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御茶ノ水でランチと魯山人の料理王国と、国語力検定 (2008年11月22日)
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封印されたヒロシマ・ナガサキと、国語力検定

[2008年05月08日(木) ]

高橋博子『封印されたヒロシマ・ナガサキ』(凱風社)読了。



おもしろかったっす。

しかし、アメリカ国民も、核というか放射能が、人体にどういう影響を与えるのかってこと、そんなに知らされてなかったんですねえ。

そのほうが、核兵器開発にとって都合が良い、という理由で。

万一他国に対して核兵器を使うことになった場合、そして核兵器を使われることになった場合も、都合が良い、という理由で。

だから、少なくとも1954年までは、核兵器に対してアメリカ国民がとっても楽天的というか何というか、そういう状態だったわけで。

今でも、一定数の人たちは、それを引きずっているんだろうなあ。

「おわりに」から、一箇所引用。

《核兵器は人類の発明した最悪の兵器だと思っていた。しかし、二〇〇三年一一月にワシントンDC郊外の自宅を訪問した時、ラルフ・ラップ博士はさらに強力な兵器の存在を教えてくれた。》(p276)

何だと思います?

《それはクラシファイド・スタンプ(機密印)である。》(p276)

あったことを、なかったことにできるからねえ。

なかったことにして、なかったことを前提にコトが進められるからねえ。

一昨日取り上げた『タイガーフォース』の事件も、三十何年かぶりにオープンにされたってことだが、構図としては同じようなもんか。

潮干狩りのビジネスモデルと、国語力検定

[2008年05月07日(水) ]

一昨日、横浜の「海の公園」のことを書いた。

「海の公園」では、無料で潮干狩りができる。

ただ、調べてみると、他の首都圏の潮干狩りスポットは大概有料で、1200円2キロまで、というのが相場のようである。

1200円で2キロ。

100グラム60円。

ふーん。

さて、昨日、帰宅して「エース」の折込チラシを見る。

あ、「エース」ってのは、静岡県東部にあるスーパーマーケット(ディスカウントストア?)チェーンのことです。

その「エース」では、活アサリ(国産)100グラム68円。

ん。

じゃ、「エース」でアサリを2キロ買っても、1360円ってことか。

仲買さんが「エース」に卸す価格、また漁師さんが仲買さんに卸す価格ってのは、もっと安いはずだよな。

100グラム60円ってことは、まずあるまい。

と、すると、だ。

もし2キロ1200円の潮干狩りを、漁師さんが仕切っているのだとしたら、中間マージンは排除できるわ、自分たちの労働をお客さんが肩代わりしてくれるわで、これは非常に賢いというか、随分と割のいいビジネスなんではないか、と思ったのである。

《漁師さんがアサリ漁をする→収穫を仲買さんに売る→仲買さんがスーパーに売る→スーパーが客に売る》

が、

《客がアサリ漁をする→収穫を客に売る》

になるわけだからなあ。

おまけにお客さんは、アサリを買いに来たんじゃなくて、レジャーのつもりで来ていて、楽しんでくれるわけだし。

うーむ、これはビジネスのヒントになるな。

てなことを家で話していると、カミサンがこう突っ込む。

「アンタが釣りに行くのも同じようなもんでしょ。釣りを労働と見做せば、魚屋さんで魚買ったほうが割安だって意味では」

……魚屋さんじゃ滅多に手に入らない魚や、ものすごく高級な魚も、釣れることあるんだぜ、と、弱々しく反論したのでありました。



同じく「エース」の折込チラシネタ。

チラシ上で「永谷園フェア」なるものが紹介されている。

そこに取り上げられた商品の一つ、「生姜香る炊き込みごはん」のキャッチコピー。

《華に抜けていく生姜の香り(中略)がなんともいえない美味しさ》

鼻に抜けていく→華に抜けていく。

これは、誤植などではなくて、わざとか?

だとしたら、悪くないと思った。

タイガーフォースについてと、国語力検定

[2008年05月06日(火) ]

10日ほど前に、2年前に入手したミニトマトのタネを、プランターに直まきする。

一昨日の日曜日、芽が出ているのに気づく。

すばらしい生命力!

感動。

感動しやすい今日この頃。



マイケル・サラ/ミッチ・ウェイス『タイガーフォース』(WAVE出版)読了。



ベトナム戦争の映画は、つい観てしまう。

まあ、同じように、つい読んでしまったというわけ。

一時的にパニック状態・ヒステリー状態に陥り、日常では考えられないような行動をとってしまう、というのは、よくわかる……というのは言い過ぎか、理解できなくもない。

が、異常な精神状態が次第に集団全体に感染し、その状態が七ヶ月も続く、というのは……。

まあ、戦争というものがそもそも異常な精神状態じゃなきゃ遂行できない、非日常的な出来事、というのはあるんだろうけど。

程度の問題、ということか。

なかなか、評価のしにくい問題ではある。

でもこれ、ひょっとしたら、「(他の国ならわかるけど、)正義の国アメリカの軍隊がこんなことを!」という意図も含まれてるのかな。

横浜のアサリと迷惑メールの向こうの人と、国語力検定

[2008年05月05日(月) ]

今朝の朝日新聞一面。

横浜の、タダで潮干狩りができる公園に、3万5千人が集まった、として、写真が載っている。

その写真が、すごいねどうも。

立錐の余地なし、とは、まさにこのことだ。

こんなところでとったアサリ、大丈夫なんだろうか。

いや、人がたくさん集まれば、必ず海は汚れる、という意味で。

なお、一人2キロまで持ち帰れる由。

3万5千人が2キロ持ち帰ったとして、70トン。

アサリは自然繁殖しているらしいが、1日70トンもの捕獲に、耐えうるんだろうか。



GWに入ってから、ケータイへの迷惑メールがめっきり減った。

ははあ、こういメールを出している人も、GWはお休みをとるのか、と思うと、迷惑メールの向こうに人間の顔が見えたような気がして、なんだかおかしかった。

ここで一句。

……出ないな。



森達也『視点をずらす思考術』(講談社現代新書)読了。



これもビジネス本の一種だと思って読み始めたのだが、全然違いましたね。

読み始めて思い出したんだけど、森達也さんて、『放送禁止歌』の人じゃん! あれは激しくおもしろかったな。

ビジネス本じゃなかったけど、また『放送禁止歌』ほどではなかったけど、なかなかおもしろかったっす。

ただ、冒頭に著者が「自分はKYだ」と書くくだりがあって、そこまで持っていく際の文章が、もしおもしろさを狙って書いているんだとしたら、ちょっと引く感なきにしもあらず。

「これ、おもしろいでしょ」と言われたとしたら、一歩後退。

ひょっとして、逆にわざわざイタさをねらったのかな。うん、そうに違いない。

で、そのKY話に続く部分。

《空気は重要だ。場を読む力も必要だ。/でも特に今の日本社会についていえば、KYがもう少し増えたほうがいい。あまりに息苦しい。あまりに均質性を要求されすぎる。/だからあなたにも考えてほしい。空気を読むことと空気に従うこととは、必ずしもイコールではないはずだ。》(p18)

……ありゃ。これと似たような論旨を、最近どこかに書いたような。

そうか、4月25日発行の国語力検定メールマガジンか。

もう一箇所引用。

《世界はメディアによって矮小化される。そしてこの矮小化された単純簡略な情報に馴れてしまった人たちは、複雑な論理を嫌うようになる。(中略)後はもう悪循環。わかりやすさを好む視聴者や読者によって、メディアは事件や現象の単純化を当たり前のようにこなし始め、そのスパイラルが加速する。》(p137)

こういう警鐘を鳴らし続けることは、大事だと思います。

「そんなんじゃクチコミしないよ」再びと、国語力検定

[2008年05月04日(日) ]

昨日取り上げた、河野武『そんなんじゃクチコミしないよ。』(技術評論社)。



そんなところだけ読んでるのかよ、と思われそうなので、ビジネス本としておもしろかった部分も引用しておきます。

いや実際、広報・広告・マーケティング部門の人は、読んでおいて損はないと思いますよ。

「第1章」から。

《ネットのクチコミでバカ売れするなんて話はありません。ウソです。(中略)結論としては、「インターネットの影響力なんてたいしたことがない」ということです。(中略)そして、ぼくたちがまず認めるべきは、「ネットで少々話題になったところで、世間の大多数の人は知らない」ということです。ブログが炎上してもウォークマンは売れているし、広告賞を受賞したナイキのネットキャンペーンでさえ、ほとんどの人が知りません。》(p20〜21)

国語力検定ホームページのPV数……。ここには書けない。

何だか、国語力検定ブログを書くことへのモチベーションが著しくダウンしてしまったんですが、1年以上書き続けているし、ここでやめるのもなあ。

この本、もし去年の4月に読んでいたら、「なーんだ、ブログ書くの、やーめたっと」となったかもしれない。

「第1章」の脚注から。

《※BUZZ 「ばず」と読む。マーケティング用語で主に「クチコミ」を意味する。まあ「BUZZ」とか「WOM」とか「Web2.0」とか言ってる人は信用しない方が得策。》(p27)

《※アルファブロガー とにかくなんだかよくわからない呼称。説明不可能。》(p33)

ここはちょいと笑ってしまいました。

が、著者ご本人がかつてWOMの勉強会をしていたという記述もあり、それを考え合わせると、ここは文面通りに読むところではなく、ウラのウラのウラのウラを読まねばならぬのかも。

「第2章」から。

《ブロガーを広告塔的に使うのではなく、これまで建前しか聞けなくてほとんど意味がなかったグループインタビューの代わりに使うのがいいのではないでしょうか。プロダクトアウトではなく、マーケットインの手段として。》(p73)

なるほど。それはいいかもしれない。

「第5章」から。

《クライアント側はクチコミマーケティングの相場観がわからないので、言い値な感じはありますね。最初に予算を教えてもらい、それを使い切るように予算を割り振ります。一千万円取ったので一千万円を使って担当者が上司にいい報告ができるようなプランを提案しています。》(p161)

これは、広告会社の人の発言。

うーむ、やっぱりムダに使われているおカネって、莫大にあるような気がする。

広告会社の人の給料にはなっているから、ムダってことはないのか。

《広告主側って自分たちしか見えていないから、世の中に発信すればみんなが聞いてくれると思いがちじゃないですか。実際には情報が多すぎて、誰も聞いちゃいないのに。だけど何かやれば聞いてくれると思っちゃうんですよ。(中略)もしかしたら話題になるかもしれないけど、ほとんどのケースではそんな魔法は起こらない。(中略)クチコミって効果はあると思うんですけど、自分たちが想像しているほどの効果はないってことをちゃんとわかっていないといけませんね。》(p181)

これは耳の痛い指摘ですね。

でも、はい、実感させていただきました。

「おわりに」から。

《インターネット業界にはうさんくさい人たちがたくさんいます。彼らにダマされないように、常に裏側に隠された真実を見極めてください。そのためには自分の体験や自分の周囲の人の体験を信じることです。(中略)インターネットは彼らが言うほど日常化していませんし、グーグルを知らない人も少なくありません。煽られすぎて、そのバランス感覚を見失わないようにしてください。》(p188)

肝に銘じます。

どうせ食べ残しが出るのなら、こうすりゃどうだ!と、国語力検定

[2008年05月03日(土) ]

「船場吉兆、食べ残し出す」というネタの続き。

ネットでも記事を検索してみた。

すると、2008.5.2 21:21配信のMSN産経ニュースには、こうあった。

《接待の宴席などでは、比較的食事に手をつけない接待側の客に使い回しの料理を出していた》

なるほどー。

わかるわかる。

確かに、社会人になりたてのころなんかは、えらい先生を接待するとき、緊張して酒ばっかりガブガブ飲んじゃって、料理にはほとんど手をつけず、ということ、よくあったよな。

そこで、ふと思ったのである。

接待側には、最初っから、精巧な食品サンプルを出しておけばよかったのではないか。

そうだ、いいこと思いつきました。

接待用コースとして「本料理コース」と「サンプルコース」を用意しておく。

「サンプルコース」は、接待される側には本物の料理を出すけど、接待する側には精巧な食品サンプルを交えて出すことにし、代わりに価格をかなり抑えて提供する。

食品サンプルなら、使い回しても全然問題ありませんよね。

どうすか、このアイデア。

すべてが丸く収まるような気がするんですが。

いいっすよ、こんなアイデアぐらい、タダで使ってもらって。

食べ残しを出すのはアリか?とクチコミマーケティングと、国語力検定

[2008年05月03日(土) ]

今朝の朝日新聞一面「天声人語」、マクラのネタが、昨日のchikurin先生のコメントと同じ。パクられたか?……なわきゃないか。

社会面には、こんな記事が。

「船場吉兆、食べ残し出す」

これを読んで、ドキーッとした飲食業関係の方、かなりいらっしゃるんではあるまいか。

食べ残し再利用の一例として、刺身のツマも挙げられていたが、生魚に接触している大根などはともかく、菊なんかは、再利用したくなるだろうなあ。あれも一応「食用」らしいが、食べている人、見たことないもんな。

エコロジーという観点からは、「どんどん捨てなさい」と勧めるのが良いのかどうか。

箸をつけたものは論外、剥き出しで出されるものも、ちょっとどうかと思うが、蓋付きで出されるもので、蓋も取られていないものは、捨てるの、もったいないなあ、と思う。

ところで、オーダー方式ではなく、自分で大皿から取りに行くタイプのバイキングレストラン。

あれも、見方を変えると、客全員でお互いの食べ残しをシェアしている、とも言えるのではないか、と、ふと思った。



河野武『そんなんじゃクチコミしないよ。』(技術評論社)読了。



たまにはビジネス本でも、と思って読んだのだが、ところがどっこい、むしろ国語力的に、なかなかおもしろい本であった。

その、国語力的におもしろかった部分を、いくつか引用しよう。

「はじめに」から。

《誰も言わないからといって、それが正しいとは限りません。みんなが黙っているから、自分も発言しないのは違うんじゃないでしょうか。「王様は裸だ」と誰も言わなくても、ぼくは気づいたら言います。》(p2)

一文めから二文めに移ったとき、少々混乱した。

それが何に起因するか。

「それ」の指示内容の解釈である。

ぼくは最初、「それ」=誰も言わないところの、その内容、と思ったのだが、それだとうまく繋がらないのである。

「それ」=誰も言わないという、その行為、だったんですね。

うーむ、難しい。

「第1章」から。

《もちろん、これだけ著実に結果が出るのは特定のCMだけです。》(p50)

著実……。

顕著と如実を、足して2で割ったんだろうか。意味としては、そんなところだろう、文脈上。

ただ、気持ちはわかるのだが、少なくとも手持ちの国語辞典には、そんな言葉はないのである。

そこで、漢和辞典を調べてみる。

おお、ありますね、「著実」という言葉。

「ちゃくじつ」と読み、意味は、「@落ち着きがあって、まじめなこと。Aぴったりとあてはまる。切実。」とあります(角川書店『新字源』による)。

ひょっとしたら、このAの意味で使ったんでしょうかね。

「第2章」から。

《「ネットユーザー」が、すでに特別な人たちではないように、「ブロガー」という人もすでに成立していません。》(p70)

ここも、最初に読んだとき、「?」であった。

ネットユーザー=特別な存在ではない

〈それと同じように〉

ブロガーという存在=成立しない

へ?

後を読むと、どうやら、誰も彼もブロガーなんだから、とりたてて「ブロガー」という特別なカテゴリーを作るまでもない、という意味のようです。

うーむ、難しい。

同じく「第2章」から。

《ぼくだって何人かにブログを通じて本の購入を誘導したことくらいはあります。ただ、その程度なんだと思います。安室奈美恵がカルティエのラブリングを大ブーム起こすようなことにはなりません。》(p72)

「安室奈美恵が……」で始まる文、ちょっとヘンですね。国語力検定の素材にしてもいいですね、これ。

「安室奈美恵がカルティエのラブリングの大ブームを起こしたようなことにはなりません。」ですかね、書き換えるとしたら。

「第3章」から。

《地方に住むの人たちは会社が終わりました、早く帰りましょうとなっていて、家にいる時間が長い。つまり友だちと話をしている時間が短くなります。》(p110)

「地方に住むの人たち」。

最初「地方在住の人たち」だったんだけど、「地方に住む人たち」に直そうとして、そのときに失敗しちゃったんでしょうか。アリガチっちゃあアリガチですね、この手の修正ミスは。

「第4章」から。

《広報の仕事はぼくも携わっていましたが(中略)何を持って成功か、順調かという判断が難しいです。》(p118)

「何を持って」。

「持ちて」という言葉が変化したのが「もって」なんですが、この場合は、「以て」という漢字表記か、いや、平仮名表記のほうがいいですね。平仮名で十分。

「第5章」から。

《高級シャンプーとか職人が作る箸とか、認知経路をたどるばクチコミが大半でしょう。》(p149)


「たどるば」。

「たどれば」にするか、「たどると」にするか、悩んだ結果でしょうかね。

赤ワインと激辛ラーメンと、国語力検定

[2008年05月02日(金) ]

昨夜は、何だかオシャレなお店、初めて行くお店で飲む……が、あれ、前にここ、来たことあるぞ。お店の名前は違ったけど、場所は確かにここだった。

で、昔の記憶をたどり、バーボンのボトル、そんなに高くなかったよな、と思い、頼もうとするが、ボトルはワインだけ、と言われる。



やむなく赤ワインを飲む。

1本飲んで、それからワイルドターキーをロックで2杯飲む。

ターキーのロック、なかなか盛りがよい。

オシャレなお店であるからして、泥酔するまでいてはいけない。

3時間ぐらいで引き上げ(それでも、十分長居か)、ラーメンを食いに三島大社横の「大連」へ向かう。

……と。

今回もまたお休みである。相性悪いな、「大連」と。

しかし、気持ちがラーメンに行っちゃってるので、三島大社の反対側の横の「平和軒」に向かう。



激辛ラーメンを食す。



完食。でもさすがに、一口めはゲホゲホむせました。

同行の若い女性に「スタミナラーメン」を勧めたのは、ちょっと失敗だったか。味というより、量の面で。すごいボリュームっす、「スタミナラーメン」。

激辛ラーメンを食ったこと、今朝もう実感できました。早いな。



高島俊男『天下之記者』(文春新書)読了。



一種の息抜きのつもりで読んだのだが、うーん、「ああおもしろかった」とは思わなかったかな。

ので、今回は引用箇所ナシ。

高島さん、もうちょっと遊んで書けばよかったのに、と思いました。

高島さんの本なら、同じく文春新書の『漢字と日本人』のほうが上かなあ。

パンダ逝去と、国語力検定

[2008年05月01日(木) ]

上野動物園のパンダが、死亡した由。

今、「死亡した」と書いたが、どう書いたもんだか、ちょっと迷った。

「死んだ」じゃ、何だか素っ気ないし。(でもホントは、「死んだ」が正解のような気もするが。)

かといって、「亡くなった」というのもヘンだし。

ちなみに、そのニュースを伝えるワイドショーの画面には、「パンダ逝く」とあった。

「逝く」かあ。

これまた、少々大袈裟だな。

パンダ以外の動物だったら、ほぼ間違いなく「死ぬ」扱いでしょうね。事件事故で人間が死んだときでも、「男性が死んでいるのが見つかった……」ですもんね。

お。今日はのっけから国語力的だな。



そしてGWには、上野動物園でパンダは見られず。

それを知った、孫らしき幼稚園児らしき子を連れた老夫婦のコメント(これも出典はワイドショーです)。

「あら残念ね、何十年ぶりに孫を連れて来たのに」

おいおい、その幼稚園児は何十歳だよ!

それとも何かい、何十年も前に、もう孫がいたんかい!

……という突っ込みを一瞬したのだが、これが国語力的におもしろい文だなあ、と思ったわけです。

「何十年ぶり孫を連れて」、上野動物園に来た、というのであれば、そういう突っ込みも成り立つ。

しかしここは、そうではない。

「何十年ぶりに」上野動物園に来た、そして今日は孫を連れてきた、という意味なんですね。

「何十年ぶりに」→「孫を連れて」

ではなく、

「何十年ぶりに」→「来た」(「孫を」→「連れて」)

ということです。

おお、今日は国語力を2題でした。

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