檸檬。梶井檸檬のほうが個人的には好きなのですが、でも視覚を通してしかその場に居合わせていない芥川の姿勢―芥川の生き方も少し分かるような気もするのです。
 
しかしながら、芥川龍之介「蜜柑は、檸檬同様に、とても面白く、わかりやすく、手近な短編です。広く、長く、人びとに読み継がれています。教科書や青空文庫でも読むことができます。
15分でも暇な時間があったら、ぜひ一度目を通してみてください…!
30分、暇な時間があったら、柑橘系作品を読み比べて、その違いを味わってみてください!
 
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