[2007年11月19日(月) ]
すいません、今日もお休みをいただいております。最近、三島某地区のゴミ収集時間が妙に早くなって、今朝はゴミを出し損ねてしまった。ので(という接続詞は、ここでは国語力的にはよくないが)、コーヒーを飲みつつ朝刊をゆっくり読む。(写真付き書籍紹介は、オフィスでやらないとやたら時間がかかるので、明日に延長。)
一面トップは、「選挙公費 水増し横行」。ポスター1枚、単価3000円だと。県議選とか市議選だと、ロットが小さくて割高になるのはわかるけど、にしてもなあ。選管さん、自分たちでもポスター作ってるだろうから、相場を知らんわけでもなかろうに。
社説の面には、「TV通販 拡大中」という記事。ち。書かれてしまったか。
というのはですね、Z会には社長ブログというのがあって、先週、そこに「みなさん、最近TVCMによってモノを買ったことはありますか?」といったことが書かれていたわけです。まあ、購買行動に及ぼすTVCMの影響は慎重に評価すべき、という趣旨なんですが。それはそれで、確かにそのとおりではある。
でも、ちょっとまぜっかえしてやろうか、と思ったぼくは、それに対して「ビリーズブートキャンプは、間違いなくTVCMの勝利だと思いますが」というコメントをつけようかな、と。
しかし。えーとですね、ここは国語力で推測していただきたいんですが、わたくし今、微妙な立場ですので、それは差し控えておいたわけですな。
というのが、「ち。書かれてしまったか」の背景です。
社会面を読む。
船場吉兆の続報が。
「取締役、自ら鶏肉発注」。
国産ブロイラーを地鶏と称して売っていた、という疑惑。
《原材料を納入していた京都市内の鶏肉業者によると、取引は約15年前から。国産若鶏を1キロあたり5500円で納入、地鶏は扱っていない。》
いかんな! そんなこっちゃ!
……と、思ったんですが、みなさん、鶏肉の納入価格に注目。
キロ5500円ってことは、100グラム550円。しかも、スーパーで売っている小売価格じゃないですよ。スーパーだと、これ、いくらぐらいで売るんだろう。20%利益を乗せるとして、100グラム700円弱。
100グラム700円の鶏肉なんて、40年以上生きてるけど、1回も買ったことないぞ。
飲食業の一般的な原価率は30%程度だというから、この鶏肉を使ってお店で1串100グラムの焼き鳥を売ろうとすると、1800円以上の値段をつけなければならなくなる。
1串1800円の焼き鳥! 超高級料理じゃん!
てか、これって、値段的には、地鶏とそんなに差はないんじゃない?と思ったわけです。
ここで、一昨日(17日)の記事と、垂渓庵先生のコメントに戻ってみてください。
垂渓庵先生、鶏肉については、十分に高級な素材を使っていると思いますよ、吉兆さん。
それに関連して。昨日、スーパーのチラシに「国産豚パラ肉ブロック100グラム48円」とあったので、そりゃ安いな、と買いに行く。
お店について、棚を見てみると、品切れ。なんだよ、と思ってよく見ると、こういう趣旨の貼り紙が。
「チラシの100グラム48円というのは間違いでした、だけど48円である程度の量は売りましたよ、(でもその値段でバカスカ売るわけにはいかないので)売り切れとさせていただきます」
( )の部分は、意訳したものです。
買えなかったけど、この貼り紙を見ることができただけで、よしとしよう。
チラシ担当者、青ざめただろうなあ。98円の誤植だろうね、多分。
[2007年11月18日(日) ]
今日もオフである。一応、仕事の材料は持ち帰っているし、このPCのDドライブにも手をつけなければならぬファイルはあるのだが、少しく逃避モード。ま、オフに仕事、というのををすすめちゃいかんのだけどね。
今日は、つい先日リニューアルオープンした、サントムーンというショッピングモールに行ってみる。
このショッピングモール自体は、おすすめするもしないもなくて、よくある巨大ショッピングモールである。むしろ、道(国道1号線)を挟んだ向かいにある、柿田川湧水公園が、ぜひ全国から来ていただきたいと思うスポット。キレイっすよ、水。カワセミも見られます。
ビックリしたのは、その人出である。なんじゃこりゃ。
ヨーカドーにとっても、少なからぬ脅威になったんではないか。三島本町〜広小路の商店街にとっては、まさにトドメをさされたかもしれない。がんばってほしいんだけど、商店街。ウナギの「桜や」だけが行列店というのは、ちょっとさびしい。
さて、サントムーンに用事があったのはカミサンであって、ぼくは近くの釣具店「イシグロ」へ行く。イシグロ、ブラヴォー!アサリ剥き身を買う。カワハギ釣りに行こうっと。八丈島ツアー仲間のスズシマさんは「コンニャクでも釣れるっすよ、カワハギ!」っつってたけど、ホントかな。
……かなり酔ってるエントリーだな。ご容赦。
[2007年11月17日(土) ]
今日はオフで、すでに飲みながら書いているため(飲みながらじゃなくてもそうかもしれないが)、尻切れトンボになるかもしれないが、ご容赦。昨日の記事の、最後の3段落は、キレイに起承転結……じゃないか、序破急……でもないか、まあうまくまとまったな、と思っているんですが。
さて、その昨日の記事に対する垂渓庵先生のコメントを読んで、はたと考えた。
ぼくもその京都の小料理屋、連れてってくださいよ……ではない。いや、行きたいのはやまやまだが。
昨日書いた、おからが産業廃棄物になっちゃうスパイラル、《もともとタダに近い→社会が豊かになって「わざわざこんなものを食べなくても」と、需要が減る→商品として出回らなくなる(余ったものは捨てられる)→おからを食べたことのない人が増える→ますます売れなくなる→ますます捨てられるものになっていく……》というのが、ものすごく一面にすぎないのではないか、と思ったのである。
京都の小料理などで使われるおからと、産廃になるおからは、そもそも出所が違うのではないか。ていうか、違うに違いない。(「違う」を2つ重ねた、あんましうまくない表現だな。)
前者は、豆腐屋さんがお豆腐を作る過程で生まれたおから。後者は、豆腐工場でパック詰め豆腐を生産する過程で生じたおから。
後者では、豆腐生産はいわば大量生産の「工業」である。だから、前者よりは安く供給できる。しかし、その過程で生じたもの、しかもさほど利益が見込めないものを、商品にしようというインセンティブは働かないだろう。したがって、おからが産廃になってしまう。
かつては、豆腐は豆腐屋さんで買うものだった。その時代は、おからもまた、豆腐屋さんの商品として生きていたのだろう(し、一部では今も生きている)。
しかし、今は多くの人がスーパーで豆腐を買う。他のものも一緒に買えてラクだし、何よりスーパーのほうが安いしね。業務スーパーなんか、300グラム入り1パックオールウェイズ39円だぜ。すいません、よく買います。
やっぱ、今日はうまくまとまらんかったな。こういうことです、豆腐を工業生産物にした主体=おからを産業廃棄物にしてしまった主体は、ほかならぬ(ぼく自身を含む)我々消費者ではなかったのか、ということです。これもまた、物事の一面だろうとは思いますが。
えーと、もう1つ。
昨夜、テレビで、吉兆のもろもろの偽装疑惑に対して、街の人々が「ケシカラン!」と憤慨しているのを見ました。
たとえば、疑惑の1つである但馬牛は、3万円ぐらいする商品だそうです。
しかも、「贈答用」と、わざわざことわってるし。
いや、街行く人々にインタビューして、その中に吉兆を利用したことのある人、吉兆の商品を食べたことのある人、今後吉兆にカネを使おうという意図がある人も含めていいけど、それがどれだけいるんだろうか、と思ったわけです。吉兆ユーザーって、日本国民の何パーセントぐらいなんだろう。
もし、ぼくがインタビューされたら、「いやー、お金持ちの人たちも、実はあんまり舌肥えてるわけじゃないんですね、その疑惑の牛肉を『さすが但馬牛、美味い!』とか何とか言って食ってたわけですよね、呵呵」とか何とか答えたんじゃないかな。
だからっつって、「産地表示じゃない、味だ!」というと、それはそれで難しい問題になるわけで。
それが直接的に吉兆に向かった(向かう)かどうかはわかりませんが、お金持ちの人の「どや、但馬牛、美味いやろ!」的なものが台無しになった怒りというか恥ずかしさは、あるんじゃないかと思います。ええと、こういうのが嫌われる発言なのかな。まあいいや。すいません。だいぶ酔ってきました。
[2007年11月16日(金) ]
昨日の夕刊社会面に、「おからを不法廃棄!」みたいな見出しが載っていて、「え?」と思った。
おからを捨てるなんて、なんともったいないことを……と思って、記事を読むと、なんと!
今は、おから、産業廃棄物扱いなんですねえ。知らんかった。半分は家畜の飼料にされるけど、あとは、ほとんど捨てられるとのこと。へー。なんてこったい。
99年の最高裁判決でも、「おからは産業廃棄物である」と言い渡された由。マジかよ。
これが飽食ニッポンってやつか。
でも、スーパーに行くと、おから、商品として売ってるよな。あれは、商品にするために、ことさらに作ったおからなのか?
三島に、笑栄通りという商店街がある。そこに、1軒の豆腐屋さんがある。
もう10年以上前になるだろうか、そこを通りかかったとき、店先に「ご自由にお持ちください」と書いて、ビニール袋に入ったおからが置いてあった。
ぼくは、ありがたく2袋いただいて帰り、家に帰って料理して、美味しく食べた。
つい先日、その豆腐屋さんの前を通りかかったところ――ビニール袋に入ったおからは変わらずにあったが、しかし、値段がついて商品になっていた。
それを見て、ぼくはむしろ、「おからもタダではなくなったのか」と思っていたのだが。
おそらく、こうなったのではないか。
もともとタダに近い→社会が豊かになって「わざわざこんなものを食べなくても」と、需要が減る→商品として出回らなくなる(余ったものは捨てられる)→おからを食べたことのない人が増える→ますます売れなくなる→ますます捨てられるものになっていく……。
このスパイラルを脱するには(何で脱する必要があるの?と問われると、「せっかく食べられるものを捨てるなんて、もったいないじゃん」程度の答えしかないが)、おからを美味さを知らしめるしかないだろう。
そこで1つ提案。
産業廃棄物処理場へ向かうトラックを、給食センターへ向かわせ、学校給食には必ず毎日1品、おから料理を入れることにすればよいのではないか。
マクドナルドは、顧客がガキの頃に自社の味を刷り込むことを戦略にしていると聞く。
同じように、ガキの頃におからの味を刷り込んでおけば、オトナになっても、「ああ、たまにはおから、食いたいなあ」となるのではないか。
現在20代の人たちは全く感じないだろうが、40代の人たちは、時々「クジラの竜田揚げ、食いたいなあ」と感じるように。
[2007年11月15日(木) ]
昨夜は「編集者の会」という集まり。半蔵門で飲む。初参加だったので、というより、今日は絶対帰る!と固く心に決めていたので、そんなに激しくは飲まない。
しかし、他社の編集者さんから「え。今日、お帰りですか」と言われて、「ああ、泊まりにしといて、激しく飲めばよかった!」と後悔。次の集まりのときはそうしようっと。
グーグルのブック検索についてのプレゼンを聞いたのだが、うーむ、恐るべし、グーグル。このままだと、ホントに世界を支配しちゃうんじゃないか、という勢いを感じる。グーグルのみではなく、対抗する勢力が残っていたほうが、社会としては健全なような気がするんだけど。10年後、どうなっているものやら。
帰りは、浜松行き「こだま」というキケンな新幹線に乗ったのだが、同行した同僚アーさん(禁煙車両乗車)に、三島駅直前でケータイをブルブル鳴らしてもらう。いやいや、激しく飲まなかったんで、大丈夫、寝てませんでしたよ、『ウェブ炎上』って新書1冊読みましたがな。
さて。先日、国税局のDMの話を書いた。今朝の新聞に、来年、消費税は上げない、という記事が載っていた。それとこれが結びついて、ちょっといいことを思いついた。
「税金が戻ってくる」というのは、おそらくみんな、嬉しいよね。
消費する、つまりカネを使う際に、消費税をまず一律20%徴収する。ヨーロッパ並みだな。
そのうち、領収書やレシートがある分については、半分の10%分が年末に戻ってくる、というふうにしたらどうだろう。
各個人が企業並みにPLやBSを家計について作って、それを税務署に提出し、消費支出にあたる部分には20%の消費税を払っていると見なして、税額の半分を戻す、でもいいかもしれない。
いずれにせよ、ポイントは、一度納めた税金が戻ってくる、というところである。
太っ腹な人は、「いいよいいよ、社会福祉にでも役立ててくれい!」と、税金還付の手続きをしないかもしれない。……あんましいないか、そんな人。
ベランダのミニトマト、ここに来て、再び実をつけ始めた。

[2007年11月14日(水) ]
シャア専用ケータイ「913SH G TYPE-CHAR」というものが、ソフトバンクモバイルから売り出されるということを、昨日知った。
10万円程度するらしい。
帰宅して、カミサンに話す。
「おーい、シャア専用ケータイが出るんだってさ」
「なになに、3倍速いわけ?」
「ケータイの何が3倍速くなるんだよ。でも10万するらしいぜ」
「……10万はちっと高くね?」
「でもな、充電器がシャアザクの頭で、充電中、目が光るんだってよ。充電時間が3倍速いのかもな」
「なにい! シャアザクの目が光るだと!」……ここでカミサンの目も、キラーンと光る。
まあまあ、落ち着け。よく考えなさい。ところでさ、誰かがブログで、「見せてもらおうか、連邦のモビルスーツの」何とかかんとか、って書いてたけど、あれ、なんてセリフだっけ? モビルスーツの威力だっけ? という会話に移行したところ、「じゃあ映画を観て確認しよう」ということになり、昨夜はビデオにて劇場版ガンダムを鑑賞。ヒマなんかい、ウチは。そのとおりでございます。
……しかし、この流れは、むしろ逆効果だったか。今朝、出がけに「大佐、ノーマルスーツを……」とか何とか言われる。「ララァがいうならそうしよう」だっけ。朝から楽しい家庭だ。
Z会では、中学コース会員にはおなじみのじょにー君が買いそうだな、シャア専用ケータイ。あとは、横浜事業所のK君、法務担当のK君あたりか。
それにしても、ガンダムのマーケットってのは、すごいね。
ちょっと前、安全カミソリメーカーのキャンペーンにキャラクターが使われていて、「ああ、こりゃ、もろにファーストガンダム世代をねらったな」と思っていたんだが、30代をねらえば、まずハズレはないんではないか、ガンダム関連商品。
そこから考えたのが、「そういや、パチンコ台はないよな、ガンダム」ということである。
6年前にきっぱりパチンコをやめたぼくでも、テレビCMで「7のつく日はセブンの日、パチンコウルトラセブン」「仕事が終わったら仕事だぜ、パチンコ必殺仕事人」というのを見ると、「おお、ちょっとやってみたいな」と思ってしまうわけである。ウルトラセブン世代、必殺仕事人世代であるゆえ。
そのデンで行くと、「パチンコ機動戦士ガンダム」、30代には激しくウケると思うのだが。それこそ、シャアが画面に登場すると3倍速くデジタルが回る、とかさ。
なんでないんだろう、パチンコ機動戦士ガンダム。
テレビゲームのソフトでは、ガンダム物、いっぱいあるから、ゲームからパチンコへ流れることを危惧したテレビゲームメーカーから、ストップかけられてるのかな。
あんまし客を食い合わないようにも思う、むしろガンダムのマーケット拡大の相乗効果を生みそうな気もするんだけどな。
……と、思って、ネットで検索してみると、パチンコではないが、パチスロで今度出るんですね、ガンダム。以下、ガンダムの版権を管理する創通さんという会社のプレスリリース。
(引用始め)
平成19年9月13日
株式会社創通
パチスロ「機動戦士ガンダムU〜哀 戦士編〜」誕生
山佐株式会社[本社:岡山県新見市 代表取締役社長:佐野慎一]は、株式会社創通 [本社:東京都中央区 代表取締役社長:湯浅昭博]が商品化許諾の窓口を行なう「機動戦士ガンダム」をモチーフにしたパチスロ「機動戦士ガンダムU〜哀 戦士編〜」(以下、パチスロ「ガンダムU」)を販売いたします。ホールデビューは2007年12月初旬を予定しています。
パチスロ「ガンダムU」の筐体のデザインはガンダムメカニカルデザインの巨匠、大河原邦男氏の手によるもの。大河原氏自身のダイナミックな書き下ろしのパネル等、ガンダムファンの期待に十分応える専用筐体となっております。また、15.4インチ大型液晶では、ガンダムの名場面の数々をハイクオリティな画質で忠実に再現。さらに登場人物のセリフもすべてシリーズオリジナルの声優陣によりパチスロ「ガンダムU」のために新たに収録しました。
ガンダムのこだわりの世界観を余すことなく再現したパチスロ「ガンダムU」は、「パチスロをよく知らなくても楽しめる!パチスロを知ればさらに楽しめる!」新たなエンタテインメントマシンとして登場いたします。
株式会社創通は、パチスロ「ガンダムU」のプロモーション活動を行なうとともに、「機動戦士ガンダム」の世界観の浸透に努めてまいります。
(引用終わり)
パチスロかぁ。パチスロはやったことないんだよな。
「よく知らなくても楽しめる!」ってあるけど、よく知らなくて楽しんだら、大概、サイフがすっからかんになる。
[2007年11月14日(水) ]
フィリップ・コトラー『社会的責任のマーケティング』(東洋経済新報社)読了。

[2007年11月13日(火) ]
ブログの背景の絵、といったほうがわかりやすいと思うのだが、「スキン」というらしい。誰も違和感を覚えていないようなので、まあそう言うことにしよう。
そのスキンに、海の絵があったので、変えてみた。
これまでは、猫の絵だったのだが、あれは、別にぼくが猫好きだったからではない。デフォルトがそれだったから、別にイジリもせずにそのままにしておいただけである。
海の絵は、好きだからそうしてみた。これ、どこだろう。ひょっとして、多良間かな。
ちなみに、デスクのPCの壁紙は、多良間島の海。
それと、カウンターを外す。これはそもそも、ぼくが書き込む画面に出ているPV数とは、一致しないものなのか? その差がどんどん大きくなっていくので、うーむよくわからん、と思って外したものである。
さらに、教育ブログランキングとやらのボタンも外す。載っけて最初の何回かは、「ここをクリック」なんて書いていたのだが、最初だけで全然続かなかったからである。
今日は、同僚アーさんが第2回国語力検定の申込データを分析してくれる。かなり興味深い結果であった。ナイショだけどね。ほっほっほ。
まあ、オールウェイズ前向きなぼくにとっては、なかなか心強い結果であります!
[2007年11月13日(火) ]
一昨日の日曜日は、完全オフでした。
起きて新聞読んで本読んで映画観てメシ食って本読んで図書館行って買い物して映画観てフロ入って酒飲んでメシ食って寝る……と、変わり映えのせん休日やな。
映画は、ショーン・ペン主演の『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』と、ジャン・レノ主演の『エンパイア・オブ・ザ・ウルフ』。
前者はねえ、家庭も仕事もうまくいかない中年男が、破滅に向けて進んでいく、という救いのない映画。「おいおい、それやっちゃダメだろ!」と、思わず映画に突っ込んでました。身につまされる、という部分もあったのかなあ。……縁起でもない。後者は、何だかよくわかりませんでした。意地で最後まで観たって感じでしょうか。途中で切り上げて早くフロに入ればよかった。
読書は、まず、武田邦彦『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』(洋泉社)。


[2007年11月12日(月) ]
もろもろ偽装が相次いでますな。○○牛とか、××地鶏とか。
1つ不思議なことは、偽装した当の業者自身にしか、つまり内部告発でなければ、偽装は見抜けなかったんだろうか、ということである。
○○牛とか××地鶏とかの生産サイドで、どれだけの量をどこの中間業者に出荷したか、帳簿につけていたとする。「いたとする」っていうか、帳簿につけるのがアタリマエだと思うけど。
さらに、中間業者サイドで、どれだけの量をどの加工業者あるいは小売店に卸したか、帳簿につけていたとする。これまた、「いたとする」っていうか、帳簿につけるのがアタリマエだと思うけど。
それらを業界全体でまとめてデータにすれば(今は、紙の帳簿なんかじゃないから、集計もラクなはず)、「おいおい、あんな店に○○牛なんてあるわけないじゃん」と、すぐわかるような気がするのだが。
中間業者の帳簿を介さなくても、生産量と流通量をカウントして、後者のほうが多ければ、少なくとも「あ、どこかがブランド偽装してるな」てことだけはわかるわけで。
あるいは、ヤミ米じゃないけど、公式の統計には表れない○○牛とか××地鶏とかの流通マーケットが存在していて、でもそれはあくまで業者同士の暗黙の了解であって、そこでは「生産量よりも流通量が多いって、そんなのアタリマエじゃん」という世界なんだろうか。
公式の統計、というところから、1つ思い出した。
日本人が1日に(1年間に、でもよいが)食べる食物の量、というのは、どういうふうにカウントしているんだろう。
それを、個人(世帯)レベルで言うと購入(消費)量、食品産業や外食産業レベルで言うと生産(販売)量、でカウントしてしまうと、実際の食物摂取量(必要量、と言い換えてもよい)とは、ずいぶんかけ離れてしまうんではないか、と思うのである。
Z会では、弁当業者さんにお弁当を注文できるが、観察するに、重量で言うと数十パーセントの残飯が出ているのではないか、と思う。
コンビニやファストフードでは、期限切れの弁当や製品を捨てる(ことになっている)。いろんな方法で事前に需要を予測し、売れ残りが極力出ないように努力はしているんだろうけど、それでも一定割合は廃棄しているんではないか。
鎌倉のボンジュールというパン屋さんでは、7時の閉店になると、店内でゴミ袋のようなものに売れ残りのパンをドサドサ入れているのを、外から目にすることができた。「おおーい! 捨てるぐらいなら、おれにタダで分けてくれよ!」と思いつつ見ていたものだ。(美味いんすよ、ボンジュールのパン。葉山に直営のレストランがあって、食事をオーダーすると自家製パンお代わり自由。でも、2回お代わりしちゃうと、なかなか「お代わりはいかがですか?」と聞きにきてくれない……ような気がしたが、気のせいかもしれない。)
あるいは、個人レベルでも、「あら。これ、いつ買ったんだ? ヤバそうだから、もう捨てよう」と、ゴミ箱に食品を放り込んだ経験のある人は、少なくないと思う。(chikurin先生のように三ヶ月前の納豆を食べてくれる人は、極めてレアだろう。ウチでは、賞味期限2週間オーバーまで、ってところですかね、納豆は。)
といったこと、もろもろを考えると、「統計上に出ているよりも、実際にはずいぶん少ない量しか食べていないんではないか、日本人は」と思うのである。
言い換えると、「実際に必要な食糧の量は、統計上の数字よりも、だいぶ少ないんではないか」ということでもある。
もしそうだとすると、食糧自給率ってやつも、何だかアヤシイ数字になってくる。