[2008年01月06日(日) ]
ディック『暗闇のスキャナー』(創元SF文庫)読了。
おもしろい。が、「訳者あとがき」で山形浩生さんも書いているけど、残酷なお話。救いがないっすね、これは。それが現実なんだろうけど。ところで仕事中毒状態になると……やめとこ。
そういえば、訳者紹介のところに、こんな記述を発見。(1991年の初版本です。)
「1987年、東京大学工学部都市工学科卒、同大学院修正課程修了。」
大学院で、何かを「修正」されたんだろうか。
「修士」の誤植だと思うんですけどね。
そうだ、国語力検定メールマガジンの読者投稿コーナーとして、「おもしろい誤植発見!」てのを新しく作るか。
実は、年末から北陸〜関西を漂泊しており、昨日帰宅して、久々に朝日新聞を読む。
昨日の朝刊社会面左下の、「青鉛筆」というコーナーが、なかなか秀逸であった。
《俳優の故松田優作さんにちなんだ宿泊プランの販売を京王プラザホテル(東京・新宿)が始めた》
という内容のコラムだが、こう締めくくられる。
《没後18年が過ぎた今も「兄貴」と慕う男性は多いが、部屋で一人悦に入って、周囲の女性からへそを曲げられない?》
……間違えました。正しくは、こうでした。
《没後18年が過ぎた今も「兄貴」と慕う男性は多いが、部屋で一人悦に入って、周囲の女性から「何じゃこりゃ〜」とへそを曲げられない?》
「何じゃこりゃ〜」という一節を付け加えたところに、激しく国語力を感じたわけです。(あるいは、後から付け加えたのではなく、「何じゃこりゃ〜」を使いたいというのが先にあって、それに合わせてオチを考えた、というのが正解かもしれませんが。)
今日の朝刊経済面には、「10年後」というタイトルの連載記事で、ミクシィ社長・笠原健治さんのインタビューが載っている。
ネットというかコンピュータというか、それらによって「人間のあり方自体も変わりますか」と問われた笠原社長は、こう答えていらっしゃる。
《最終的には創造、判断、決定に特化するかもしれません。むだに知識を詰め込んで記憶するようなことは必要なくなっていく。》
なんというか、ちょっとコワイな、と感じた。シャレや冗談抜きでこの方向を目指しているんだとしたら。
「むだに知識を詰め込んで」というところに違和感を覚えてしまうのは、ぼくが旧世代に属しているからなんでしょうかね。
いや、違う、わかった、《国語力検定の知識分野の出題は「むだに知識を……」》と言われているような気がしたからだな! ……冗談ですよ冗談。
「むだに知識を」と、「むだな知識を」とでは、意味が違う、ということですよね。
まあ、でも、ぼくは、「むだな」知識を「むだに」詰め込むことに対して、そんなに否定的じゃないってことで。それがいつ「むだ」じゃなくなるか、わかんないし。