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仙台のほうの新聞社さんと、国語力検定

[2007年09月25日(火) ]

国語力研究所には、あまり予算がない(えーと、福沢諭吉先生に怒られそうですが、だからお金を貸してくれ、と言っているわけではありません)。

したがって、ドカンと広告を打つ、なんてことは、とてもできない。

しかし、何とか国語力検定を世の中に広めたい、という気持ちも強い。

ジレンマである。

さてどうするか。

いくつかの新聞では、第1回の検定を記事にしていただいたな。そうだ、第1回の出題結果分析は、多少ともニュースバリューがあるだろう。それと絡めて、第2回の検定実施を記事として取り上げてもらえば、いいんではないか?

では、どこの新聞社に? 検定会場のある都市の人たちが多く読んでいる新聞、その地元版、「地元でこんなイベントがあります」的な形がいいだろう。我々の地元で言えば、静岡新聞だな。

というわけで、会場設置都市をカバーする、いわゆるブロック紙や地方紙に資料を送付してみる。

その1つ、仙台のほうの新聞社さんから、今日、電話がある。

……えらい怒られる。

Z会? 国語力検定? ナニそれ?」
(って、お手紙に書いてあるんですけど。)
「突然こんなもの送りつけるなんて、失礼でしょ?」
(ははあ。)
「まず電話して、送っていいかどうか聞いて、それから送るのがスジでしょ?」
(ははあ、なるほど。国語力について教わるところ大。)
「広告してほしいの? じゃあ広告局に言ってカネ出して広告出せばいいでしょ?」
(おっしゃるとおりです、でもそのカネが手元不如意でして。)
「大体ね、新聞社へのコンタクトの取り方として、おかしいよ、あなた」
(ははあ、勉強になります。)
「とにかくこれ、捨てるから。そういうわけで」

……この作戦は、失敗だったか。

さて、どうしたもんだろう。

しかし、仙台のほうの新聞社さん、8月20日に共同通信さんの配信で、国語力検定の記事を掲載してるんだけどなー。まったく目にとめていただけなかったか。残念。

いずれにせよ、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした、河北新報社さん。

Z会受講費「までも」負担?と、国語力検定

[2007年09月25日(火) ]

昨日一昨日の記事、「楳図かずおさん」のお名前を「梅図かずおさん」と誤表記していたことを、後輩ノンちゃんがメールで指摘してくれる。ああ、ありがたいことだ。さっそく直しておく。

今朝の朝日新聞の、なんと社会面全国版に、「Z会」の文字が!

なんだなんだ、と思って読んでみると、合格者「上積み」問題に関連して、某私立高校が受験料のみならず、Z会の受講費まで負担していた、という記事。

ちなみに、ネットのasahi.comの見出しでは「通信教育受講費用も」となっているが、新聞では見出しにしっかり「Z会」と書いてある。

なぜ、ネットと紙媒体とで見出しを変えたのか、国語力的には非常に興味深いところだが、その詮索はここでは措いておく。

むしろ、「入学金や授業料免除、受験料も学校負担、あまつさえZ会の受講料までも負担」という中での、「Z会までも」に込められたものを、国語力的に考察してみよう。

ここには、Z会に対するネガティブな意図があるのか、もしくはその逆なのか、それとも実はニュートラルなのか。

微妙だ。大学に合格するなら、やっぱりZ会か、というポジティブな見方もできなくはないが、個人的には、あんましいい感じはしなかったね。

まさか朝日の人が、こんなブログを読んでいるわけはないと思うが、朝日の記事をネタにするのは、しばらく自粛しとこうかな。

……おお、これが自主規制ってやつか。さすが第4の権力、マスメディア。激しく冗談です。

今日のことば:昨日に引き続き、石原千秋さんの『秘伝 大学受験の国語力』(新潮選書)より。



《そもそも入試国語の設問の多くは、悪文を添削しているようなものなのである。そういう悪文によって読解力を鍛えられたエリートたちが、訳の分からない文章を書くことが高級だと勘違いをして、またとんでもない悪文を再生産する。悪循環である。(ただし、念のために付け加えておくと、僕は若者が背伸びをして「難解」な文章を書くことを否定しようとは思わない。それを否定したら彼らの知的好奇心は育たない。僕が馬鹿げていると感じるのは、いい大人が文章が下手なせいで一見「難解」に見える文章を書いているのを読んだときである。》(p44)

確かに、一読で文意明快な文章は、かえって問題文にしにくい。「ここは、誤読しそうだな」と思ったところに、傍線を引いたりするわけだから。

「この傍線は、どういうことを言っているのか、わかりやすく説明せよ」ってねえ、よりわかりやすく記述できるんであれば、原典の著者がハナっからそう書いてくれればいいわけで。