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御茶ノ水でランチと魯山人の料理王国と、国語力検定 (2008年11月22日)
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反哲学と戦争する脳とシー・シェパードと、国語力検定

[2008年03月10日(月) ]

というわけで、土日は本を読んで過ごす。

木田元『反哲学入門』(新潮社)読了。



なかなかおもしろい。

いくつか引用。

《人に哲学をすすめることなど、麻薬をすすめるに等しいふるまいだと思っています。/(中略)だから、「子どものための哲学」なんて、とんでもない話です。無垢な子どもに、わざわざ哲学の存在を教える必要はありません。/哲学なんかと関係ない、健康な人生がいいですね。》(p18)

哲学者がこう書くってのが、おもしろくありません?

《日本では、哲学が欧米に輪をかけて難解なものとされていることは確かです。まず、哲学の基本となる超自然的原理は、われわれの発想のうちに見いだすことができないという分からなさがあります。(中略)おまけに、哲学を学び紹介する者が、自分の修行が足りないせいで分からないと思いこむのは仕方ないとしても、そのことを他人に悟られないようにごまかそうとするので、ますます話がややこしくなります。》(p24〜25)

このあたりも、なかなか辛辣。

まあ、でも、この本の、以下のくだりぐらいは理解できました。

《存在するものの全体を、生きておのずから生成するものと見、自分もその一部としてそこに包みこまれ、それと調和して生きるときと、その存在するものの全体に〈それはなんであるか〉と問いかけるときとでは、存在者の全体へのスタンスのとり方がまるで違います。そんなふうに問うときには、問う者は問いかけられる存在者の全体の外の、あるいはそれを超えた特権的位置に身を据えているにちがいないからです。》(p230〜231)

デカルトやらカントやらニーチェやらヘーゲルやらハイデガーやら、については、この本で述べられている程度を押さえておく、というのが、旧制高校的教養崩壊後の「教養」、なのかなあ。



続けて、計見一雄『戦争する脳』(平凡社新書)読了。



これも、なかなかおもしろい。

「イラク戦争と日中戦争――ゲリラ戦の可能性」という節。

《イラク戦争が始まる前に、誰か日本の政治家でブッシュ氏に「満州事変と支那事変を知ってますか?」とご注意した人がいるのだろうか? ペンタゴンには立派な資料室があるそうだから、二〇世紀の各種戦争の分析はなされているのだろう。そこには日本陸軍が中国大陸でさんざんな目に遭った便衣隊(ゲリラ部隊)の話は入ってなかったのか。私はイラク戦争の始まりと同時に、あ、便衣隊が出てくるぞと思った。》(p61〜62)

なるほど。今のイラクにおけるアメリカ軍は、中国大陸におけるかつての日本陸軍に重なるのか。てことは、ベトナムなみに厄介なことになるかもしれぬ、と。

「栗林中将は硫黄島で家のすきま風を心配した」という節。

《梯久美子さんの『散るぞかなしき』(新潮社、二〇〇五年)に描かれた栗林忠道中将は、渡辺謙氏演ずるところの将軍ほどかっこよくない。》(p116)

『散るぞかなしき』、読みましたが、渡辺謙さん演ずるところの(映画『硫黄島からの手紙』の中の)栗林中将に負けず劣らず、カッコいいと思ったけどなあ。

《どちらかと言えば村夫子然たる人物のようだ。中で印象的なのは台所のすきま風の塞ぎ方をあれこれ考え、結局最期まで気に病んでいたらしいことだ。(中略)ノンフィクションだから踏み込んでいないのだろうが、これが小説なら狂気の戦場で彼の正気を保たしめたものは、台所のすきま風であったという話にすることも可能だ。/日本家屋の借家住まいで、炭も炭団も欠乏していれば、たとえ将官の家であってもすきま風は大ごとだった。(中略)そういう日常の些事を思い続けることが、実は正気というものの正味の効能である。日々が無事にたっていくこととのほかに、どんな目的が人の正常な精神にありえようか。》(p116〜117)

リアリストであることが大事、というふうに理解しました。

「実はからだの病気である」という節。

《限界を超えればどんな丈夫な人でもブレーク・ダウンする。その中に自殺という選択をせざるを得ないところまで、追い込まれる人も当然出てくる。できもしない自殺予防に大騒ぎするより、超限界労働を止めさせろ。》(p212)

計見さん、本書の冒頭近くで、「リスクマネジメント」という言葉を批判しています。リスクはマネジメントできない、必ず起こると思っておいたほうがよい、起こったときにどうするかを考えておく「ダメージコントロール」のほうが重要である、と。

《疲弊しきって私の前に現れた人々に、抗うつ剤を処方はする。睡眠薬の処方もする。しかしながら、「あなたはうつ病ですよ。うつ病を克服した人の本を読みなさい」とは滅多に言わない。「あなたは物凄くくたびれている。普通、くたびれた人は眠る。死んだように眠った後、ああよく眠った、手足の先まで真綿のように力が抜けてしまった。こんなに疲れていたのか。という具合に熟睡して、その後で回復してまた働く。(中略)まず寝てください」、とのみ言う。/さらに言えば、「あなたは心の病気、精神の病気で精神科に来たということを、きっと恥じているに違いない。ここにはたしかに精神科の看板が掛かっているけれど、あなたの病気は、実はからだの病気ですよ」という説明をする。》(p212〜213)

土曜日、めずらしく昼まで寝てしまった。12時間ぐらい寝ただろうか。起きたとき、「ああ、おれはこんなに疲れていたのか」と思った。訳もなく、涙が流れた。……後半、半分創作&冗談ですよ。

終章より。

《どうすれば知らないうちに戦争への一線を踏み越えないですむか(中略)/一つは、問題を「道徳問題」として考えるな、ということである。地球環境についての方策は、「ケシカラン、どういうつもりだ、君はそれでも地球市民と言えるのか」思考からは出てこない。地球市民をナニナニ国民と言い換えればすぐ了解されるだろう。特に戦前の世相・論調を覚えている人には、ピンと来るはずだ。》(p228)

全然関係ないですが、シー・シェパード。

気の荒い漁師さんのいる漁船に対して、操業中、あんなことしたら、理屈並べているヒマもなく、海に叩き込まれるんじゃないの、と思って見ていました。

石田淳さんとの対談と、国語力検定

[2008年03月09日(日) ]

やらねばならぬことが山のようにある。せめて書き仕事でも家で、と思って持ち帰ってはみるものの、一方で読まねばならぬ本も山のようにあり、ついつい読書に耽ってしまう。という土日でした。

5日水曜日は、西新宿にて、石田淳さんと対談。

テーマは、国語力と読書(と、国語力検定)。

対談、といっても、石田さんのお話をうかがう、という趣きが強いものではあったが。しかし、広義の国語力伸長には読書が不可欠、そのための環境作りが重要、という点は、まさに国語力研究所の目指すところと一致しており、よっしゃこれで行こう!の意を改めて強くしたのであった。

インターエデュというサイトに、4月〜5月、掲載されるそうです、この対談記事。

石田さん、



こんな本も最近出されました。

『「やる気を出せ!」は言ってはいけない』(フォレスト出版)。

ビジネスパーソンのみなさまも、ぜひどうぞ。いい本っすよ。

実際、「またか、もう読んだよ」という内容のビジネス本が多いんだが、これは違った。「あ、そうか、そうだったか」と思わされました。

崇高なビジョンなりチャレンジングな目標なりを立てて事足れり、というか、スタートとゴールを定めるだけがマネジャー(リーダー)、ではなく、プロセス=行動にフォーカスし、好ましい行動を「続ける」仕組み・環境を作るのがマネジャー(リーダー)の仕事、というのは、忸怩たる思いで読ませていただきました。

その後、上野御徒町に移動。

ムラさんサトさんオザさんとの愉快な4人組で、愉快に飲む。

ホッピーセット380円を頼み、それについてくるホッピー1本につき、ホッピー中(焼酎。1合ぐらい)180円を4回お代わりする。こりゃいい。こりゃ酔えるわ。

翌朝は、コートを着たままホテルのベッドでうつぶせに寝ていましたとさ。

翌々日の7日、三島に仕事で来ていたオザさんと再び飲む。

途中で同僚アーさんも合流。

かるーく飲むつもりだったのだが、焼酎ボトルお代わりしちゃったりして、何だか飲みすぎちゃいましたね、ゴメンなさい、オザさんアーさん。

さて、なんで「かるーく」のつもりだったかというと、翌8日が結婚記念日だったからである。

ダメージが大きく、昼まで寝てしまったのだが、夜はカミサンと外へ御飯を食べに行く。白ワインにピザなどをいただく。

調子に乗って、「シメにラーメンか!」とばかり、ちょっと気になっていた博多ラーメン・ちゃんぽんのお店、「治ちゃん」だっけな、に寄ってちゃんぽん800円を頼むが、すげーボリューム。

ちゃんぽんまでのつなぎにギョーザ350円を、と思って食ってしまったのが敗因か、完食できず。ギョーザ美味かったけどね。あ、ちゃんぽんもね。エビ・アサリのプリプリ感が秀逸。スープはやさしい感じ。静岡名産黒ハンペンを具に使っているところが泣かせる。また挑戦しに行こうっと。おつまみ系もそこそこあるから、シメじゃなく、2次会+シメでもいいかも、このお店。

ちなみに、隣で博多ラーメン食ってた結婚式帰りらしき若者は、替え玉2回しておりました。若いってスバラシイ。

『DELL 世界最速経営の秘密』と、国語力検定

[2008年03月08日(土) ]

スティーブン・ホルツナー『DELL 世界最速経営の秘密』(インデックス・コミュニケーションズ)読了。



たまにはビジネス書も読まねば、ということです。

なんか色がヘンだな。白地に青です。

いくつか引用。

《興味深いのは、デルが巨大化したために、望むと望まざるにかかわらずコンピュータ市場に対する同社の影響力が大きくなっている点だ。(中略)デルが何か言えば、マイクロソフトやインテル、サムスンのような技術力のあるメーカーは必ず耳を傾ける。》(p78〜79)

ふむふむ、なるほど。で?

……ああ、でも、何だか眠たくなってきたな。

ガマンして読もう。

《興味深いのは、デルが巨大化したために、望むと望まざるにかかわらずコンピュータ市場に対する同社の影響力が大きくなっている点だ。(中略)デルが何か言えば、マイクロソフトやインテル、サムスンのような技術力のあるメーカーは必ず耳を傾ける。》(p79)

ありゃ。寝ぼけて同じとこ読んじゃったかな?

ゴシゴシ。顔を洗ってもう一度。今度は正座して背筋を伸ばして読もう。

《興味深いのは、デルが巨大化したために、望むと望まざるにかかわらずコンピュータ市場に対する同社の影響力が大きくなっている点だ。(中略)デルが何か言えば、マイクロソフトやインテル、サムスンのような技術力のあるメーカーは必ず耳を傾ける。/興味深いのは、デルが巨大化したために、望むと望まざるにかかわらずコンピュータ市場に対する同社の影響力が大きくなっている点だ。(中略)デルが何か言えば、マイクロソフトやインテル、サムスンのような技術力のあるメーカーは必ず耳を傾ける。》(p78〜79)

ありゃりゃ? 全く同じ文章が、二段落続いてるぞ。

……校正しているとき、激しく眠たかったんでしょうかね。


と、そういうネタだけじゃなく、国語力的に興味深い部分もあったんですよ。

《変化とはもはや、広範な流行や業界動向に時々対応しておけばいい、というレベルの話ではない。「危機」という漢字が「危険」と「機会」から一字ずつとっているように、変化とはリスク要因であると同時に「機会」でもある。》(p125)

「危機」という漢字が「危険」と「機会」から一字ずつとっている……これ、原文は英語なんだが、英語ではどのように表現されていたんだろう。

japanese“kiki”is(「構成する」の過去分詞)by japanese“kiken”&“kikai”……とかか?(ゴメンなさいテキトーな英語で)

でも、それだと、日本語がわかる読者にしか、通じないよな。

あるいは、思いっきり意訳されてるんだろうか。

だとすると、うまい翻訳だなー、と思ったわけです。 


その他、ビジネスマンとして参考にした箇所。

《マイケル・デルは「勤務時間の40%を顧客に費やしている」と言う。(中略)マイケル・デルは長年、顧客をデルの組織に取り込む「バーチャル・インテグレーション(仮想統合)」のコンセプトを提唱してきた。これは、デルのスタッフと同じ情報にアクセスできるようにすることで、顧客を誘い込む手法だ。既存の会社組織に顧客をむりやりはめ込む「バーティカル・インテグレーション(垂直統合)」とは正反対の考え方である。》(p54〜55)

顧客も含めた形での、擬似組織か。なるほど。

高校入試問題についての一考察と、国語力検定

[2008年03月07日(金) ]

宣伝ばかりだと気が引けるので、追加。

まあ、これも新聞ネタなので、鮮度が落ちちゃあしょうがない、という側面もあるのだが。

昨日の朝刊に、別刷りで「静岡県公立高校入試 問題と正解」というものが入っていた。

帰宅後、問題を眺めてみる。

国語……ふむ。大問ニの論説文、野口恵子さんの「かなり気がかりな日本語」は、かなり国語力検定との関連が深いテーマだな。『日本語朝練ドリル』で出題した、いくつかの問題の答えが、本文の中に載っちゃってるし。あちゃー。ま、いいか。取り上げるトピック自体は、大概似たようなもんだ。あとは、それをどう料理するか、の違い。

英語……ふむふむ。中学英語なら、まだ全然大丈夫だな、おれ。

数学……。

数学……。

やばい。

全部解けるかどうか、アヤシイ気がする。

解答延期。中学数学のおさらいをしてから、改めて解いてみることにしよう。

と、ここまでがマクラである。

解答のページを見てみる。

国語の大問ニ、問六の正答例は、次のとおり。

《視覚情報がない分、想像力や思考力を発揮でき、それによって日本語の使い方のよしあしを感じ取ることができるようになるから。》

60字の記述問題である。

正答例の下には、「採点基準及び採点上の留意事項」というのもある。

この、60字の記述問題に対する採点基準は、次のとおり。

《同じ内容のことが書いてあればよい。》

……え?

こここ、これが採点基準?

いや、マジで一瞬目を疑ったね。

静岡県の公立高校入試問題って、教科を問わず、公立の割には結構記述問題が多いんだけど、この問題に限らず、ほとんどすべての記述問題の採点基準が「同じ内容のことが書いてあればよい」「同じ趣旨のことが書いてあればよい」。

どこかの予備校や塾が作成した、なんてことは書いてないから、おそらくこれは、県当局が発表した正答例および採点基準なんでしょうねえ。

かつてぼくも、採点基準作成という仕事を日常的にやっていたが、こういう採点基準でオッケーであったなら、激しくラクだったろうなあ。月に2日は確実に休日が増えて、有給休暇取得率100%を達成できたような気がする。

でも、現場の先生方(が実際に採点するんだとして)、ホントにこの採点基準で、採点するんだろうか。てか、採点できるんだろうか?

あ。ひょっとして配点が2点とか3点しかないから、部分点などなく、必ず0点か2点(3点)なのかな。だったら、少ーしだけ、わからんでもない。

受験生もまた、「部分点など存在しない」という共通認識でいるのなら、問題ないのか、これで。

ただ、そうなると、こまかーく部分点を設定しちゃってる模擬試験のほうが、むしろ問題アリ、となっちゃうね。入試の実情と乖離している、という意味で。

宣伝宣伝宣伝と、国語力検定

[2008年03月07日(金) ]

2月14日の記事で、「国語力道場」が本になる、という話を書きましたが、週明けの10日から書店に並ぶそうです、聞いたところによると。15日ぐらいには、全国にあまねく行き渡る由。1000円+消費税。



こんな本です。ケータイ写真ってところが、手作りっぽくていいなあ。

5時間くらいは、楽しめると思いますけど。小説と違って、読み終わったらオシマイ、というものでもないし。

アマゾンでは予約受付中みたいです。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%9C%9D%E7%B7%B4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%AB-%E5%B7%9D%E6%B8%95-%E5%81%A5%E4%BA%8C/dp/4887596278/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1204787835&sr=1-1

よろしくお願いいたしまする。

Z会大学受験コース小論文担当O橋君からのメールと、国語力検定

[2008年03月07日(金) ]

Z会の通信教育大学受験コースで国語・小論文を担当するO橋君、ええいこれじゃイニシャルにする意味あんましないな、大橋君から、3月4日付の苅谷剛彦さん関連記事について、メールが届く。

以下引用(使用許諾取得済み)。

《じつは、昨年度(2007年度)の12月に受験科文系小論文(TC)で、「教養」に関する問題を出しました。竹内洋『大衆モダニズムの夢の跡』(新曜社、2001年)の中から、「学生文化と教養主義」という文章で出題しています。》

竹内洋さん……『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』は読んだな。てか、珍しく購入したな。おまけにZ会中学コースの仕事をしていたころ、中学生に向けて、この本を紹介したことがあったような……。なかなかシャレが利いてていいでしょ。それをどう受け取るかが、国語力、ということで。

《その問題文で使用している中に、こういうくだりがあります。

(引用始め)
 旧制高校は一九五〇年に廃校になったが、旧制高校的教養主義は、あの大学紛争まで新制大学のキャンパスを支配していた。
 一九七〇年頃までの日本の国立大学には、教養部の授業に旧制高校の建物をそのまま使用しておこなわれていた大学も多い。
 建物だけではない。国立大学の教授のかなりは旧制高校出身者だった。かれらには専門の学問を越え、旧制高校的教養の香りのようなものがあった。戦後の大学生は旧制高校の香りを教授たちから得ることになった。
(中略)
 旧制高校は一九五〇年に終わったのではない。精神や文化として存続した。精神や文化としての旧制高校的なるものが解体されたのが一九七〇年代前後の大学紛争である。
(引用終わり)

……というわけで、竹内氏が書いていることをそのまま受け取るとすると、苅谷氏は、「旧制高校的なるもの」に直接触れることのできた最後の世代、ということになりそうです。/ちなみに、上の文章で竹内氏は、今日の大学のキャンパスを支配する学生文化を「軽い『キョウヨウ』主義」「過剰な現実適応学生文化」と呼び、「旧制高校的教養主義」と対比させています。/そして設問では、「『旧制高校的教養主義』の意義について、今日、大学という場で学ぼうとするあなたはどのように考えるだろうか。五〇〇字以内で述べなさい」と問うています。解答例および解説も、なかなかおもしろい内容になっていますので、一度ご覧ください。》

ほほう。出題自体、なかなかおもしろいじゃないっすか。これを、現在の大学受験生にぶつけるとは。やるね、大橋君&Z会通信教育大学受験コース小論文。解答例と解説も、あとで読ませてもらうよ。

しかし、なるほど。

1970年前後において、大学生、あるいはちょっとマセた高校生であったか否かが、ターニングポイントだったわけね。

旧制高校的文化に接し、旧制高校的教養をさほど違和感なく摂取できたか否かの。

これを読み、今の大学受験生は、どういうふうに感じるんだろう。答案に書く内容とは別に、正味な話ね。

そんな昔のことなんてカンケーねーよ、となるのか、それとも「こんなこっちゃイカン!」と、現状を否定的に見るようになるのか。

……大多数は後者で、少数の後者が、学者さんになるのかもしれませんね。

さて、「1970年前後において、大学生、あるいはちょっとマセた高校生であったか否かが、ターニングポイント」というところから、社会人ワタクシが考えたこと。

苅谷さんが、ぼくより10コ上。1970年当時の大学1年生は、ぼくより13コ上、大学4年生は16コ上ということになる。

この世代って、まさに今、企業なら役員〜社長のような、組織のトップにいる世代なんだよね。

現在、組織のトップにいる世代が、ギリギリ、旧制高校的教養イコール教養、だった世代。

組織のトップは、10年で世代交代するとして、今から10年後、旧制高校的教養イコール教養と考える世代は、組織のトップから、ていうか、組織自体からいなくなる。

あ。定年延長とかあるから、15年後ぐらいか、ホントにいなくなるのは。

そのとき、企業において求められる教養の質が、ガラッと変わるかもしれない。てか、「今の若いモン」と組織トップの教養の質が、さほど変わらなくなるかもしれない。

よかったね、現在小学生のみなさん……よいのか?

旧制高校的教養を全肯定するつもりはないけど、教養のレベルが下がる一方じゃマズいだろ、ということで生まれたのが、国語力検定でもあります。

おお、国語力検定でまとまったね。

2008年2月の沖縄漂泊記4と、国語力検定

[2008年03月06日(木) ]

2008年2月沖縄漂泊記その4。

このシリーズ、そろそろ終わらせねば。

漂泊最終日の前夜は、誰も付き合ってくれなかったので、外で孤独に晩飯を食う……のも寂しい、ということで、宿で飲んで食うことにする。

レンタカーがあればサンエーにも出かけたのだが、歩いていけるタウンプラザかねひででお買い物。

あ、サンエーもタウンプラザかねひでも、地元のスーパーです。かねひでは、たまに「おお!」という掘り出し物があるなど、総じてサンエーよりも安いと思うが、お惣菜系はサンエーのほうが充実している……ような気がする。

さて、かねひでへ行くと。

県産品コーナーに、観光客が群がっているではないか!(買い物カゴ見りゃわかりますよ、観光客だって。)

たしかに、店の前には「観光客歓迎!」と書かれてるけどさ。

おれも(出張だけど)観光客の仲間には違いないけどさ。

国際通りで売っているのと同じ品が、かなり安く買えたりするけどさ。

かねひでポイントカード(200円1ポイント)に、150ポイントほどたまってるけどさ。(すいませんポイントカードまで持ってます。)

国際通り、こんなところにお客さんを(多少は)奪われているんではないか。

などということを考えながら、晩御飯のお買い物。



泡盛と、



そーめんちゃんぷると、



魚天ぷらを買う。

ああ、醤油か塩でも持ってきていれば、ゆし豆腐も買ったものを! 残念。



宿の電子レンジであっためて食う。

電子レンジ以外に、冷凍冷蔵庫とIHヒーターも部屋にあって、鍋フライパン、食器一式貸してくれるんだよな、この宿。

次回は砂糖塩味噌醤油持参して、本格的自炊してみようかな。糸満あたりで魚釣って、スーパーでソーキとか豚足とかゴーヤとか島豆腐とか買って。いいな、それ。

宿には、



乾燥機付き洗濯機もある。

こいつぁいいや、ということで、寝る前に、コートとジャケットとネクタイ以外の衣類を、すべて放り込む。

つまり、その晩は素っ裸に浴衣である。

ここで地震が起きたり、宿が火事になったりすると、素っ裸に浴衣にコート、という、かなりヤバい格好でオモテに出なきゃならなくなる懸念もあったが、まあ滅多なこともなかろう。

そのまま寝る。


翌朝、洗濯機を開けてみる。

……だだだ、大失敗!

下着類、シャツなどはいいが、ズボン、異様なシワがきっちり入ったまま乾いているではないか!

チェックアウトまで、ベッドに置いてテーブルを逆さにして乗せて寝押しなどしてみたのだが、一向にダメ。

ズボンは乾燥機にかけてはイカン、ということを学習したのでありました。

空港へ行き、



空港食堂でカツ丼食って帰りました。同じ500円なら、オムライスの勝ちだな、個人的には。

(2008年2月沖縄漂泊記終わり)

2008年2月の沖縄漂泊記3と、国語力検定

[2008年03月06日(木) ]

2008年2月沖縄漂泊記その3。

久々に国際通りを歩く。今回はレンタカーではなく、少し時間もあったゆえ。

この季節は、素もぐりじゃ海にも入れないからさ。……冗談です冗談です、激しく冗談です、海に入れないからレンタカーにしなかったわけでは決してなく、よいツアー(駐車場がタダのホテルのツアー)がなかったし、歩いても暑くないし、という理由でのレンタカーなし。国際通りへ行ったのも、たまたまポッカリ空いた時間があっただけです。

そんなわけで、レンタカーでの移動が多かったので、国際通りは久々でした。

おや?



なんか前と違うな。



わかります?

空がスッキリと見える。

そう、三島大社近くの道と同じように、いつの間にか、電柱を地下に埋めてたんですね、国際通り!

電線がないから、空がスッキリ見える。

しかし、通りも昔に比べてスッキリしている(人出が少ない)ような……。夜だけじゃなくて昼も。観光客はどこへ行った?

もうちっと早く電柱地下化を進めていればよかったのになあ。あと、やっぱ駐車スペースの問題かもね。

さて、国際通りにはいろんなものがある。



このお土産物屋さんの前には、



高さ3メートルはあろうかという、巨大なウルトラマン。3メートルは大袈裟かな。

足元に注目してみる。



うーむ、このブーツの角度は、ニセウルトラマンか、それともホンモノか?



なぜかベンチでは、矢吹丈君もお休みになっていらっしゃる。

たまには家にお土産でも買うか、ということで寄ったのが、ひいきにしているハブボックスというTシャツ屋さん。



なんだか新興のTシャツ屋さんが何軒も出店しており、そのお店の袋を持った観光客も結構見かけたのだが、ぼくはかたくなにハブボックスである。

「日米チン保条約」と書いた下にイラストのある新作があったのだが、さすがにそれを着る勇気はないので、やめておく(興味はある方は、国際通りへ行った際にでも見てみてください。少なくとも、会社や学校には着ていけんだろう、あれ)。



ビーサンをあしらったTシャツを、S寸とM寸の2枚、色違いで買ったのでありました。

2008年2月の沖縄漂泊記2と、国語力検定

[2008年03月05日(水) ]

2008年2月沖縄漂泊記その2。

行きたい行きたいと思っていて、ずっと行けなかった沖縄そば屋さんに、ようやく行く。

ずっと行けなかった、というより、行くといつも閉店していた、というほうが正確か。売り切れ次第終了のそば屋さんゆえ。いっつも、夜になってから行ってたから、必ず閉まっちゃってたわけ。

今回は、朝メシを食いに沖縄そば屋さんへ行ったので、大丈夫であった。



亀かめそば。沖縄そば400円ナリをオーダー。



これが美味い! 前に行った浦添のそば屋さんも美味しかったけど、ここも実に美味い。

博多は元祖長浜屋の、400円ラーメンに勝ったかもしれん。というのは、あくまで個人的な感想ね。まあ、人には好き嫌いありますから。

沖縄そば、麺がストレート系のそば屋さんのほうが美味いのかな。

400円でも、分厚い皮付き三枚肉が2枚、ドーンとのってます。青ネギも大きめに切られ、実によろしい。スープの塩加減も絶妙。食べ応えアリ。

次回は軟骨そばってやつを試してみようっと。

しかしなー、こんなこと書くと問題あるかもしれんけどなー、空港の600円とかする沖縄そば食って、「へー、沖縄そば、こんなもんか」と思われるのは、もったいない話だ。

それから、首里にある沖縄家庭料理のお店にも行く。



古民家を改造した、なかなか趣きのあるお店。



イナムドゥチ定食をいただく。うむ。優しい味だね。御飯は赤飯、小鉢が5つもついて、1000円。沖縄では、まあ観光客値段の部類に入るのかもしれないが、いろんなものが食べられて、なかなかよいのではないか。ここは、同僚サーさんアーさんをお連れしても大丈夫なお店だろう。

あ、いや、亀かめそばがダメってわけじゃないですよ、亀かめそばはオッケー。でも、波浮食堂ややんばる食堂は、ちょっと引かれるかなーって思っただけです。量的にね。

食後には、沖縄のデザート、ぜんざいもいただく。



かき氷の下に、甘い小豆。2月にかき氷ってのは、やっぱ沖縄だね。

池上彰さんの「憎まれ口」と高1でヘーゲルか!と、国語力検定

[2008年03月04日(火) ]

漂泊記だけ、というのも何なので、追加。

というより、ネタが古くなる前に、というほうが正確なんですけどね。

昨日の朝日新聞夕刊、池上彰さんのコラム「新聞ななめ読み」が、なかなかにおもしろかった。国語力的に。

タイトルは、「大きくなる新聞活字」。

毎日新聞が先行し、近日中に朝日・読売がそろって、新聞の活字を大きくする、という話題にからめたものなのだが、そのコラムの末尾部分。

《新聞が相次いで活字を大きくする本当の理由は、読者が高齢化したからではないか。などという憎まれ口を叩くのはやめておきましょう。高齢化が進む私も、活字が大きくなるのは嬉しいのですから。》

こういう場合、「高齢化が進む私も……」という表現で緩和されてはいるものの、国語力的には「憎まれ口」のほうが本意と考えて間違いありません。

うまいなあ、池上さん。

ところで、ぼくは、次のようにも考えました。

活字を大きくして、ページ数が同じなら、文字の総量は減る。すなわち、必要原稿枚数=必要原稿料も減る。

一方、大事な収入源である広告は減らせない。かつ、広告は文字数じゃなくてスペースを売っているわけだから、紙面における広告の割合が減らないとすると、必要原稿枚数は、相対的にますます減る。

「わかりやすくするため」なんて言っているが、これって要するに、新聞社サイドのコスト削減ではないか。もちろん、原稿料じゃなくて給料で書かれている紙面も多いが、文字数=投入リソースだと考えると、紙面作りに要するリソースを節約できるのは間違いない。

あ。「あれえ、何だか記事を書く負担が減ったのに、給料は同じだぞ」という新聞社社員が増える、という可能性もあるか。

……などという憎まれ口を叩くのはやめておきましょう。



もう1つ、新聞から。

今朝の朝日新聞の「ひと」欄。

オックスフォード大学教授になる苅谷剛彦さんが紹介されていたのだが、その、生い立ち紹介部分。

《東京の下町生まれ。高校紛争の空気が残る都立高校1年の時、ヘーゲルやマルクスを論じる級友の議論に何か違うと手に取ったのが、社会学の本だった。》

え。

マジ?

……2月19日のブログで、

《ニーチェ、ショーペンハウアー、マルクスが、一般的な「教養」かあ。/そりゃやっぱ、旧制高校の時代まででしょう。大学進学率が50%近くまで達した現在は、ちょっとそれは無理がある。》

と書いたが、これはぼくの認識違いであったか。

苅谷さんは、ぼくより10コ上。

10コ上の高校1年生が、ヘーゲル・マルクスを論じていたとは。

ちょいと驚き。じゃなく、かなり驚き。

まあ、全員が全員じゃあないとは思うけど(ていうか、思いたいけど。もしクラス全員、たとえば○○高校1−Bの生徒全員がヘーゲルを論じていたとしたら、何か気が遠くなります)。

長じて学者になるような人は、高校時代からそうなのかもしんないけど。

少なくとも、ぼくの高校時代、ぼくの周囲には、そんな人間、1人もおりませんでした。すいません。SFや推理小説ばっかり読んでました。小林秀雄を読まされて、深く考えることを断念させられてたし。なーんてね。

教養のレベルが激しく落ちたのは、意外と最近なのかもしれない。


これで、昨夜〜今朝拾ったネタを消化、と。

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