ご本人も、メダルの可能性はゼロだろうとわかってるんだろうな、それでオリンピックに出るってのもどうよ、それこそ参加することに意義があるってかぁ、と、ひねくれたことを思っていた陸上・短距離走。
いやー、400メートルリレーは、素直に感動しました。
一人一人は、100メートル走で入賞もできなくても、四人のチームなら、世界で三位に入れるんだ、と。
おそらく、これをネタにビジネス話を書く人もたくさんいるだろうから、ぼくはよしておきましょう。
しかし、朝原選手、36歳でメダルか。陸上の短距離で。すげーな。
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岩戸佐智夫『著作権という魔物』(アスキー新書)読了。
既得権を持っている人は、変化が怖いんだろうな、ということが、ヒシヒシと伝わってくる一冊。
これは、著作権をめぐるアレコレに限らず、いずこの世界でも同じですね。
例によって、いくつか引用。
《TOKYO MXがYouTubeを介して都知事と都民の対話を開始した(中略)今の都知事と都民の対話がどれだけの意味があるのかわからないが、いずれにせよ業界が新しい姿を模索していると言える。》(p19)
これは、国語力的におもしろかった箇所。
さて、「今の」という修飾語のかかる範囲は、どこまででしょう?
「都知事」までか、「都知事と都民」までか、「都知事と都民の対話」までか。
筆者の意図が「都知事」までで、石原さんも同じように解釈したとしたら、石原さん、「失敬な!」と言いそうですね。
その場合、筆者は「いやいや石原さん、誤解ですよ、『今の』は『都知事と都民(の対話)』までかかっているんですから。石原さんも都民と話していて、ウンザリすることあるでしょ?」と切り返しができる。
……でも、そうすると、逆に都民から「失敬な!」と言われるか。
その場合、筆者は「いやいや誤解ですよ、YouTubeを介した部分的・間接的な今の対話では、という意味です」と切り返せばよろしい。
おお、これ、毎小のネタに使おうっと。
《人はその場の利益しか考えないものだ。/浜野は言う。/「IBMがコンピューターの未来を見誤ったようにね。そしてAT&Tがインターネットの未来を見誤ったように……。みんな得意なところで失敗する。その分野について詳しすぎるからでしょうね」/そして実体がわからなくなる。》(p112)
「実体」は「実態」じゃないかとも思いましたが、いや、「みんな得意なところで失敗する。その分野について詳しすぎるからでしょう」というのは、勉強になりました。たしかにそうかもしれない。いや、そうに違いない。
Z会も……みなまで言わずにおきましょう。
《かつてテレビコンテンツがなかなかブロードバンドに出ていかないので、自民党のある議員から、著作権法からテレビコンテンツのブロードバンドに対する複製に関する権利を除外してしまえという意見が出た。その瞬間みんなざあっと血の気が引きました(笑)。そういう鶏口を断つために牛刀を以てするような議論はしてはいけない。》(p209〜210)
うむ、たしかに、「鶏口を断つために牛刀を以てするような議論」は……あれ?
「鶏口を断つ」?
これを、「鶏を断つ」でいいんじゃないかな。
と思って、調べてみる。
原典は、「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん(割鶏焉用牛刀)」ですね。
「鶏口」を使った故事成語は、こっちのほうです。
「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ(寧為鶏口無為牛後)」。「鶏口牛後」という四字熟語でもおなじみですね。
おそらく、この二つが合体しちゃったんでしょう。
……おお、今回は割と国語力的だな。
《著作権は財産権とともに人格に大きな権利を持たせている。この取材を始めてから、考え続けてきた。それは何故か……。誇りということに尽きるのだと思う。(中略)この法律を定めた者は人の誇りと言うものに焦点を当てたのだ。》(p228〜230)
……そうかなあ。個人的には、とてもそうとは思えないんだけど。ま、そのへんは、人それぞれなんでしょう。
《インターネットで産業構造が本格的な変化を起こした時、主に取り残されるのはネットやコンピューターに対応できないお年寄りだ。それはあなたの父や母、あるいは祖父や祖母かもしれない。それを忘れないでほしい。》(p246)
ぼくの両親は、間違いなく取り残されたまま一生を終えて、でもそれを不幸とも何とも感じないだろうと思いますけどねえ。両親、70前後ですが、今さらPCを購入するとは、とても思えない。
ここは、お年寄りを材料にしても、あんまり説得力はないか、と。
《この話はワーキングプアと言った問題にも直結していることなのだから。》(p246)
直前の引用からの続きだが、これ。お年寄りとワーキングプアが、どうもうまく結びつかない。
そもそもお年寄りを働かせちゃイカンだろ、とも思うし。