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御茶ノ水でランチと魯山人の料理王国と、国語力検定 (2008年11月22日)
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フィギュア選手と証人喚問と、国語力検定

[2007年11月30日(金) ]

昨夜、晩飯を食いながらニュースを見ていると……あら。昨日と同じ書き出しだ。「むかしむかし、あるところに」「今は昔」みたいなもんか。と、ちょっと国語力ネタを。

それはともかく、ニュースを見ていると、フィギュアスケートの話題になった。

それを見ながら、カミサンが言う。

「フィギュアの女子選手ってさ」

「ん?」

「シンクロの選手とかもそうだけどさ」

「んん」

「なんか、目が離れてる人、多くね?」

「魚眼レンズで見たような顔ってことか?」

「いや、そこまでは言わんけどさ」

確かにそう言われると、そういう傾向がないでもないような気もする。

「ありゃ、きっと、小さな子どもの頃から、髪の毛をギューッてひっつめてるからだよ」

「ははあ、纏足みたいなもんか」

と、応えてはみたものの、ホントのところは、どうなんだろう。髪の毛の両側を後方にギューッと引っ張り続けることが、顔の造作に影響を与えるのだろうか。


続いて、政治のニュースを見る。

特捜部の人たちが、ザッザッザッザッザッザッと歩いて、防衛省の中へ入っていく。

あの人たち、いっつもあんなに背筋をピーンと伸ばして、胸を張って歩いているんだろうか。なこたぁないよな。テレビカメラ意識してるよなあ、あれ。疲れて肩落として駅から自宅へトボトボ帰る、ということもあるでしょ。

まあでも、大事なお仕事へ向かうところです、がんばってください。


引き続き、証人喚問をめぐるあれこれ。

「泥仕合」「恐怖政治」といった言葉が飛び交っていたが、不思議なのは、どうしてあんなに証人喚問を忌避するのか、ということだ。

事実を包み隠さず話せばいいだけのことだよね。それを「全会一致じゃなきゃダメだ」「そっちがそうするなら、こっちは参考人招致だ」とやっているのを見ていると、国会は「みんなスネに傷持ってんだからさあ」的集団なのか、と、(オトナは漠然とそう思っているが)次代を担う子どもたちにまで思われてしまうのではないか。

「全会一致」の根拠として「慣例」が持ち出されているのも、次代を担う子どもたちに、あまりよろしくない影響を与えるのではないか、と思う。「慣例」が生まれた(そして今も生き続けている)納得性のある背景・根拠まで示してあれば別ですが。それ抜きに「慣例」が特権的な位置を占めてしまうのは、いかがなものか、と。


さて。11月20日の記事で取り上げた、デイヴィッド・リンドリー『そして世界に不確定性がもたらされた』(早川書房)。



朝日書評に取り上げられる率80%と書いたが、読んでみて、ちょっと微妙な気がしてきた。同ジャンル同版元で少し前に取り上げられた(このブログでも取り上げた)『エレクトリックな科学革命』のほうが、読み物としては上かなあ。「へえ」というのが、『エレクトリック〜』に比べて少ない気がした。

もし、書評に取り上げられ、評者が一部を引用するとしたら、

《これまでにあげた例に共通している要素は、絶対的な真理というようなものは存在せず、見えてくるものは何を求めているかによって変わり、物語は話し手や演じ手のみならず聞く側や見る側によっても左右されるという考え方である。ここには少なくとも、ハイゼンベルクが測定という行為に関して述べたこととの隠喩的なつながりがある。この意味では、現代思想を苛んでいる相対主義(社会学者が好んで言うように、だれの話であれ、「特別視」すべきものなど一つもなく、あらゆる見方に同等の根拠があるということ)の元凶としてだれかに責めを負わせなければならないなら、たぶん、アインシュタインよりもハイゼンベルクに責任をとってもらうべきなのだろう。》(p245〜246)

この一節かな。

ぼくが一番「へえ」と思ったのは、1920年代のドイツには、すでに花粉症があった、ということでした。すげー、先進国だ! ……そんなことに先進しても、いいことなんかありませんね。

ちょっと物足りない気がするので、日経BP社から出た、



こんな本も読んでみることにします。

崎陽軒と5ヶ月前の傘発掘!と、国語力検定

[2007年11月29日(木) ]

昨夜、晩飯を食いながらニュースを見ていると、画面に「崎陽軒のシューマイでも不正表示」という文字が。

何だ何だ、と思って、手をとめてニュースを見る。

原材料表示のところで、四番目か五番目に書かなければならない「貝柱」を、二番目に書いた、ということらしい。

とんでもないことだ、ケシカラン!……と思った人が、どんだけいたんですかねえ。

いいじゃん、そんぐらい、誰か迷惑をこうむった人がいるのか?と思った人も、いたんではないか。JAS法という法律に違反しているのは確かだとしても。

そもそも、原材料表示が、製品に含まれるそれぞれの原材料の重さの順番、ということを知ってた人自体、一連の偽装騒動以前には、どの程度いたんだろうか。(そういえば、「水」って原材料表示、見かけませんね。トーフなんか、ほとんど水で、味も水に左右される部分が大きいと思うんだけど。)

昨日の時点では、問題の不正表示の商品は回収する、ということであった。

まさか、捨てちゃうんじゃあるまいな。捨てるぐらいなら、タダで配れば、と思う。みんな喜んでもらうぜ、きっと。

ていうか、一種の宣伝なんではないか、とも思ってきた。12月1日から新しい包装紙で販売再開とのことだが、「どれどれ、原材料表示はどうなった?」と、その興味で買う人もいるだろうし、包装紙以外はこれまでと全く同じなわけだから(つまり買い控えるような理由は全くないのだから)、「これが話題の崎陽軒」とお土産に選択する人も、むしろ増えるんではないか。

※ここまで書いた時点で、崎陽軒のHPを見ると、《(11月28日(水)、真空パック等:直営店舗における廃棄数量 約15,000本)》との記載が。ああ、15000パックも捨てちゃったか! 同時に、《臨時的に一部製品については、正しい表示のシールを作成し、貼付し、本日より出荷を予定しております。》ともあったが、全部こうすれば(シールなりチラシなりで対応すれば)よかったのに。


さて、昨日は、八王子方面の学校を訪問する。先生方から、国語力検定に対する有益な提言を多々いただく。ありがとうございました。

帰途、新横浜での乗り換え時に少し時間があったので、ずーっと前の飲み会のときに忘れた傘を(大した期待もせずに、一応)取りに行く。

実に、5ヶ月前に忘れた傘である。

それが、ちゃんと置いてあったのである!

すばらしい! 新横浜駅前の「若竹」というお好み焼き屋さん、ブラヴォー!

「ええ、もちろん預かっておりますよ」という対応ではなく、「そこにまとめてカサ置いてありますんで、もしあるとしたらその中なんで、探してください」という対応だったのだが、いやー、あるとは思わなんだ。

やっぱ、傘の柄に名前は彫っとくもんですな。似たような傘の中から、すぐに見つけられましたよ。


今日のことば:野家啓一『双書哲学塾 歴史を哲学する』(岩波書店)より。



《われわれは歴史の内部に属し、歴史的出来事に巻き込まれながら歴史を認識し記述するほかはありません。その意味で、歴史は常に有限のパースペクティブをもった一定の視点からしか語り得ないものなのです。ただ、重要なことは、いかなる視点に立ってどのようなパースペクティブから語っているか、その歪みや先入見に自覚的であることだと言えます。その自己言及的な自覚こそが、歴史認識の「客観性」へ通じる唯一の通路にほかなりません。》(p52)

《「客観的事実」を金科玉条として振りかざす人は、その実、自己のパースペクティブから切りとった一面的「事実」を絶対化しているにすぎないのだと言えます。》(p89〜90)

この本、いいなー、と思ったのは、閉じてないこと、読者の興味関心が広がっていく仕掛けになっていること。随所に挟まれる文献紹介に、つい「おお、おもしろそうだな、これも読まなきゃ」と思わせられる。(なわけで、また10冊ほど読まねばならぬ本が増えてしまった。)

『ほんとうの「国語力」が身につく教科書』第1部には、こういう本を……と思ったが、さすがに十代前半の子にはちっと厳しいか。大学の学部生向けらしいけど、『ほんとうの〜』第1部・十代後半向けバージョン(いずれ作りたい)の候補としておこう。

LEONのキャッチコピーと、国語力検定

[2007年11月28日(水) ]

先週、LEONという雑誌の広告を新聞で見る。

LEON、ご存知の方も多いと思うが、「ちょい不良(ワル)オヤジ」という言葉を流行らせた雑誌である。ついでに言えば、最近の鳥越俊太郎さんとついイメージがダブってしまう雑誌でもある。

あんまし大きな声では言えないが、「うーむ、おれ、あと何年したら買おうか、いや、ひょっとしてもう買ってもいいのかな、でも、これを書店で買うのはかなりハズカシイ気もするしなあ、一緒に週刊朝日と週刊新潮を買って、それらに挟んでレジまで持っていけばいいのか」などと考えている雑誌でもある。

そのLEON、久々にナイス!なキャッチコピーをとばしてくれた。

《いま、モテる靴は「男らシック」》。

「男らシ」の3文字には傍点が付されている。解説するまでもないが、「男らしい」と「シック」を合成させたのであろう。

と、一目でわかった如く書いたが、実はそうではなかったのである。

「へ? ダンラシック? 違うな、男たち(=男ら)がシック、という意味か?」と、一瞬混乱したのである。

数秒後、「男らしい」+「シック」とわかって、爆笑した次第。

いやー、このセンス、西鶴にも通じるものがありますな。……ちと違いますか。すいません。でも、国語力検定でいうところの「総合的国語力」が問われる、とは思う。


「久々に」と書いたが、これ以前で爆笑したものも紹介しておく。

《ちょい不良オヤジは“スケテロ”シャツで「乳リッチ」》。

「スケテロ」は、「スケスケでテロテロぐらいの意味だろう」とわかったが、これも「乳リッチ」に一瞬混乱したのである。

「チチ……リッチ? 何だそりゃ?」

これも、「乳リッチ」=「ニューリッチ」だと(まず読みを)理解するのに、5秒ほどかかった。5秒後、爆笑した次第。

スケスケってことは、素肌にシャツを着てチクビがポツンと出ているようなのが「乳(ニュー)リッチ」ってことか。ははあ。

それ以降、たまにユニクロのSサイズ下着Tシャツを着ては、「どや、乳リッチやろ?」とカミサンに言うようになってしまったわけである。

ところで、今年の夏、朝日小学生新聞のイベント出展の際、スタッフみんなでお揃いのTシャツを作ったのだが、そのとき。

「カワフチさん、Tシャツのサイズどうしますか?」

「おれはニューリッチだからSサイズで」

「はいはい、Mサイズね」

……乳リッチ計画は、アッサリ却下されてしまったのであった。てか、「ニューリッチ」が何を意味するか、即座に了解されていたわけで、うーむ、なんという広告効果、恐るべしLEON。

看護士を「輸入」?と、国語力検定

[2007年11月27日(火) ]

一昨日の日曜日、三島では、月がおそろしいほど大きく、明るく見えた。



こんな感じである。


昨日の朝日夕刊に、「オヤジにも叱られたことないのに」とか何とか言って、上司を殴っている若者のイラストが載っていた。……ガンダムだ。またガンダムだ。恐るべしガンダム。

Z会の通信教育や教室でも、3年間のカリキュラムを1年で終わらせる「シャア専用コース」とか作れば、結構売れたりして。教材の表紙はすべて赤。添削も赤字で……はアタリマエか。


さて、先週の読書。

前間孝則『悲劇の発動機「誉」』(草思社)を読む。写真はナシ。

この本からはちょっと離れるが、戦時中、ゼロ戦の部品を飛行場まで牛車で運んでいた、というのを読んだことがある。牛車。平安時代の貴族のようだ。

「誉」という、戦時中に開発された、航空機用の高性能エンジンの話なのだが、その開発に携わった人たちが、戦後、プリンス自動車→日産自動車で働いたんだそうな。

「技術の日産」というスローガンの背景には、そういう企業文化があったわけね。なるほど。トヨタに比べると、商売はあんましうまくない(ために、ルノーの傘下になっちゃった)というのも、企業文化の1つだったんだろうか。


神野直彦『教育再生の条件』(岩波書店)を読む。写真はナシ。

同内容の繰り返しの多さがちと気になったが、以前、ウォルマートについての記事の中で「低コスト低価格の追求はキリがない、いずれ行き詰まる」と書いた、それは漠然とした「行き詰まる」感だったわけだが、どうして行き詰まっちゃうのかの理屈について、「なるほど」という記述があったので引用しておく。(やたら一文が長かったですね。国語力的にはあんましよろしくないですね。)

《日本では人間が「学ぶ」ことを否定しようとする。というのも、人間はコストを高める妨害物だと見做す日本では、「学ぶ」ことのない人間でも遂行できるような単純な職務に可能な限り分解して、労務コストを低めることに全力が傾けられるからである。》(p25)

「学ぶ」ことへの見解の当否は措いておくとして、労務コスト削減については、ほぼ当たっているでしょう。では、このコスト削減努力が、どのような方向に行くか。

《より単純労働に分解して、非正規従業員などの正規従業員以外の雇用を拡大しようとする。あるいは低賃金を求めて、海外へフライトしていく。》(p124)

これも、ほぼ現代の趨勢を言い当てているでしょう。その結果、どうなるか。

《そうして低価格を実現したところで、それを購入する購買力は存在しないため、生産物があふれ出たとしても、販路を断たれることになる。》(p124〜125)

なるほど、確かに。労働者は消費者(購買者)でもある、という観点が、コスト削減=労務費削減という発想中には、あんましないかもね。

……これも、この本の主旨からは、ちょっと離れてました。ちょっと主旨にかするかな、ということで、次の一節を紹介。

《学校教育では学力で生徒を序列づける。つまり、生まれとは無関係に学力で序列づけられると信じられている。生まれとは無関係に進学が決まる。さらに受けた学校教育によって、所得と階層が決定される。それ故に、メリトクラシーにもとづく市場の所得格差は正しいとされ、貧しい者は能力がないのだとしてあきらめなければならない。この「あきらめ」も、学校教育により序列づけられる過程で身につけていくものである。つまり、市場社会に組み込まれている実質的不平等を形式的平等で糊塗することこそが、学校教育の使命なのである。》(p130〜131)

スウェーデンの社会や教育についての事例紹介が興味深かったです。全然知らんかった。もっと突っ込んで調べてみようっと。


西沢江美子『あぶない肉』(めこん)を読む。



どうも主旨とはズレたところにばかり目が行ってしまうのだが、次の一節。

《「自由貿易協定(FTA協定)」という言葉をよく耳にする。聞こえはいいが、要は二国間で政治的に物を売ったり買ったりしようというものだ。たとえば、タイから鶏肉や看護士を輸入して日本から自動車を輸出するといった具合。》(p131)

最初、「看護士」は何の誤植かいな、と悩んだ。カンゴシと似た発音を持つ一次産品は何だろう、と。いや、タイからの輸入品といえば、農産物か海産物だろう、という思い込みがあったわけですよ。

ところがですね。

調べてみると、現在、看護や介護や福祉の分野で、フィリピンやタイから人材を受け入れているそうだ。誤植じゃあなかったんですね。

ただ、それでもやはり、この記述には多少の違和感を覚えた。

看護士が、「売ったり買ったり」される、「輸入」「輸出」される、「物」なのか?と。

ビートルズは英国の大事な輸出品、と言われたけどな。ありゃ、比喩的な表現ではなかったか。

四国・松山放浪記その3と、国語力検定

[2007年11月26日(月) ]

(承前)

もう、撮ったケータイ写真使わなきゃ、という感じなんですが。

子規選集を出している出版社の人間として、ここには行かねばなるまい。

ということで訪れたのが、愚陀仏庵。



正岡子規と夏目漱石が、一緒に暮らした下宿です。



1階は子規、2階を漱石が使っていたそうです。



昔の家、という感じですね。



他に誰もいなかったので、縁側〜座敷にかけて横になり、再び来し方行く末に思いをめぐらす。

則天去私、か。

それから、すぐ近くにある、



「坂の上の雲ミュージアム」へ。ここも、諸々の理由により、訪れねばなるまい。

入場料400円。かなり立派な建物だからね、それぐらいは取らんとね。

さらに、少し歩いて、



「秋山兄弟生誕地」へ。

入場料200円。そのときは客がぼく1人だったので、スタッフの方が30分ほど、ずーっとぼくにつきっきりで展示物の説明などをしてくださる。それを考えると、うわ、200円でいいの?という感じであった。ボランティア、とおっしゃってはいたが。

秋山兄弟の三代だか四代だか後の人が、秋山テツジさんという方でね……というスタッフの方のお話に、思わず吹き出しそうになったのは、Z会の楽屋落ちです。いや、Z会にも秋山テツジさんという人がいるんですよ。



これが、秋山兄弟の弟、秋山真之さんの像。



秋山兄弟の兄、秋山好古さんの像。

秋山兄弟、天才とか何とかと称揚する向きもあるけど、徹底したリアリストであったことが、その……うまい表現が酔った頭では浮かばん。徹底したリアリストでありえたことが、すなわち天才なのかもしらんけど。

山本七平さんが、黄中将を「自らの決断への忠誠」と表現していたけど、秋山兄弟もそうだったんだろうな、と思いました。いかん、小学生の作文かよ。ご容赦。

あ、そうだ。「坂の上の雲ミュージアム」、小学校就学前の小さな子を連れて入場してる人がいたけど、やめたほうがいいと思いますよ。だって、おもしろいわけないですもん、その子。おもしろくないと、どうするかっつーと、壁や展示物や展示ケースをバンバン叩いたり奇声を発して駆け回ったりするわけですな。

親じゃなくても、そういうときは子どもを叱るべき、と思うかもしれませんが、ぼくはむしろ、親に対して、「おいおい、こんなとこ連れてくんなよ、かわいそうに」と思いましたね。

四国・松山放浪記その2と、国語力検定

[2007年11月25日(日) ]

(承前)

土曜日は横浜で勉強会。それについてはまた書くとして、松山編を片付けておこう。

んなわけで、温泉にでもつかって、来し方行く末に思いをめぐらすことに決定。



こんな電車に乗って、温泉場へ向かう。

着いたところが、



この駅。ここからしばらく歩いて、



やっぱ、道後温泉本館でしょう!

タオルは、レンタル50円、販売200円。



やっぱ、買いでしょう!


温泉につかりながら思う。

「あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ」

……そりゃ湯田温泉だって。ここは道後温泉。

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」

このシチュエーションではちょっと違うか。

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」

うーむ、ぼくの親は無鉄砲とは言えないと思うが、ぼく自身は多少無鉄砲気味なところもあるんで、これにしておくか。当該作品の主人公、「無鉄砲」というより、「ええかっこしい」的要素も多分にあると思っており、それも含めて、ということで。


いいお湯でございました。やっぱ体の芯からあったまるね、温泉は。ポッポポッポする。当初は、ホテル近くまでまた電車で戻ってからビール焼酎メシ、と考えていたのだが、道後温泉本館横に、



こんなのがあると、うー、ここで飲みてー!となってしまったのでありました。



「漱石」ビール、グラス470円。ちなみにジョッキは850円。お通しなどの料金はナシ。つまみもそんなに高くはないしいろいろ美味しそうだし、焼酎ボトルも3000円台だし、出張で来る→業務終了→道後温泉本館へ→風呂上りにここで飲み→泥酔して(しなくていいけど)松山市街のビジネスホテルへ、というのは、十分アリだと思いました。

てか、今日ももう、かなり酔っております。申し訳ございません。

(この項続く。明日で終了)

四国・松山放浪記その1と、国語力検定

[2007年11月23日(金) ]

昨日一昨日は、四国・松山ツアー。国語力検定の一層の発展を祈願するため、八十八箇所巡り……ではなく、出張である。

しかし、羽田空港の松山便待合室は、お遍路さんと思しき老人でいっぱいであった。

ところで、最近、航空券というものが消えつつある。薄っぺらい紙に印刷されたバーコードを、読み取り機にかざし、ピッと読み取らせて、種々のゲートを通り過ぎる、というのが主流である。

これが、老人にとってはなかなか難度が高いようなのである。

「松山便、ただいまより機内へとご案内いたします」

そのアナウンスを聞いて、老人のみなさんが列をつくり、ゲートを通り過ぎようとする。

しかし、バーコード読み取りのところでつまずいちゃう人が、かなりいるのである。

空港の係員が、同じことを何度も何度も大声で叫んでいる。

「手荷物検査のところでピッとやった紙、持っていらっしゃいますか? 違います、それじゃなくて。違う違う、それでもありません。そーう、それそれ。それをですね、はい、ここにかざしてください。あー、違います違います、そこじゃなくて。ここ、ここ。そーうそうそう。はい、行ってらっしゃいませー」

これを、一人一人に繰り返すわけである。行列が、遅々として進まない。

こっちのほうがトータルで見た場合、便利・効率的・低コスト、ということで導入したんでしょうが、お客のみなさんが慣れてくれるまでの間は、間違いなく地上スタッフにとっては労働強化でしょうなあ。

まあ、そんなこんなで、出発が15分ほど遅れたのであった。

松山空港に着くと。

やはり、さすがお遍路さんの玄関口。



こんなものや、



こんなものがあるのでした。

さて、今日のお仕事である大事なミーティングの前に、昼飯でも食うか。

ということで、同行のMさんが連れていってくれたのが、このお店。



夜は結構なお値段の高級店なんだが、ランチは手ごろな料金で利用できる、とのこと。そのランチをいただく。



お寿司・天ぷら・海鮮サラダのセット。なんかリッチな気分。

ランチに満足したあと、ミーティングに向かう。

……国語力検定に対する有益なアドバイスを多々いただく。ありがとうございました。

その後、Mさんとホテルのロビーでしばし反省会&意見交換会。

Mさんは19時ごろの飛行機で帰ることになっていたので、適当な時間に「では、お疲れ様でした!」とする。

さーて、これからどうすっかな。

松山といえば、何だ? やっぱ、温泉?
 
(この項続く)

言えないこともある!と、国語力検定

[2007年11月22日(木) ]

今日の朝刊トップは、「橋梁型枠強度改ざん」。

全国の高速道路や国道の約9000箇所の橋梁で、この強度改ざん、というか強度を偽装した型枠が使われている、とのこと。

なーるほど、と思った。


もう10年以上前になるが、愛車S13シルビアで、何度か首都高を通ったことがある。首都高、高速道路ではあるが、渋滞でクルマがとまっている状態もかなりある。

クルマが走っている状態では、クルマの揺れはさほど気にならない。

しかし、首都高、クルマがとまっているときに、グーラグーラ揺れるのである。

最初は、マジで「地震か?」と思った。静岡県民ゆえ。

しかし、そうではなかった。トラックなど、大きなクルマが隣を通ると、道路自体がグーラグーラ揺れるのである。

こりゃおっかねえな、壊れるんじゃねーかこの道路、よくみんな平気でいるもんだ、おれはこんなところ早く通り抜けたい!と、激しく思った記憶がある。

それとも、あれは、今流行りの免震構造だったんだろうか。


新聞記事によると、「高速道路会社や国土交通省は、橋の強度には無関係として安全性を強調している」らしい。

え? ホント? 安全性には影響ないわけ? だったら、そんなに大騒ぎする問題でもないような……。てか、それだったら、定められていた基準っていうのは、一体何だったんだ? 「強度改ざん」というより、元々の基準の強度がオーバースペックだったってことにならないか?


全国約9000箇所の橋。「安全性に問題がある」なんて国が言っちゃったら、そりゃもう大変なことになるでしょうねえ。よしんば「安全性に問題がある」としても、そうはなかなか言えんだろうなあ、というのを慮るのも国語力、と。

万能細胞とブッシュ大統領と、国語力検定

[2007年11月21日(水) ]

「ヒトの皮膚から万能細胞」というニュースを見る。

万能細胞がどんなものなのか、という例として、切断されたイモリの手(足?)が再生する様子が映し出される。

おお、これって、ピッコロ大魔王じゃん! ドラゴンボールは、現実の科学のはるか先を行っていたか。

これまでは「受精卵から万能細胞」という限界があったらしく、それに反対するブッシュ大統領の映像も流される。

いわく、「生命倫理に反する」。

ちょっと違和感を感じた。あれだけ大々的に戦争をおっぱじめる人が、「生命倫理」という言葉を口にするか。

続けて、フランスのストのニュースを見る。

パリ市民へのインタビューの様子が流される。

日本語は、フランス語に近づきつつあるのだろうか。

いや、フランス語って、いわゆる「語尾上げ」だったんだなあ、と思って。

本日はこれにて終了。

「ナチズムの大儀」と静浦でカワハギ釣りと、国語力検定

[2007年11月20日(火) ]

久々の3連休だった。

なーんか急ぎの仕事を忘れてるような気がしてたんだが、今朝、気づいた。国語力検定メールマガジンの原稿だ!

オフィスへ着いて、まずはたまったメールのチェック。削除削除削除……おっと、こいつには返事をしなきゃ。

10時半から来客。非常に重要なミーティング。アウトプットは来春に。乞うご期待。

その後、原稿に取りかかって、2時過ぎに完成。

おっと、明日のミーティングで使う大事な資料も作らなきゃ。これまた非常に重要なミーティング。アウトプットは来春に。乞うご期待。

と、いうふうに、2007年度第2回国語力検定の申し込みを締め切って、あとは実施に向けたあれやこれや……だけではなく、すでに2008年度の仕込みを開始しているわけですな。

実施に向けたあれやこれや、は、同僚サーさんアーさんにほとんどお任せ、というのもありますが。



週末の読書。

ディヤン・スジック『巨大建築という欲望』(紀伊国屋書店)読了。



これは、ちょっと前の朝日書評欄に取り上げられていたやつです。まあ、割とありがちな議論でした。

議論の中味とは全然関係ないけど、1つ感じたのは、誤脱字が結構多いなー、ということ。

「大義」とすべきところを、何度も何度も「大儀」としているけど、ひょっとしてワザとだろうか。

「ナチズムの大儀」という表現に皮肉を込めた、とか。

議論の大筋とは関係ないところだけど、付箋をつけたところを2箇所紹介しておく。

《なぜ、シュペーアはシュパンダウの最後から二番目の囚人となるはめになったのか。きわめて破壊力のあるV2ロケットを考案したヴェルナー・フォン・ブラウンが捕虜収容所をすり抜けてアメリカへ飛び、民主主義の兵器庫を築くようになってからずっとのちも、シュペーアはまだ牢獄にいた。このロケットは強制労働によって組み立てられ、多くのロンドン市民を殺したものなのだ。》(p122〜123)

《(アメリカの)大学のホームページは、アメリカのテロ警戒レベルの最新情報をつねに提供し、海外旅行を計画する学生にたいし、アメリカ人であると思われるといけないので、派手な服装をしたり、白い靴下を履いたりしないよう、あるいはジーンズからシャツの裾をだしっぱなしにしないよう忠告する。ただし、もちろん、アメリカ人だけがシャツをなかに入れるような国では、そんなことはしないようにやはり気をつけなければならない。つまるところ、この戦略を真面目に受け止めるとすれば、最もアメリカ人らしく見える振る舞いが、いかにもアメリカ人に見えないように努めることになるまで、行動を修正しはじめることになる。アテネでマクドナルドに入らないのは、アメリカ人だけとなるのだろう。》(p340)

前者は、ストレート。後者は、「つまるところ」以下、ちょっとわかりにくいですが、全体としては何となくわかる。そして、著者のユーモアを感じました。

続けて、有田哲文・畑中徹『ゆうちょ銀行』(東洋経済新報社)読了。



装丁を見て、「何の絵だ、こりゃ?」と思いましたが、これは足のない象らしいです。本書中では、ゆうちょ銀行が、とっても足腰が弱いのに、図体ばかり大きい象に喩えられています。大丈夫か、ゆうちょ銀行。付箋をつけた箇所は、ありませんでした。すいません。

で、これから読むもの。デイヴィッド・リンドリー『そして世界に不確定性がもたらされた』(早川書房)



これは、朝日書評に取り上げられる率80%と見た。当たったら拍手喝采。


昨日は、これまた久々の釣り。午後から静浦港へ向かう。

イシグロで買った堤防カワハギ仕掛けとアサリ剥き身で、カワハギを狙う。

アサリを餌にするのって、初めてだったんだけど(江ノ島ではオキアミでカワハギが釣れた)、結構アタリがあっておもしろいね。

ビビビッ、とアタリ。クン、お、食った。上げてみると。



何だろ、これ。わからんな。とりあえずリリース。

お。また食ったか。でも、引きが弱いな。



チビハゼ君でした。これもリリース。

グーン。おー、引く引く。カワハギか?



あとで調べたところ、タカノハダイってやつでした。これも小さいので、リリース。

アサリ、1パックの3分の1程度しか持ってこなかった(もともと、2時間程度で切り上げるつもりだった)ので、ぼちぼちエサがなくなってくる。

まあ、アタリも楽しめたし釣れもしたし、今日はこれでいいか、と思って、最後の1投。

グイーンと竿が引き込まれる。糸がビーと出て行く。右へ左へと暴れる。ドラグが緩かったか。カワハギじゃないけど、こりゃでかいぞ。

ここで慌てて、急にドラグを締めると、糸が切れてしまう。それは逗子・小坪港で学習済み。

ゆっくりとドラグを締めて、しばらく左右へ泳がせておき、頃合いを見て引き上げる。



30センチオーバーのタカノハダイでした!

タイの仲間だし、こんだけでかけりゃ食えるだろ、と考えて、これはキープ。

氷の中に突っ込んでおいたんだが、家に帰ってもまだ生きていた。

これだけのサイズになると、腹の肉も厚い。文化包丁しかない我が家では、捌くのにひどく難儀する。頭をつけたまま塩焼きにしようと思ってたんだが、ええい、メンドくさいや、と、頭を切り落としてワタを抜き、腹の中を洗う。



塩焼き完成。真っ黒になった皮は固くて食べられなかったけど、皮をバリバリとはぐと、下にはキレイな白い身が。おお、タイだタイだ。

モノ(場所? 季節?)によっては、臭くて食えない魚だそうですが、全然匂いもなく、しっとりとした身に程よい脂がのっていて、大変美味しゅうございました。

静浦の冬のタカノハダイ、キープすることにしようっと。

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