菊池良生『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』(集英社新書)読了。
近代郵便制度がどのようにして生まれたか、というお話。
世界史をとっている高校生のみなさんには……あ、今は全員必修なんだっけ、お疲れさまです、でも、悪くないとは思いますよ、世界史必修。自分が生まれた(あるいは、住んでいる)コミュニティの歴史の学習、というのが前提ですけどね。たとえば、やたら細かい世界史的年号は知ってるけど、日本の歴史には疎い、というのは、ちょっとどうかな、と思ったりもします。
話がかなり飛びました。世界史は必修ということで、高校生のみなさんには、近代史を理解するうえで、「ははあ、こういうファクターもあったのね」ということを知る意味で、読んでおいてもいいかな、と思いました。
いくつか引用。
《ともあれ、郵便契約はなった。それによるとタクシス家は三八キロごとに宿駅を設けることになる。ちなみにこれが(中略)十七世紀初頭には一五キロごとになるのだから、まさしく「速く、速く(中略)」というわけだ。/配達人は宿駅が近づくと到着をホルンで知らせる。すると次の配達人は馬上で郵便袋を受け取る準備を始める。受け取ったら間髪いれずに出発である。夏は時速六〜七キロ。冬は五〜六キロで走る。》(p77〜78)
この時代は、配達人、ウォーキングあるいはジョギングではない。騎馬である。
夏は時速六〜七キロ。冬は五〜六キロ。
遅くね?と思ったわけである。
この時代は、もう商売だから、マラトンや忠臣蔵の故事とは違うだろうけど。
しかし、後を読んで納得。
「早足だったら、時速6キロぐらいイケるよ、馬使うこともないんじゃない?」というのは、道路が整備されている現代ならではこそ。道路財源万歳!関連の話は、近いうちに改めて。
後のほうで、道路事情の悪さが出てくる。激しく激しく悪い。山があるからトンネル掘ろう、という時代じゃないからね。
納得。そういや、北鎌倉から源氏山へ行く道に、「1キロ、歩いて1時間」と書いてあったっけ。
むしろ忠臣蔵が、想像を絶するというわけか。
(この項続く)とするのは、もう酔っ払ったからです、すいません。