ブログ検索
最新記事
最新コメント
国語力研究所代表
神聖喜劇と裾野中華と三島ウナギの比較と、国語力検定 (2008年08月19日)
国語力研究所代表
三島夏祭り最終日で激突と、国語力検定 (2008年08月18日)
ちゅんしゃんじん
三島夏祭り最終日で激突と、国語力検定 (2008年08月18日)
エ○タ見ているTさん
頼朝公旗挙げ行列出陣式と、国語力検定 (2008年08月16日)
国語力研究所代表
頼朝公旗挙げ行列出陣式と、国語力検定 (2008年08月16日)

http://www.zkaiblog.com/kokugoryoku/index1_0.rdf
プロフィール

不平等国家・中国と平等国家・日本と、国語力検定

[2008年06月30日(月) ]

園田茂人『不平等国家 中国』(中公新書)読了。



内容は、タイトルのとおりなんですが、この本、何がおもしろいかといって、掲載されている調査データがおもしろい。とりわけ、中国のそれ自体よりも、比較対象となっている日本のそれが。

中国のそれは、調査対象が都市部住民に限られるという憾みはあるんですが、それでもいくつか、日本のそれと一緒に引用しておきましょう。

まず、40ページ、「よく働いた者がそれだけ収入を得るのは当然だ」への、「強く賛成」という回答の割合。

一方が20%弱、一方が40%弱で、ほぼダブルスコア。

どっちが中国で、どっちが日本でしょう?

そう、前者が日本で、後者が中国なんですね。(アジア・バロメーター調査、2006年より)

次に、所得分配の不平等さを測る、ジニ係数について。43ページに掲載のデータ。

100が完全不平等、0が完全平等を示すとして、一方が44.7、一方が24.9。

どっちが中国で、どっちが日本でしょう?

もちろん、前者が中国、後者が日本です。

ちなみに、この中国の数値、香港より上です。アメリカよりも上です。

日本と似た数値の国は、スウェーデン、デンマーク。

2005年の調査ですが、ふーむ、ですね。

日本、そんなに悪い国じゃないんじゃないか、と思うようなデータ。貧富の差があんまり激しくない、という意味で。

為政者は、なぜこれを声高に喧伝しないんだろう。それが逆に不思議だ。

もう1つ。Z会ブログであるからして、「教育の社会的機能に対する評価」について。58ページ。2006年アジア・バロメータ調査より。

選択肢には、

・人間性を豊かにする
・好きな職業に就ける
・収入を増やせる
・海外に住める
・地位を高められる
・国の発展に貢献できる
・社会のためになる
・国際的に活躍できる

があり、この中から3つ選択する形式だそうです。

中国は、このうち、何が1位だと思います?

もう、おわかりですね。そう、「収入を増やせる」。68.7%。

同じ項目の、日本の割合はというと、31.3%。

中国・香港・日本・韓国・シンガポール・台湾・ヴェトナムの数値が挙げられていますが、日本、最低の数値です、「収入を増やせる」。

では、日本の1位の数値は何かと言うと。

「人間性を豊かにする」。

これが、先に挙げた国々の中で際立って高いのと、「好きな職業に就ける」「収入を増やせる」「海外に住める」「地位を高められる」が先に挙げた国々の中で最低なのが、日本の特徴です。

……これって、どうなんでしょうね。「人間性を豊かにする」、美しい言葉ではあるんですが、教育への信頼というか期待というか、それが高いのかどうか。微妙だ。

ぼくの親は、おそらく、「人間性を豊かにする」ことが第一義ではなかったとは思いますけどね、ぼくを大学までやってくれたのは。いや、もちろん、感謝してますよ、それはもう、激しく。皮肉でも何でもなく。むしろ、これを皮肉と受け取る向きには、……やめときます。

ほかにも、興味深いデータがありますので、ぜひどうぞ。

今年のベランダ菜園と、国語力検定

[2008年06月29日(日) ]

んで、仕事もしたし、昨日今日と単行本1冊ずつ読んだし、続いてベランダ菜園の手入れなど。





ゴーヤ君第2号、5センチぐらいまで成長中。

第1号は、どうしたかって?

雄花と雌花があって、受粉させてやらなきゃならんということを知らなくて、成長させられず。

第2号以下は、ちゃんと受粉させております。

現在、第3号第4号開花、受粉完了。

第5、第6号つぼみ、スタンバイ中。

ここんとこ、アブラムシとの戦いが毎朝の日課となっております。





エダマメも例年より順調。

お通し1人前分ぐらいは、収穫できるのではないか。





ミニトマトも、当初は例年より順調と思われたのだが、水&液肥を与えすぎたか。

こりゃ、どう見ても葉っぱが茂りすぎだな。

花は咲いたんだが、実をつけないものもかなりある。

というわけで、この後、葉っぱを少々切り取ってすっきりさせる。

大丈夫かな、そんなことして。

水遣りも、抑え気味にしよう。表面が乾いたら、ね。液肥もしばらくやめるか。

小さな白い虫がいっぱいいるのも気になる。

農薬は使いたくないしなー、どうしよう。

それは尋ねるだけ野暮であると、国語力検定

[2008年06月29日(日) ]

昨日も今日も、ちょっとだけ仕事をする。

明日、休もうかと考えているためだが、さて、天気も悪そうだし、どうしよう。



三島の街を散策中、なかなか楽しい看板を見つける。



吐く人が多いんでしょうなあ。

大学も近いしね。

二十代のころは、自分もよく吐いたもんだ。

……すいません、三十代でも吐いてました。

さすがに、四十過ぎてからは、吐いたことないな。

少しはオトナになったってことか。



広瀬隆『持丸長者[戦後復興編]――日本を動かした怪物たち』(ダイヤモンド社)読了。



広瀬隆さんと言えば、ぼく的には『危険な話』である。

大学生のころ、かなり流行った記憶がある。『危険な話』。

てか、バイト先の同僚に「ぜひ読め」と言われて貸してもらったんだっけか。

メンタリティというか問題意識というか、基本的なところは変わっておられないようである……ウロ覚えですけどね、『危険な話』の内容。

ごく少数の例外を除き、軍人や政治家や資本家を、激しく嫌悪していらっしゃるようだ。わからなくもないが。白洲次郎さんも、ボロクソに書かれている。確かに、いろんな視点からのものを読んだほうがいいとは言える。

敗戦直後、備蓄してあった国家予算1年分ほどのカネ・モノが、特権的な立場にあった人たちによって山分け状態、というのがおもしろかった。おもしろかった、というか、なんだかなあ、というか。当時、そうしたのはわからんでもないですよ。でも、今からでもいいから、「当時はすんませんでした、返しまーす!」という気は起こらんものなのか。

一箇所だけ引用。

《なぜわれわれは、いま、この戦後史を正確に知っておかなければならないか。/尋ねるだけ、野暮である。》(p38)

ちょいとおもしろかったんで引用しました。

いや、もちろん広瀬隆さんは、「以下、読んでもらえればわかるだろう、だから『尋ねるだけ野暮である』のだ」という意図なんでしょう。

Z会の問題の解説で、「なぜ、この問いの答えがこうなるのか。/尋ねるだけ、野暮である」と書いてみたら、ウケるだろうなあ、と思って。ウケないっすね、すいません。

でも、かつて、ごく限られた人のためのZ会だったころ(まだぼくがZ会で働き始める前ですね)、実際、「なぜこれが正解かは、諸君には解説するまでもないだろう」といった旨の解説もあったと聞いたことがある。

当時は、そりゃまたなんと高踏的な、と思いましたが、今から考えると、それでペイをもらえたわけで、いい時代ではあった。「まず自分で考えてみよ」という意図もあったんだと思いますが。

今は、それ、通用しないでしょうね。

手取り足取り、が主流ですもんね。

それが逆に、対象をスポイルしている面もあるのではないか。

難しい問題だ。

アップルとグーグルと15万円分の人生と、国語力検定

[2008年06月28日(土) ]

小川浩・林信行『アップルとグーグル』(インプレス)読了。



確実に一定数は売れそうなタイトルですね。少なくともモトは取れるよ、という読みでしょうか。

内容はですね。この両社については、すでにさんざん書かれているので、とりわけ目新しいものはなかったような気がします。

さっき、『なぜビジネス書は間違うのか』という本も読み終え、これについては改めて取り上げますが、『アップルとグーグル』というタイトルの本がなぜ一定数売れるのか、そして大勢の読者にとってほぼ予想通りの内容なのはなぜか、ということがわかりました。

簡単に言っちゃうと、両社が絶好調だからですね。

ものすごく単純な理由ですが、そういうことです。

かく言うぼくも、途中で投げ出さずに、読んじゃったわけですが。

でも、とりあえず、いくつか引用しておきます。参考になるところもあるので。

《他社との比較を出発点にしたのでは、大きな飛躍のある製品や、本質的に素晴らしい製品、根本的に違う製品を生み出すことはできない。本当にいい製品をつくりたければ、向き合うべき相手は他社ではなく、自社のほうだ。製品の本質をよく検証した上で、それに対して自社の強みをどう生かせるかを考えるべきなのだ。》(p34)

なるほどなるほど。これには、深くうなずく。

続く35ページ。

見出しは、「アップルとグーグルの特異性」。

《両社ともトップの年棒はわずか1ドル》(p35)

……年棒?

《スティーブ・ジョブズの年棒がわずか1ドルであるのは有名な話だが、グーグル最高経営責任者のエリック・シュミット、共同設立者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの年棒も共に、2004年以降は1ドルとしている。》(p35)

やっぱり、年棒。

1年に1本、1ドル分の棒をもらうってことか。

去年今年貫く棒の如きもの、みたいなもんか。違いますね。

これ、おそらく、読み方を「ねんぽう」ではなく「ねんぼう」と覚えてしまっていることに起因すると思われます。

「ねんぼう」で変換すると「年棒」になっちゃうもんね。

「ねんぽう」で変換すると、ちゃんと「年俸」と出てきます。

これも、手書き時代はなかった誤植ですね。うむ、やはり国語力検定は、時代が求めているものかもしれない。なーんてね。

《この両者〔アップルとグーグル〕が決定的に似ているのは、帰納法で考えるのではなく、演繹法で事業を考えていることだ。つまり、何か理想の世界、こうあるべきだという確固たる想いがあり、どんな紆余曲折を経てもそこにたどり着くんだという、理想に対して殉ずる決意があるところだ。》(p196)

じゅじゅ、「殉ずる決意」っすか。でも、この場合の「殉ずる」は、まさか、理想実現と引き換えに会社を潰してもよい、ということじゃあないですよね。それは、経営者としていかがなものか。

帰納法・演繹法の使い方も、これで正しいのかどうかはわかりませんが、でも、言わんとするところはわかります。

《対して、日本企業の多くは帰納法、つまり、現時点での情報や事実の積み上げで結論にたどり着こうとする傾向が多いように思える。どちらでもいいじゃないかという人もいるかもしれないが、こと企業の経営という意味では大きな違いが生まれる。あそこに行こう、という方向感覚を持っているリーダーに率いられている組織と、今こっちを向いているから、とりあえずこっちに行こうというリーダーに率いられている組織では、カルチャーがまったく違う。現状がこうだからという考え方では大きな間違いは犯さないかもしれないが、革新的な事業を興すことは不可能だ。》(p197〜198)

これも納得。あまたあるビジネス書に、必ず書かれていますけどね。

《ライフログといって、人間の一生をデータ化してネット上に記録(ログ)していくことを提唱している人がいるが、この記録に必要なデータ量はだいたい3テラバイトという。3テラバイトとはおよそ3000ギガバイトだ。2008年2月現在の価格で、ざっと15万円相当のハードディスクで足りるということだ。》(p199)

これは、初めて読んだ内容。

へー、一生の記録が、3テラバイト。現在価格で、15万円分のメディアに収まるのか。

メディアの価格なんて、どんどんどんどん下がってるよね。

こないだ、久しぶりにチラシを見て、「えええ、SDカードって、今、こんなに安いのか!」とビックリした。

デジカメ買ったの3年前かな、その当時、256メガのSDカード、5000円近くしたような。

今、1ギガのSDカード、特売で700円しないもんね。

こういう価格だと、デジカメ画像をPCに落としてCDやDVDに焼いて保存、という方法より、SDカード自体を保存用に使う(必要ならどんどん新しいのを買う)、というほうがラクなような。みなさん、もう、そうしてらっしゃるんでしょうか。

いずれ、一生分の記録が1000円程度のメディアに収まる、という時代が来るかも。一生が1000円かあ。

フォト・リテラシーと、国語力検定

[2008年06月27日(金) ]

今橋映子『フォト・リテラシー』(中公新書)読了。



写真に様々な言葉で解説を加え、というか、解釈を加え、まあ、その素晴らしさを褒め称えているんでしょうな、そういう章もあるが、いまいちピンとこない。

そんなに難しく解釈しなくても、ああ、いい写真だなあ、でよいのではないか、という気もする。

てか、1枚の写真を解釈するのに、こんなにも多くの言葉が必要なのか、ということに、国語力的に興味を覚えた。

百聞は一見にしかず、ではないけれども、ああ、言葉よりもイメージのほうが、圧倒的に多くのことを伝えられるんだな、と。

言葉って、不自由なもんなんだな、と。

それでも、いや、それだからこそ、国語力検定が必要であると考えるわけである。

お。なかなかよいオチだったな。

いくつか引用しておく。

《例えば芸術系ではない一般大学の一般講義で(それでも「写真と異文化理解」という講義題目に惹かれて、二百名近く集まってくる学生の中で)、キャパの「崩れ落ちる兵士」を初めて見たという学生が、実に七十パーセントにも上ることを、私は実際自分がアンケートを採ってみて初めて知った。》(p185〜186)

ここを国語力的に解釈すると、「まさか初めて見る学生が70%だとは思わなかった、もっと多くの学生がすでに見ているはずだと思っていた」となりますが。

でもそれって、自分の好きなアーティストを実際以上にメジャーだって思うようなもんじゃないですかね。

《しかもその彼らが、半年の授業の後に、例の大回顧展に足を運んでみれば、それこそ数時間にもわたって飽きることなく堪能できた……と報告してくれるのである。これは写真の、メディアとしての力の減退ではなく、報道写真を知る、あるいは写真を(意識的に)見る――という機会さえあれば、読者は確実に増えることを暗示しているだろう。》(p186)

これも、自分がその授業を担当する教師だ、という点を割り引いて考えたほうが、よろしいかと。

「先生、全然つまんなかったすよ」という報告は、なかなかできんでしょ。

という、脇の話はおいといて。

《写真は、現実の鏡や窓でなく、そこから恣意的な選択を続けられた上で私たちの手許に届けられた断片にすぎないのだとすれば、私たちはあくまでもそれを思考の契機とするほかない。(中略)映像の向こうにいる写真家、その向こうにある「写らなかった」世界、その写真がこちらに届くまでの媒体の性質……こうした諸現象に思いをめぐらし、調べ、思考して初めて、私たちは自分自身の判断を下すことができる。》(p201)

これには、深く納得しました。

でも、脇筋から、もう1つ。

パリの街角でキスをする男女の写真、ロベール・ドアノーという写真家の「市庁舎前のキス」という写真だそうですが、目にしたことがある人もいるかと思います。(何パーセントかは、予想もつきませんが。)

これ、発表時は、演出も何もなく自然にパリの街角を撮ったものだ、という話だったんですが、それを巡ってのエピソード。

《絵葉書やポスターでドアノー人気が急上昇するに伴って、「自分たちこそ、このモデルだ」と名乗りを上げるカップルが続出したのである。何と十四、五組のカップルがあらわれたという。そしてついにそのうちの一組が、肖像権を主張してドアノーを相手取り、訴訟にまで持ち込むに至り、事態は笑い事ではすまされなくなる。》(p87〜88)

あーあ。人間って、カネがからむと、情けないっすね。

《実は一九五〇年『ライフ』初出の記事は、数組の俳優たちを使って、パリを舞台に撮影された「演出写真」であった。》(p88)

訴訟にまで持ち込んだカップル、「いや、あまりにも我々に似ていて……」とでも言ったんでしょうかね。

さて、これで一件落着かというと、さにあらず。

《ドアノー側がそれを認めた後、今度はその撮影に加わって演じていたカップルの一人が(この映像の爆発的売れ行きに乗じたのか)ドアノーおよびラフォ(フォトエージェンシー)にロイヤリティの追加支払いを求める別の訴訟を起こした》(p88)

あーあ。

結局、追加支払いは認められなかったようですけどね。

話は、まだ続く。

《さらなる後日談を記せば、敗訴した元女優(つまり写真の中の女性)は、当時ドアノーから贈られたオリジナルプリントを、二〇〇五年オークションに出品し、約二一〇〇万円もの高値で落札されたという。》(p88〜89)

よかったですね。

広島出張番外編2と、国語力検定

[2008年06月26日(木) ]

日本語検定というキーワードで訪問される方もいらっしゃるようだが、今回はワタクシ、受検しておりません。1級とっちゃったからね。

そしてここは、国語力検定ブログであります。

今回、日本語検定を受検したのは、同僚アーさんだけでした。

アーさんが受検したのは、3級。日本語検定ホームページの「受検の目安」によると、「社会人・大学生・高校生」レベルとのこと。

問題を見せてもらう。

うーむ。去年受検した2級との難易度の差が、きわめて激しいような気がする。

1級は、不要な(んじゃないかなあ……)知識で難易度を上げているという印象を受けたので、2級の出題を社会人向けとして洗練させていけばいいと思うのだが、この3級で「社会人」というのは、やや問題があるのではないか。ちょっと易しすぎ。

ちなみに日本語検定3級と、国語力検定3級認定、難易度レベルとしてはほぼ同じぐらいだと思うが、国語力検定のほうは、3級で「小学校卒業レベル」です。



原爆ドーム見学後、平和記念公園内をぶらぶらする。



慰霊碑。

ここに刻まれた碑文、「過ちは 繰返しませぬから」が、ときに問題とされる。

国語力的に興味深いので、取り上げておこう。

問題は、主語が明示されていないこと、そして「過ち」が何を指すのかということである。

主語の候補としては、人類、日本、アメリカ。

「過ち」の候補としては、戦争、核兵器使用、が挙げられるだろう。

考えられる組み合わせは、以下のとおり。

@人類は、戦争という過ちを繰り返しません
A人類は、核兵器使用という過ちを繰り返しません
B日本は、戦争という過ちを繰り返しません
C日本は、核兵器使用という過ちを繰り返しません
Dアメリカは、戦争という過ちを繰り返しません
Eアメリカは、核兵器使用という過ちを繰り返しません

このうち、Cという解釈がよく問題とされる。

核兵器を使用したのはアメリカなんだから、「過ちは 繰返させませぬから」だろう、というわけである。

でも、主語が日本で、「アメリカに何かをさせる(あるいは、させない)」というのは、ちょっと無理があるような気もする。

一方、主語をアメリカにして、「アメリカが何かをしない」と、それを日本が宣言するのも、おかしな気がする。

というわけで、C〜Eという解釈は消える。

次に@Bだが、戦争すべてが過ちかどうかは様々な議論があるところだし(自衛のための戦争、という場合もあるし)、第二次大戦後も戦争は世界各地で起こりまくってるわけだし、あんまり有効な宣言とは言えない気がする。

以上、消去法で行くと、Aという解釈が最も妥当なのではないか、と思われるのだが。実際、核兵器は、ヒロシマナガサキ以後、使われていないわけだし。

『ほんとうの「国語力」が身につく教科書』でも取り上げている、「整合性のある解釈ができる」ということに関連しますかね、これ。



それから、



こういうところも見学する。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。二度目の訪問である。



こういう企画展をやっていて、見学したかったんですな。

資料館を駆け足で、というのがよくあるパターンだと思いますが、こちらもぜひ訪れてみてください。

が、今回、「ん?」と思うところに気づく。

入ってすぐのところには、「尊い犠牲となった人々」という旨の記述がある。

そして、展示の途中には、「国の過誤により犠牲となった人々」という旨の記述がある。

同じ主体(国立の施設だから、この場合は「国」だろう)が、一方では「尊い犠牲」と言い、もう一方では「自らの過誤による犠牲」と言う。

この2つの表現は、同じ主体が発するものとして、両立するんだろうか、と、考えてしまったわけである。

「自分の過誤によるものなんだけど、尊い犠牲」

国語力的に、なんかヘンな気がしてしょうがない。

(広島編、これにて終了。)

広島出張番外編1と、国語力検定

[2008年06月25日(水) ]

広島では、こんなところも見る。






これだけでわかったら、たいしたもんだと思います。







爆心地、その上空の写真でした。



それから、原爆ドームの周囲をぐるっとまわる。




















これで一周です。

おそらく地元の小学校の生徒でしょう、みんなで写生をしておりました。

広島出張3と、国語力検定

[2008年06月24日(火) ]

6月24日は更新できるかどうかわからないため、23日中に、24日朝9時更新のようにしてアップしておく。日付は24日でも、すぐにアップされちゃうんだけどね。

先週金曜日の、広島出張の続き。

昼食のお好み焼きを待つ間も、食べ終わった後も、熱心に営業レポートを書くコム君だったが、さあそろそろ移動するか、と駐車場へ行って、クルマに乗り込んだ、そのとき。

「忘れました!」

「何を」

「営業資料です! さっき昼飯食べたところだと思います! 見てきます!」

光より速く走る営業コム君。




……数分後、トボトボと足取り重く帰ってくるコム君。

「もうありませんでした、どこかの子が持ってっちゃったそうです……」

まあまあ。補足資料的なものはおれも持ってるし、個人情報や機密情報でもないんだから、そう気を落とすな。こんな些細な失敗は、ナイショにしといてやるからさ。それより、もうすぐ次の約束の時間だ、急ごうぜ。

動揺を隠せないコム君をなぐさめ、次の訪問校へ。

そこへ、コム君所属の大阪営業所から電話がかかってくる。

「え? あった? サービスカウンターに届けられていた?」

どうやら見つかったらしい。

よかったよかった。でも、大阪営業所にはバレちゃったね。

と、思って、よく聞くと。

第一報は、わが国語力研究所に入ったらしい。

広島は宇品のゆめタウン→静岡は三島のZ会国語力研究所→大阪は中津のZ会大阪営業所→広島営業中のコム君、という順番で情報が流れたわけね。

そりゃそうか。国語力検定の営業資料だもんな。

まずは、そこに載っている国語力研究所の番号に電話するのも当然だわな。

てことは、だ。もうナイショにすることもないよね、コム君。

しかし、国語力研究所の同僚アーさんかターさんかも、ビックリしただろうなあ。

いきなり「もしもし、ゆめタウン宇品店ですが」だもんなあ。

なななな、何の御用ですか?てなもんだ。

一瞬、おれが何かヘンなことでもやらかしたか、と思われてたりして。思っただろうな。



金曜午後も学校2校を訪問後、解散。

こんなホテルにチェックインする。



タタミにベッド、ステキ! タタミの上に寝転がれるからなあ。おまけに大浴場付き。しかも、夜も朝も自分以外は大浴場に誰もいなくて、貸切状態。ミネラルウォーター1本サービス。

普通のデスクと椅子に、デスク用の蛍光灯、コンセントも6口もあって、仕事もはかどる。というわけで、先週土曜のブログも、ここからの更新だったのでありました。

しかもしかも。



お好み村と、



ひろしま村が、激しく戦い、



こんな状態になっているスポットへも、徒歩1分という便利さ。

何も隣に建てること、ないのにね。

さて、ではぼくもひとつ、晩飯を食いにお好み村かひろしま村へ……は、行かないのである。

向かったのは、ここ。



新天地「みっちゃん」。

観光客と地元客が、半々といった感じか。

ここでも、スタンダードな肉玉そば入りを注文する。750円也。

鉄板前のカウンターに座って焼き上がりを待っていたのだが、焼いているお兄ちゃん、まるで求道者のような表情、そして様式美を追求するような動き。なかなか楽しい。



焼き上がり。そばのカリッとした感じが美味。マヨネーズトッピングは20円だけど、ソースは卓上にあって無料で追加できるのもうれしい。

昼飯の650円お好み焼きよりは、プラス100円であっても、こっちを選ぶかな。

あ。でも、昼飯食ったお店は、割引券もらったから、次回から550円か。

200円差だと、微妙な勝負だな。

広島出張2と服従実験と、国語力検定

[2008年06月23日(月) ]

先週金曜は、営業ミヤさん・コム君と広島出張。

午前中に学校2校を訪問し、それから、宇品の「ゆめタウン」というショッピングモールで、Z会特約書店を視察がてら、昼食。

ショッピングモール内によくある、フードコート的な場所でメシを食おう、ということになる。

ラーメン、うどん、ハンバーガー、丼など、いろいろなお店があるが、やはり広島へ来たなら、お好み焼きでしょう!



ということで、3人そろってお好み焼き屋さんでオーダー。



100円割引券とポイントカードをもらう。月イチぐらいで行かなきゃ、広島。冗談です。

作り置きするのではなく、オーダーを受けてから焼き始めるというシステムのため、しばらく待つ。



待っている間も、営業レポート作成に余念のないコム君。えらい!

そうこうしているうちに、ミヤさんオーダーのネギ焼き出来上がり。



へー、温泉卵みたいなのがトッピングなんだ、へー、こいつもよさげっすね。

続いて、コム君オーダーの、何だっけ、チーズマヨネーズ焼きだっけ、出来上がり。



諸物価値上げの影響だろうか、今回、「え! マヨネーズに課金するわけ? サービスじゃなくて?」という感想を持った。後述するが、「みっちゃん」というお店では、マヨネーズのトッピングに20円という値段がついていた。広島を訪れたのは4年ぶりぐらい、そしてそのときには1泊2日の日程で4食お好み焼きを食べたのだが、当時もマヨネーズは有料だったっけか。覚えてないな。

コム君オーダーは、そばダブル。聞けば、彼の昼食は、「大盛り」がデフォルトらしい。彼の上司コーさん、この人はぼくより年上なわけだが、その人が常に「大盛り」オーダーということも、彼の食習慣に影響を与えているのかもしれない。コーさん、カレー2キロでしたっけ3キロでしたっけ、いわゆるチャレンジメニューに挑んで、達成寸前まで行った人ですからね。かなりリスペクト。

それはともかく。

最後に、ぼくのオーダーした広島焼き650円也、出来上がり。



肉+キャベツ+モヤシ+卵+ソバ、という基本構成です。

ひっさしぶりに食べたからね、やっぱ美味いよ、広島のお好み焼き。野菜が蒸された感じがね、で、甘みが出ているところがね、ドロリとしたソースとよく合う。

食後、



ミヤさんが、アイスコーヒーをおごってくれる。ミヤさん、ごちそうさまです!



トーマス・ブラス『服従実験とは何だったのか――スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』(誠信書房)読了。



5200円かあ。研究書の類ならわかるけど、伝記だもんなあ。

読後に、「ああ、社会心理学を専攻すればよかったかなあ」と思った、ぐらいにはおもしろかったんですが。

そうそう、ミクシィとかのSNSを始めた人って、ミルグラムの「スモールワールド研究」から示唆を受けたんですかね。

脇筋から、いくつか引用。

嫉妬について。

《人は、自分より週に百ドル多く稼ぐ人には嫉妬するかもしれないが、ビル・ゲイツにはそんな気持ちは抱かない。》(p240)

あの世までカネ持っていけるわけでもなし、とは思いますがね。

行動の説明について、自分と他人のそれによっての違い。

《一人の学生がコーヒーカップをひっくり返すところを見て、ある学生が、あいつはなんて不器用なんだと思う。しかし、すぐその後で、その本人もコーヒーカップをひっくり返してしまうのである。どうしたんだと問われて、その学生は、「コーヒーがすごく熱かったんだよ」と答えるのである。》(p286)

人は、自分の失敗を説明するときには環境のせいにするのに、他人の失敗を説明するときには、その人自身のせいにする傾向があるそうです。「なるほど」と思った人も、多いんじゃないでしょうか。

本筋から引用。

《ミルグラムは、私たちがこれまで知らなかった人間の本質について、つまり私たち自身について、深遠ななにものかを明らかにしてくれたのである。それは、私たちが権威からの命令に従う傾向がどんなに強いものであるかということであり、私たちはそれらの命令が道徳原理と矛盾するときでさえ従うのである。しかし、いったん私たちが権威にごく簡単に従ってしまうことを知りさえすれば、好ましくなかったり、非難に価したりするような命令に対して対抗策をとることができるようになるのである。》(p352〜353)

では、その対抗策について、ミルグラムさんは何と言っているか。

《「個人が権威に対抗しようと考えるならば、最もよいのは、その集団のなかから自分のことを支持してくれる人を見つけるということである。お互い同士が手を取り合うということこそが、権威の行き過ぎに対して私たちが持ちうる最強の砦なのである」》(p142)

権威の側からすれば、いかに個同士のネットワークを作らせないか、個を個のままバラバラにしておくか、ということがキモになるってわけか。

成果主義とか自己責任といったスローガンは、その方向に寄与したんじゃないすかね。

広島出張1と、国語力検定

[2008年06月22日(日) ]

出張に出ておりました。木曜午後に三島を出て、昨日夕方、帰着。

まず、名古屋で「小中学生必読! これで読書感想文が書ける!」という小冊子の打ち合わせ後(この夏には、全国有名書店に並びます、乞うご期待、無料です、いやー使命感にかられましてね、なーんて)、



広島です。

営業ミヤさん・コム君と一緒に、雨の中、いろんなところを回る。

その1つが、書店さん。



おお、先輩ターさんが手がけた、小学1・2年生向け夏休み用書籍(「わくわくワーク」でしたっけ?)、扱いがいいなあ。



国語力検定テキストも、もうちっといいところに置いてくださいよ。



ポスターは、貼っていただいてましたけどね。

さて、その書店さんが入っているショッピングモールで、なかなか楽しいハプニングが。

(続く)

| 次へ