深夜タクシーでの官僚へのビールサービス、新聞によると、ていうか新聞へコメントしたタクシー運転手さんによると、20年以上前から続いていることだ、との由。
「何でいまさら?」感がアリアリのコメントであった。
それに関連して。
今朝のワイドショーでこの問題が取り上げられたとき、あるコメンテーターが、次のような趣旨の発言をした。
「この問題、どうしてマスコミのほうから上がってこなかったんでしょうね。各省庁には、記者クラブがあって、各社の記者がはりついてますよね。知らなかったはずはないでしょう。官僚から情報をもらっているから、指摘できなかったんですかね」
なるほど。記者さんにとってもアタリマエのサービスだから、悪いことだとは思っちゃいなかったせいか、と思っていましたが、そういう側面もあったか。
さて、この発言に対して、ワイドショーはどう展開していったか。
ワイドショーの司会者も、マスコミ側の人間なわけですね。
サラーッと流して、次の話題に移っていきましたとさ。
それまで眉間にシワを寄せていた司会者が、一瞬、ニュートラルな表情になったのは、なかなかおもしろかったけど。
ま、身内の批判はしにくいって気持ちは、わかります。
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アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』(早川書房)読了。
本筋の話は、明日にでもするとして、今日は「バカだなあ」と思った箇所を引用しておく。
まずは、物事の全体が見えていない例として。
《ギリシャ系キプロス人がキプロスのリヴィエラとして開発したヴァロシャ地区(中略)この場所が選ばれたのは、島の東側には風が吹きつけず、波が穏やかで海水温も高めだからだ。唯一の問題は、浜辺の高層ホテルのほとんどが、できるだけ海岸近くに建てるという選択をしたことだった。正午に太陽が一番高く昇ったあと、立ち並ぶホテル群に日光を遮られ、ビーチが日陰になってしまうと気づいたときには、もう遅かった。》(p144)
アホや。……でも、似たようなこと、やってしまいがちですよね。
次に、人間とは何て○○なんだろう、という例。
この話自体は、別の書籍でも読んだ記憶があり、そのときに取り上げているかもしれませんが。
《一八五〇年以降、アメリカ中央部の森がほとんど農地になると、何百万羽というリョコウバトが残り少ない木をいっせいにねぐらにしたため、猟はさらに容易になった。この鳥を満杯に詰め込んだ有蓋貨車が、毎日ニューヨークやボストンに到着した。やがて、想像もできない数のハトが実は減っているとわかると、ハンターたちは》(p284)
さて、ハンターたちは、どうしたと思います?
猟を続けられるように、捕獲数を制限するようになった……ぜんっぜん違うんですね。
《ハンターたちは一種の狂気に駆り立てられ、殺す相手がいるうちにものにしようと狩猟に熱を入れた。》(p284)
あーあ。その結果、
《一九〇〇年にはそれも終わった。哀れな数羽がオハイオ州シンシナティの動物園のかごの中に生き残っていたが、飼育係が事の重大さに気づいたときには、もう打つ手はなかった。一九一四年、彼らの目の前で最後の一羽が死んだ。》(p284)
となってしまった、と。
最後に、おいおい大丈夫か?という例。
《チェルノブイリの爆発と火災のあと、炭鉱労働者や地下鉄作業員が四号炉の地下にトンネルを掘り、既存の床の下にさらにコンクリートを詰め、溶けた炉心が地下水に達するのを止めようとした。(中略)トンネル掘削に要した二週間のあいだ、労働者たちはウォツカの壜を手渡され、飲めば放射能宿酔を予防できると言われていた。もちろん、そんなことはなかった。》(p316)
乗り物酔いじゃないんだからさ。