昨日は少々仕事、のち読書、のち飲酒。
飲みつつ、久米さんが出ているテレ東の番組をちょっとだけ見る。
若者が、クルマに興味を持たなくなった、クルマを欲しがらなくなった由。
街頭で、「セリカ」「シルビア」「スカイライン」と書いたフリップを見せても、「へ? それ、何の名前?」というリアクションが返ってくるシーンがあった。
うーむ。スカイラインは、最近GTRが出たから、それを知らんのは確かに「クルマに興味を持たなくなった」証左かもしらんが、「セリカ」「シルビア」は知らんでしょう、普通の二十代は。
S13シルビアはいいクルマだったんだけどなあ。何で手放しちゃったんだろう。給排気系足回りチューンしてさ……てな話を始めると、二十代の同僚アーさんにまた引かれてしまうので、このへんにしといて。しかし、それに激しく同意してくれるパートナー企業某社のオザさんは、若そうに見えて、いや実際若いんだけど、メンタリティの部分では若者ではないってことか。(冗談すよ冗談。)
ま、若者がクルマに興味を持たなくなったこと、それはそれで構わない。
しかし、若者代表としての出演者が、オープンカーに対して、ていうか、正確にはオープンカーに乗っている人に対してか、否定的なコメントをしたのは、軽いショックであった。
曰く、エラソー、ええカッコしい、成金趣味、といったコメントだったと思う。
あらま。若者は、そう見るのか。
いつかはクラウン、という古い言葉があった。
それになぞらえて、いつかはベンツのオープン、と思ってたんだけど(バカ高いやつじゃなくて、1つ前の代のSLK230ね。あれはカッコいいな)、ちょっと考え直すか。よしんば買えるようになったとしても。
平成10年型のムーヴ乗ってんですけどね、今は。
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鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創『日米交換船』(新潮社)読了。
日米開戦後、在米日本人を中立国経由で日本へ送った船の記録。
それに、鶴見俊輔さんも乗っていたと。
当時の在米日本人があの戦争を、そしてアメリカと日本をどのように見ていたのかがわかり、興味深い。
とりわけ、天野芳太郎さんという人に興味を抱いた。著作もあるようだから、読んでみようっと。
いくつか引用。
アメリカから日本へ帰った鶴見俊輔さんは、海軍に徴用された。
《赴任先、ジャワ島ジャカルタの海軍武官府で鶴見に命じられた主な仕事は、連合国側のラジオを聴き、翌日は、二人のタイピストの手を借りながら、その情報をまとめた部外秘の新聞を作るというものだった。大本営発表の情報は信ずるに足りず、軍の責任者も敵陣営から流されるニュースをあてにしていたからである。》(p376)
「軍の責任者」も、こりゃダメだと思ってたんでしょうね、きっと。「上がいい加減な情報しか寄越さんのに、戦争なんかできるか!」みたいな。でも、立場上、所与の条件の中で最善を尽くさねばならぬ。きついな、これ。
日米開戦時、すでに六十代だった在米日本人ジャーナリスト、河上清が、米当局に抑留され、審問に答えて。
《「この戦争に日本は勝てないでしょう。だがたとえ日本が滅びても『アジア人のアジア』という思想や主義は厳然と残るでしょう。そして戦後、オランダ領のインドネシアも、イギリス領のインドもビルマも、フランス領のインドシナも必ずみな独立するでしょう」(中略)「私は『アジア人のアジア』主義を実現するためには日本が負けなければならないと信じます。日本は貧乏国であるため、占領したアジアの国々に対しどうしても搾取政策をとることになり、諸国の真の独立自立を助けることにはならないからです」「ナポレオンは帝王神権説をくつがえし、各国人民を圧制から解いて当初は大歓迎されたが、フランス国内の窮乏のために近隣諸国を搾取するにいたり、激しく反発されました。日本も同じように必ずアジア諸国の反感をかうようになるでしょう。そしてなによりも日本は結局はアメリカに惨敗する以外ないのです」》(p433〜434)
に、してもだ。もうちっとうまい(というのもヘンな表現だが)負け方はなかったものか。