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反哲学と戦争する脳とシー・シェパードと、国語力検定

[2008年03月10日(月) ]

というわけで、土日は本を読んで過ごす。

木田元『反哲学入門』(新潮社)読了。



なかなかおもしろい。

いくつか引用。

《人に哲学をすすめることなど、麻薬をすすめるに等しいふるまいだと思っています。/(中略)だから、「子どものための哲学」なんて、とんでもない話です。無垢な子どもに、わざわざ哲学の存在を教える必要はありません。/哲学なんかと関係ない、健康な人生がいいですね。》(p18)

哲学者がこう書くってのが、おもしろくありません?

《日本では、哲学が欧米に輪をかけて難解なものとされていることは確かです。まず、哲学の基本となる超自然的原理は、われわれの発想のうちに見いだすことができないという分からなさがあります。(中略)おまけに、哲学を学び紹介する者が、自分の修行が足りないせいで分からないと思いこむのは仕方ないとしても、そのことを他人に悟られないようにごまかそうとするので、ますます話がややこしくなります。》(p24〜25)

このあたりも、なかなか辛辣。

まあ、でも、この本の、以下のくだりぐらいは理解できました。

《存在するものの全体を、生きておのずから生成するものと見、自分もその一部としてそこに包みこまれ、それと調和して生きるときと、その存在するものの全体に〈それはなんであるか〉と問いかけるときとでは、存在者の全体へのスタンスのとり方がまるで違います。そんなふうに問うときには、問う者は問いかけられる存在者の全体の外の、あるいはそれを超えた特権的位置に身を据えているにちがいないからです。》(p230〜231)

デカルトやらカントやらニーチェやらヘーゲルやらハイデガーやら、については、この本で述べられている程度を押さえておく、というのが、旧制高校的教養崩壊後の「教養」、なのかなあ。



続けて、計見一雄『戦争する脳』(平凡社新書)読了。



これも、なかなかおもしろい。

「イラク戦争と日中戦争――ゲリラ戦の可能性」という節。

《イラク戦争が始まる前に、誰か日本の政治家でブッシュ氏に「満州事変と支那事変を知ってますか?」とご注意した人がいるのだろうか? ペンタゴンには立派な資料室があるそうだから、二〇世紀の各種戦争の分析はなされているのだろう。そこには日本陸軍が中国大陸でさんざんな目に遭った便衣隊(ゲリラ部隊)の話は入ってなかったのか。私はイラク戦争の始まりと同時に、あ、便衣隊が出てくるぞと思った。》(p61〜62)

なるほど。今のイラクにおけるアメリカ軍は、中国大陸におけるかつての日本陸軍に重なるのか。てことは、ベトナムなみに厄介なことになるかもしれぬ、と。

「栗林中将は硫黄島で家のすきま風を心配した」という節。

《梯久美子さんの『散るぞかなしき』(新潮社、二〇〇五年)に描かれた栗林忠道中将は、渡辺謙氏演ずるところの将軍ほどかっこよくない。》(p116)

『散るぞかなしき』、読みましたが、渡辺謙さん演ずるところの(映画『硫黄島からの手紙』の中の)栗林中将に負けず劣らず、カッコいいと思ったけどなあ。

《どちらかと言えば村夫子然たる人物のようだ。中で印象的なのは台所のすきま風の塞ぎ方をあれこれ考え、結局最期まで気に病んでいたらしいことだ。(中略)ノンフィクションだから踏み込んでいないのだろうが、これが小説なら狂気の戦場で彼の正気を保たしめたものは、台所のすきま風であったという話にすることも可能だ。/日本家屋の借家住まいで、炭も炭団も欠乏していれば、たとえ将官の家であってもすきま風は大ごとだった。(中略)そういう日常の些事を思い続けることが、実は正気というものの正味の効能である。日々が無事にたっていくこととのほかに、どんな目的が人の正常な精神にありえようか。》(p116〜117)

リアリストであることが大事、というふうに理解しました。

「実はからだの病気である」という節。

《限界を超えればどんな丈夫な人でもブレーク・ダウンする。その中に自殺という選択をせざるを得ないところまで、追い込まれる人も当然出てくる。できもしない自殺予防に大騒ぎするより、超限界労働を止めさせろ。》(p212)

計見さん、本書の冒頭近くで、「リスクマネジメント」という言葉を批判しています。リスクはマネジメントできない、必ず起こると思っておいたほうがよい、起こったときにどうするかを考えておく「ダメージコントロール」のほうが重要である、と。

《疲弊しきって私の前に現れた人々に、抗うつ剤を処方はする。睡眠薬の処方もする。しかしながら、「あなたはうつ病ですよ。うつ病を克服した人の本を読みなさい」とは滅多に言わない。「あなたは物凄くくたびれている。普通、くたびれた人は眠る。死んだように眠った後、ああよく眠った、手足の先まで真綿のように力が抜けてしまった。こんなに疲れていたのか。という具合に熟睡して、その後で回復してまた働く。(中略)まず寝てください」、とのみ言う。/さらに言えば、「あなたは心の病気、精神の病気で精神科に来たということを、きっと恥じているに違いない。ここにはたしかに精神科の看板が掛かっているけれど、あなたの病気は、実はからだの病気ですよ」という説明をする。》(p212〜213)

土曜日、めずらしく昼まで寝てしまった。12時間ぐらい寝ただろうか。起きたとき、「ああ、おれはこんなに疲れていたのか」と思った。訳もなく、涙が流れた。……後半、半分創作&冗談ですよ。

終章より。

《どうすれば知らないうちに戦争への一線を踏み越えないですむか(中略)/一つは、問題を「道徳問題」として考えるな、ということである。地球環境についての方策は、「ケシカラン、どういうつもりだ、君はそれでも地球市民と言えるのか」思考からは出てこない。地球市民をナニナニ国民と言い換えればすぐ了解されるだろう。特に戦前の世相・論調を覚えている人には、ピンと来るはずだ。》(p228)

全然関係ないですが、シー・シェパード。

気の荒い漁師さんのいる漁船に対して、操業中、あんなことしたら、理屈並べているヒマもなく、海に叩き込まれるんじゃないの、と思って見ていました。