[2008年07月27日(日) ]
今朝の朝日新聞でおもしろかったのは、「読書」面ですかね。
その中の、『さらば「受験の国」』という本の書評。
ほめていいものやら、けなしていいものやら、書評担当さんが揺れ動いているようにも読める。
最後の結論部分では肯定的評価を下しているんだけど、立場上そういうオチをつけただけであって、全体としては、肯定的評価の形を借りた否定的評価なのか、とも読める。
というわけで、国語力的になかなかおもしろい素材である。
評価にかかわる部分だけ、順をおって抜き出しておこう。
《直截、生硬で、ステレオタイプ的文体というほかない。腰が引けた。》
↓
《違和感が共感に微妙に変化しはじめた。》
↓
《著者はエピローグで、「私は、人と共感し、知的で理性的な思考をしようと努力する、リベラルなアクティヴィストだ」と宣言する。日本で何人の若者が、そして大人が、臆面もなく自己をこう定義できるのだろう。》
↓
《この本はまだ青い、けれども正しい果実である。》
以上です。いかがでしょうか。
3つめの引用中の「臆面もなく」という表現、またこの表現を含む文が反語になっているところに、ぼくなぞは味わい深さを感じてしまったんですが。
……版元を見てみると、朝日新聞出版ですね、これ。
ますます、国語力的にはおもしろいシチュエーションだ。
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昨夜は、「めぞん一刻」を観る。
「めぞん一刻」は、ぼくが初めて単行本を全巻揃えた漫画である。
あれは、二十年以上前、大学生のころだったか。
何度も繰り返し読んだものである。
なので、「めぞん一刻」に関しては、少々うるさいのである。
昨日、新聞のテレビ欄での紹介を読んだ時点では、「こりゃ、響子さんじゃないだろ」と思って、観るつもりもなかったのだが、ちょうど番組開始時間ごろにザッピングしていて、つい観始めてしまう。
こんなのは響子さんじゃない、違う違う違う違う、響子さんはこんな声じゃない(聞いたことないけど。妄想の中の声ってやつね)と思いつつも、最後まで見て、ラスト、不覚にも泣いてしまう。
ああ、昔も、同じところで泣いたなあ。
プロポーズのとき、響子さんが「私よりも長生きして」と言うところ。
五代がお墓の前で「あなたをひっくるめて響子さんをもらいます」と言うところ。
それを聞いて、響子さんが「この人にあえてよかった」と泣くところ。
一瞬、二十年前に戻りました。
……セリフ、ちょっと違うかもしれません。なぜかというと、今、単行本は手元にないから。結婚して引っ越すとき、田舎に送っちゃったんだっけ。おそらく、処分されてしまったことでしょう。
ああ、手元に置いておけばよかった、と、昨夜、激しく後悔。
全巻オトナ買いするか。ブックオフで。それはオトナ買いとは言わんか。
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ゴーヤ3号収穫。


