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自他を愛することと江戸城と、国語力検定

[2008年06月11日(水) ]

内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋)から、もう少し引用しておく。



マスメディアに対して。

《マスメディアは「驚いたふり」をするのを止めた方がいいと私は思う。/その修辞的な「驚いたふり」は、要するに「私はこの不祥事にぜんぜんコミットしていませんからね。だって、何も知らなかったんだから」という言い訳のために戦略的に採用されているものである。/だが、メディアの先端にいる人間にとって「こんなことが起きているとは知りませんでした」というのは口にすること自体が恥ずべき言葉ではないのか。/けれども「こんなことが起きていることを私は前から知っていました」と言ってしまうと、「じゃあ、どうしてそれを報道しなかったのか」という告発を引き寄せることになってしまう。》(p132)

この本、今年の1月に出たものです。

先日の居酒屋タクシー問題の際も、そっくりそのまま再現されていましたよね、「驚いたふり」。

あるいは、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる」のと同じように、「驚くようなことがあったから驚くのではなく、驚くからそれが驚くべきことになる」んでしょうかね。

人間の強さについて。

《「強者」というのは「勝ち続けることができるもの」ではなくて「何度でも負けることができる余力を備えたもの」のことである。「弱者」というのは「一度も負けられない」という追い詰められた状況にある人間のことである。/人間の強弱は最終的には「勝率」ではなく「負けしろ」(そんな言葉は存在しないけれど)で決まるのである。》(p239)

勝つまで勝負し続けることのできるのが強者、とも言えますかね、これ。

自分を愛すること、他者を愛することについて。

《誰でも、自分の中に弱さや醜さや邪悪さを抱えている。(中略)自分の中にたしかに存在する、そういった邪念を受け容れるところからしか、「自分自身を愛する」ということは始まらない。(中略)自分自身を愛するというのは、自分自身の中に存在するさまざまな「不快な人格要素」となんとか折り合って暮らしてゆくということである。/隣人を愛するというのも、それといっしょである。/「愛する」とは十全な理解と共感に基づくものではない。そうではなくて、なんだか「よくわからないもの」を冷静に観察し、その「ふるまい方」のパターンをよくわきまえた上で、涼しい顔をして受け容れることである。/その訓練を私たちはまず自分自身について行うのである。》(p275〜276)

「あなたのことが知りたい」というのは、イコール「あなたのことがよくわからない」であり、しかしこれこそしばしば恋愛のスタートであるのに対して、「あなたのことがよーくわかった」は、しばしば別れの際に使われる言葉である、という指摘もおもしろかった。

《I cannot live without you./これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。/私はこのyouの数をどれだけ増やすことができるか、それが共同体に生きる人間の社会的成熟の指標であると思っている。(中略)たぶん、ほとんどの人は逆に考えていると思うけれど、「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数の多さこそが「成熟」の指標なのである。(中略)「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「私」の無能や欠乏についての事実認知的言明ではない。そうではなくて、「だからこそ、あなたにはこれからもずっと元気で生きていて欲しい」という、「あなた」の健康と幸福を願う予祝の言葉なのである。/自分のまわりにその健康と幸福を願わずにいられない多くの人を有している人は、そうでない人よりも健康と幸福に恵まれる可能性が高い。それは、(中略)祝福とは本質的に相互的なものだからである。》(p281〜282)

なんだか自分に言い聞かせている感が強くなってきましたが、はい、そのとおりです。



深井雅海『江戸城――本丸御殿と幕府政治』(中公新書)読了。



あんまり一般向けじゃないですかね、テーマ的に言って。

図版、というか、江戸城内の間取り図が豊富で、それは楽しめます。

で、感想ですが、現代人感覚から言うと非常に使い勝手が悪そうな間取りなんだけど、当時の人にとっては、きわめて合理的だったんだろうなあ。

家(の間取り)と、我々の暮らし方と、どっちが先に変わったんだろうか。