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天佑でいいのかと開国期日本と、国語力検定

[2008年06月15日(日) ]

昨日の朝日新聞朝刊に、自民党の偉い人のインタビュー記事が掲載されていた。

その人がどうのこうの、ではなく、その記事が国語力的におもしろかったので、誰が、とは書かないが引用しておく。

《――近く内閣改造に踏み切れば、衆院解散は当分はなくなりそうですか。》

これはインタビュアーの発言。これに対して。

《解散を念頭にするものではない。閣僚選んでなんですぐ解散しなくちゃいけないの。与党が衆院の3分の2の議席を持っていることも天佑なので、この権利を捨てることはない。相手が早く選挙をやりたがってるんだから、その手に乗ることもない。負けたりしたら自民党は終わりでしょ。》

3分の2の議席を持っているのが、「天佑」かぁ。

「民意」ではなく。

「天佑」で政権が決まるのも、どうかと思ったわけです。

また、この答えだと、国語力的には、「選挙をすれば負ける」と言っているようなもんだと思ったんですが、選挙をすれば負けるって、イコール民意を反映していない、それを十分認識しているってことですよねえ。

世論調査なんぞアテにならん、今選挙やっても自民党は圧勝だ、だけど、これこれこういう理由で解散するわけにはいかんのですよ、という流れのほうが(たとえそれが本心ではなくても)、よかったんではないか、と思った次第です。

ま、でも、正直な発言である、と評価することもできるのか。



石川榮吉『欧米人の見た開国期日本 異文化としての庶民生活』(風響社)読了。



この手のマジメな、というか何と言うか、カッチリした本にしては、誤植が目立つなあ、と感じたが、巻末にあった「刊行にあたって」という文章を読んで、ああ、なるほど、そういうことね、と納得した。

《本書は私の恩師である石川榮吉先生の手書きの遺稿本である。(中略)これを是非世に出したいと思いワープロ化の作業を進めた。》(p240)

この、ワープロ化の作業ですね、原因は。

《ドイツ人F・A・リュードルフは(中略)日本の若い娘たちは本当に美しい要望をもち、抜けるほど白い顔をしていると印象を記している。》(p23)

美しい願いを持っている、でも、意味が通じないことはありませんが、やっぱここは、「美しい容貌をもち」ですよねえ。そして、手書き原稿の段階で、このような誤記をするとは、まず考えられない。

《これを書いたときのクララはまだ十六歳の少女である。それにしては男女関係の機敏によく通じたものと、半ばあきれ半ば感心させられる。》(p81)

これも、「男女関係の機微」でしょう。そしてこれまた、手書き段階の誤記じゃあないでしょうね。

いわゆるDTP化の進行と比例して、出版物に誤植が増えた、というのを実感したのでありました。

手書き原稿を見ながら一字一字活字を拾っていた時代にはなかったでしょうね、少なくとも同音異義語系の誤植は。

さて、本筋(かな?)のほうから、いくつか引用。

《日頃私がいささか疑問に思っていることをちょっとばかり書き添えておく。それは映画やテレビの時代劇に出てくる女性の化粧についてである。ほとんどの劇で彼女たちは、裏店のおかみさんであろうと武士のご新造であろうと奥様であろうと、眉は黒々、歯は真っ白のままである。しょせん作り物の劇とはいえ時代考証とはその程度のものなのだろうか。》(P32)

江戸時代、結婚した女性は、眉を剃って歯を黒くしたそうです。これが、開国期日本を訪れた欧米人には、きわめて不評だったようで。

ただし、剃眉お歯黒は正妻だけで、いわゆる二号三号さんは、その必要がなかった由。

で、著者はこう書く。

《時代劇に出てくる既婚婦人たちは皆、おめかけさんなのだろうか。》(p32)

鹿児島出張の際、地元では、篤姫で盛り上がっていた。

少なくとも篤姫さまは、正妻だよな。

大河ドラマで、剃眉お歯黒の篤姫さま登場……は、やっぱり不評か。

《東京で男女混浴の禁止令の出たのが一八六九年(明治二)であったとはすでに触れたところではあるが、一八七二年(明治五)には人前で裸になったり肌脱ぎになったりすることも禁止されている。これまた欧米人の直接・間接のクレームによるものであった。》(p52)

人前で裸になるなんてとんでもない、公序良俗に反する行為だ、潔癖な欧米人には耐えられない、ということだったようです。

欧米人にそれを強制したわけじゃないし、自分たちが裸にならなきゃいいだけの話なんですけどね。

《ところが、女性のばあいは禁令をまたずに裸をかくし始めた。これまた欧米人の影響によるものであったが、ただし、それは欧米人の非難をかわすためではなく、逆に彼らの好色卑猥な視線を避けんがためであった。》(p53)

キミらがジロジロ見るから、恥ずかしく感じるようになっちゃったんだよ、ということです。慎みがないのは、一体どっちだよ、と。

《一八六六年(慶応二)夏から約一年間日本に駐在したデンマークの海軍軍人スエンソンは、日本の官僚・役人の悪習として、酒にすぐ手を出すこと、無類の女好きなことを指摘している。これは近年の財務をはじめとする各省庁の高級官僚のスキャンダルのことを言っているわけではない。一四〇年以上も昔のスエンソンの指摘をみるかぎり、これは日本の役人世界の長い伝統なのだ、と思わざるをえない。》(p165)

組織文化にまでなっちゃってると、変えるのはなかなか容易ではない。だとしたら、それを前提にして考えてみたほうがいいのではないか。「そんなことはありえないことだ、考えられないことだ」から出発するのではなく。

《開国期に来日した欧米人たちは、日本人が路上で知人に出遭うと互いに腰をかがめて何か言いながら延々とお辞儀を繰り返すことを、滑稽極まりないと評していた。》(p225)

おれの親世代は、まだそういうところあるよなあ。さすがに路上じゃやんないかもしれないが、たとえばお正月に玄関口で挨拶するときなど、正座して「いやいやいや」「いやいやいや」と、10回はお辞儀してたよな。おれもボチボチ、そういう挨拶の仕方をせねばならなくなったか。年齢的に。