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御茶ノ水でランチと魯山人の料理王国と、国語力検定 (2008年11月22日)
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島耕作とは何者だ?と、国語力検定

[2008年05月31日(土) ]

今朝の朝日新聞社会面より。「たばこ1箱を千円に」という運動の記事中、それに反対するお医者さんのコメント。

《「禁煙推進で医療費が抑制できると言うが、果たしてそうか。仮にたばこが有害ならば、やめると寿命は延び、高齢者医療費も増える。安易な主張だ」と批判する。》

何だか、寿命が延びることは、よくないかのごとくに読めますが。いいんですかね、お医者さんがこんなこと言って。

しかし、ここには、なかなか深い問題が含まれているようにも思われる。

ほとんどの人は、寿命が延びることは良いことだと考えているんじゃないかと思うが、では、どこまででも、それこそ千年にも寿命が延びることも、良いことなのだろうか。

という問いだと、「良いこと」と答えざるを得ないような気もするので、問いを変える。

それこそ千年にも寿命が延びることも、良いことと考えるのだろうか。

これは、かなり意見が割れそうな気もする。



それから新聞のページをめくると、トヨタの全面広告。がんばれニッポン広告で、オリンピック選手の写真が出ておる。

うーむ。たまたま、そういうふうに写ったのかもしれませんが。

……レスリングの吉田沙保里選手って、ロンドンブーツ1号2号の、片一方の人に似てません?



さらにページをめくると、サントリーの全面広告。

最近、よく見ますね、「社長 島耕作」。

7年前にマンガを読むのをやめるまでは、ずっと連載を読んでいましたが、そのときは部長さんまでにはなっていたんだっけ。ワインビジネスとかやってたな。

当時の感想は、うーむ、こんなラッキーなサラリーマンはいるんだろうか、しかしなんでこんなに女性にモテるんだろうか、しかも仕事に関係ある女性に、というものであった。

7年ぶりに、社長になられた姿を見た感想。

若い。

60歳だそうだが、30代といっても通るんではなかろうか。

髪も全然後退してないし、黒々してるし。

連邦のモビルスーツは化け物か。

じゃなくて、島耕作、化け物か。

あるいは、島耕作、サイヤ人か?



境真良『テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ』(講談社現代新書)読了。



「おわりに」に、《やや教科書的で読みにくくなっていたらお詫びしたい。》(p219)とあるように、少々カタい本です。

テレビあんまし観ないし、PCも仕事以外ではほとんど使わないしなあ、という自分にとっては、「ふーん、そうなんだ」で終わる部分多し。

でも、テレビもPCも、いずれダメになるんじゃないの?というのが読後感。

一箇所だけ引用。これはむしろ、自分自身に向けて。

《あるパーティで、映画業界経験が長かった人の中から「ホワイトアウトなんて映画じゃない。テレビドラマだ」という声が上がった。その時、東宝の松岡功会長は「何を言っているんだ。口惜しかったら、それ以上に当たる作品を作ってみろ」と一喝したという。》(p57)

イエッサー。

ハイテク水着と人道的な爆弾と、国語力検定

[2008年05月30日(金) ]

最近、水着が話題になっている。

あ、ぼくらが夏の海辺で着るそれではなく、オリンピック選手が着るやつね。

しかし、水着によって有利不利が本当にあるんだとしたら、何だかケッタイな話ではある。選手も、「あいつ、水着のおかげでメダル取れたんだぜ」なんて言われたら、あまり嬉しくはなかろう。(そんなことはないのかな? 選手になったことがないので、よくわからん。)

「体毛をどうするかは自己責任にして、みんな素っ裸で泳げばいいじゃん」と言ったら、カミサンに「それはセクハラ発言」とたしなめられる。

いやもちろん、観客もカメラも入らない密室プールで、ですよ、その場合は。競技会場には、同性の審判員と選手のみ。男女別の、プールと同じ大きさの巨大水風呂で泳いでいると考えればよろしい。

でも、やっぱりこれは、現実味がないか。

じゃあ、競技団体が全く同じ素材とデザインの水着を選手に支給もしくは販売、それ以外の着用はまかりならん、としてしまえばいいのに。

メーカーが、競技団体が定めたデザインと素材の水着を、「競泳専用」として販売してもいいし。

陸上競技も、ホントは「みんな裸足でやりゃいいじゃん」と思うのだが、それが難しいのであれば、同素材・同重量・同デザインのクツをはいてやるのがフェアなんじゃなかろうか。



クラスター爆弾を禁止するかどうか、というニュースをみた。

何でも、不発率が10%ほどもあって、それが民間人に被害をもたらしている由。

日本は禁止に反対らしいが、昨日のニュースではその理由として、不発率が減少するよう「改良」したから、と言っていた。

10発が10発とも間違いなく爆発するようにする、10発が10発とも確実に人間や建物に被害を与えるようにすることが「改良」か。国語力的に、ちょっと違和感を覚えた。

もう1つ、クラスター爆弾がらみで、国語力的に気になったこと。

それは、クラスター爆弾が「非人道的であるから」禁止せよ、とされていること。

まるで、クラスター爆弾以外は「非人道的ではない」かのようだが、人道的な爆弾なんてあるのか?

そこでまた、水着の話題に戻って、昨夜は「戦争したいんなら、素っ裸で、素手でやりゃいいじゃん」という話になったのでありました。



梅原淳『新幹線「徹底追究」謎と不思議』(東京堂出版)読了。



息抜きっすよ、息抜き。

西日本の500系はいいなあ、カッコいいなあ、とは思いますけど。

「三島駅の謎」という項目もあり、ふむふむなるほどと思いましたが、「へー」と思った箇所を、1つだけ引用。

新幹線が開業した1964年の話。

《信じられないことに、当時、新幹線全列車の特急券はすべて手作業で販売されていた。》(p236)

紙の台帳をベースに、各地と電話で連絡を取りながら、だそうです。

1日あたりの取り扱い数、マックス約41万5千。

すげーな。

すげーな、と思ったが、その先を読んで、さらにすげーな、と。

《すでに国鉄は1960年(昭和35)から在来線の座席や寝台をコンピューターによる座席予約システム(中略)を導入していた。》(p236〜237)

じゃあ、新幹線もそうすりゃいいじゃん、なんでわざわざ手作業に?

さて、何でだと思います?

原因は、新幹線のほうではありません。

《新幹線の座席数はこのころのコンピューターの処理能力を超えていたため、オンライン化できなかったのだ。》(p237)

結構、新鮮じゃないですか、これ。

手作業がコンピュータを凌駕した時代。

醤油鉄砲と硫黄島と、国語力検定

[2008年05月29日(木) ]

昨日の朝日新聞夕刊から。

《追い抜きざま「しょうゆ鉄砲」》

女子高生の背中に、バイクで追い抜きざま、水鉄砲に仕込んだ醤油をかけた男が、暴行容疑で逮捕された由。

醤油をかけたら暴行。

これは、醤油だから、暴行になったんだろうか?

あるいは、真水の場合も暴行?

もしそうだとしたら、よくメディアの取材に水をぶっかけたりする人がいるが、あれも暴行ってことになるな。

タイのソンクラーンなんか、まさに暴行祭りだ。

てことは、やはり、水以外のものをかけたから、暴行ということか。

もし、プロ野球チームの優勝祝賀会で、「やめてください」と言ったのにビールかける人がいたら、暴行で逮捕、ということになるんでしょうかね。ビールをかけられている、チームの人じゃなくて取材の人、嫌がっているようにも見えるんだが。



NHK取材班『硫黄島玉砕戦 生還者たちが語る真実』(NHK出版)読了。



NHKスペシャルを再構成した本だが、もともとのNHKスペシャル、観たかな。覚えてないな。今度ビデオ借りて観ることにするか。

映画『硫黄島からの手紙』でも、また硫黄島での戦いを描いた本でも、栗林中将が最後の総攻撃をかけるところで、ほぼ描写・記述は終わっている。

この本は、その後の約2ヶ月間、いわゆる掃討戦の段階に入った時期にも、焦点をあてている。そして、その掃討戦の時期が、より一層悲惨だったわけです。映画『硫黄島からの手紙』を通じてしか硫黄島の戦いを知らない人は、一度読んでみてもいいと思います。

印象に残った箇所をいくつか引用。

《「……こんな攻撃は全然意味がないと、陸軍の将校に何度も訴えましたけれども、命令する将校は壕の中に入ったまま外に出ていかない。兵士が戦っている現場を見ていないから、こんな戦闘の指示を出すわけですよ」》(p141)

ええと、これはビジネス的な教訓でもありますよね。

掃討戦の時期を生き抜いた、元日本兵のコメント。

《「戦争というのは、人間が人間じゃなくなるんです。人が、人の道に外れたことをしなければならないのが戦争なんです。今思えば、人として恥ずかしいと感じることでも、戦場で生き延びる兵隊は、動物的な本能でしか行動できなくなっているんです。……」》(p192)

次は、元アメリカ海兵隊員のコメント。

《「戦争に、勝者も敗者もありません。硫黄島の戦闘で勝った者など、誰もいないと私は思います。われわれがやった殺し合いは、何もかもがばかげています」》(p203)

もう1つ、元日本兵のコメント。

《「硫黄島で、あれだけの日本兵が死んで、そのことに意味があったんでしょうかね。私の中で結論は出てませんけれども、無意味にしたんじゃかわいそうですよね。『お前が死んだことに意味がなかったな』というのでは、家族に対しても残酷ですし、生き残った私らもそれはやりきれないですよ。だけど、どんな意味があったのかというと、これを説明するのは、難しいんじゃないですか。ただ、硫黄島でわれわれが戦ったことが認められない――認めるという言い方は誤解を招くかもしれませんけれど――頭から否定されちゃったら、話にもならないですよね。その間、必死に生きた時間、実際に過ごした時代というのは、何だったのか。そこに意味がないのであれば、自分はその間、“空”だったのかということになりますから」》(p215)

意味がないとは思わない。思わないが、何というか、1つの意味だけにしちゃおうとすると、いろいろヤヤコシイ問題が生じるんじゃないかな。国語力検定ブログゆえ、この問題はこの程度で。

ところで、映画『硫黄島からの手紙』の中で、栗林中将は、硫黄島を守ることが本土空襲を食い止めることになる、だからこの島で1日でも長く戦い続ける、その1日に意味がある、といった趣旨の発言をしていたと記憶する。

《アメリカは、硫黄島の戦いを通じて、一つの確信に達していた。圧倒的な武力を投入して地上戦を展開しても、日本軍は降伏を拒否して、最後まで捨て身のゲリラ戦を挑もうとする。地の利がある相手に、地上戦で応じつづけることは、多大な犠牲を払う結果になる。(中略)そんな厄介な敵に対処するには、どうしたらいいのか――。/アメリカ軍が選択した戦い方は、味方の犠牲をできるだけ減らそうというものだった。こうして都市爆撃は、より強化されていくことになる。》(p152〜153)

アメリカを、地上戦じゃなくて都市爆撃に傾斜させた一要因が、日本軍の頑強な抵抗だったのか。

これを過保護と言うのか?と、国語力検定

[2008年05月28日(水) ]

午後6時台の新幹線では、サラリーマンのみなさんが美味しそうにビールを飲んでいらっしゃる。

お疲れさまでございます。

ぼくは新幹線でも仕事である。

しかし、ちょっと酔うな、新幹線でのPC。

とりわけテーブルに置いて使うと。

姿勢も悪くなるし。

膝の上で使うべし、だな。



5月24日付朝日新聞夕刊に、「過保護な親 大学にも」という見出しの記事があった。

なんだか、大学生の子どもを、小学生か中学生のように扱っている親の例が、いくつも挙げられている。

近年増えたらしいが、こういう親御さん、子どもが会社に入っても、同じような行動をとるんですかね。

ちょっと心配。

大学にも顧客満足を求めるという傾向の現れではないか、という指摘がなされていたが、大学は授業料を払う相手、会社は給料をもらう相手だから、まさかそんなことはないと思うが。

入学式も、両親の出席がデフォルトらしい。

ただ、これはどうだろう。

《人数制限をしない大学では祖父母や、乳幼児を連れた親類もついて来る。》

これ、過保護なんでしょうかね。

何だかむしろ、主役そっちのけで、ある種のイベントにして、みんなで楽しんじゃおう、というような感じもしないではないんですが。

「おうおう、おれも行ってやるからさ、当然飲むんだろ?」みたいな。

叔父さん僕のお祝いじゃなくて、飲みたいだけでしょ、といったことは、よくある話ですよね。

我エクセルを憎む(のは筋違いか)と、国語力検定

[2008年05月27日(火) ]

原稿仕事をシコシコ進める。

エクセルファイルに、問題をシコシコ打ち込む。

上司から、メールが到着。

エクセルファイルが添付してある。

開く。

とりあえず、後回しということで、右上のバッテンをクリックする。

「〜を保存しますか?」

いや、いいよいいよ。「いいえ」と。

……ああああああああああああ!

エクセル全部閉じちゃったじゃないか!

午後の仕事が、午後の仕事が……。

シクシクシクシクシクシク。



相澤淳『海軍の選択:再考 真珠湾への道』(中公叢書)読了。



日独伊三国同盟に反対した米内さんたちも、賛成したその後の海軍首脳部も、「南進北守」という点では共通する、というお話。

米内さんや山本五十六さんへのイメージが、少しばかり変わる本かもしれません。

さて、海軍は「南進北守」で一致していた、それは非常によくわかる本なんですが、じゃあ、なぜその方針を執らざるを得なかったんだろう、ということについては、あまりはっきりしない。

オビに「持たざる国」云々とあるから、資源の問題、ということなのかな。

地獄の黙示録と中堅崩壊と、国語力検定

[2008年05月26日(月) ]

ベランダのミニトマト、順調に成長中。



エダマメも発芽!



これ、去年収穫したエダマメの種(大豆)を、一年間冷蔵庫に保存しておき、それをまいたもの。

おお、完全繁殖に成功だ。



なわけで、昨日は読書のち、仕事をちょいと(2万円分ぐらいか? 金額に換算しちゃうのが、あんまし良い習慣じゃないっすね)、それから映画。

コッポラ監督の『地獄の黙示録 特別完全版』というやつを観る。210分の映画。

うーむ。

『地獄の黙示録』自体は1979年の映画、おれが中学生のころか。話題になったのは覚えている、覚えているが、当時から今まで観たことがなかった。

1979年当時、話題にはなっていたけど、日本人は、どのように受容したんでしょうかね、この映画。

いや、難しいというか、複雑というか。当時、映画館で観た人、ホントにおもしろいと思ったんだろうか。すいません、映画通の人には怒られそうですが。

なんかですね、前半の、ベトナムでサーフィンをしたいばっかりに爆撃命令を出した部隊長を見て、多少笑いが起こった後、あとはみんな、「………」という状態で観ていたのかな、と思いまして。

ベトナム戦争を扱った映画だと、『プラトーン』が今んところベストですかね。

コッポラ監督×マーロン・ブランドだと、『ゴッドファーザー』がベストですかね。

あるいは、『ゴッドファーザー』におけるビトー役のマーロン・ブランド像が強すぎて、『地獄の黙示録』における彼を評価できないだけかもしれませんが。



野田稔『中堅崩壊』(ダイヤモンド社)読了。



ミドル再生への提言、ということで読んでみました。

いや、「おれは今死んでる」という自己認識なわけじゃありませんけどね。

割と読み応えのあるビジネス書でした。

1見開き1項目の、よくあるハウツー形式のビジネス本を千数百円出して読むぐらいなら(1冊ぐらいならいいけどね、何冊も読むのはちょっといかがなものか)、あるいは上下左右行間スカスカ、1ページ400字もないんじゃないかというビジネス本を千数百円出して読むぐらいなら、1700円のこっちを読んだほうが、よっぽどマシなんじゃないかな。とりわけ、30代以上の人にとっては。

例によって、いくつか引用。

《「戦わずに勝っている企業」には、いずれにおいても非常にリッチなコンテキスト(文脈)があることがわかる。このコンテキストが、消費者にほかとは全く異なる経験を提供し、感動を与えるのだ。「経験価値」の提供である。観客やユーザーがえる「感動の経験」。これが社会に蓄積されたとき、ブランドの価値が発生する。》(p44)

例としてディズニーランドが挙げられていますが、そうか、「しまじろう」ってやつも、1つのコンテキストか。

じゃ、Z会はというと……うーむ、難しいな。

感動、感動、と。

《「マーケットイン」という言葉は、八〇年代の半ばぐらいからよく使われるようになった。(中略)ところが、機械的なマーケットリサーチからは、決してヒット商品はできないということがわかってしまった。そのときに思ったことは、世の中の変化に顧客のほうがついていけなくなっているということだ。消費者は目の前にある商品の好き嫌いは言えても、心の奥にある「何となく欲しい」を言葉にして表すことはできないものなのだ。》(p52)

昔、携帯に電話機能しかなかった時代、「次世代の携帯電話に求められる機能」という調査を行なったところ、「カメラ機能」という選択肢を選んだ人は、2割にも満たなかったそうです。

その結果を見て、当時自分が開発責任者だったとして、それでもカメラ機能をつける、という決断ができたかどうか。

プロダクトアウトもマーケットインもダメで、じゃあその次は?というと、「コンセプトアウト」だそうです。ただし、ウケなかったらとっとと撤退する、というのがミソ。

《高邁な志は確かに必要だけど、それを現実にブレークダウンする作業がより重要なのだということに気がついたのです。高邁な理想を連呼しているだけでは、「絵空事」に終わるだけ。本当に人を動かしたかったら、決して立派すぎることは言わないほうがいい》(p312)

ラジャー。

最後に、たまには国語力的なことを。国語力検定ブログゆえ。

《マーケティングの言葉に、「人は、口にしたニーズを満たしてくれたときに感謝する。口にしなかったニーズを満たしてくれたときに感激する。そして、自分でも気づいていなかった潜在的なニーズに解答を与えてくれたときに感動する」という言葉がある。コミュニケーションの真の目的は、相手が口にするニーズや報告を聞くことではない。相手がしゃべらないこと、しゃべりたくないこと、相手も気づいていなかったことを引き出すことなのだ。》(p344〜345)

おお。この「コミュニケーションの真の目的」って、まさに国語力じゃないですか!

「しゃべりたくないこと」は、それと察して、あえて聞かない、というのも、国語力ではあるんですが。

あ。また新刊のタイトル思いついた。

『仕事は国語力が9割』もしくは『仕事は国語力で9割決まる』。

オファーがあれば1カ月で書くっすよー。

木はらでスシと、国語力検定

[2008年05月25日(日) ]

昨日紹介した『スシエコノミー』のことを考えつつ、



スシを食う。

と、いうのは、実はウソで、これは5月16日に同僚アーさんと函館で食べたものです。もう二貫食べちゃってます。

その前の函館行きの際も、同僚サーさんと昼にスシ食おうと言っていたのだが、当日予約しようとすると、すげなく断られ、やむなく味噌バターコーンラーメン&ギョーザになったということがあったので(いや、ラーメン&ギョーザも美味かったっすよ、暴力的なボリュームだったし)、今回はちゃんと前日に予約を入れていく。

まあ、地元では有名らしいから、紹介してもいいか。



このお店です。

ちゃんとしたお寿司屋さんでスシを食うなんて経験は、そんなにないが(回ってない寿司屋さんって、5軒ぐらいしか行ったことないかな)、その乏しい経験の中でも、ここはいい! 激しくいい!

ネタも「うわ、うま!」だったけど、シャリが、「へー、本で読んだことあるけど、こういうやつのことね」というものだった。

どういうことかと言うとですね。

シャリが、ギューッと握ってないんですよ。

つまんだり、箸で持ち上げたりするときには崩れないけど、口の中に入れると、こう、シャリがホロホロとする感じ。

知識と経験が一致した瞬間でありました。

次は研究所全員で行くか。

何かいいことあったら。

ありそうな気もするし。



昨日は読書のち、ちょっと仕事。ちょっとじゃダメなんだけどな。まだ切羽詰っていないってことか。

夜、昔風のスパゲティナポリタンが無性に食いたくなり、山ほど作って食う。オリーブオイル使ったのが、昔風じゃなかったか。しかし、昼もウドンだったのにな。炭水化物ばっかりだ。

今日も午前中読書、のち、ちょっとは仕事しなきゃ。でも映画も観なきゃならんしなあ。

すし屋でマグロは嫌われると、国語力検定

[2008年05月24日(土) ]

サーシャ・アイゼンバーグ『スシエコノミー』(日本経済新聞出版社)読了。



評論というより、レポートですね、これは。

スシネタ、とりわけマグロが、まさにグローバル経済(書いてて恥ずかしいな、この言葉)の真っ只中にある、というお話。

「ふーん」あるいは「へえ」と思った箇所を、いくつか引用。

築地の仲卸業者さんが、競り落としたマグロを解体する場面の描写。

《そして同じ背側のブロックからもう少し小さく、ぴったり二キロの塊をカットして、同様に重さを量り、包み、箱に入れる。三菱東京UFJ銀行本店の重役用の食堂に配送されるものだ。》(p90)

重役用食堂の食材として、築地からマグロ直送。

へーえ。

ていうか、重役用食堂というものの存在自体が、「へーえ」でした。

戦前ならともかく、そんなの、今でもあるんだ、と。

古臭い会社だなあ、と思ってしまうのは、戦後民主主義教育ゆえか……てこともないか。

ヘルシーな食べ物として、アメリカでスシの人気が高まったことを記述したくだりの中。

《渋滞に巻き込まれながら四五分かけてエクササイズに行くのに、地元の歩道ではけっして歩かない、といった彼らの矛盾に満ちた行動はロサンゼルス人の本質というしかない。》(p131)

そうそう。スポーツクラブまで歩いていけばいいじゃん、通勤も徒歩にすればいいじゃん、とよく思う。

ダイエットだかエクササイズに費やす仕事量(だっけ? 理科的に言うと)を、なんかこう、もっと生産的なものに結びつければいいのに。

ジョギングとか自転車こぎ運動で発電するとかさ。

ただ一方、無料のウォーキングやジョギング、徒歩通勤じゃなくて、わざわざスポーツクラブでカネを払ってエクササイズ、という気持ちも、わからなくもない。

「こんだけカネ払ったんだから、モト取らなきゃ」的心理に自分を追い込む、という側面もあるんでしょうね。

ああそうか、公立小中学校も、タダだと思われているところがネックなのかもしれない。ホントはいくら税金がつぎ込まれていて、ここでちゃんと勉強しないといくら損するよ、というのを、目に見える形で提示すれば、少しは変わるかも。

例の、グリーンピースについて。

《「グリーンピースがどこから資金を得ているか、知っていますか?」上野は苦々しくいう。「アメリカの精肉業界ですよ。クジラが宣伝されたら、ビーフの消費量が減ると彼らはわかっているんです」》(p319)

アメリカ精肉業界、誰かに騙されてるかもしれませんよ。

もし、クジラ取り放題、流通させ放題、となったとしても、牛肉の消費量には、そんなに影響を与えないような気がしますけど。

ぼくは給食でも、家庭でも、クジラをよく食った世代ですが、別に日本人の嗜好として「牛肉よりもクジラが口に合う」というわけではないと思いますよ。

あ。実は、逆にアメリカ精肉業界の人がクジラを食べてみて「ヤバイ、おれらの牛肉より美味いじゃん、これ」と思っちゃったのかも。笑えるな、それ。

スシを食べる文化が、世界に広まりつつあることについて。

《どんな食べ物、そしてどんな商品と比べても、すしを食べるという行為は、高度に発達した取引のネットワークへの直接的な関与であり、世界を股にかけた国際取引への全面的な関わりといえる。》(p322)

だそうです。

これまで生魚をあまり食べなかった中国やインドにも、徐々にスシが入り込みつつあり、これが普通の食事として定着しちゃうと、マーケットの大きさが大きさだけに、マグロ争奪戦が起きることが予想されます。

まだ、スシ自体のレベルは低いらしいですが。

それで思い出したのが、もう10年近く前になるか、モルディヴで食ったスシ。

ホテル名は秘すが、ある日の夕食がアジア各国料理ブッフェで、その中にスシもあった。

これがもう、まずいまずい。

レシピも見ずに、大体こんなもんだろう、という感覚で、作ったんじゃなかろうか。

シャリはベトベトで、やたらに酢がきつかったような記憶がある。

欧米からの観光客も多数いたが、「ひょっとして、スシってまずいのか?」と思っただろうなあ、あれ。

最後に、すし屋さんでスシを食うときのポイント。

《板前の仲間内では「すし屋でマグロしか食べない客は嫌われる」といわれている。》(p336)

すし屋にとって利益率が低い、ということは逆に、客にとって得した感が強いのが、マグロ、というわけ。

えーと、どういうことになるんだろう。

近所のすし屋さんでは嫌われないようにマグロだけじゃなく、旅行先ではマグロばっかり、てなことになるでしょうか。

さくら水産と不安な兵士たちと、国語力検定

[2008年05月23日(金) ]

昨日更新しようと思ったんだが、重い打合せが2件と、それからセミナーと、楽しい飲み会1と、非常に楽しい飲み会2があって、気がつくとなぜか「和光行き最終電車です〜」というのに乗っていて、無事にホテルには着いたようなのだが、なんだかよくわからないうちに寝入ってしまい、更新できず。



飲み会2の様子。

焼酎ロックのあとに酎ハイを飲むと、焼酎ロックのまま飲み続けるより、余計回るんだろうか。



サビーネ・フリューシュトック『不安な兵士たち ニッポン自衛隊研究』(原書房)読了。



こんなことが書いてありました。

《自分の指揮官や上官を尊敬している人はほとんどいないようで、自衛隊で特に優秀な人物として、同僚や指揮官の名前をあげた人はひとりもいなかった。》(p108)

うむむ。これってどうなんだろう。

ところで、基地ごとに、それぞれ資料館があるんですね。

裾野だっけ御殿場だっけ、の基地の資料館、一度行ってみようかなっと。

《資料館や、それ以外の戦争博物館、自衛隊の出版物などの年表を詳細に見ると、それらは政治的にもイデオロギー的にも偏向していることを巧妙に隠していることがわかるし、ある任意の歴史を真実の物的証拠として提示しようとする力が働いているのがわかる。年表製作者は、単に歴史をまとめただけと主張するだろうが、日本の軍事史を一九五〇年代から始め、自衛隊の歴史を範疇ごとにどう振り分けるか判断し、何が注目に値するできごとかを決定するその作業からは、必然的に独特の歴史が作られるのである。》(p219)

といったあたりを、確認するために。

そうだ、今度毎小編集部へ行くとき、「昭和館」ってところにも寄ってみようかな。

やきとり弁当号とJRへの新規サービス提案と、国語力検定

[2008年05月21日(水) ]

5月15日の夜は、品川で某大学教授と飲む。



ここ。オイスターバー。

白ワイン2本は、ちょっとやりすぎたか。

とてもここには書けない話を、いろいろとする。

翌日16日は、朝イチの飛行機に乗る。

到着したのが、



ここ。

この写真だけでわかった人は、かなりのツウですね。

やきとり弁当号。

やきとり弁当といえば、ハセガワストア、ハセガワストアといえば、そう、函館です。



今井清一編著『日本の百年6 震災にゆらぐ』(ちくま学芸文庫)読了。



いわゆる教科書上の歴史には出てこない、ミクロな視点からの記述もふんだんにあって、興味深かった。冒頭が、「うんこをもらすこども」だもんね。関東大震災後数年たっても、そのときのことを話すと、恐怖がよみがえって脱糞しちゃう小学生がいた由。

ところで、関東大震災といえば、東京下町の被害がクローズアップされることが多いんですが、横浜とか鎌倉もほぼ全滅、だったんですねえ。火災よりもむしろ、倒壊によって。

かつて住んでいた、鎌倉・小町も、全滅だったそうな。

そこでふと、疑問に思ったこと。

狭い路地や行き止まりの道が残っているような街について、「ここは第二次大戦で戦災に遭わなかったから、だから区画整理もされなかった」というような話を聞く。

鎌倉の街に、行き止まりの道があることについても、「鎌倉幕府があったころ、軍事上の理由でそういうふうにしたのが、第二次大戦で戦災にも遭わなかったから、そのままになっている」と聞いたことがある。

でも、関東大震災で、戦災に遭ったにも等しい被害を受けたんだよねえ。

そこから復興するときに、なぜ、「こんな行き止まりの道なんて、もういいでしょ」とならなかったんだろう。

ここは、余韻を残して、次の話題へ。

この本、関東大震災だけを取り上げているのではなく、その後の日本社会についてもかなりのページ数を割いています。

その中で、「ほう!」と思った箇所を引用。

1930年に書かれたもので、関西の私鉄の、当時のサービスぶりです。

《終点近くなるとたなの上の荷物をいちいち車掌がおろしてくれるなどという取り扱いぶりには、不幸にして東京の人間にはあまり経験のないことであるだろう。》(p239)

さすが関西。

それよりも、もっとステキなサービスが、これ。

《私などは仕事の関係上夜が更けて、というよりもじつはもう翌日の夜中になっている午前一時前後によく電車に乗って帰ることがある。そういうときには、ついいい気持になって電車が出ると寝てしまう。すると親切な車掌が、どの駅でお降りでございますか、芦屋まで、よろしゅうございます、芦屋へ参ればお起こししますから、どうぞごゆっくりお休みください、などということがときどきある。》(p240)

ブラヴォー!

こんなサービスが、横須賀線や東海道新幹線にあればなあ。

カミサンに叱られる回数も、ちっとは減ったのに。

JRさん、これ、考えてみてくださいよ。

有料でもいいと思いますけど。

あ。でもこれ、タクシー業界が猛反発するかもしれませんね。

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