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近代郵便制度の誕生と、国語力検定

[2008年04月20日(日) ]

菊池良生『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』(集英社新書)読了。



近代郵便制度がどのようにして生まれたか、というお話。

世界史をとっている高校生のみなさんには……あ、今は全員必修なんだっけ、お疲れさまです、でも、悪くないとは思いますよ、世界史必修。自分が生まれた(あるいは、住んでいる)コミュニティの歴史の学習、というのが前提ですけどね。たとえば、やたら細かい世界史的年号は知ってるけど、日本の歴史には疎い、というのは、ちょっとどうかな、と思ったりもします。

話がかなり飛びました。世界史は必修ということで、高校生のみなさんには、近代史を理解するうえで、「ははあ、こういうファクターもあったのね」ということを知る意味で、読んでおいてもいいかな、と思いました。

いくつか引用。

《ともあれ、郵便契約はなった。それによるとタクシス家は三八キロごとに宿駅を設けることになる。ちなみにこれが(中略)十七世紀初頭には一五キロごとになるのだから、まさしく「速く、速く(中略)」というわけだ。/配達人は宿駅が近づくと到着をホルンで知らせる。すると次の配達人は馬上で郵便袋を受け取る準備を始める。受け取ったら間髪いれずに出発である。夏は時速六〜七キロ。冬は五〜六キロで走る。》(p77〜78)

この時代は、配達人、ウォーキングあるいはジョギングではない。騎馬である。

夏は時速六〜七キロ。冬は五〜六キロ。

遅くね?と思ったわけである。

この時代は、もう商売だから、マラトンや忠臣蔵の故事とは違うだろうけど。

しかし、後を読んで納得。

「早足だったら、時速6キロぐらいイケるよ、馬使うこともないんじゃない?」というのは、道路が整備されている現代ならではこそ。道路財源万歳!関連の話は、近いうちに改めて。

後のほうで、道路事情の悪さが出てくる。激しく激しく悪い。山があるからトンネル掘ろう、という時代じゃないからね。

納得。そういや、北鎌倉から源氏山へ行く道に、「1キロ、歩いて1時間」と書いてあったっけ。

むしろ忠臣蔵が、想像を絶するというわけか。

(この項続く)とするのは、もう酔っ払ったからです、すいません。

善光寺と天声人語と、国語力検定

[2008年04月19日(土) ]

今日の朝日新聞朝刊一面トップ見出しは、「聖火リレー 善光寺が出発地辞退」。

「チベット弾圧への憂慮」が理由らしいんですが、まあ、あのあたりで有数の観光地ですし、いろいろあるんでしょう。

どうして?という問いに対する答えは、決してすべてを言い表していないことがほとんど、という認識を持つのも、国語力、と。

と同時に、ある範囲内では、その答えは答えとして尊重してあげるのもまた、国語力。

「ある範囲」が、これまた国語力的に、とっても難しいわけですが。

ところで、理由云々は別として、この見出し、国語力的に、何か引っかかりを感じません?

ぼくは、感じてしまったんですけどね。

えーと、見出しっていうふうに限定しちゃうと、もうわかりますよね。

そう、「辞退」って表現。

「辞退」じゃなくて、「拒否」とか「拒絶」とかのほうが、表現としては正しいんじゃないかなあ、ふむふむ、これも一種の婉曲表現ってやつか、と思ってしまったわけです。

そんなふうに考えつつ、二面を読むと。

関連記事として、中国の反応が取り上げられていましたが、そこでは、「中国のある大手ポータルサイトのニュース」が「善光寺が拒絶」と報じた、と書かれていました。

うん、やっぱこれって、「拒絶」でしょ。

あ、でも、「遠慮」としないだけ、まだストレートなのか。

拒絶>辞退>遠慮。

久々に、とっても国語力検定ブログ的だ。



ついでに、たまには「天声人語」も読む。

……冗談ですよ冗談、毎朝読んでますってば。

いや、今朝のそれは、国語力的におもしろかったので、取り上げてみる。

冒頭の一節。

《腹回りをどうにかしようと、たまに家から職場まで歩く。最短コースは早足で2時間半。昼時がオフィス街にぶつかると、ペースは鈍る。ランチ族が歩道にあふれるためだ。》

早足で2時間半てことは、距離としては10〜15キロといったところだろう。

15キロを超えることはあるまい。

4年ほど前、まだ三十代だったころだが、酔っ払って終電近くの電車に乗って寝過ごし、気がつくと横須賀線・衣笠駅。そこから鎌倉までの16キロを、歩いて帰ったことがある。タクシーに乗ればいいじゃん、と思われたかもしらんが、まあいろいろありましてね。

そのときは、3時間かかったね。

したがって、「15キロを超えることはあるまい」と考えたわけである。

真夜中だし山越えだし、ひたすら歩き続けるしかなかったからさあ。

……まあ、それはよかろう。

ご自宅から10〜15キロってことは、電車だと確実に築地まで30分以内。なかなかステキなところにお住まいのようですね。

……つーことじゃなくてですね。

いや、「我が社は半日出勤というのがある」とか「我が社は3交代制である」とか「我が社はデフォルトが13時出勤である」とか書いてないと、大概のサラリーマンは朝8〜10時に出勤するわけじゃないですか、にもかかわらず、出勤時に昼時のオフィス街を通る、なんて書かれると、「なんだ、この人は昼ごろにゆるゆると出勤してもオッケーなわけね、いいご身分ですなあ」と思われてしまうのではないか、と、国語力的に危惧してしまったわけである。

おれに危惧してもらわんでもいいか。はい、すいませんでした。

《昼時がオフィス街にぶつかると、ペースは鈍る。》というのも、「昼時のオフィス街にぶつかると、ペースは鈍る。」のほうがいいんじゃないかな、と思ったけど、この「が」は「おらが国」的用法なのかな。

新左翼と占領と新人配属と、国語力検定

[2008年04月18日(金) ]

荒岱介『新左翼とは何だったのか』 (幻冬舎新書)読了。



今さら、かつての新左翼への共感を求めているわけでもないでしょうし(これを読んで共感を覚える人がいるとも思えないし)、かといって鋭く批判するわけでもないし、今イチ狙いのよくわからない本でした。

記録および解説、というやつでしょうか。でも、新左翼について知りたいという人が、そんなにいるとも思えないしなあ。まあ、ぼくは読んだわけですけどね。

二箇所ほど引用。

《ベーシックに返れという新左翼の問題意識は(中略)教条主義と表裏一体のものとして新左翼を成立させています。(中略)この結果、新左翼の教義問答は、宗教の教義問答と同じになる宿命をはらむことになります。マルクスはこう言っている、レーニンはこう言っていると、教典化された文献からの引用で自分の主張を飾るのは新左翼の特徴であり、トロキツストはじつはトロツキー教徒なのです。つまり「新」は「守旧」でもあるパラドックスのもとに成立することになってしまうのです。》(p70)

宗教、とは言わなかったけど、大学の同級生に運動をやっているやつがいて、「でもそれって、サークルの代わりだよね」と言ったら、ものすごくイヤな顔をされたな。

諸々の理由でサークル活動なぞには縁のなかったぼくにとっては、「サークルの代わりだよね、いいなあ」と続く言葉のつもりだったのだが。

もう一つは、国語力的な箇所。

三里塚の話の部分で、三里塚といえば、かつて『ぼくの村の話』というマンガに激しく感動し、涙を流したものだが。

小中高校生にも、そのマンガを、強く強く勧めたものだが。

《九月十六日、ゲリラ戦法をとった農民・支援者は、報復として(中略)機動隊三人を殲滅してしまいます。》(p92)

殲滅、ねえ。

これって、ナチスが「最終的解決」などと表現したのと、似てますよね。

いわゆる、婉曲語法でしょう。

虐殺、という状況ではなかったと思いますが、「三人を殺してしまいました」「三人を殺害してしまいました」と書くのが、国語力的にはベターではないか、と。

と、思って、辞書で調べてみると、「殲滅」には、「皆殺しにする」という意味がありますね。てことは、婉曲語法ってわけでもないのか。



続けて、雨宮昭一『占領と改革』(岩波新書)読了。



特に感想はありません。

何だろう、文体が今イチなじめなかったのかな。

まあ、これは好き嫌いの問題ですね。



ついさっき、ちょっと離れたところで拍手が聞こえたので、「何だ?」と思って見てみると、新人さんが配属先へ挨拶に来たようです。

国語力研究所には、新人の配属はない。

こうして、また1つ、ぴったり1つ、研究所スタッフの平均年齢が上がるわけですな。

ここで一句。

と思ったけど、そんなにうまくはひねり出せません。

おお、配属先への挨拶のあと、関連する部署へも、上司の人に連れられて挨拶に回っているようですな。

お、研究所まであと5メートルのところまで来たぞ。

来るか来るかぁ?

ネクタイをビシッと直して、と。



あれ?

……おいおい、そこでUターンかよ。

シクシクシクシクシクシク……。

(もちろん、一部フィクションです。今日はネクタイもしてないしね。)

憎悪の世紀と吉原手引草と、国語力検定

[2008年04月17日(木) ]

Z会渋谷教室に来ています。



若い人が多い。知らない人ばっかりだ。

と思っていると、キタさんとオーさんがやって来る。

ちょっと安心。



昨日の夕刊より。

《塾費用を無利子融資 東京都が格差対策》の由。

中学3年生1800人に年15万円、高校3年生900人に年20万円。

塾費用の一部、とのこと。通信教育なら、全額まかなえるな。

塾じゃなくて、通信教育でもよかろうに。

塾>通信教育、という格差観があるんだろうか、東京都には。

しかし、トータル4億5千万の予算措置か。

都指定塾、なんてのが出てくると、ちょっとキナ臭いですね。



同じく昨日の夕刊より。

神奈川県が、パチンコ店までをも禁煙にする条例を、今年中にも制定する予定だという。

禁煙のパチンコ店。

ちょっと想像がつかんな。



最近の読書。

ニーアル・ファーガソン『憎悪の世紀』(早川書房)読了。



上下巻で1000ページ近くあり、これはちょっと手間取った。

第一次・第二次大戦関連本とか、『ヒトラーとスターリン』『グラーグ』など、個別のトピックを扱った本をすでに読んでいる人には、繰り返しになる部分も多いだろうが、20世紀の戦争というかテロというかポグロムというかジェノサイドというかについて概観するには、なかなか有益な本だと思う。

いわゆる連合国側も、また被害を受けたと一般に思われている側も、意外とやってますな、一般に糾弾される側と同じようなことを。

いくつか引用。

1930年代のソ連の話。

《クラークと疑われた農民は一掃されたが、経済成長をもたらすどころか、史上に例のない悲惨きわまる飢饉を人為的に引き起こすはめになった。(中略)多くの農民は、ウシやブタを没収されるくらいなら、殺して食べたほうがましだと判断したため、一九三五年までに、国内の家畜総数は一九二九年の水準と比べて、半減した。一時期は飽食を楽しんだものの、すぐに終わりの見えない苦しい飢えとの闘いが始まった。家畜の糞の肥料がなくなり、収穫量も激減した。》(上巻p339〜340)

まあ、どうせ人に取られるぐらいなら、使っちゃったほうがマシ、というのは、人情ですよね。農民を愚かだとは、言えないような気がします。

で、どうなったか。

《一九三七年には、国勢調査まで廃止された。なにごともなければ、一億八六○○万人に増加しているはずの人口が、実際には一億五六○○万人に減少したからだ。》(上巻p340)

慄然としますね。

その時代にできた、ソ連の強制収容所。

囚人をただ遊ばせておくのはムダだ、死ぬまで働かせるべし、と考えた人がいた。

当初は、タダの労働力の有効利用、というつもりだったのだろう、だがその労働力を計画に組み入れちゃうと、次は、囚人を常時一定数確保しておく必要が出てくる。かなり死亡率が高かったらしいからね。

すると、以下のような倒錯した事態が起こる。

《鋼鉄の生産にノルマがあったのと同じく、一九三七年には、逮捕する人数にもノルマが課されるようになっていた。当局は刑罰に見合った犯罪をでっち上げればよかった。》(上巻p348)

もう一つ、これは国語力的になかなか興味深かったところ。1940年頃の、イギリスに対するアメリカの屈折した感情。

《大使としてロンドンに赴任していたジョゼフ・ケネディ・シニアや、ベルリン駐在のヒュー・ウィルソン大使は、中部・東部ヨーロッパでヒトラーに好き勝手に振る舞わせていて、なんの反対もしなかった。それどころか、アメリカの政策立案者たち、とりわけルーズヴェルトにはその傾向が強かったが、それは大英帝国の崩壊を見たい、という期待を抱いていたからでもある。》(下巻p51)

なんとなーく、わかります。



続けて、松井今朝子 『吉原手引草』 (幻冬舎)読了。



直木賞作品。ふーん。カミサンが激しく薦めたから読んだのだが。

あんまし、「おお、そうだったのか!」感も、「ええ話やねえ、グッスン」感もなかったような。

吉原を描いた作品なら、隆慶一郎『吉原御免状』のほうがおもしろかったかな。

まあ、好みはそれぞれってことで。

スーツ着まわしテクと、国語力検定

[2008年04月16日(水) ]

今日もスーツにネクタイである。

そういうところを訪問した、というわけである。

これで、月曜日から3日連続スーツ。

同僚アーさんには、3日連続同じスーツであることを見破られているであろう。

そして、明日もスーツ。

やっぱ、スーツ一着じゃ、ちょいとマズいな、もう。

全然着まわしてないじゃん。

明日は直行直帰だから、いいんだけど。

って、ここに書いてちゃ、意味ないか。

いまだ続く筋肉痛。

はたして今日は、前進があったのだろうか。

千葉〜東京放浪記と、国語力検定

[2008年04月15日(火) ]

タケノコ掘りの筋肉痛が激しく残っておる。

昨日は全身に痛みを覚えたまま、出張へ。何だかギクシャク歩いている自分を意識する。



珍しく、スーツにネクタイでの出張だったんすよ。



しかも、おろしたてのクツをはいて。

まずは、海浜幕張というところへ。

京葉線てやつなんだけど、新幹線の乗り換え改札出てから京葉線ホームまで、遠い遠い。これってホントに東京駅なの?というくらいに遠い。山手線1区間、地下鉄1区間ぐらいあるんじゃないか、あれ。



途中、舞浜駅を通過。ディズニーランドが見えます。今朝のワイドショーによると、開園25周年だそうですね、今日で。ははあ、だから「25」なんて数字が書いてあるわけで。

海浜幕張では、国語力検定に絡めた夏のフェアというかイベントというか、についての打ち合わせ。このためのスーツ&ネクタイ&おろしたてのクツ。かなり前進。やる気満々。乞うご期待。全国にドーンと出るよ。

それから、東京ビッグサイトへ。これまた夏の企画関連。こっちは、前進というか何というか。まあ、ボチボチ。

終了後、ムラさんと十条へ。



知る人ぞ知る、一部ではかなり有名な飲み屋さん、斎藤酒場へ行く。



焼酎1杯180円。つまみは200〜300円が中心。

こんなお店が近くにあると、いいよなあ。

焼酎3杯ずつ飲んで、つまみは新ソラマメ、ポテトサラダ、串カツ、マグロブツの4品頼んで、計2050円! 安っ!



これ、3分の1ぐらい食べちゃったところだけど、マグロブツ。250円! しかも、値段からは信じられない美味さ。東京泊まり出張、次から十条〜赤羽あたりに宿をとろうかな。

創業昭和3年とのことだから、まあお店は持ち家なんでしょう。地代家賃がかからず、家族でやっているからこそできるんでしょうなあ、この値段で。

で、この値段だからお客さんはひっきりなしに来て、さらに回転がよい(こういうお店は、あまり長居せず、さくっと飲んでさくっと帰るのが粋、ということらしいです)。

いい方向に循環しているわけですな。

さて、ぼくらも1時間もいなかったのかな、さくっと切り上げて、池袋へ。

「八丈島」というお店で、八丈の島焼酎を飲む。飲んでいると、オーさんが池袋に到着。

3人で「天狗」へ。えーと、このあたりから、もう覚えてません、すいません。

今朝もまだ、身体が痛い。筋肉痛関節痛。

伊豆(箱根?)でタケノコ三昧と、国語力検定

[2008年04月13日(日) ]

先ほど、昼寝から起きたのだが、激しく疲れていることに気づく。

なぜか。

「八丈島で世界を釣る!」編に登場したUさんのお誘いで、タケノコ狩りに行ってきたのである。

竹林の中で、タケノコの頭を探し、クワで掘り出す。

最初は夢中になってやっていたのだが、3本ほど掘り出すと汗ダクダクになり、ちょっと休憩。

カミサンが、竹を取りつつ、よろずのことに使いけり、とばかりに、竹をノコギリで切って器にしているのを手伝う。



うむ、なかなか見事!

その一つで、焼酎を飲む。



うむ、野趣味満点、うまい!

なんて、飲んでいるうちに、今春入社の若者たちも参加していたのだが、若いね、どんどんタケノコを掘り出してくる。





でかい。こんなんスーパーじゃ売ってないよな。

とこうしているうちに、Uさんの奥さんが掘り立てタコノコの味噌汁と天ぷらを作ってくださる。

ごめんなさい、スーパーのタケノコしか食べたことないという人がほとんどだと思いますが、全然違うっすよ。美味い美味い、激しく美味い!

タケノコって、こんなに美味いんだ、と思った一日でありました。

疲労困憊のため、今日はこのへんで。

自衛隊「官」舎と大阪立ち食い焼肉と、国語力検定

[2008年04月12日(土) ]

「ビラ配り有罪確定へ」という、今日の朝刊の記事について書こうと思ったんだが、いろいろ問題がありそうなのでやめておく。

と、言いながら、ちょっとだけ。「ビラ配り」が有罪なんじゃなくて、私有地に許可なく立ち入ることが有罪なんじゃないか? ……と思いましたが、問題になったのは、自衛隊の官舎でしたね。私有地ってことはないか。でも、公有地でもない気がするし。官舎だからっつって、自分ちに誰でもズカズカ入られても困りますよね。どういう扱いなんだろう。

もう1つ。管理人さんがいるマンションとかでは、管理人さんに許可を求めてからビラを配っているそうだが、管理人さんに断られたことはない、との由。

うそー。ホント?

かつて不動産会社でポスティングのバイトをしていたワタクシとしては、とても信じられないのだが。

ここで、「目的のためには手段は正当化される」という論理を持ち出されては、「はあ、そうですか」と答えるしかない。



大阪へ行ってました。会議。

会議後、W先生とミーティング。

どこでミーティングしましょうか?

千日前の立ち食い焼肉!

ということで、そのお店へ。



混んでますなあ。でも、「すいませんね」といってスペースをあけてもらう。



お通し的に出てくる、生ギモ。

生ギモだからして、これは焼くのではない、ナマで食うのである。

残ったタレを、焼肉のタレとして使う。

ネギや下ろしニンニクや唐辛子粉をぶち込み、



袖すりあうも多少の縁、じゃなかった、他生の縁、一枚のアミを見知らぬ人と共有しつつ、焼いては食らい、食らっては焼く。

後ろを、着飾った人たちが通り過ぎてゆくのが、なんともおもしろい。

注文はW先生にお任せしたが、ツラとかハラとか、内臓系のようです。

サッパリ系のタレが、よく合う。グルメ系(同僚サーさんアーさんをお連れすることができるか、という意味で)、とは言えないかもしれないが、ぼくは好きだな、ここ。また来ようっと。

その後、坂町のバーへ。

当然、ジャックダニエル、ロックで。



焼肉では、国語力検定絡みの陰謀、じゃないや、企み、でもないな、国語力検定かくあるべし!という話に終始していたのだが、バーでは、「ちりとて」談義や落語談義、上方文化話に。



マスターです。ちょっとおっかなそうな感じに見えたけど、いや、なかなかフレンドリーな方でした。

非常に適度な距離感でぼくらの話に加わってくれたりして、心地よい時間を過ごせました。

最後は、W先生による、「唐沢版『白い巨塔』だけでなく、田宮版も見るべし見るべし、激しく見るべし!」という話で終わったのであった。ような気がする。

ところで、やっぱり地域によって、何が重要なニュースなのか、というのは違いますね。

という、ある意味当然のことなんですが、まあ、改めて感じた、ということで。

大阪では、橋下知事と食いだおれ人形が、今最もホットな話題のようです。東京の人には、わかんないだろうね。

魔性の数学教諭と、国語力検定

[2008年04月11日(金) ]

このニュースは、国語力検定ブログとして、取り上げねばなるまい。

《<通知表>横浜市立中で記載ミス 「計算力を向上させ魔性」》
(4月10日15時2分配信 毎日新聞)

今年3月、通知表に「計算力を向上させ魔性」と記載、というかプリントアウトでしょうね、して、生徒58人に訂正版を配布していたそうな。

計算力を向上させま賞、もっと計算力をつけま賞、じゃなくて、計算力を向上させ魔性。

《教諭3人がパソコンで作った元データからコピーする際に誤った。》とあるから、やっぱPC上で作ってプリントアウトしたんでしょうね。

しかし、配布前にザッとでも見ないんでしょうかね、通知表。

やはり、PCで文書を作るようになってから、変換ミスによる誤植が増えたような気がする、そこで国語力検定……と、話を持っていこうと思ったんだが、このケース、ちょっと違うような気がする。

だって、「計算力を向上させ魔性」って、変換ミスによる誤植とは考えられませんよね。

どう考えても、意図的に、それこそ「計算力を向上させま賞」ばりに意図的にやらなきゃ、出てこない表記である。

と、思って、続きを読んでみる。

《市教育委員会によると、数学の男性教諭は女子生徒1人について、前期分で「魔性」と記載し、配布前に同僚の指摘で修正したが、元データは修正しなかったため、学年末の再掲欄で誤った。》

ははあ。

何となくわかってきたぞ。

この「女子生徒1人」に対しては、問題の数学教師、「計算力を向上させ魔性」って書いたとしても、シャレですまされる間柄、「先生冗談きついよー(笑)」ですんじゃう間柄だったのではないか。

ただ、通知表は保護者も当然見るものである。だから同僚教師に、「おいおい、あの生徒だけ見るんならまだしも、保護者が見ると問題になるんじゃないか」と言われ、それもそうかと思い(って、気づけよそれぐらい)、修正したのではないか。

ただ、元データ自体は残っていたため、誤謬に誤謬が重なり……と、以上、推理してみました。

ビジネスシーンにもありそうなミスですね。気をつけましょう。

国語力的に言うと、もう1つ、考えさせられることがあった。

「シャレ」と「関係性」の問題である。

シャレが通じるかどうかは、ひとえに相手との関係による。

それを読み取るのもまた、国語力、と。

「イルカたちの楽園」をアジ・サバから見ると?と、国語力検定

[2008年04月10日(木) ]

昨日の朝日新聞夕刊社会面に、なかなか楽しいニュースがあった。

《動物園・水族館で「ご当地型展示」》

「地元の自然の生態系を再現する」という展示を持つ動物園・水族館が増えている由。

これが楽しいんじゃなくて、楽しいのはその続き。

《自然の再現には苦労もある。のとじま水族館(石川県七尾市)は昨年3月、近海をイメージした「イルカたちの楽園」をオープンした》

へー。のとじま水族館。昔、帰省したときにカミサンと行ったな。クルマで1時間ぐらいで行けたんだっけ。ガラッガラで、なかなか快適な水族館であった(当時は)。

その、のとじま水族館が、どんな苦労を?

《……オープンしたところ、1万匹のマアジと5千匹のマサバが、カマイルカなどにほとんど食べられてしまった。》

このくだりを読んで、クスリとしてしまったわけである。

あーあ、台無し、みたいな。

あるいは、「イルカたちには楽園でも、アジやサバにとっちゃ、たまったもんじゃないだろうな」という思いが湧き起こって。

《「想定外だった」と苦笑する桶田俊郎副館長は「魚を補充し、群れて泳ぐ生態系をまた再現したい。漁師さんに頼むので、市場の相場を絶えず確認しています」と話す。》

「想定外だった」というのは、イルカはメシを食わないと思っていた、ということだろうか、それとも、イルカがこんなに大食漢だとは思わなかった、ということだろうか。

自然の生態系を再現するということは、自然の食物連鎖も再現するということで、そりゃ、同じ水槽の中にゴハンが泳いでりゃ、食うでしょう。

でも、必要以上は食わないというのも、自然の生物たちであり、とすると、イルカの個体数に比してアジやサバが少なすぎたってことか、あるいは逆にアジやサバの数に比してイルカが多すぎたってことか。

いずれにせよ、自然の生態系の再現にはなっていなかった、ということは言える。

だって、もしこれが再現になっているとしたら、自然界のアジやサバは、絶滅してるはずだからね。

と、ここで思ったのは、食物連鎖の最上位に位置する生き物も入れなきゃイカンのではないか、ということ。

イルカをエサにしている生き物って、何だろう。シャチとかかな。

あ。1つ、思い出した。

静岡県民だ。

そうか、静岡県民は、アジ・サバという水産資源の維持に貢献してるのか!

のとじま水族館にも、静岡県民を一人二人配属すれば、問題は解決する……しませんね、はい。

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