昨夜はカミサンと、三島駅前の「漁場」で飲む。まあ、ふだんおれらがどんなところで飲んでるのかをご紹介、ってことで。
相変わらず盛況である、「漁場」。ほぼ必ず誰かが頼むので、「ここのカラアゲ美味いんだよ!」と事前に言ってたんだが、残念ながら売り切れ。売り切れかよ。
お通しはミートボール3コ。ビール2杯、焼酎ボトル1、和風カルパッチョ(お刺身よりも、野菜が一緒に取れて、いいんじゃないすか)、ゲソ揚げ(美味い)、タチウオ塩焼き(脂の乗りが今イチだったな。用宗港の近くの居酒屋で食ったタチウオ塩焼きは絶品だった)、厚揚げ焼き、寿司盛り合わせ(イクラ、塩味強すぎじゃないか、あれは)で、しめて4500円ほど。安いな、やっぱ。
さて、支払いの段になって、「カード使える?」と聞いたところ、「使えません」。
家からクレジットカード1枚しか持ってこなかったぼくは、カミサンにおごってもらったのでありました。……この店で、支払いを担当したこと、一度もないのね、ということも、カミサンにはわかったであろう。
さて。ピーター・バーク『時代の目撃者――資料としての視覚イメージを利用した歴史研究――』(中央公論美術出版)読了。
すげー大雑把にまとめると、《写真は嘘をつかない。嘘つきが写真をとるのだ。――ルイス・ハイン》(p25)だけど、《「神は細部に宿る」》(p257)、といったところになるか。
国語力的な箇所を引用しておく。
《相変わらず私たちは、文化的に隔たった集団をステレオタイプの言葉で眺めているということだ。わかりやすい例としては「テロリスト」があり、この用語は最近では極端な非人道的暴力集団のイメージを呼び起こす。もしこれらの「テロリスト」――アイルランド人、パレスティナ人、クルド人など――を「ゲリラ」と呼び直すことにしたら、彼らの理想については言うに及ばず、その動機にも理解の目が向けられ、彼らは人間の顔を回復するにちがいない。》(p169)
たしかに。「テロリスト」と「ゲリラ」では、イメージがだいぶ違いますよね。
最近の読書はほかに、
『マダム貞奴――世界に舞った芸者――』:へー、こんな人がいたんですね、知らんかった。
真保裕一の『栄光なき凱旋』:これは、ちょっと前に取り上げた、野崎京子『強制収容とアイデンティティ・シフト』(世界思想社)つながりで。ううむ。おもしろいはおもしろいんだが、事前の期待ほどには泣けんかった。『ホワイトアウト』で泣けた記憶が強すぎるのか。
高橋団吉『新幹線をつくった男 島秀雄物語』:一種のビジネス書として、興味深く読みました。
など。
年末年始は、外国のSF読もうっと。