[2008年01月03日(木) ]
スタニスワフ・レム『エデン』(早川書房)読了。
なんとなーく、堪能しどころを間違ってる気がしてならない。アルコールのせいか。……国語力のせいかも。(垂渓庵先生、『エデン』については、もう語ってもらっていいっすよ! 『ソラリス』は、しばしお待ちを。)
暮れに読んだ『逝きし世の面影』つながりで、一箇所引用しておきます。
《どこかの高度に発達した種族が、数百年前、宗教戦争の時代の地球にやって来て、紛争に介入しようとした――弱者の側についてだ――と考えてみたまえ。その強大な力をもとに、異端者の火あぶりや異教徒迫害等々を禁じたとしよう。彼らの合理主義を地球上に普及させることができたと思うかね。当時の人類はほとんど全員が信仰を持っていたのじゃないかね。その宇宙の高度な生物は、人類を最後のひとりになるまで、つぎつぎと殺さなくてはならなかったにちがいない。そして彼らだけが、その合理主義的理想とともに残るということになっただろうね》(p222)
全然関係ないが、テレビを観ていると、「新番組、ヤッターマン!」という番宣をやってて、ちょっとビックリ。ヤッターマンって、たしかおれが小学生ぐらいのときにやってたよな。
[2008年01月03日(木) ]
箱根駅伝を観る。
途中でニュースが入る。
ああ、お正月だというのに、殺人事件は起こる。
「62歳の男性を殺害した容疑で、58歳の女が逮捕されました」
……男性と男と女性と女。
殺害されたのが、女性のほうであったならば、
「58歳の女性を殺害した容疑で、62歳の男が逮捕されました」
となるのであろう。
してみると、男性・女性というのは、敬称の一種なんだろうか。国語力的には。
再び、箱根駅伝を観る。
選手が次々と、精も根も尽き果てたという様子で、中継所にたどりつき、タスキをつなげていく。
タスキを渡した瞬間に、その場へ倒れこんでしまう選手も多い。
ある選手は、中継所の真ん中へ倒れこんでしまい、スタッフにずるずると引きずられていた。後続の選手の邪魔になるからね。
ある選手は、チラと後ろを見やり、「あ、すぐに後続の選手が来るな」と気づいたのであろう、邪魔にならないよう、横のほうへ行ってから倒れこんでいた。
うーむ、広い意味での国語力あるなあ、と思った次第である。
倒れこんだ選手にも、そうじゃない選手にも、スタッフが後ろからタオルをかけてあげることになっているようだ。
しかし、選手は勢いがついているから、タオルをうまくかけてあげるのも、観ているとなかなか大変である。
あるスタッフは、選手とのタイミングが合わず、タオルをかけるつもりが、後ろから選手を突き飛ばしてしまう格好になっていた。
選手はフラフラであるからして、突き飛ばされると、その場に倒れてしまうわけである。おいおいおいおいおいおい、と思った次第である。(これは、国語力には、カスリもしませんでしたね。すいません。)