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『日本の愛国心』とソ連アメリカ双子論と、国語力検定

[2008年04月26日(土) ]

聖火リレーの感想。全部見たわけじゃないけど。

欽ちゃん自身が、「いやね、横を見ると、警察の人が欽ちゃん走りしててさ」と言うのはわかるが、テレビ画面のテロップに「警官が欽ちゃん走り」と出すのは、いかがなものか、と思った。

あと、聖火ランナーは2〜300メートルずつ走るそうだけど、護衛の警官たち、とりわけ一番外側で護衛している制服姿の警官たちは、約19キロ、最初から最後まで走らねばならなかったんだろうか。何か、革靴はいてるように見えたんだが。制服と革靴で19キロ走る。大変だ。滅多にない激務だっスんじゃなかろうか。

ときどき、



こんな旗が見えた。

聖火から、赤や青の光が放たれる、という意味だろうか。

……冗談ですよ冗談。わかってますってば。



佐伯啓思『日本の愛国心 序説的考察』(NTT出版)読了。



最初は行きつ戻りつの感があるが、第四章でグーッと盛り上がり、第五章でちょっと一休みして、最終章の第六章、グイグイ読ませる。

中高生は、読まなくともよいかな。いや、読んだほうがいいのかな。ちょっと悩む。

「愛国心」という言葉だけで引いちゃう人もいるかもしれませんが、少なくとも社会人・大学生は、読んでおいても悪くないと思いますよ。

これ、朝日新聞の書評欄に取り上げられることは、まあないだろう。バカ売れすりゃ、別だけど。なんせ、正論大賞だからね。

例によって、いくつか引用。

《ある国の歴史的な伝統や文化や風土がそのままそこにあり、それらに自明のものとして囲まれているとき、人は、わざわざ「愛郷心」や「愛国心」を感じる必要もないであろう。(中略)それらが失われつつあるという喪失感に囚われたとき、もしくは、たとえば外地にあってそこにどうしようもない距離感をもったときにこそ、「愛郷心」や「愛国心」を感じるというべきなのであろう。》(p105)

ああ、そういえば、外国にいるときは、妙に日本人ということを意識するなあ。

そんなに行ったことはないけど。

それより、何より、やはり、初めて上京したとき、違和感覚えたね、東京ってところに。

ここは、何年住んでも、故郷とは感じないだろうな、と思った。生まれ育った場所とは、違いすぎて。

両津勘吉さん世代の東京育ちの人はともかく、たとえば極端な話、六本木ヒルズで生まれて育った、というような人は、どういう風景に郷愁を感じるようになるんだろうか。

などと考えていると、話は、物理的な風景ではなく、精神のあり方に移ってゆく。なるほど、著者がここで指摘したい、日本人が失った(失いつつある)ものとは、何らかの心のあり方であったか。

《政府から金をもらって特権的な立場に身をおいて優雅な大学教授をやりながら反政府的言辞を弄して平和や民主を唱える知識人を、いかにも良心的で「進歩的」として賛美するメディア。「恐るべき俗化の時代」とは、このような欺瞞を醜悪とも薄汚くとも思わなくなった戦後の「進歩主義」的精神であった。》(p182)

これは、その心のあり方を失った結果の、一つの具体例であろう。

《日本の近代化はその最初から大きなディレンマを抱えることになった。それは、日本の独立を保つには、日本は西欧化するほかないというのであるが、それはとりもなおさず日本のアイデンティティを犠牲にするということだからである。》(p262)

これは、その心のあり方を失った理由の一つであろう。

あるいは、その心のあり方を失ったのは、ある意味やむを得ないことだった、ということか。

《人は欲をもち、利を求め、我を通そうとする。しかし、富にせよ栄光にせよ名誉にせよ、それらを仮に実現したとしてもたまさかのものであり、次の瞬間には露のように消えてゆくだろう。それがこの世の慣わしならば、すべてが崩壊し、死へ向かうというあきらめをあらかじめ持っていなければならない。そして、この「無」の境地において、人ははじめてある覚悟をもつことができる。この「無」の境地における覚悟によって人は利や欲ではなく、「義」や「道」のために生きることができるだろう。》(p294)

これが、その心のあり方、すなわち日本の伝統的な倫理観、だそうです。

みんなが持っていた、というわけではなく、持とうとしていた、持つことを目指されていた、持つことがよいという共通認識がメジャーであった、という意味だと思いますが。

最後に、本筋とはちょっと離れた箇所だが、「ほう!」と思ったところ。

《社会主義が基本的に崩壊してしまえば、もっとも「左」に押し出されたのは実はアメリカであった。(中略)西欧近代社会を生み出したヨーロッパ(西欧)から見れば、実は、ソ連もアメリカも一種の人工的な実験国家であり、両者とも、産業技術による無限の進歩と理性による理想的社会の実現と、おまけにその理念の普遍性を疑うことを知らない超近代国家であった、ということだ。》(p243)

アメリカとソ連は、双子であったか。そう言われれば、なるほど似てるな。