ブログ検索
最新記事
最新コメント
国語力研究所代表
御茶ノ水でランチと魯山人の料理王国と、国語力検定 (2008年11月22日)
タカバタケ@御茶2F
御茶ノ水でランチと魯山人の料理王国と、国語力検定 (2008年11月22日)
国語力研究所代表
「ふしゅう」とホッケとアーレントと、国語力検定 (2008年11月19日)
国語力研究所代表
成功の秘訣は1日14時間労働と、国語力検定 (2008年11月17日)
国語力研究所代表
輿論と世論と、国語力検定 (2008年11月16日)
垂渓庵
輿論と世論と、国語力検定 (2008年11月15日)

http://www.zkaiblog.com/kokugoryoku/index1_0.rdf
プロフィール

携帯電話代と電気・水道・ガス代と、国語力検定

[2008年04月30日(水) ]

今朝の朝日新聞の一面は、格差社会をテーマにした記事であった。

そこで、「ふーむ」と思ったこと。

取り上げられている人、ホントにカツカツの生活のようなのだが、それでも、月1万1千円の携帯電話代だけは捻出せねばならぬ、と考えている……ように読めてしまったのである。

食費・電気代・水道代・ガス代……といった支出項目の中に、携帯電話代を入れ、それらを優先順に並べたとき、はたして携帯電話代というのは、今、どこに位置するんだろうか。ある程度個人差はあるだろうが、一般的な傾向として。

さすがに、食費より上に来ることはあるまい。

携帯を止められるよりは、電気を止められることを選ぶか(どこで充電するんだって話はあるが)。

携帯を止められるよりは、水道を止められることを選ぶか。

携帯を止められるよりは、ガスを止められることを選ぶか。

もし、必要不可欠度で電気・水道・ガスを押しのけているのだとしたら、すげーなー、携帯電話、と思ったわけである。

ドコモさん、ここまで麻薬的な存在になると、予想していたんだろうか。ま、商売の論理から言えば、麻薬的になるにこしたことはないんですけどね。



貫成人『真理の哲学』(ちくま新書)読了。



最初は、中学生にはちょっと難しいけど、高校生ぐらいにはオススメか、と思って読んでいたのだが、途中から、高校生(他にやること山ほどある高校生)には、ちょっとツライかなー、とも思い始めた。

他にやることが山ほどない高校生、また、大学生・社会人あたりにオススメでしょうか。

……社会人も、他にやること山ほどありますね、はい。すいません。

……え。大学生も、他にやること山ほど? こりゃまたすいません。

というわけで、ホントは、大学に入る前とかに読んでおけばいいんだろうなあ、この手の本は。

例によって、いくつか引用。

《監獄あるいは学校、軍隊、工場などにおいて、各自は、外から与えられた行動や思考の規範を、拒否し、無視するより、それを「規律化」した方がよりよく生きることができる。(中略)近代社会が、ある時期から内戦やクーデターのない安定した社会になったのは、もともと「塀の中」にしかなかった監獄のメカニズムが社会全体に拡散し、それによって監獄が普遍化、遍在化したからである。》(p195)

近代社会に内戦やクーデターがない、というのは、異論のあるところでしょうが、まあそれは措いておきましょう。

学校という名の監獄。会社という名の監獄。人生という監獄。

そういえば、前に大阪で、バス無しトイレのみ有りのホテルに泊まったとき、トイレと部屋との仕切りが短いカーテンだけで、「まるで監獄のようだ(入ったことないけど)」と思ったことがある。

……これはちょっと違いますね。すいません。

先ほど、「社会人も、他にやること山ほどある」と書きましたが、そう感じるのは、外から与えられた規範の「規律化」ゆえ、という面がないでしょうか、ということでした。

ぼく自身が、「そう言われるとそうかもしんない、そうなんだろうな」と思ってしまうわけです。

だから尾崎豊は、盗んだバイクで走り出して、「この支配からも卒業」と歌ったのか。

そして、自分を支配していると思っていた人たちもまた、何かに支配されており、どこまでいっても結局「支配されること」からは逃れられないのだ、と、どこかで気づいたのか。

もう一箇所。

《伝統的に言語活動は、命題を叙述するか、発話者の感情などを表現する「記述」と考えられていた。それにたいして、オースティンは、言語活動を行為の遂行ととらえる。「この時計を遺産として君にあげる」と述べた人は、それによって約束という行為をおこない、また、窓を閉め切った部屋で「この部屋は暑いね」と言えば、窓近くにいる人に指図、命令していることになる。》(p234)

おお。これは、国語力検定が目指すところの国語力と、重なる部分があるな。

占領期の朝日新聞と醤油3万本と、国語力検定

[2008年04月29日(火) ]

MSN産経ニュース2008.4.28 22:43より。

《福田康夫首相は28日夕、首相官邸で記者団に対し、道路特定財源を平成21年度から一般財源化するなどとした11日の政府・与党合意を、5月12日ごろに閣議決定する方針を表明した。》

ほほう、閣議決定。

そもそも一般財源化を言い出したのは、支持率上昇や衆議院補選に向けたイメージアップのためであり、しかし結局支持率も上がらんし補選では負けたし、ということで、「あーあ、こんなことなら、一般財源化なんて言わなきゃよかった」と思ってらっしゃるんじゃないかと心配していたのだが。おれが心配するこっちゃないか。

国語力的に推察するに、振り上げたコブシを、どうにも下ろせなくなった、という側面もあるのかな。

さて、その、閣議決定に至るプロセスを見ておこう。

《道路特定財源の一般財源化は、首相が3月27日の記者会見で表明した。ただ、自民党の一部若手議員が、政府と党の「担保」がないと道路整備特措法案の再議決で造反する考えを表明していた。今月11日の政府・与党合意に対しても一部若手は納得せず、法律で担保された閣議決定の手続きを取るよう求めていた。/閣議決定するとした首相の表明は、自らが掲げた方針が党内からほごにされないための「異例の措置」(政府筋)とされる。》

記者会見での意思表明→そんなんじゃダメ!

政府・与野党合意→そんなんでもダメ!

ということで、「法律で担保された閣議決定の手続き」となったようです。

ところで、その「今月11日の政府・与党合意」を受けて、4月14日の朝日新聞夕刊コラム「窓」には、次のようにあります。筆者は、恵村順一郎さん。

《なるほど一歩前進ではある。といっても手放しの評価ばかりはできない。/自民党がいかにこの種の文書を軽く扱ってきたか。(中略)6月にまとめる「骨太の方針08」に一般財源化を盛り込む、と首相は言う。だが、それで胸を張ってもらっても困る。/小泉内閣最初の「骨太の方針01」を読み直してみる。そこにうたわれた「道路特定財源の見直し」は、自民党の道路族議員の猛反発であっさりつぶされた。(中略)「骨太の方針01」は閣議で決定されたのになし崩しになった。(中略)/道路族議員がなぜ今回の文書をすんなりと受け入れたか。文書の根拠がそれだけ弱いからである。》

自民党の若手議員が、「政府・与党合意じゃダメ、閣議決定せよ」とする理由は、これでわかると思います。

ただ、閣議決定すら、なし崩しになってしまう、という現実がある。

恵村順一郎さんには、閣議決定後、このテーマについてもう一度書いていただきたく。

さーて、これから、この問題、どうなるか。この一年、楽しみですね。

内閣変わったから、あんときの閣議決定もナシね、なんてことになっちゃったりして。……おっかない世界だ。



朝日をちょっと持ち上げた後で、と。

今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任』(朝日新聞社)読了。



タイトル、「と戦争責任」は不要で、「占領期の朝日新聞」だけでよかったんじゃありませんかね。と、思いました。

例によって、いくつか引用。

一九五一年七月施行の改正商法の中味に新聞業界があわてて、新聞社だけに特例を認めてもらおうとしたときの話。

《日刊新聞紙特例法については各紙が報道を控え、わずかに新聞協会の機関紙「新聞協会報」が報じただけだった。手前みその法案であるため、報道を避けたのである。(中略)特例法は賛成多数で可決、成立した。翌六月三日の朝日新聞朝刊には、成立した法律の一つとして日刊新聞紙特例法の名称は掲載されたが、その内容はもちろん、羽仁(議員)の反対表明についても一切、触れていなかった。》(p344〜348)

まあ、そんなもんですよね。気持ちはわかりますよ。

ところで、どんな特例法かっていうと、株式の譲渡を制限できる、というもの。

《大株主の立場が法的にも保障されたこともあり、長谷部ら(朝日新聞社の)経営陣は、筆頭株主の要請を拒否できなかった。/七月二十八日の臨時株主総会で定款の社主規定の改正を決定した。》(p350)

その、改正された「社主規定」とは。

《第三三条 本会社に社主弐名を置く
第三四条 本会社は村山龍平、上野理一創業の栄誉と、創業者と本会社との関係保持の為村山長挙、上野精一を社主と定め、爾後其相続人より夫々壱名其地位を継承す》(p350)

ははあ。何だか立憲君主制みたいっすね。

同じ一九五一年九月、川崎での出来事。

《毎日(新聞)はその晩、市内の毎日系店主を集めて、「直ちに専売活動に入れ」と号令、あらかじめ用意した醤油(合成)一升引換券を使って、購読中の現読者の確保と新規読者の拡張を大々的に行った。これに対抗するため、朝日と読売は合成ではなく天然醸造の醤油を、キッコーマン、ヤマサなどの醸造元から共同で仕入れ、野田と銚子から貨物列車に満載して川崎に運び込んだ。三万本の醤油ビンが販売店の店頭に山と積まれ、川崎市は一夜にして醤油の町と化した。》(p352〜353)

三万本! それが、新聞の景品になったわけだ。当時は、今以上に醤油が生活必需品で、ご家庭には喜ばれたんでしょうね。

ところで、

《この突然の事態に驚いたのは》(p353)

誰だと思います? 川崎市民?

そうじゃないんですねー。

《同市内の醤油小売店だった。》(p353)

言われてみれば、なるほどその通り。

川崎市内の小売店から醤油を仕入れて、それを景品として配るのならともかく、新聞社がメーカーから直接買い付けてタダでばらまかれた日にゃあ、たまったもんじゃないですよね。

単純に考えて、醤油一升瓶3万本の売上がパーになるわけで。

《同業組合は死活問題と、新聞三社に抗議した。結局、川崎市内の小売店を無視して醤油を送った製造元がその責任を認め、小売店に金一封を贈って陳謝、新聞販売店側も醤油の配達は小売店に任せ、配達料を支払うことで決着した。》(p353)

……なんだかなあ。当時の新聞社には、経済記者はいなかったんだろうか。というのは、こういう帰結になるのが、わからなかったんだろうか、という意味で。

ワークマンのチラシと組織ジャーナリズムの敗北と、国語力検定

[2008年04月28日(月) ]

先日、珍しいことに、「ワークマン」の折込チラシが入っていた。

《ワークマンはワーキングウエア・ユニフォーム・作業関連用品の大型専門店です。“WORKMAN”というロゴマークが示すように、ワークマンは、ワーキングウエアや作業用品の提供を通して働く人たちのより安全で快適な作業環境を総合的にサポートしています。》(ワークマンHPより)

吉幾三さんが、「この町で暮らそう〜」と、ニコヤカに歌い踊りつつCMに出演している、あの「ワークマン」である。踊っちゃいないか。

これまでも入っていたのかもしれないが、「あ、ワークマンのチラシだ」と意識したのは、初めてであった。

珍しいな、と思い、しげしげとチラシを見てみる。



なるほど、ここでも吉幾三さんが、ニコヤカに笑っていらっしゃる。

……ん?

その下に写ってるモデルさん。



……コワイ。激しく誰かにガン飛ばしてます。

完全にケンカモードですね、この人。

いやあ、ヨーカドーやユニクロのチラシでは、見たことのないモデルさんの表情だなあ、こういうのもアリなんだ、と、ひどく新鮮にも感じたわけです。

これも一つの、マーケティングってやつなんだろうか。

深いな、マーケティング。



川崎泰資・柴田鉄治『組織ジャーナリズムの敗北――続・NHKと朝日新聞』(岩波書店)読了。



マスコミは第四の権力であるからして、うかつなことは書けないのである。

しかし、そのマスコミも、権力に迎合することがままあって……というお話。

でも、ちょっとだけは書くのである。

NHKも、なんだかなあ。トップがこうだと、現場もヘコむわな。

それに、朝日新聞。ぼくは、好き好んで朝日新聞を購読しているわけであって、朝日新聞には、是非がんばっていただきたいのである。最近、特派員のコラムに、いいのが多いと思いますよ。おもしろくて、うまい。

国語力的におもしろかったところを引用しておきます。

ある裁判における、東京高裁の判決。

《政治家の関与についても「政治家が一般論として述べた以上に具体的な指示をしたことまでは認めるに足る証拠はない」としながらも、(中略)「政治家から公正・中立であるようにと言われて、その意図を過剰に忖度した結果、改変が行われたと認められる」としている。》(p95)

政治家が番組内容に影響力を行使したかどうか、という点に対する東京高裁の判決なわけですが、これを読んで、みなさんはどう解釈しましたか?

番組内容が改変されたことに、政治家が関与したと言えるか否か。

では、当の「政治家」さんのコメントを紹介しておきましょう。

《「これで政治家が介入していないことが明確になった」》(p96)

ははあー。そう解釈しましたか。

超国語力。まいりました。

最後に。これは、国語力的な箇所ではないが。

《朝日新聞の本田記者も、NHKの永田、長井両氏も、懲罰的にみえる人事によって報道の現場からはずされた。さすがに朝日新聞では、それはおかしいという声が出て、本田記者はまもなく現場に戻ったが、永田、長井両氏は二〇〇八年二月現在、そのままになっている。それらもしっかり記録して、こんな人事が二度と繰り返されないような組織に少しずつでも変えていくほかない。》(p205〜206)

シンデレラマンと幕臣たちの明治維新と、国語力検定

[2008年04月27日(日) ]

映画『シンデレラマン』を観る。

舞台はアメリカの大恐慌時代前後、実在したプロボクサーのお話。

なるほど、株になど投資してはいかん、という教訓を引き出すための映画か。

そうじゃなくて。

家族の絆の映画ですな。

かなり感動する。



安藤優一郎『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)読了。



『ある明治人の記録』(中公新書)もなかなか感動したが、これもおもしろかった。

平易なので、中学生でも十分おもしろく読めると思う。

例によって、いくつか引用。

《薩摩や長州藩の方が先進的で、幕府は後進的というのが一般に持たれているイメージだろう。このイメージは偏ったものと言わざるを得ない。》(p84)

まあ、教科書で習う歴史では、そういうイメージを植えつけられますね。ぼくの経験から言っても。

さて、幕府、というか徳川家は、維新後、現在の静岡県に移ったのであるが。

《静岡藩には、全国から注目された二つの教育機関があった。版籍奉還以前に創設された静岡学問所と沼津兵学校である。》(p84)

おお、沼津! 三島の隣町ではないか! そんなところに、全国注目の学校はあったとは!

なんだか、住んでいるところの近所が取り上げられると、嬉しいもんですね。

《沼津兵学校は静岡学問所と共に、時代の最先端を行く教育機関として、全国から注目されるようになる。言い換えると、静岡藩の母体である幕府が、実は西洋化が最も進んでいたことが、明治に入ってから奇しくも証明されたのだ。このため、沼津兵学校には、諸藩からの留学希望者が殺到する。》(p86)

へーえ。あの沼津が。かつては時代の最先端だったと。

近くに住んでいながら、全然知りませんでした。

いかんな。鎌倉に引っ越したときは、結構郷土史の勉強したんだけど、三島沼津についてはサッパリでした。

調べてみると、沼津市明治史料館なるものがあって、沼津兵学校関連の展示もあるらしい。

今年のGWのテーマは、「三島沼津の歴史を知る」にするか。

もう一つ引用。

明治の元勲大久保利通の孫・利謙が、第二次大戦後まもなく国立国会図書館の資料室主任に任命され、参議院議長へ挨拶に行ったときのエピソード。

このときの参議院議長が、なんと会津藩主松平容保の子・恒雄。

《私が議長室に入って、しかじかの仕事を始めますからよろしく願いますというと、松平議長は、無愛想げに「それは結構なことであるが、歴史を書くのなら公平にやってもらいたい」という意味のことをもらされた。(中略)もう、かつての明治憲法が廃止された後の新国会においても、会津藩主の血をうけた議長には、なお薩長維新史に対する反感が消えていなかったのである。》(p133〜134)

そりゃ、ねえ。子や孫の代だと、まだ「歴史」にはなってないでしょ。

《薩長維新史とは一言で言うと、薩長は明治維新をなしとげた正義の士であり、薩長に歯向かった徳川方は悪者として描かれている。(中略)勝者の薩摩・長州藩側の立場から描かれた叙述であり、敗者側の幕府側に立った視点は見られない。その言い分は抹殺されていた。(中略)しかし、徳川方とりわけ朝敵とされて辛酸をなめた会津藩にとっては、たまらない歴史叙述だったことは言を俟たない。(中略)「歴史を書くのなら公平に」という言葉は、会津藩に限らず、旧幕臣の側が共通して抱き、訴えたい想いだった。》(p134〜135)

このあたりのことを、中学生ぐらいから知識として持っておいてもよいかな、と思います。

『日本の愛国心』とソ連アメリカ双子論と、国語力検定

[2008年04月26日(土) ]

聖火リレーの感想。全部見たわけじゃないけど。

欽ちゃん自身が、「いやね、横を見ると、警察の人が欽ちゃん走りしててさ」と言うのはわかるが、テレビ画面のテロップに「警官が欽ちゃん走り」と出すのは、いかがなものか、と思った。

あと、聖火ランナーは2〜300メートルずつ走るそうだけど、護衛の警官たち、とりわけ一番外側で護衛している制服姿の警官たちは、約19キロ、最初から最後まで走らねばならなかったんだろうか。何か、革靴はいてるように見えたんだが。制服と革靴で19キロ走る。大変だ。滅多にない激務だっスんじゃなかろうか。

ときどき、



こんな旗が見えた。

聖火から、赤や青の光が放たれる、という意味だろうか。

……冗談ですよ冗談。わかってますってば。



佐伯啓思『日本の愛国心 序説的考察』(NTT出版)読了。



最初は行きつ戻りつの感があるが、第四章でグーッと盛り上がり、第五章でちょっと一休みして、最終章の第六章、グイグイ読ませる。

中高生は、読まなくともよいかな。いや、読んだほうがいいのかな。ちょっと悩む。

「愛国心」という言葉だけで引いちゃう人もいるかもしれませんが、少なくとも社会人・大学生は、読んでおいても悪くないと思いますよ。

これ、朝日新聞の書評欄に取り上げられることは、まあないだろう。バカ売れすりゃ、別だけど。なんせ、正論大賞だからね。

例によって、いくつか引用。

《ある国の歴史的な伝統や文化や風土がそのままそこにあり、それらに自明のものとして囲まれているとき、人は、わざわざ「愛郷心」や「愛国心」を感じる必要もないであろう。(中略)それらが失われつつあるという喪失感に囚われたとき、もしくは、たとえば外地にあってそこにどうしようもない距離感をもったときにこそ、「愛郷心」や「愛国心」を感じるというべきなのであろう。》(p105)

ああ、そういえば、外国にいるときは、妙に日本人ということを意識するなあ。

そんなに行ったことはないけど。

それより、何より、やはり、初めて上京したとき、違和感覚えたね、東京ってところに。

ここは、何年住んでも、故郷とは感じないだろうな、と思った。生まれ育った場所とは、違いすぎて。

両津勘吉さん世代の東京育ちの人はともかく、たとえば極端な話、六本木ヒルズで生まれて育った、というような人は、どういう風景に郷愁を感じるようになるんだろうか。

などと考えていると、話は、物理的な風景ではなく、精神のあり方に移ってゆく。なるほど、著者がここで指摘したい、日本人が失った(失いつつある)ものとは、何らかの心のあり方であったか。

《政府から金をもらって特権的な立場に身をおいて優雅な大学教授をやりながら反政府的言辞を弄して平和や民主を唱える知識人を、いかにも良心的で「進歩的」として賛美するメディア。「恐るべき俗化の時代」とは、このような欺瞞を醜悪とも薄汚くとも思わなくなった戦後の「進歩主義」的精神であった。》(p182)

これは、その心のあり方を失った結果の、一つの具体例であろう。

《日本の近代化はその最初から大きなディレンマを抱えることになった。それは、日本の独立を保つには、日本は西欧化するほかないというのであるが、それはとりもなおさず日本のアイデンティティを犠牲にするということだからである。》(p262)

これは、その心のあり方を失った理由の一つであろう。

あるいは、その心のあり方を失ったのは、ある意味やむを得ないことだった、ということか。

《人は欲をもち、利を求め、我を通そうとする。しかし、富にせよ栄光にせよ名誉にせよ、それらを仮に実現したとしてもたまさかのものであり、次の瞬間には露のように消えてゆくだろう。それがこの世の慣わしならば、すべてが崩壊し、死へ向かうというあきらめをあらかじめ持っていなければならない。そして、この「無」の境地において、人ははじめてある覚悟をもつことができる。この「無」の境地における覚悟によって人は利や欲ではなく、「義」や「道」のために生きることができるだろう。》(p294)

これが、その心のあり方、すなわち日本の伝統的な倫理観、だそうです。

みんなが持っていた、というわけではなく、持とうとしていた、持つことを目指されていた、持つことがよいという共通認識がメジャーであった、という意味だと思いますが。

最後に、本筋とはちょっと離れた箇所だが、「ほう!」と思ったところ。

《社会主義が基本的に崩壊してしまえば、もっとも「左」に押し出されたのは実はアメリカであった。(中略)西欧近代社会を生み出したヨーロッパ(西欧)から見れば、実は、ソ連もアメリカも一種の人工的な実験国家であり、両者とも、産業技術による無限の進歩と理性による理想的社会の実現と、おまけにその理念の普遍性を疑うことを知らない超近代国家であった、ということだ。》(p243)

アメリカとソ連は、双子であったか。そう言われれば、なるほど似てるな。

長野での聖火リレーへの一提言と、国語力検定

[2008年04月25日(金) ]

今朝のワイドショーより。

オリンピックの聖火が、今朝、羽田に到着したらしい。

レポーターさんから、現在の羽田の状況が伝えられる。

バスで聖火を長野まで運ぶようなのだが、レポーターさん、そのバスには近寄れず、ずいぶんと遠いところからの中継である。

おまけに、長野へ向かうバスが、何台もある。その何台ものバスが、映し出されている。

スタジオのアナウンサー「聖火が乗っているのは、どのバスですか?」

レポーター「えーと、それはちょっと、わかりません」

……この光景、何かに似てるな。

そうか、全マスコミ注目の犯罪容疑者や被告が、護送されるシーンか。

と、思うと、朝からちょっと笑ってしまったのである。

そう言えば、聖火ランナーが走るときも、二重三重に警備が取り巻いて(その人たちも一緒に、マジメな顔をして走っているっつーのも、図としてはちょっと可笑しいのだが)、空からの中継はともかく、周囲の人は誰が走っているのやら、よくわからん状況みたいですよね。

そんなんじゃ、周囲の人はもちろん、聖火ランナー自身も、つまんないだろうなあ。晴れがましいというより、それこそ「護送」されてるみたいで。

あ。いいこと思いついた。

「聖火リレーを、聖火リレーに関わらない人たちが見る」という構図ではなく、「その場にいる人たちみんなが走る」という構図にするっていうのは、どうだろう。

警備の人たちだけでなく、長野市民も一緒に、聖火ランナーの周囲を取り巻き、走る。

聖火ランナーを、まず警備の人が二重三重にとりまき、さらにその周囲を、長野市民が十重二十重に取り巻いて走る。

一緒に走る長野市民は、徐々に増えていくように仕込んでおき、最終的には聖火ランナーを人が千重万重に取り巻き、数万人規模の集団となって走る。

ドドドドドドドド……。

実に壮大な眺めではないだろうか。

うむ、これこそオリンピックにふさわしい。

長野市さん、いかがですか? こんなアイデアぐらいタダでいいっすよ。

……明日までに仕込むのは、無理か。



内藤一成『貴族院』 (同成社近現代史叢書12)読了。



今日配信の国語力検定メールマガジンでも一部紹介しましたが、なかなか読みやすく、かつおもしろい本でした。

日本史選択の大学受験生で、ヒマでヒマでしょうがない、という人にはオススメ。

……いないか、そんな人は。

教科書で学ぶのとは違う視点から、日本近代の政治史・議会史が学べます。教科書だけ、というよりも、より立体的な理解ができるでしょう。

例によって、いくつか引用。

《この時期(=大正デモクラシーの時期)、華族たちを震撼させたのが一九一七年(大正六)のロシア革命であった。皇帝一家の殺害や貴族層の没落は衝撃的であった。》(p120)

言われれば確かにそうなんだろうけど、ロシア革命をこのように捉えた層があったってことは、非常に新鮮でした。

《学歴、職歴を重視する選出基準は、近代教育を受けた世代の増加とともに定着していったが、一方で旧藩主などの経験を有する世代にくらべ人物が小粒、平凡になったという評価もあった。侯爵木戸幸一は(中略)「次第に年数がたって来ますと、息子の代になってくる。子爵だ、伯爵だといっても、高等文官試験を通って役人になっているものはよほど気のきいた方で、(中略)だから、政治についての経験もなければ、何の抱負もないという連中がふえてきた」と新世代に懐疑的であった。》(p136)

そりゃま、しょうがないでしょうね。

企業で言えば、偉大な創業者と比較されてもなあ、というところでしょうか。

二世三世議員も、似たようなもんなんじゃありませんかね。

《東条内閣崩壊後の話であるが、内閣書記官長であった星野直樹が、貴族院は政権に協力してくれたと話していたところ、これをきいたある貴族院議員は「そんな見方だから間違うのだ。貴族院の東条内閣にたいする空気は、そんなものではない(中略)」とせせら笑ったという。》(p210〜211)

東条内閣の官僚は、KYだったってお話。

「なんでわかんねーんだろーなー」と思ってたんでしょうが、でも「わかんないんならしょうがない」にしちゃったら、結果としては協力したのと同じでしょう。

東条さん自身は、空気を読んでいながら、あえてその空気を無視した、というのであれば、また話は変わってきますが。

《貴族院と参議院とは議員の種別、選出形態、任期など制度的にはまったく異にしていた。これにたいして継承が求められたのは、政党中心の衆議院にたいし、参議院は非政党主義のもと、是々非々的なかたちで良識を発揮していくべきだとする存在意義や審議態度であった。》(p231)

……ぜんっぜん継承されてないような気もしますが。外から見てる限りでは。

3年で10億使う方法とバリの日本人女性観光客と、国語力検定

[2008年04月24日(木) ]

2008.4.22 23:23MSN産経ニュースより。

《10億円着服か 茨城県国保連の元職員逮捕》

新聞やテレビで、このニュース、ご覧になった方も多いと思います。

数百万や数千万で捕まる人も多いなか、10億。

ある意味、大物だなあ、と感じたわけです。

だけじゃなくて、このニュースで、ちょっと引っかかったところ。

《着服は3年間で総額10億円以上にのぼるという。》

まず、10億全部使っちゃったと聞いて、「へええ、3年で10億、使えるもんなんだなあ」と、感じ入ったわけです。

いや、プロスポーツ選手とかで、年俸何億とかの人いるでしょ、「墓場までカネ持っていけるわけでもなし、どうするんだろうね、使い切れないカネは」と思っていたわけです。

プロスポーツ選手だからして、通常の人よりはいっぱいメシ食うだろうけど、それでも普通人の10倍も、毎食ギャル曽根さんばりに食うわけでもあるまい。お酒を飲むにしても、おのずと限度がある。

というわけで、「食う」「飲む」のほうで10億は使えまい。

いわゆる「買う」も、物理的制約があるため、ちょっと無理だろう。

と思って、続きを読むと。

《容疑者は今月18日、着服を告白する手紙を上司に送り、水戸署に出頭。連合会の調査に「金は競艇に費やした」と話しているという。》

やっぱり、いわゆる「打つ」じゃないと、そんな大金はなかなか使えないか。

ある意味、予想したとおりだ。

と、いったんは思ったわけですが、ここでもう一つ、引っかかっちゃったわけです。

3年間、10億、競艇でひたすら負け続けたのか?と。

せめて累計で1億ぐらい負けた時点で、「ああ、おれ、競艇に向いてないわ、競艇の才能ないわ」と思わなかったんだろうか?と。

そこが、不思議でしょうがないわけです。

だから、つい、実は競艇以外の理由もあったんじゃないか、と、想像してしまうわけです。



坂野徳隆『サムライ、バリに殉ず』(講談社)読了。



副題が、「インドネシア独立戦争の英雄になった旧日本兵の記録」。

内容は、この副題のとおりです。

へーえ、こんな人がいたんだ、という感じでした。今、佐伯啓思『日本の愛国心』(NTT出版)という本を読んでいるんだけど、その内容とも響きあうものがあると感じた。

さらにこれ、オビによると、日本=インドネシア国交50周年記念書き下ろしノンフィクション作品。

ふむ、平和な時代の記述になると、インドネシア・バリへ訪れるよう、読者をいざなう如くになるんだろうなあ、と思って読み進めていくと。

1973年、30年以上ぶりに帰郷した際のくだり。

ちなみに、主人公の故郷は、沖縄・宮古島。

《バリでさえ見ることのない美しいコバルトブルーの珊瑚礁と魚に、子供たちも驚いた。平良は自分の故郷が、いまは「南洋の楽園」と呼ばれるバリよりきれいなことを誇らしげに見せて歩いた。》(p234〜235)

ま、30年以上前だからね。宮古も、今よりはずっとキレイだったろう。今でも、すごくキレイだと思うが。

しかし、同じように30年を経たとすると、やっぱり今でも、宮古>バリってことなんじゃなかろうか。いや、海のキレイさだけで比較すると、ですよ。

うーむ、一度ぐらいはバリへ行ってみてもいいか、と思ったこともあったが、やっぱ宮古島のほうがいいか、こういうふうに書かれると。

……ダメじゃん。バリ観光プロモーションに、全然なってないじゃん。

バリを訪れる日本人女性観光客についてのくだりも、おもしろかった。おもしろかった、なんて書くと、ちょっと問題かもしらんが。

《空港では(中略)現地の愛人たちと別れを惜しみ、恥ずかしげもなくラブシーンを展開する彼女たち。バリの若者にとっても、日本人女性とのロマンスや結婚は手っ取り早く夢を叶えるひとつの方法となった。日本人女性は簡単に誘いに乗り、裕福なために都合がいいのだと彼らは口を揃える。》(p238)

と、いうふうに、書かれていました。ぼくは、行ったことがないんで、知りませんけどね。

バリで生涯を終えた主人公、息子さんたちに、日本とはこういう国で、日本人とはこういうものだ、と語って聞かせたそうですが、

《息子たちにとっても、バリへ来る日本人女性は父親のいう「淑やかで清純な」イメージとはかけ離れていた。》(p238〜239)

と、いうふうにも、書かれていました。ぼくは、行ったことがないんで、知りませんけどね。

そんな戦前のイメージで見られても困るよ、という意見も、当然あるでしょう。

あるいは、そういう見方こそが、女性を抑圧してたんだ、という意見も、当然あるでしょう。

ま、そういうふうに感じた人もいる、ということで。

ダンがアンヌと結婚?と、国語力検定

[2008年04月23日(水) ]

今朝、家を出ようとすると、テレビのワイドショーの画面に、

「モロボシダン、アンヌと結婚?」

の文字が。

ななな、なにぃーっ!

えーと、モロボシダン役の森次晃嗣さんと、アンヌ役のひし美ゆり子さんが、実は結婚してたってことか?

こりゃ、大事件だ!

垂渓庵先生、大変っすよ!

というわけで、椅子に腰を落ち着け、テレビを凝視する。

ありゃ、CMにかわった。

いわゆるCMまたぎのネタか。このネタに食いつく層、多そうだもんな、この時間にワイドショーを見ている人の中には。テレビ局も、なかなかやる。シャアっぽいな。

……長い。こういうときは、やたらとCM時間が長く感じる。おまけにCMが激しく下らなく感じる。

やっと終わった。

で、どうしたどうした?

……なーんだ。

ウルトラ映画を新しく作るそうなんだけど、その中で、ダンとアンヌが結婚していた、という設定の由。うまくワイドショーに乗せられちゃったよ。テレビ局も、なかなかやる。

ダンて、たしかレオのときに杖をついた隊長役で出てたんだっけ。あのときは、まだ独身だったはず。

とすると、割と遅い結婚だったんだな。

あの隊長をやめてから、ダンはどんな人生を、そして一方、ダンと結婚するまで、アンヌはどんな人生を送っていたんだろう。



ワイドショーじゃないんだけど、テレビのニュース。昨夜の。

野村證券の話題。

記者さんだかレポーターさんだかが、帰宅する社員に、インタビューを試みている。

当然、ノーコメントである。

ていうか、記者(レポーター)さんたちも、当然ノーコメントだろうと、十分わかっているのではないか。ノーコメントだとわかってて、マイクを突きつけているんではないか。

だって、立場を逆にすれば、記者(レポーター)さんたちも、決してコメントなんかしないよね。

「はいはい、その件はですね」とばかりに、ペラペラしゃべり出されると、逆にあっけにとられたりして。で、「ちょちょ、ちょっと待ってください、メモとる用意してなかったんで、最初から……」なんてことになっちゃうんではないか。

てことはだ。

これって、ノーコメントを引き出すためのインタビューという、なかなか面白い構図である。

宮部みゆき『楽園』で一息と、国語力検定

[2008年04月22日(火) ]

宮部みゆき『楽園』(文藝春秋)読了。



上下巻で700ページほどあるが、小説はスラスラ読めるのである。

『模倣犯』未読でこれを読んだ人は、思わず『模倣犯』も買っちゃうというわけで、なかなかビジネス的にうまい。さすがである。つか、自分も、「あ、読み直してみようかな」と思ったもん。

個人的には、やっぱ『模倣犯』がベストかなー、と思ったが、こちらも結構おもしろかった。「ビジネス的にうまい」なんて書くと、何だそれだけかよ、と思われかねないが、書き手としてもうまいねー、宮部先生。とりわけ、気の持たせ方、泣かせ方。

新聞小説という制約(漱石の時代と違って、2年も3年も続くなんてことはない)のせいか、後半、ちょっとバタバタした感もあるが、またラスト近く、ちょっと理解に苦しむ箇所もあったが、それでも、こう複雑な話をまとめあげていく力は、見事なもんである。

せっかくだから、「前畑滋子」モノとして、シリーズ化しちゃえばいいんではないか。安直というそしりを受ける可能性なきにしもあらずだが、ビジネス的には大アリだと思う。

では、例によって引用。

《時計の針が午後十時を指す頃合いに、滋子は昭二に電話をかけ、こっちに来て一緒に飲むようにと一方的に命令した。ちょうど帰宅したところだった昭二は(中略)渋々ながら車を転がしてきてくれた。》(下巻p149)

ん? 飲みに行くのに、クルマ? ああ、代行使って帰るのか、そうに違いない。地方じゃよくあることだ。

《店内には酔っ払いの女店主と酔っ払いの滋子二人しかおらず、昭二はビールを一杯引っかけただけで、自然と女たちの世話役に回った。》(下巻p150)

飲み屋に行けば、まあ飲みますわな、たとえビール1杯としても。

《夫婦で「鳩の巣」を後にしたのは、午前零時過ぎのことである。(中略)「おまえなぁ!」息をひとつ吸い込むと、車のエンジンをかけながら、昭二が一喝した。》(下巻p150)

えええ! 運転して帰るのかよ!

ビール1杯だけなら、2時間もすればオッケーってことなんだろうか。

なわきゃないよな。警察的には、量は関係なく、飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、だろう。

えーと、国語力的には、文章を書くときには気をつけましょう、というお話でした。

……いや、ひょっとして、こう書くほうがリアリティがある、という緻密な計算のうえで、ビール1杯飲んだ昭二に運転させたのかな、宮部先生。だとしたら、すごいな、やっぱり。

※オマエは『楽園』のそんなとこしか読んでないのか!と言われそうですが、プロットのキモになるとこ引用しちゃマズイかな、と思って、こういう箇所にした次第です、はい。ちなみに、前畑滋子の夫の昭二さんって、キャラ的にすごく好きだな。

もう一箇所。

《時間を浪費するのはたやすい。買い戻そうとするときに初めて、人は、その法外な金利に驚くのだ。》(下巻p221)

こういうのをサラッと書ける宮部先生。いいなあ。

近代郵便と検閲と江坂のマックスバリュと、国語力検定

[2008年04月21日(月) ]

菊池良生『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』(集英社新書)の続き。



定期的に届けられる、ということが近代郵便の、それまでにない特色だった由。

そこから、こういうことも起こるようになる。

《近代郵便という新しい情報ネットワークにより当時の人々は自分の身体的生理に関係のない抽象的な時間(曜日、時刻)を意識するようになり、かつ縛られていく。》(p82)

なるほどZ会の通信教育も、このようにして1つの時間を創出することに……なっている場合もあるでしょうね、もちろん。

なるほど国語力検定もこのように、「ああ、また国語力検定の受検日がやってきたなあ」と、年2回の国民的祝祭日のように……なればいいなあ。

冗談はさておき。いや、必ずしも冗談ではないんですが。

かつて、毎週日曜日の深夜、日付が変わったころに、「あそこのコンビニは早く入ってるから」と、週刊少年ジャンプを買いに行き、全部読んでから寝ていたことを思い出しました。

こういうくだりもあります。

《近代郵便制度は(中略)やがて新聞を作り出した。》(p186)

どういうことか。

必ずしも自分宛てではない手紙を、みんなで勝手に読む、それによって遠くで起こっていることを知る、これが新聞の原型だそうです。

近代郵便制度以前は、信書の秘密なぞ、あってなきが如し、のようで。

郵便制度を国が一元的に管理したがったこと、経済的な面を除いても理解できる。

権力による郵便の管理=検閲し放題、ってことです。やろうと思えば、ね。

憲法で検閲を禁じながらも、GHQが検閲をしてたってこと、かなり知られてますよね。

てか、今現在でも、アメリカって、すべての通信をモニターしてるんだっけ。



昨日京都へ行き、今日大阪へ行って、さっき帰ってきました。

京都では、なんかイイ感じになる、かもしれません。仕事が。

三島でも、さきほど、同僚アーさんから、よさげな話。

さて、大阪では、ミナミ方面へ行く予定がないときに使う、江坂のホテルに泊まる。大浴場サウナ付き、朝ゴハンもついて5100円。ステキ。おまけに、あんまし人気ないのかな、大浴場、貸切状態で使えて、ますますステキ。

コンビニは隣にあるし、朝ゴハンもちゃんとしてるし(今朝は味噌汁、肉じゃが、切干大根が美味でした)、悪くないと思うんだけどなあ。部屋にはシャワーだけで、バスタブはないけどね。

そのホテル。江坂って駅から、ちょっと歩くんですが、なんとその通り道に、24時間営業のマックスバリュができてました!

うーむ、こりゃますますステキになったな。同僚サーさんアーさんも機会があればお連れするか。

そして今朝。そのマックスバリュの前を通ったとき、こんな看板が。



地元の小学校の給食メニューとともに、「お母さん、給食とダブらんといてなっ〜」。

こりゃ親切ですな! 三島のマックスバリュじゃ、見たことないぞ!

確かにね、わざわざ好きこのんで昼メシをそれにした、というのであれば、好物なんであるから、晩メシもそれというのは、そんなにガッカリしないだろう。

だが、あてがい扶持の給食や弁当でそれを食った、であるとか、別にそんなに深く考えずに日替わり定食で出てきたものを食った、という場合、晩メシがそれと重なると、「なんで晩メシもコレかなー、昼にも食ったよ」と思うものである。

江坂のマックスバリュ、伸びると見た。

※最近とんとご無沙汰のインサイトナウネタにいいかなー、と思ったんですが、思ったのが書き終えた今なので、ご容赦。

| 次へ